Procambarus clarkii

青切

おじちゃんと私(一)

「○○には三分以内にやらなければならないことがあった」

 長い机の真ん中に置かれたノートパソコンに向かって、そのように私がつぶやくと、パソコンの右隣に置かれている水槽から、アメリカザリガニがテレパシーで、そりゃあ、なんだいとたずねてきた。

「国語の宿題。お題をもとに八百字以上で短編を書いて来いだって。おじちゃんが中学生のとき、こんな宿題あった?」

 なかったよ、さいきんの宿題はしゃれてるねえと、おじちゃんは両の鋏を開け閉めしながら言った。

「もう、めんどくさいなあ。三分かあ……。おじちゃん、三分といえば、なに?」

 まずは、ウルトラマンが思いつくねえ、おいちゃんは。

「ウルトラマン? わたし、おたくじゃないからよく知らないよ」

 おいちゃんもよく知らない。おいちゃん、こどものころから特撮に興味がなかったから。……そういえば、おまえもニチアサに興味のないこどもだったな。いまでもこどもだけれど。あっ、でも、ウルトラセブンのオープニングは好きだぞ。映像も。イチカ、ユーチューブでかけてくれよ。

「ええっ、わたし今、勉強中なんだけれど。……もう、しかたないわね」

 そう言いながら、私が自分のスマートフォンを操作していると、おじちゃんが、ウルトラセブン opで検索してくれと細かい注文をしてきた。

 「はいはい」と言いながら、私が言われた通りにすると、再生される前の広告が流れた。

 早く聴きたいときにCMが流れると、軽く殺意を抱いて、その商品は死んでも買うものかって思うよね、とおじちゃんが言って来たので、「ザリガニをターゲットにしたCMだったら、またちがうんじゃない?」と私は応じた。

 広告が終わると、奇妙な映像が流れはじめた。わたしは右手で頬杖をつきながら、スマホの動画をながめた。おじちゃんは歌に合わせて、鼻歌をうたった。わるくない時間だなと私は思った。

 しかし、そこに、一階からバアバが階段を登って来て、「こら、イチカ。宿題してるんじゃないの」と私に怒ってきた。「おじちゃんが聴きたいって言ったから、見てるだけ。それに、宿題の調べもの」と答えた。すると、おじちゃんに甘いバアバは「あら、そう」と機嫌を直して、宿題についてたずねてきた。

 バアバは、「三分以内ねえ……。それにして、さいきんの宿題はしゃれているわね」とおじちゃんと同じことを口にした。

「そういう宿題なら、おじちゃんに相談しなさい。おじちゃん、国語が得意だったのよ。本屋さんに務めていたし、本もたくさん読んでたしね」

 言い終わると、バアバは部屋の隅にある本棚に、どこか寂し気に目をやった。

 そうだよ、おいちゃんは、国語と世界史の成績だけで、国立大学に入ったんだから、大船に乗ったつもりで任せなさい。

 バアバから目を離した私は、そう口にした水槽の中のザリガニを見た。おじちゃんは両手を広げて、ピースサインをつくっていた。

「タカルは何て言ってるの?」

 おじちゃんと会話のできないバアバが聞いてきたので、「大船に乗ったつもりで、だって」と私が答えると、バアバは少しだけ口端をあげた。

 「じゃあ、授業料にイカのお刺身でもあげましょうね」と言いながら、バアバは下へ降りて行った。

 ほかっておいたスマホからは、井上陽水のリバーサイドホテルが流れていた。

 おじちゃんが井上陽水のまねをしながら、変な声で歌っていた。アメリカザリガニになっても、おじちゃんの音痴は直っていない。

 私だけでなく、おじちゃんのリクエストに応えて、ユーチューブを使っていたら、私のおすすめは、くちゃくちゃなものになってしまった。自分の部屋で見ていても、おじちゃんの趣味に合わせた動画がおすすめに出てくるのは、どうにかしてほしい。


「おじちゃん、そんなに国語が得意だったの?」

 おいちゃんは受験戦争を放棄して、勉強全然してなかったけれど、国語はセンター試験、ああ、いまは共通テストって言うのか、あれで、九割は取った。

「なんで、受験戦争を放棄したの? 勉強していれば、もっといい大学に入れたじゃない」

 私がそう言うと、おじちゃんは、戦争反対と行ったきり、黙ってしまった。きっと触れられたくないなにかがあるのだろう。私も静かになっていいから、それ以上はたずねなかった。

