第3話 アンドロイドは生きられない

 薄暗い、長い廊下に、深い赤色のカーペット。

 ドアを閉めると、明かりが自動で点いた。


 最近来ていなかったため、掃除もできていなかったけど、そこまで汚れてはいない。


「ついてきて。」


 琉夏の前を歩くと、素直についてきてくれた。

 廊下を少し歩き、客室のドアを開ける。

 

 向かい合った上質なソファ2つと、それに挟まれるように置かれたテーブル。

 大きな窓から見える景色は生憎の天気だが、仕方がない。


「……座っててくれる?私は着替えてくるから。」


「わかりました。」


 琉夏がソファに腰かけるのを確認し、部屋を出た。


 早足でクローゼットのある部屋に向かい、適当な服に着替える。

 急に来なくなったから、荷物は殆どそのままだ。


 そのまま早足で戻ってくると、琉夏は座って待っていた。

 物珍しいのか、ゆっくりと部屋中を見回している。


「お待たせ。これ使って。」


 着替えついでに持ってきたタオルを手渡す。

 琉夏はありがとうございます、と礼を言って受け取った。

 琉夏の着替えも、何か考えてあげないと。


「そんなに珍しいかな?」


「はい。うちとは全く違うので。」


 琉夏は水気を拭き取りながら、未だ物珍しそうに部屋を見回している。

 これは好機だ。自然に、私がしたい話になった。

 琉夏の対面に腰かけて、質問してみる。


「琉夏の家は、どんなだったの?」


「マンションでした。元々琉莉が1人で住んでいたところなので、あまり広くはなかったんです。」


 アンドロイドは、主人の個人情報を漏らさない。犯罪被害に遭う可能性があるからだ。

 しかし、今の琉夏は別。


「琉夏は、いつから琉莉さんと一緒にいたの?」


 更に掘り下げる。

 今の琉夏は恐らく、何でも話してくれる。

 個人情報保護のプログラムは、マスター契約が解除されてしまえば、効かなくなるからだ。

 

