スクエア(三)

 鳩サブレーの頭をかじっていたおじちゃんが、半身を上げて、私に声をかけてきた。

 なあ、イチカー、鎌倉と言えば、鎌倉幕府だろう?

「だろうって、言われても、まあ、いちばん最初に浮かぶのは幕府かもね。それで?」

 おいちゃんは、いい国つくろうで教わったけど、おまえはどういう風に習った?

 おじちゃんの問いかけに、私は「いいはこつくろうよ」と教えてあげた。

 一一八五年かあ、何があった年なんだい、教えてくれよ。

 「ええ? よく知らないわよ」と答えた私に、おじちゃんは「なら、いつもの通り、調べておくれよ。調べておくれよー」と二回言った。

 すぐに調べてあげても良かったけれど、おじちゃんを調子づかせないために、私はちょっとじらしてから、電子辞書を手に取った。


 日本史事典の鎌倉幕府の項目には、次のように書かれていた。

『成立時期は1183年頼朝が東国沙汰権を認められたとき,’85年守護・地頭設置の勅許を得たとき、’92年頼朝が征夷大将軍に任命されたときなど諸説がある……』


 私が難しい用語に苦労しながら読み上げると、おじちゃんが、なるほど、諸説あるねえと言った。

 「なんで、ひとつに決められないのかしら。説明を読んでも難しすぎて、わかんない」と私が感想を口にすると、おじちゃんは、まだイチカには早いかもねと言いながら、鋏をチョキチョキした。

 ねえ、イチカ、おまえはいつ生まれたんだろうねえ。

「変なことを聞くわね。おじちゃんも知っている誕生日の日に生まれたに決まっているじゃない」

 でも、その前から姉さんのお腹の中にいたんだよねえ、本当におまえが生まれた瞬間なんてわからないし、何をもって生まれたとするのかも見方によって変わってくると思うんだ、つまり、鎌倉幕府成立の年が人によってちがうのは、そういうことじゃないかなって、おいちゃんは思ったと、ザリガニが言った。

 「うーん。ちょっと疑問は残るけど、そういう話なのかな」と私が厳しい採点をしたせいか、おじちゃんは黙り込んでしまった。これはいいやと思った私は、静かなうちに宿題を片付けることにした。


 宿題が終わっても、おじちゃんは静かだった。すこし不安になった私が声をかけると、鎌倉幕府は一一九二年じゃなければいけない、絶対にだと、いつもは声の高いおじちゃんが低い声でつぶやいた。おじちゃんの声ではないようだった。それから沈黙がつづき、私の不安が大きくなったあと、イチカー、なんか、具合がわるい、鳩サブレーを食べ過ぎたかもと、おじちゃんがいつものように返事をしたので、私は安心した。

 「なにか音楽でも聴く?」と私が優しさを見せると、おじちゃんが、イチカ、いつもありがとうな、おまえは本当にいい子だと言った。「何よ、急に」と私が髪の毛をいじりながら照れていると、ミッシェルガンエレファントの、世界の終わりをかけておくれよ、アベフトシのギターが聴きたいんだ、それが鎮痛剤になるからとおじちゃんが言った。

 いまどき、ミッシェルを聴いている中学生なんて、私くらいかなと思いながら、私も一緒に耳をすませた。こういう時間もたまには悪くないなと思いながら。

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