 しかし、しばらくすると、おじちゃんが話を戻して来た。

 そういえば、おいちゃんが高校生のとき、現国の授業で書いた、中原中也の詩の感想文が勝手にコピーされて、その現国の先生が担当しているクラスに配られたことがあったな、知り合いから、本当に自分で書いたの、将来、小説家になるのって聞かれたなあ。

 自慢げにいうおじちゃんに、「それはすごいねー」と私は棒読みで答えた。身内とはいえ、いや、身内だからこそ、自慢話は聞いていてつまらない。

 「そんなことよりも」という私に対して、そんなことって、なんだよーというおじちゃんを無視して、私は真っ白な原稿用紙のうえに手を置いた。すると、おじちゃんが、詩を口にしはじめた。さらさらと、さらさらと流れているのでありましたと言い終わると、ザリガニは静かになった。


 十分後、私は「もう、いや」と机を叩いた。すると、水槽の水面が揺れて、それに合わせて、おじちゃんの体が揺れた。物に当たるなよーというおじちゃんに「ごめんね」と私はあやまった。

 一緒に考えやるから、落ち着け、ところで、この宿題の期限はいつまでなんだと、おじちゃんが聞いてきたので、私はプリントを取り出して、「三月三日の放課後まで」と答えた。

 すると、おじちゃんが、ひな祭りの日か。去年はおまえのひな人形をおいちゃんが出したんだけどな。ことしはむりだな、だって、ザリガニだもの、この手じゃなあ。

「どっちみちむりよ。ミルクがいるじゃない」

 そうかあ、あの犬っころがいちゃあ、むりだよなあ。なんで、あんな犬をもらってきちゃうんだろうね、マイマザーは。

「かわいそうじゃない。飼育放棄されて、保健所行きだったんだから。まあ、いつも吠えてるから、私も苦手だけど。その点、おじちゃんは世話が楽でいいよね。たいへんなのは、水替えぐらいだもの」

 おいちゃんは、どうせなら、猫に変身したかった、吾輩は猫である、名前はタカル。

「なんで、変身したんだろうね。仕事があんまりにも嫌だったから?」

 わからん、たしかに働くのは嫌だったけど、ザリガニになりたいと思うほど、嫌ではなかったよ。

 それは何度も繰り返してきた会話だったので、私はそれ以上、話を進める気にはならず、手にしていたプリントに再度目を通して、ため息をついた。

「私、こういう、クリエイティビティ―が必要な作業、苦手なんだよね」

 難しい言葉を知ってるね、ああ、おいちゃんが教えたのか、たしかに、おまえは外を走り回っているほうが好きだからな。

「犬みたいに言わないでよ。でも、まあ、陸上部の練習のほうが楽でいいわ」

 まあ、いいや、おいちゃんも手伝ってやるから、一緒に考えようぜ。

 まだちょっと揺れていたおじちゃんを見ながら、私は「うん」とうなづいた。

「三分以内にやらなければならないことがあった、か。三分。カップヌードルを待つのは三分」

 私がそうつぶやくと、ラーメンができる三分以内に片付けなければならないことがあった、というのはありきたりだな、とおじちゃんが応じた。

「宿題なんだから、ありきたりでもなんでもいいわ。それで書きましょうよ」

 私がそう言うと、おじちゃんは、うーんと言った切り、黙った。

 しばらくしてから、おじちゃんが、まあ、いいや、きょうはここまでにしようぜ、おいちゃん、どうせ、暇だから、明日までに考えておくよ、いま何時だいと言った。

 おじちゃんの言葉に、私が時計を見ると、バアバが階段の下から、「晩御飯食べてくのー」と聞いてきたので、私はその場で、「いらない。帰るー」と答えた。

 荷物を鞄に入れて、私が「おじちゃん、明日ね」と言うと、おじちゃんは、車に気をつけてなあと手を振った。

 ふいに私は、水槽に手を入れ、おじちゃんをつかんで外に出した。赤信号のような色をしたアメリカザリガニ。これが私の叔父かと思った。

 なんだよーと言いながら、おじちゃんは空中でもがいた。

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