第2話 アンドロイドは悲しめない

 彼は、捨てられたんだ。

 琉莉というらしい主人――いや、元主人に。


 もう彼には、帰る場所がない。

 行くべきところも、行くところもない。

 ……私がなんとかしないと。


「……ついてきてくれる?」


 私はそれだけ告げて、立ち上がった。

 彼も立ち上がって、言われた通りついてきてくれる。


 向かう先は――山の上。

 頂上まではいかないが、かなり上の方。


「傘、使う?」


「いえ。必要ありません。」


 彼に断られたので、傘を畳む。

 足場の悪くなった山を登るのに、開いた傘は邪魔だ。

 本当は整備された道もあるが、ここからなら真っ直ぐ登って、途中で合流した方が速い。


「名前は? あるでしょ、何ていうのかな。」


 歩は止めないまま、利口についてきてくれている彼に聞く。

 

琉夏るかと申します。」


 琉夏、というのか。

 元主人の名前は琉莉だったから、自分の名前から1字取ったのだろうか。


「琉夏、どうして笑ったの? 捨てられたんだよ、悲しいんじゃない?」


 振り返らないまま、問いかけてみる。


 アンドロイドは泣かない。涙が出ないからだ。

 けれど悲しそうな顔はする。泣いているような顔はする。


 なのに彼は――琉夏は、笑った。

 アンドロイドが捨てられて嬉しいと感じるはずがないのに。


「悲しいですよ。」


 琉夏は簡潔に答えた。

 人間味のない答え。生産されてすぐ、人との交流が浅い個体は、こういう答えを返す。

 あまり、愛情を注がれていなかったのだろうか。


「悲しいから、笑うんです。琉莉が泣いていれば、僕は笑って励まさないといけません。」


 そう思っていると、長い答えが返ってきた。


「僕が悲しい時も、表に出しては駄目なんです。悲しさは伝播すると、琉莉は言っていました。琉莉に悲しみを、伝染すわけにはいきません。」


 思っていた何倍も長く、詳しい答えが返ってきた。

 何度も何度も、深く深く交流しなければ、こんな答えはできない。こんな思想は生まれない。


「……仲が、よかったんだね。」


「よかったですよ。僕は、琉莉が大好きなので。」


 そんなに仲がよかったのなら、どうして琉夏は捨てられたんだ。

 元主人だって、琉夏のことが好きだっただろうに。


「琉莉さんは、どんな人だった?」


「可愛らしい人です。好きなことを仕事にして、毎日頑張ってる立派な人。しかし脆くて、子供っぽい人なんです。」


 メモリに記憶された出来事を思い起こしているのか、琉夏の話が少しゆっくりになる。


「琉莉が留守の間、家を守ること。家事。それから、帰ってきた琉莉を慰めることが、僕の役目だったんです。琉莉は弱くて、すぐに凹んでしまうので……。」


 ――もう、全部できないんですが。


 自虐めいた発言に、思わず振り返ってしまった。

 琉夏はまた、にこにこと笑っている。


 機械的な笑みが、痛々しい。

 笑っているのに、悲しさが伝わってくる。


「捨てられた原因に、心当たりはあるのかな?」


「ありますよ。」


 再び前を向いて、問いかけた。

 あまり聞くと傷つけてしまう。わかっていたのに、聞いてしまった。


「――僕は、いらなくなった。それだけです。」


 そんなによく働いて、綺麗な見た目で、優しいアンドロイド。

 こんなに思考が豊かになるほど、思い出を共有し、可愛がったアンドロイド。

 それがいらなくなるなんて、そんなことがあるものか。


 そう思った。そう言いたくなったのに。

 きっぱりと告げる琉夏は、確信しているかのようだった。

 まるで明確な根拠があってそう言っているような――


「……そうなんだ。」


 もう、これ以上は聞かないでおこう。

 琉夏はおそらく、従順なアンドロイドだ。

 主人ほどの権限はないが、私が――人が質問すると、元主人の嫌がること以外は、何でも答えてくれるだろう。


 人の過去を探るのは、あまりいいことではないはずだ。

 例え相手が、アンドロイドであっても。


「……心優さんの家には、アンドロイドがいますか?」


 私が何も言わなくなったからか、今度は琉夏が問いかけてきた。

 本当に気になったのか、場を繋ぐための社交辞令的会話なのかは、私にはわからない。


「いないね。私は誰のマスターでもないし、お母さんもお父さんも、誰とも契約していないよ。」


「珍しいですね?」


 琉夏が珍しいとわかるのは、ニュースか何かで、アンドロイドの普及率を見たのだろうか。

 それとも、元主人にアンドロイドがいるのは当然のことと教えられたか。


 私の家には、アンドロイドがいない。

 特に理由はない。多分、必要性がないからだ。

 父と母と1人娘の私。それで十分だったのだろう。


「心優さんが大人になって、独り暮らしをすることになったら、アンドロイドを買いますか?」


「……買わない、と思う。」


 難しい質問だ。

 何を思って聞いてくるのか、それとも何も思っていないのか。

 アンドロイドの思考は、私にはよくわからない。


「理由を聞いてもいいですか?」


「……いいや。駄目。今は、教えてあげられない。」


 正直に話そうか、少し迷って――やっぱりやめた。

 この話は、今すべきではない。


 ただの自分語りなら、ただの、琉夏にはなんの関係のない意見なら、言えた。

 けれど私の意見は、今から琉夏にとって重要なものになる。

 少なくとも私は、そうさせるつもり。


 暫く山を登って、目的の場所についた。


「ここは、どこですか……?」


 この大きな山の、真ん中より少し上辺り。

 平らに整地され、綺麗に木の切り取られた広い土地。

 建っているのは――まるで童話に出てきそうな、古い、大きな洋館。


「私のおばあちゃんの別荘だったとこ。」


 おばあちゃんは、もう死んでしまったけど。

 生前、おばあちゃんは大抵ここにいて、私は、よくここで遊んでもらっていた。

 おばあちゃんが亡くなった後は、私が管理をしている。

 最近は、怖くて来ていなかったけど。


 鞄の中から鍵を取り出して、差し込む。

 カチャッと音がしたのを確認して、ドアを開けた。


「入って。大事な話をしたい。」


 ドアノブを持ったまま振り返って、琉夏に入るように促す。

 琉夏は少し迷うような素振りを見せてから――「お邪魔します。」と言った。

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