 だからちゃんとした方法で手放さなくてはいけないのに、不法投棄するからこうなる。

 琉夏本人が話したくないこと以外は、何でも言えるはずだ。


「3年前の夏頃です。」


「その時から、琉莉さんは社会人だったの?」


「はい。」


 成程。

 1人の寂しさを埋めるため、仕事の疲れを癒すため。

 そんな理由で、アンドロイドの購入に至ったのだろう。


「琉莉さんがいない時は、家事してたんだろう?なら、いる時は何してたの?」


「琉莉の仕事の話を聞いたり、2人でテレビや動画を見たり、ですね。休日なら、一緒に商業施設などに出かけることも、ありました。」


 アンドロイドを家から出さない人も多いが、琉夏は主人と一緒なら出歩けるタイプだったようだ。

 だんだん見えてきた。

 琉莉さんと琉夏との関係が。

 琉夏が――何のために生まれたのかが。


「そうなんだ。買い物は食品とか?」


「それもありますけど、琉莉は洋服や化粧品が好きだったので、それを。映画を見に行ったり、カフェに行ったりもしていました。」


 大切な思い出を懐かしむように、少し寂しそうに、琉夏は目を細めた。


 多分、私の予想は当たっている。

 琉夏は琉莉さんの――恋人変わりだったのだ。


 そのために、異性体を選んで、イケメン、という言葉がよく似合う美形にカスタマイズしたのだろう。

 第一印象と何ら変わりない。わかりやすい設計だ。


「楽しかったんだね。」


「はい。勿論です。」


 琉夏は水色の目を細めて微笑んだ。

 どこか寂しさを感じさせるその笑顔に、少し胸が痛む。


「大事な話とは……これですか?」


 会話終了と判断したのか、今度は琉夏が問いかけてきた。


「ううん、もっと大事な話。」


 澄んだ水面のような瞳が、不安そうに揺れる。


 本当に、アンドロイドはよくできている。

 人間と大差ない。一見、見分けがつかない。


「もう一度、マスター登録データを見てくれる?」


「わかりました。」


 琉夏は先程のように目を閉じて、自身のデータを参照する。

 けれどやっぱり、こんなことは、人間にはできない。


「その辺りに、時間が書いてあると思うんだ。それを教えてほしい。」


「6日と、19時間32分……18、7、6……秒です。」


 さらりと答えた琉夏は目を開けて、私を見た。


「……やっぱりすぐだったんだね。」


「これは、何をあらわしているのでしょう。毎秒、減っているのですが。」


 アンドロイドは、これが何を表しているのかわからない。

 そういう、作りになっている。


 言い辛い。知らない方が幸せだろう。でも言わなければ、彼は――


「そのカウントが0になったら、君は……死んでしまうの。」


 ――死んでしまう。

 何もしなければ死んでしまうんだ。ならば、言わなくては。 

 きっぱりと告げ、言葉を繋げる。


「強制シャットダウンされるんだ。永久の。」


「永久……?」


 琉夏は大きく目を見開いて、一番衝撃的だったであろう言葉を反芻した。

 アンドロイドは、主人がいないと動けない。

 人間に危害を加えたり、迷惑をかけないようにするためだ。


 マスター登録が解除されてからの1週間は、猶予期間。

 7日以内に再び契約を結ばなければ、強制的にシャットダウンされてしまう。


「そう、死んでしまうと同じでしょ。」


 そうなったらもう、琉夏は起きられない。

 再び動かすには、エンジニアによって初期化作業をする必要がある。


 でも、その後起動した人格はもう――琉夏じゃない。

 琉夏の身体だが、記憶メモリも、プログラムも、なにもかもが、新品の状態に戻っている。


「死にたくない?」


 深刻な顔で私の言葉を受け止めていた琉夏に、わざとらしく聞く。

 琉夏はまっすぐに私を見て、頷いた。


「なら、私のアンドロイドになればいい。」


 恐らく唯一の、琉夏を生かす方法を提案してみる。


 当然、そう簡単にはい、なんて言えるはずもなく。

 琉夏は困ったように視線を逸らした。


 そりゃあそうだろう。

 琉夏はまだ、琉莉を主人として敬愛しているのだから。

 捨てられて5時間程度で、気持ちを切り替えられるはずがない。


「でも、もし私と契約したら……メモリの空きを増やすため、混乱を招きかねない事態を失くすため、という理由で――」


 それだけなら、ただ空白だった欄に私の名前が入るだけなら、7日もすれば、受け入れてくれるかもしれない。

 けれどこの方法には、もう1つ問題がある。

 これも、アンドロイド本人には、伏せられている事実。


「――琉莉さんのことは、忘れてしまうんだ。」


 琉夏は驚いたように目を丸くして、それから悲しそうに目を伏せた。


 勿論、記憶が丸ごと削除されてしまうわけではない。

 琉莉さんのことだけを、綺麗に忘れてしまうのだ。


「琉莉さんとの思い出は、“誰と過ごしたかもわからない、ぼんやりとした思い出”になる。」


 琉莉さんの顔が詳細な情報が、思い出せなくなる。


 人間が、夢で見た景色をぼんやりとしか覚えていられないのと同じように。

 琉莉さんとの記憶が、不確かなものになる。


「……嫌、です。」


 琉夏は、小さな声で言った。

 ごく当たり前のことを。弱々しく。言った。


「そうだよね。嫌に決まってる。でもそうしないと、あなたは死んでしまうの。」


 わかってる。そんなこと、私だってわかっている。

 でも、死にたくはないだろう? 自分が、自分でなくなるのは、嫌だろう?


「だからそのカウントが0になるまでに、考えてほしいの。」


 捨てられたばかりで、よかった。

 琉夏には考える時間が、まだ沢山残ってる。


「いっぱい考えて、悩んで、選んでほしい。」


 そしてそれは、私にも時間が残されているということだ。

 3年間の時間を、たった7日で覆すことができるとは思っていない。


 覆すことはできなくとも、少しなら、私を好きにさせることだって、できるかもしれない。

 琉夏さんより愛せとは言わない。

 琉夏さんよりも、私を選べとは言わない。

 でも、死と私なら、私を選んでほしい。


「……わかりました。」


 暫く無言で考えた後、琉夏は神妙な顔で、ゆっくり、深く頷いた。

 

「ありがとう。」


 頑固なアンドロイドなら、断ってもおかしくなかった。

 私にチャンスを与えてくれて、嬉しい。


「なら、まずは掃除だ! 手伝ってくれる?」


「わかりました。」


 私が立ち上がると、琉夏もタオルを畳んで立ち上がった。

 少し話すくらいなら気にならないが、には、少し埃が目立つ。


「これからは、2人でここで暮らそう。それで私のことをよく知って、マスターにしたいか考えてくれればいいよ。」


「大丈夫なんですか?」


 私が笑いかけると、琉夏は心配そうに聞いてきた。

 私が学生であることは、さっきまでの服装からわかっている。

「家に帰らなくていいのか。」「両親が心配しないか。」と言いたいのだろう。


「大丈夫だよ。ここに泊まったこと何回もあるし。親にはメッセいれとくから!」


「大丈夫なら、いいんですが……すみません。」


 自分のためだとわかるから、申し訳なくなってしまったのだろう。

 何も申し訳なくない。私が勝手にしたことだ。


「気にしないで。むしろありがとう。」


「行こう。」と声をかけ、出口の方に足を向ける。


 私は琉夏に生きていてほしい。

 そのためには、なんとしても、私を主人にしたいと思わせなくてはならない。


「使わない部屋は放置でいいし、2人ならすぐ終わるよ。」


「そうですね。掃除は得意なので、お役に立ってみせます。」


 私が笑いかけると、琉夏も薄く微笑んだ。


 琉夏はきっと、琉莉さんの恋人代わりだった。

 つまり琉夏にとって琉莉さんとは――マスターとは、恋人のような存在。

 だから私は琉夏の、恋人にならなくてはいけない。


 恋愛なんてしたことない。恋人なんていたことない。

 それでも君を、好きになってみせようじゃないか。

 私の初恋を、君に捧げようじゃないか。


 だから君も、私を選んでほしい。

 絶対に君に――私を選ばせてみせる。

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