第3話
「さて、どこ行きますかね」
下田とのやり取り直後にそのまま教室へ向かう気になれなかった素晴は、30分ほど時間をつぶせる手頃な訪問先がないか思案する。
部活動の一つでも所属していれば部室に顔を出せばいいのだが、生憎中学3年間を帰宅部で貫き通した素晴には学校内に避難場所など存在しない。
いや、普通に教室に行けばいいだけなのだけど。
(とりあえず適当にぶらつくか)
幸い今日は入学式。これから使用する教科書類は順次各授業中に配布予定のため、カバンの中にはほとんど荷物が入っておらず身軽だ。
カバンを背負ったまま校舎内をほっつきまわるには1年で最も都合がいい日といっても過言ではない。
我が母校豊知学園は、「中学棟」、「高校棟」、「専門教科棟」、「講堂」、「体育館」という5つの建物と、大小2つのグラウンドで構成されている。
中学棟、高校棟、講堂、体育館はその名の通りの施設が、また、専門教科棟には美術室や実験室といった授業関連で使用する教室並びに図書館が入っていて、建物間は連絡通路で結ばれているのだが、もともと森が広がっていた土地に半ば無理やり学園を設立した影響か敷地内の高低差が大きく、かつ入り組んでいるため、入学したての中学1年生が校舎内で迷子になったなんて話が毎年のように聞こえてくる。
素晴個人としては面倒なつくりをしている校舎がダンジョンみたいで嫌いではないのだが、今は置いていく。
中学棟——まだ中学生気分が抜けていないみたいでなんか嫌だ。
高校棟——下田がいる、却下。
講堂——入学式の準備でたぶんこの時間は立ち入り禁止。
体育館——どこかの部活が朝練してると思われる。
うむ、結局一択ですわ。選択肢なぞもとからなかったのです。
下駄箱で上履きを装備して、素晴は一路、専門教科棟を目指し校舎内の徘徊、もとい探索を開始した。頭の中では昨日やったRPGのテーマソングが流れている。
高校棟から専門教科棟へ行くのはこれが初めてだったが、時間つぶしをしたい素晴にとっては幸か不幸か、特に迷うことなく目的地へと到着してしまった。
(これだけ目印になるものがありゃ間違いませんわ)
恐らく入学式で演奏する式典曲や校歌の練習をしているのであろう。
専門教科棟の一角にある音楽室からは絶えず楽器の音が聞こえていたため、素晴は音のする方を目指すだけでよかった。
さながら闇夜を照らす灯台の輝きだったわけだが、一聴しただけで演奏しているのが高校音楽部の、いわば精鋭と言える2,3年生陣だと推測できる。
練習にもかかわらず、自分の呼吸音さえ邪魔に感じてしまうほど、その演奏に聞きほれてしまったからだ。
しばし足を止め、瞳を閉じて視覚情報を遮断する。
今だけ、この瞬間だけは先輩たちが自分のためにだけ演奏してくれている——
とあえて錯覚して、心地よい音色に身をゆだねる。
(下田には感謝せねば)
誰も知らない演奏会を心ゆくまで堪能していた素晴だったが、4曲目が終了したところでそろそろ教室に戻る時間だなと、ゆっくり瞼を上げる。
「なにしてるの、福原くん」
「ふうぇぇぇい!!!??????????」
またしても不意打ち。
そして再びの奇声。
目を開けた途端視界に飛び込んできたのは、こちらの顔を覗き込むように見上げていた小柄な女子生徒だった。
「び、びっくりしたぁ……驚き過ぎじゃない?」
「いやびっくりしたのはこっちだから。気配消して近づいてくるのはやめなさい青木」
「だって目をつむったまま直立不動で時間停止してる人がいると思ったら、まさかの知り合いだったんだもん。だいぶ不審者だったよ?」
「ふぐっ。不審者はひでぇよ」
こちらはただ演奏を楽しんでただけなのに。
純粋な男の子に対して不審者とは、あまりにひどい言い草だと思うのだが、
「1人でいたら不審者な福原くんを、私という救世主が一緒にいることで助けてあげたのですっ」
眼前の女子は腰に手をやり、感謝せよと言わんばかりの態度である。
うむ、ちっちゃい子が偉そうにしてるのかわいいな。
「そんなことより元不審者くんはここで何してたの?」
「そのあだ名は絶対定着させるなよ!?あー早めに学校着いたから暇つぶしに校内ぶらぶらしてたら楽器の音が聞こえてきたからさ」
「なるほど聞きほれてたと」
「うす。その通りっす青木神」
「……目いっぱい楽しむために目を閉じてたと」
「目いっぱいなのに目は閉じてんの不思議っすね青木神」
「……」
「青木神」
不名誉なあだ名をつけられた意趣返しに神格化してみた。
みるみるうちに顔を赤くしちゃってまぁ。そんなに神と呼ばれるの気に入ってくれたのかしら。
「2度と青木神って呼ばないで」
「うす。すませんした」
怒られた。
溢れだす羞恥心を抑えきれずぷるぷる震えてたらしい。
うむ、ちっちゃい子が恥ずかしがってるのもかわいいな!
