スクエア(一)
ロイ・オービソンのオー・プリティ・ウーマンに合わせて、アメリカザリガニがあやふやな英語を口ずさんでいた時、階段をのぼって、バアバがおじちゃんの部屋に入ってきた。
黄色いカンカンを両手で抱えながら、バアバは水槽の中の息子に声をかけた。
「鎌倉の伯母さんがまた、鳩サブレーを送ってきてくれたから、タカル、お食べ。あと、水も変えなきゃね」
ザリガニが両手を挙げて、「母さん、ありがとー」とテレパシーを私に送ってきたので、私はバアバにおじちゃんの言葉を通訳してあげた。それにしても、母親であるバアバとは会話ができないのに、姪である私とは話ができるのは、ふしぎな現象であった。まあ、そもそも、ある日突然、ザリガニになってしまったことのほうがフカシギな話ではあったが。
バアバは部屋の隅に置いてあった金属製のバケツの中におじちゃんを移し、水槽を抱えて、下へ降りて行った。
その際、「イチカ。バアバのうちはそんなに鳩サブレーを食べないから、好きなだけ持って行きな」と私に声をかけた。私は「はあい」と返事をしながら、宿題をするふりをつづけた。
イチカ、鳩の頭をちょん切って、おいちゃんにおくれよと、ザリガニがバケツの中から声をかけてきたので、私は椅子に坐ったまま、その姿を見て、「はい、はい」と返事をした。
黄色いカンカンのふたを開けて、私は個別に包装されていた鳩サブレーをひとつ取り出すと、袋に入った状態のまま、鳩を首のところで折った。それから袋を開けて、鳩の頭を抜き取り、ギロチ~ン、ギロチ~ンと口ずさんでいる、バケツの中のザリガニに向かって強く投げた。
なんだよー、やめろよ、イチカ、ご機嫌斜めかい、というおじちゃんに向かって、「そんなことはないけど。なんとなく、イライラしたからさ。ごめんね」と私は、鳩サブレーの胴体を食べながら謝った。
おじちゃんはもう一度、何だよーと言いながら、鳩サブレーの頭を鋏でつまみはじめた。
「あーあ、勉強、いやになっちゃった」
私はシャーペンを放り投げて、椅子の背もたれに身をあずけ、両手をくんで、大きく伸びをした。
きょうは何の宿題なんだいとおじちゃんがたずねてきたので、「社会のプリント。私、古文も嫌いだけれど、歴史も嫌い。おじちゃんに言わせれば、歴史の勉強も大事なんだろうけど、私は嫌いよ」と答えた。
すると、おいちゃんは歴史の授業が単純に好きだったからね、あんまりその必要性について考えたことはなかったな、学校で暇なとき、よく歴史の教科書を読んでいたよと、ザリガニが応じた。
それに対して、私が「……友達いなかったんだね。かわいそうに」と言うと、本質をえぐるなよと、おじちゃんが鋏を上にあげて、私を威嚇してきた。私はなんだかやっぱり、その日は機嫌がわるかったようで、ザリガニの頭にデコピンをした。おじちゃんが、痛いじゃないか、なんだよ~と、両手で頭をおさえた。
私は言葉を返さず、ようやく本格的に宿題へ取りかかることにした。
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