第二章 女神

 私は港町で漁師をやっていたごく平凡な人間だ。両親は早くに他界し、腕利きの漁師である祖父の元で育てられた。ここで私は船と海の一切を叩き込まれた。しかしいくら腕のいい漁師になったところで、無い魚は取れないのである。私は幼い頃に酷い不漁を経験し、祖父と共に大変な苦労をした事が強く記憶に残っていたものだから、自分で船を出せるようになる頃には、他の仕事を探すべきだと考えるようになった。そのうちに軍人を目指すようになった。職業軍人と言うやつだ。その頃、軍人はそこいらの並の漁師に比べれば給料も良く、不漁になれば生活が苦しくなるというようなこともないため、港町の多くの若者が、安定した金を得るために軍人を目指していたのだ。祖父にとっては複雑だったろう。昔に戦争を経験しているので、万一の事が起きて、私が戦いに出るような事にはなって欲しくないと話した。私は暫くの間酷く悩んだ。自分の育ての親であり、唯一の血の繋がった家族の願いだ。一度は漁師として生きる覚悟もしたのだが、やはりどちらの道を選んでも過酷なことに変わりはない。であれば、軍で稼ぎ、それを祖父に渡してやった方が、今よりはいくらかましな生活ができるのではないか。そうして私は軍人を目指すことにしたのだ。祖父は私の選択を喜ぶ事はなくとも、否定することもしなかった。私は十八になる頃に海軍に志願した。海辺で生まれ育ったせいか、陸にはかくべつに興味を引かれなかった。そうして入った海軍では、戦いに出るような危険なことはなかったが、思い返してみると、新兵教育を受け始めた頃が最も過酷だったかもしれない。これまでの家業の手伝いで掌は鍛えられていたと思っていたが、毎日のように手漕ぎボートや縄を触らされていると、さすがに豆ができる。これが治らぬうちにまた酷使するものだから、同僚たちもみな手の痛みに苦しめられていた。やがてそれにも慣れるのだが、半年ほどして今度は違う学校に送られると、また別の場所を酷使して、痛みに苦しむことになる。私が送られたのは通信学校だったので、新兵の頃に比べると少しはましだったのだが、今度は目と脳みそを酷使することになった。モールスを覚えるのにも随分と苦労したものだが、通信兵だからと言って身体は楽だなんて事は無い。練習船の檣楼へかけ登って双眼鏡を構え、何十メートルも先にいる別の船の司令を読み取り、これを伝えたりするのだが、間違うと上官の手や足が飛んでくるのだ。それを耐えて学校を出れば、成績が良ければ軍艦や商船に送られたり、悪ければ陸へ送り返されたりする。私は運良く良い方の成績をもらい、軍艦に乗ることになった。その時仲の良かった同僚は、陸の任務に行ってしまったので、それきりになってしまった。今思うと、私が軍艦に乗っていた頃に、戦争がなかったことが奇跡だと言えるような不安定な時代であった。私は身体に傷を受けることも無く、かと言って特別な賞を貰うようなことも無く、凡な軍人という生活だった。もちろん楽な仕事だった訳では無いが、かつての大戦を経験した者たちなどに比べれば、我々がやっていたことは飯事にも過ぎないだろう。しかし私にとってこの仕事は、定年までの人生を捧げるには少々向いていなかったらしい。私はある時に酷く身体を壊してしまい、医者にかかるも回復が見込めず、無念にも二年と半分ほど乗っていた船を降りることになった。その後はそれなりの貯金と少ない退職金を手に祖父の待つ故郷へ戻り、家業の漁師を続けのだ。

 療養を終えて、それから暫くのうちは上手くやっていたのだが、不幸は忘れた頃にまたやってくるものだ。私の育ての親であり、海の師匠であった祖父が他界したのだ。さらに傷心の真っ只中だと言うのに、その年は酷い不漁に見舞われた。稼ぎはみるみる減ってゆき、私が軍人時代に貯めていた金さえも、とうとう底をついてしまった。私はその日ばかりの稼ぎのために、ほかの船を探すことになった。この頃はどこへ行っても不漁だった。そんな状況なのに何日も仕事をさせてくれる人もいれば、飯も無く一日で追い出される事もあった。一番酷かった日と言えば、私を半日も働かせておいて、他に良い奴が来たからと、全く足りない給料を素手に掴まされて名も知らぬ港で追い払われた時だ。何とか飯の調達はできたが、宿に泊まるには足りず、家のある港に帰る船に乗せてもらうにも足りないので、道端の浮浪者と肩を並べて夜を明かしたのだ。あの時ばかりは私も参ってしまって、何とか家に戻ることは出来たのだが、一体どうしたのかはよく覚えていない。

 その日暮しの生活も一体どれほど続けただろうか。その時の私の心の荒み具合と言ったら、道端に立つ私の前を通り過ぎてゆく見知らぬ人間の顔を、一人残らず丁寧に殴ってやろうかと思うほどであった。これではいけない、流石にそろそろこの生活もやめたいと考えていた。よくよく考えてみれば、わざわざ一般漁船の日雇いにこだわらなくても、祖父が死んだあとは一人で暮らしているので、家の者を心配することも、金を送ってやる必要もない。軍の経験がある私なら、その辺の浮浪者に比べればいくらか良い仕事はある筈なのだ。船に全く無知な奴を雇うのであれば、同じだけの金で仕事を教える必要のない奴が来た方が、向こうも楽の筈だ。焦りと餓えで思考力が鈍ってでもいたのだろう。もっと大きな船を探そう。飯と寝床があればそれでいい。

