私と話さないで(二)

「へえ。屋根裏部屋か。めずらしいね。あっ、本棚がある」

 そう言うと、野田先生は、エアコン下の本棚の前に立ち、並んでいる本をながめはじめた。

 それから、「叔父さんの部屋らしいけれど、なかなかの読書家だね。めずらしそうな本もけっこうある。歴史と海外文学に興味があるのかな?」と私にたずねてきた。

 すると、あれほど言っておいたのに、おじちゃんが「お褒めにあずかりまして光栄です」と私にテレパシーを送ってきた。あ・れ・ほ・ど、黙っていてと言ったのに。

 私は水槽のザリガニに向かって、「しっ」と人差し指を口に当てた。そんな私の様子を見て、先生は私と水槽に視線を交互に送った後、きょとんとした顔をした。ああ、変な子と思われたにちがいない。

 「……アメリカザリガニ。イチカちゃんが飼っているのかい」と先生が質問をしてきたので、私は首を横に振りながら、「バアバ、いえ、私の祖母が主に世話をしています」と答えた。

 「世話は楽?」とたずねられたので、「それがけっこうめんどうくさくって、本当に」と私は応じた。

 「へえ……」と言った後、先生は話を変えた。「叔父さんは仕事の都合でこの部屋を使っていないらしいけれど、いまはどこにお住まいですか?」とたずねてきた。

 予想外の質問に、私がとまどっていると、おじちゃんがベルギーと言ったので、私は大丈夫かなと思いつつ、そのまま、「……ベルギー」と応じた。海外に行ったことがないらしいのに、なぜ、ベルギーのなまえが出てくる。そんな私の疑問を察知したのか、おじちゃんが、なんか、格好いいじゃんと言った。私が再度、「しっ」と水槽に向かって合図を送ると、先生は首を傾げてから、横に振った。ああ、絶対に変な子だと思われてる。

 「……ベルギーですか。まあ、雑談はこれくらいにして、勉強をはじめましょうか」と先生が言ってくれた。


 勉強をはじめようとしたところ、先生の椅子がないことに気づいた。長机の左側には、おじちゃんの臭いが染みついていそうなベッドがあったが、そこに先生を坐らせるわけにはいかなかった。私が困っていると、おじちゃんが、隣の倉庫に、折り畳みの椅子があるぞと教えてくれた。

 私は忌々しく思いながらも、それに従い、「椅子がとなりの倉庫にあるので、取って来ます」と言った。先生は「ありがとう」と言いつつ、どこか不可思議そうに水槽を見つめていた。


 白い椅子を長机の左側に置き、勉強を始めようとしたところ、先生が、サザンのCDに気づき、「この細長いのって、シングルCDってやつだよね。ぼく、はじめてみたよ。へえ、こんなふうになっているんだ」と言いながら、手に取った。

 先生が「イチカちゃんはサザンを聴くんだね。渋いね」と言った。私は「ええ、まあ。おじちゃん、いえ、叔父の影響で」と答えた。

 ふたりの会話を聞いていたおじちゃんが、サザンは世代を超越しているのさと言いながら、曲を歌いはじめた。そこで、私の堪忍袋の緒は切れ、「もう、おじちゃんは黙っててよ」と、机の右側に置かれていた水槽に向かって、声を荒げた。

 私がしまったと思いつつ、先生の様子をうかがうと、彼は水槽をじっと見つめながら、しばらく黙っていたあと、自分の頭を強く叩いた。

 私が「先生、どうしたんですか?」と心配の声をあげたあと、おじちゃんが「イチカの色香にがまんできなくなったのだろう。イチカはかわいいからなあ」と反省の色もなく言った。

 「もう、黙っててよ、本当に」と私は、もう一度、水槽に向かって怒気を発した。

 また、やってしまったと私が先生の顔をのぞくと、先生が右手をあごに当てながら言った。

「ねえ、イチカちゃん。そのザリガニ……、さっきからしゃべってるよね」

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