などとは口が裂けても言えないので、君子危うきに近寄らず—近づくどころか危うきにワンタッチしちゃったけど—ということで話題を変える。
「そういう青木は何してたん?」
「わたし?入学式で演奏する先輩たち用の席づくりしてたんだ、音楽部の後半ちゃんたちと一緒に!」
椅子やら譜面台やら、1つ1つは軽くてもそれらを講堂まで運ぶのはなかなかの重労働だったろうに、後輩と一緒に入れて楽しかったのか青木は朗らかに笑っている。
「俺たち新1年生って仮にも今日の主役なのに。関係なく動員されるとか音楽部は大変だな」
「いやわたしたち1年生は準備に呼ばれてないよ?わたしが勝手に参加しただけ」
きょとん顔でこちらを見てくるが、本来その顔は素晴がするべきものなので返していただきたい。
「なに、つまりボランティア的な?」
「うん!高校生になるの楽しみすぎていつもより早く学校に着いちゃったから。部室は先輩たちが練習してるから邪魔しちゃ悪いしね」
「人がいいというか青木らしいといか」
「それに講堂なら練習してる音も聞こえやすいと思って。上手だよね先輩たち」
憧れを宿したその瞳は実にキラキラと輝いていて。
その様子に素晴はまたしても心を奪われそうになって。
それはいけない、と自分を戒めるために強引に言葉を紡ぐ。
「俺そろそろ行くわ」
「そっか。んーもうちょっと演奏聞いてたかった気もするけど、あとは本番のお楽しみということで。それじゃ未踏の1年3組へいざ行かん!」
青木にぽんと背中を叩かれて、素晴は意図せず教室への第一歩を踏み出した。
「っ!?ちょ、ちょっと青木さんや。二人並んで歩いてたら変な噂が——」
突然のスキンシップに慌てた素晴は、一旦冷静になるべく、青木との物理的な距離をとる言い訳を口にしかけて、違和感に気づく。
「……待って。なんで俺が3組だって知ってるんだ?」
ささやき程度の音量だったが、思わず声に出してしまって、瞬間後悔した。
これからの高校生活を—3年間全てとは言わずとも—、少なくとも当面は平穏に過ごしたいならこの疑問は胸の内に秘めておくべきだったと。
あわよくば“よく聞こえなかった”的な展開に淡い期待を寄せたが、現実は非情だった。
「そりゃあ気になるでしょ?」
そのつぶやきをかき消すには、あまりに周囲が静かすぎた。
気になるって何が!?
あれだ!“誰がクラスメイトだろう?”っていう一般論のヤツですよね!?
そうですよね!!??
内心焦りまくっている素晴を見透かすかのように、先ほどから実にご機嫌な様子で隣を歩くその女子は、不敵な笑みを浮かべた顔をこちらに向け、言葉を続ける。
「ねぇ知ってる?私たち中学1年生から4年連続同じクラスなんだよ?」
素晴の中の何かはもはや崖っぷちだった。
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