おじちゃんと私(二)

 私の住んでいるアパートは、とても壁が薄いので、勉強に集中したいときなどに困っていた。そこに、ちょうどよくというか、何と言うべきか、おじちゃんがザリガニになってしまい、バアバの家のおじちゃんの部屋が空いたので、私の勉強部屋になった。ちなみに、アパートとバアバの家は、徒歩三分である。いわゆる、スープの冷めない距離だねと、おじちゃんがわけのわからないことを言っていた。


 おじちゃんの部屋は屋根裏部屋で、妙に細長い。私はまだ泊まったことがないのでわからないが、おじちゃんに言わせると、狭めのビジネスホテルほどの広さらしい。

 その部屋におじちゃんは、ニトリで買って来た、腰の高さほどの木製のシェルフをふたつ、距離を置いて並べ、その間に、近所のホームセンターでこれまた買って来た、長い木の板を二枚乗せて、机の代わりとしていた。

 その机の上には、左側にはジイジの形見というデスクライト、真ん中にFUJITSUのノートパソコン、右側におじちゃんの水槽が置かれていた。

 天板を支えている両脇のシェルフには、左側におじちゃんに送られてきた郵便物が無造作に置かれていた。右側には、ザリガニのエサのボトルがぽつりと立っている。


 私が部屋に入ると、おじちゃんはわけのわからぬ鼻歌をうたっていた。

 私が来たことに気がつくと、イチカ、サザンのマチルダBABYとHOTEL PACIFICを聴かせてくれとせがんできた。おそらく、そのどちらかを口ずさんでいたのだろう。音痴はひとつの悲劇である。

「ところで、国語の宿題、考えてくれてた?」

 マチルダBABYのサビの部分を気持ちよく歌い終わったおじちゃんは、おおともさ、と答えた。ずばり、アメリカザリガニには三分以内にやらなければならないことがあった、だ、こういうのは、自分の特異な体験に基づいて書くと、リアリティが生まれるものなのだ。

 そういうおじちゃんに、「ええ~、何だか、嫌な予感がする」と言うと、子供にはわからん話さとザリガニが応じた。

 その後、ああだこうだと言っているうちに、私の咳がひどくなっていった。朝から調子がわるかったのだが、何だか、時々、おじちゃんの言っていることがわからくなってきた。

 おいおい、風邪じゃないかい? イチカ、きょうはもう帰りなさいと、おじちゃんが言った。でも、宿題が、と私が言うと、時間がないからはしょって言うが、宿題なんて、しなきゃしないでいいのさと、赤い悪魔が断定した。

 「でも、国語の岸田先生、怖いんだよ」と私が返答すると、へえ、そうかい、それは大変だねとおじちゃんは、間延びした声で、他人事のように言った。

 おいちゃんの体温計が棚にあるから使うかいとおじちゃんは気を使ってくれたが、人間だった頃のおじちゃんが脇に体温計を挟んでいる姿を想像して、死ぬほど嫌な気分になったので、「帰って計るわ」と断った。おじちゃんはさみしそうに、そうかいとつぶやいた。


 私がアパートに戻って体温を測ってみると、三十八度五分あった。私は晩御飯を食べずに寝た。

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