【完結保証】アンドロイドは迷えない

天井 萌花

第1話 アンドロイドは帰れない

 雨の日だった。

 年に何度かしか降らないような大雨が、私の傘を叩いていた。


 今、このあたりは警報が出ているらしい。

 そりゃあこんな雨なら、出てもおかしくないか。


 傘があっても意味ないんじゃない? と言いたくなってしまうような大雨なのだから。

 お陰で2限終了後に下校できたのは有難いが、不満がないわけではない。


 頭の上で鳴っている音が、煩い。

 傘の上を跳ねる雨音を楽しみながら、ゆっくりと帰るのが好き。

 なのにこんな大雨では、折角の雨音も台無しではないか。


 いつもは上品なピアノ曲のようなのに、今日は――両手でバーンっと、がむしゃらに鍵盤を叩きつけているかのようだ。


 冷める。

 雨に濡れた空気に、身体が。最悪の音楽に、心が。冷める。


 私は少し速度を上げて、早足に家へ向かった。

 足を着く度になるはずの、水の跳ねるぴちゃっという音も、聞こえない。

 ローファーにしみ込んだ水で、爪先が、冷める。


 通りを抜けると、目の前には大きな山。

 曲がって、山に沿うように歩く。


 道路は完璧に整理されているが、流石に山は自然のままの状態。

 私が歩いているのは、濡れた道路。

 けれどすぐ横に目線を抜けると、水を含んで粘り気の出た土と、それを覆うように茂っている草木。


 早く建物に入りたい。

 そして、早く、ここを通り過ぎたい。


 そう、強く思って、更に足を早めた。


 私は、山が好きではない。いや、嫌いだ。

 何故なら山はある場所として、最近問題視されているから。


 山は――家庭用アンドロイドが捨てられる場所。

 いらなくなったアンドロイドが、不法投棄される場所。


 アンドロイドが一般家庭に普及したのは、いまから大体10年程前らしい。

 最初は価格も高く、必要性もあまり感じられなかったらしいが、今では大半の家に1代はアンドロイドがいる。


 家庭用、業務用に様々なアンドロイドがいるが、一般家庭用は愛玩用のアンドロイド。

 美男美女型であることが多く、ある程度は不自由なく身体を動かせるため、一緒に遊んだり、家事を手伝ってもらうこともできる万能型。

 愛玩用、といいながらも、人間にできることは、大抵なんでもできる。


 ペットのような感覚の人、家族として可愛がる人もいれば、家事を代行させ、召使のように扱う人もいる。

 そうやって様々な家庭で、様々なアンドロイドが暮らし始めたのが、約10年前。


 今もそれは変わらないが、新たな問題が浮上し始めた。

 それが、アンドロイドの不法投棄問題。


 流行っていたから買ったけど、飽きた。

 電気代が嵩む。

 思っていたほど可愛くなかった。

 他の子がほしくなった。


 アンドロイドの普及率が上がる一方、そんな様々な理由で手放す人も多くなっているらしい。


 但し、アンドロイドの廃棄にも勿論お金がかかる。

 故に主流となってしまった廃棄の仕方が――山に不法投棄する方法だった。


 だから私は、山が苦手なのだ。

 この山にも、誰かが捨てられるかもしれない。


 もし、もう動かなくなったアンドロイドが――アンドロイドの死体が落ちていたら、どうすればいいかわからない。

 怖いに決まっている。絶対遭遇したくない。


 少し前まではよく山に入って休日を過ごしていたが、もうそれもないだろう。

 横を通るのでさえ、嫌なのだから。



 ――なのに、出会ってしまった。

 こんなことを考えていたからだろうか。


 すぐ傍、山に入ってすぐ、数メートル先で、木にもたれかかるようにして、座っている人がいる。


 雨に濡れていることも気にせず、眠っているのか目を閉じている男の人。

 ここからでは人間にしか見えないが、間違いなくアンドロイドだろう。


 私有地に捨てるな。

 捨てるなら、せめてもっと奥、人目につかないところにしてよ。

 こんな、誰でも見つけられるような場所に、捨てないでほしい。


 ……無視したい。見なかったことにしたい。

 けれどそういうわけにはいかず、意を決してその人――アンドロイドに近づいた。


 黒い髪をした、背の高いアンドロイドだった。

 長袖の服を着ていて関節は見えないが、シミひとつない色白の肌は人間のものではなさそうだ。

 それに、人間なら雨の中、こんなところで眠ったりしない。


「あのー……大丈夫ですか?」


 一応声をかけて、そっと頬に触れた。

 雨で冷えた肌は、シリコンの触り心地。

 うん、やっぱりアンドロイド。

 見た所外傷はなく、壊れているわけではなさそうだ。


「聞こえるかな?起きてー?」


 内側が壊れていない限りは、起きる可能性は十分にある。

 まだ捨てられて間もないのなら、スリープモードに入っているだけ。

 もし、捨てられて1週間経ってしまっているのなら、もう彼は起きないのだが。


「え、大丈夫だよね、起きるよね?」


 少し肩を揺すって、刺激を与えてみる。

 彼の眉と瞼が、少し動いた。


 それから、静かに瞼が上がる。

 本当はごく僅かな機械音が鳴っているのだろうが、雨音にかき消されて聞こえない。

 精巧な作りで、カメラとは思えない水色の瞳が、真っ直ぐに私を捉えた。


「――おはよう。」


 彼は口を動かして、内部から音声を出す。

 抑揚も不自然でない、本当の人間のようだ。


 水色の瞳が観察するように私を見る。

 整った眉が下がって、困ったような顔を作った。


「琉莉――マスターじゃない。はじめまして、ですね?」


 さっきまでタメ口だったのに、急に敬語になった。

 てっきりタメ口で学習されているのかと思ったが、違ったか。


「私は心優こころ。はじめましてだよ。」


「マスターのお知り合いですか?」


 不思議そうに聞いてくる彼に、私は無言で首を振る。


「どちら様でしょう?それに……見たことのない場所、です。」


 多分彼は、捨てられたことにまだ気づいていない。

 どう伝えようか迷って――確認の形を取ることにした。


「君の、個人データを参照してみてくれる? マスター登録のところ。」


「……わかりました。」


 彼は目を閉じて、素直にデータを参照してくれる。


 アンドロイドには、感情がある。

 プログラムされた感情が。主人と一緒に育て、複雑化した感情が。

 きっと目を開けた時、彼は悲しむ。


「……どうかな。」


 恐る恐る問いかけると、彼は静かに目を開いた。

 水色の目を丸くして、不安そうに私を見てくる。


「琉莉の名前が、ありません。マスターの名を、記録するはずの場所が、空白になっています。」


「やっぱりね。」


 もしまだ主人登録が外されていなかったら、彼がただの迷子なら、どれほどよかっただろうか。

 そんな都合のいいことは、勿論なかった。


「どういうことでしょうか。わかりますか、心優さん?」


 私が言わなくてもそれくらい、察してくれ。

 きっと彼も、とうに察しているのだろう。けれど、信じられないのだきっと。

 ならば言おう。言える人は、私しかいない。


「言い辛いんだけど、君は――捨てられたんだよ。」


 彼は一層目を見開いて、閉じた。

 ごく僅かな時間そうした後、もう1度私を見る。


「――そう、ですか。」


 彼はそう言って、再び目を閉じた。

 目を閉じて、唇を釣り上げて、機械的に、綺麗に笑った。

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