木曜日 二十三時五十七分
ただのネコ
世界の滅ぶ日に
男には三分以内にやらなければならないことがあった。
なぜ三分か?
それは今が二月二十九日(木)の二十三時五十七分だからだ。
何をやらなければならないのか?
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れをかいくぐり、その向こう側にたどり着かねばならない。
五百キロを越える巨体が何百頭と集まって時速八十キロで走っている。
正気の者なら、その群れの中に入り込もうなどとは思うまい。
だが、行かねばならない。
なぜ?
そこに猫がいるからだ。
彼の猫がいるからだ。
なにせ木曜日が終わるのだ。
世界は先週木曜日に彼の猫が作り、来週木曜日に滅びを迎える。
彼がそんな世界の真実を知ってから、ちょうど一週間。
世界が滅ぶとき、男は彼の猫を優しく抱きしめているべきだ。
なぜなら、人間は猫の奉仕種族なのだから。
男は呪文を唱える。
Buffalo buffalo Buffalo buffalo buffalo buffalo Buffalo buffalo.
呪文を唱えても何も起きないが、覚悟だけは定まった。
つまり、男自身が二体目のバッファロー市出身のバッファローになればいいのだ。間違って一体目のバッファロー市出身のバッファローになると、別のバッファロー市出身のバッファローに怯えることになる。あれだけバッファローがいれば、他にバッファロー市出身のバッファローがいる可能性は十分にあった。
男は幸いバッファロー市には行ったことがあった。ニューヨーク州第二の街、というと結構な都会をイメージするかもしれないが、あの大都会から五百キロほど離れていて、ナイアガラの滝にほど近い閑静な住宅街だ。
これだけ知っていれば、出身地と言っても過言ではあるまい。後はバッファローになるだけだ。
なるべくバッファロー的な雄たけびをあげ、男は走る。
バッファローの群の最後の一体に追いつく。
尾を掴む。
男を振り払おうと尾を振るバッファロー。
その勢いを利用し、跳ぶ。
落ちた先は、別のバッファローの背だった。
その背の上を駆け、一つ前のバッファローへと跳ぶ。
これを繰り返し、もう一つ前のバッファローへ。
もう一つ前のバッファローへ。
砂煙の向こうに、微かに猫の姿が見えた。
模様も毛並みもわからないが、確かに見えたと男は思った。
それが良くなかった。
一頭のバッファローの上に長く留まりすぎた。
バッファローが大きく首を振り、男は地に落とされる。
落ちてなるかと伸ばした手が、バッファローの豊かなタテガミをつかんだ。
急に男の体重がかかり、バッファローが転倒する。
走る群れは止まらない。
止まれないし、かわせない。
後続のバッファローの蹄が、倒れたバッファローと男を踏みにじる。
倒れたバッファローの角が踏み折られ、哀れな呻きをたてる。
男の脚も踏み砕かれ、激痛が走った。
呪われろ、腐れ偶蹄目め!
彼を踏んで良いのは、麗しき猫の芳しき肉球だけだと決まっているのに。
そんな憤りも虚しく、男の意識は猫を抱く事なく途絶えた。
ーーーーー
コタツで目を覚ました男は、スマホで時計を確認する。
三月一日(金)零時零分。
部屋の中はそのままで、どうやら猫天国ではないし永遠の猫トイレでもない。
「つーか俺、猫飼った事ないしな」
犬派か猫派かと問われれば猫派だが、命を賭けてまで猫を抱きにいけるかというと、ちょっと。
なんであんな夢を見たのやら、とぼやきつつ、男はトイレに行くために立ち上がる。
「なんだこれ?」
トイレの扉の前に、妙なものが落ちていた。
三十センチぐらいの、緩やかに曲がった白く太い棒。片側は尖っていて、もう片側はギザギザになっていた。まるで、何かに踏み砕かれたように。
「探しに行ったほうがいいのかな、俺の猫」
来週の木曜日までに。
木曜日 二十三時五十七分 ただのネコ @zeroyancat
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