 そんなある日、道端で拾った新聞を読んでいると、とある求人広告が目に留まった。内容は特段珍しくもなく、捕鯨船が人員を補充するので、船の経験がある者を募集するというものだった。給料は安いが、数ヶ月間船の上だが、飯と寝床が提供される事を考えれば、今やっている仕事よりも遥かに儲かる話だ。長期で沖に出る仕事であれば、それほど金を貰わなくても、数カ月もの間船の上にいる都合上、外に遊びに出る事も出来ないので、自ずと金は貯まっていくものなのだ。であれば、どの船に乗ろうと同じようにも思えるが、私は広告に書かれた「捕鯨」という文字に興味を持った。これまでは鯨自体に特段興味があった訳では無かった。漁場を荒らす鯨によってその日の収入が減ることもあり、恨むことはありはしたが。しかし時に神の遣いや、神そのものにさえ例えられる「鯨」という生き物を、人が殺せてしまう事を知った時、鋼鉄の潜水艦のようにも見えるあの怪物がどのようにして殺され、皮を剥がれ、油や石鹸へと成り果てるのかには、それなりに興味を唆られたのだ。

 理由はそれだけではない。ただ漁船に乗って鯨を狩りたいと言うだけであれば、どこの港に行ったって大差はない。一つの船にこだわり、わざわざ故郷に別れを告げて、馴染みのない土地まで足を運ぶ必要は無いのだ。つまり、残り少ない財産を切り崩してまでポート・グラスゴーまでの片道切符を買ったのは、それなりの目的があってのことなのだ。

 求人広告には捕鯨船の船長の名前が載っていた。これが私には覚えがあった。エイハブという名だ。私が海軍にいた頃、同じ船の上司だった女将校と同じ名前だ。私が船にいた頃のエイハブは艦長。階級は大佐であった。彼女は遠目に見てもわかるほどの存在感を放ち、その佇まいは他の将校とは一線を画していた。その頃は戦艦の任務を補佐するのが主な目的である婦人海軍こそ存在したものの、戦闘に参加するような女軍人、ましてや艦長というのはあまりにも珍しかった。男ばかりの中にただ一人佇む女将校の姿は、その淡麗な顔立ちも相まって、我々ような若輩には眩いほどに際立って見えたのだ。歳は私たちよりも随分と上だったように思うが、それでも私も含め当時の同僚達は、彼女をまるで「女神」や「聖母」に見立て、崇拝にも近い感情を持っていた事もあった。キリスト教の私がこの有様なのを熱心なキリスト教信者に聞かれれば、叱られる所では済まないだろうが、祈ったところで姿も表さず、祈りを聞き入れるどころか余計なことしかしない神よりも、今この目の前に立ち、その声と姿で我々を導く彼女の方が、あの船の上だけでは、神をも凌いでいたのだ。同僚もみなそういう考えだったものだから、きっと陸に戻っても外の人間にこれを話すことはなかっただろう。不信心者めと罵られるだけだ。彼女はこの国を守り戦う者にとっての守護女神アテーナーであり、海と航海を守り司るアフロディテであり、そしてまた疲れ果てた若者たちをその優しい腕で包み癒す聖母マリアであったのだ。辛く厳しい場所で人々を導く美しい女というのは、例えばかつてのフランスで民を導いたジャンヌ・ダルクや、後の革命の時代に画家ドラクロワが「民衆を導く自由」をマリアンヌという女として描いたように、どの時代でも人間は、導く者として、また心の安息の象徴としての存在を強く美しい女に求めるのではないだろうか。勝手にこんな感情を向けられるのは、ただの軍人であり、その前にただの人間である彼女にとっては、迷惑でしかなかっただろうが。

 しかしそれほど偉大な人間だったというのに、彼女はある日突然姿を消してしまったのだ。軍人を辞めたらしいという事は同僚の間で噂になっていたが、その後の所在は不明だ。私はあんな環境でよくも三年も身が持ったなと考える事もあるが、今思えば、彼女の存在が私にとっては大きかったのだろう。私が体を壊したのは、彼女が居なくなってからだ。私の不調の原因がそれかと言われれば確証は無いが、少なくともきっかけの一つではあったのだろうと思う。それほど私の精神に強く痕跡を残した人間だったので、私は求人広告にあの名前を見た途端、内から沸きあがる感情を抑えられなくなり、思わず声を上げてしまったのだ。この女が、このエイハブこそが! 私の人生においてあまりにも大きな存在となるのだ。


 もしもこの捕鯨船のエイハブ船長というのが、私の知るエイハブその人なのであれば、また彼女の船に乗れるまたとない機会であることは間違いないのだ。捕鯨船というものは、ものによっては世界中を駆け回っていて、一つの港に何ヶ月も帰って来なかったりする。その度に船員を補充するものでもないので、この機会を逃したくはなかった。私は捕鯨の経験は無かったが、漁船と魚については人一倍詳しい自信がある。しかし漁師をやっていたとは言え、一度体を壊し、その後何年も軍から離れていたので、体力は落ちてしまっているだろう。この少しばかりの経験と好奇心程度しか持ち合わせていない人間を、過酷として有名な捕鯨船の船長は受け入れてくれるのだろうか。不安になったところで、もう引き返せる金も気力もない。無気力なはずの私は今、あの女神の元に辿り着くためだけに彷徨い動いている屍ようなものなのだ。もしも船に乗れなかったら。その時は、あの時のように見知らぬ土地で日雇としてこき使われるか、浮浪者共に紛れて泥水を啜る日々が始まるだけだ。

 私がくだらないことを延々と考えているうちに、汽車はいつの間にか、グラスゴーへ辿り着いてしまったようだ。私はトランクケースを引っ掴み、コートの襟を一丁前の船乗りのように立てると、雪のちらつくプラットホームへ躍り出た。

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