バッファローのいる世界

歩弥丸

地響きがする、と思っていただきたい。

 新世界旅行社の面々には三分以内にやらなければならないことがあった。

「時空脱出スタンバイ! 急いで!」

『暖気、あと300秒かかります!』

「何とか早めて! 180秒で!!」

『恐れ入りますが、外界に降りることはできません。このあと「基軸世界」に折り返します』

『お客様、座席についてシートベルトをお締めください』

 旅行社の誇る航界機に、バッファローの群れが迫っている。それも尋常の数ではない。地平線を埋め尽くすほどのバッファロー、バッファロー、またバッファロー。木々をなぎ倒し、岩を砕き、全てを打ち拉ぎながら進むバッファローの大群。機内に居てすら地響きが聞こえるほどだ。

 とどのつまり、三分以内に離界しなければ、顧客の安全を保障しきれないのだ。


 ※ ※ ※


「まったく、何でバッファローの群れなのかね?」

 恰幅の良い客が、シートベルトを引きながら、不満げに言った。

「この『異世界』では、我々の『基軸世界』では滅んだ生物を存分にウォッチングできるという触れ込みだったはずだぞ」

『ええお客様、ですから、バッファローです』

自身も非常位置に躯体を固定しながら、キャビンアテンダントF08号が答えた。

「バッファローは絶滅種ではないぞ!」

『そうではないのですお客様。あれらはアメリカ英語で一般に「バッファロー」と呼ばれるところのアメリカバイソン--の中でも、森林バイソンと呼ばれる大型の亜種です。「基軸世界」では保護の名目で移植された平原バイソンとの遺伝子汚染によって滅んだとされる、純血の森林バイソン。紛れもなく「滅んだ生物」の絶景かと。短い時間とはなりますが、窓からお楽しみいただければ』

 要するに。契約不履行とまでは言えまい、とF08号は言うのだ。

「むう……しかし、何でバッファローなんだ?」


 ※ ※ ※


「何でバッファローなんだ!?」

 新世界旅行社の生身スタッフの一人が、時空エンジンの計器を監視しながら腹立たしげに怒鳴った。

「絶滅種観覧プラン、とは言いながら、こんなにバッファローばかりが優先する『異世界』ってどういうことだよ!」

『時空探検家の提供する「界図」も完全ではないということですよ、マスター。アメリカバイソンの亜種レベルであっても絶滅種といえば絶滅種でしょうし』

 管制系を制御するコンピュータが答えた。

「そうじゃなくて。何がどう分岐したらバッファロー『以外何も見当たらない』世界なんてもんが生まれるんだ、って話だよ!」

『おおかた、バッファローより先に人類や捕食者が滅んだんでしょうよ。で、種の均衡が完全に崩れ、バッファローが増えすぎ、食べられる草という草を食い尽くした。今あれらは「食べられるもの」を探して暴走しているものかと』

「そういうもんかね……?」

『ほらそれより、暖気が終わりますよ。マスターも管制室の固定位置に』

「分かってる!」


 ※ ※ ※


 カウントダウン開始から間もなく三分。

 時空エンジンの臨界が近づき、時空場が航界機を覆い始める。窓の外の景色が虹色に映る頃合いだ。

と、そこで機体が揺れた。

「ひいっ! バッファローだ! バッファローの群れが!」

 客の悲鳴が響いた。その悲鳴を合図に、他の客の声が響く。怒声、絶叫、感嘆。様々な声で騒然とする。窓の外の虹の向こうは、確かにバッファローに埋め尽くされていたのだ。

『お客様、落ち着いてください。本機の時空間航行に支障は--』

「だってバッファローだぞ!? なんでバッファローごときが、時空場を張ってる船を揺らせるんだ!?」

『--支障はありません。どうか、そのままお待ちください』


 ※ ※ ※


「何だ!?」

 無論、管制室でもその震動は感じ取れている。

『マスター。バッファローです。バッファローの群れの、その第一陣が、本機に届きました』

「三分も経たずにか!」

 時空場に阻まれており、機体そのものにぶつかっているわけではない。ただ、バッファローがそれでも、時空場に頭を打ちつけているのだ。地響きがする。空間が揺れる。空間に引きずられて機体が揺れている。

 それでも、時空場全体に対してバッファローが出来ることなどありはしないはずだ。

「理屈はともあれ……機体に支障はないな?」

『--ない、ですね』

「構わん! 出航だ!」

『了解』

 その世界から薄れるように、航界機はかき消え、去った。


 ※ ※ ※


 そして『基軸世界』、航界機港。

「全く、異世界に出歩くことすら出来んとは」

 恰幅の良い客が言った。

「申し訳ございませんお客様。ですが約款上、異世界の状況の急変については保証致しかねますので……」

 マスターと呼ばれていた生身の男が頭を下げる。

「分かっておる。まあ、CAどもの言うように、一応は『異世界』見物は出来ておるしな。しかし、バッファローどもは何がしたかったのやら」

「さあ……」

『マスター、宜しいですか』

 管制系のコンピュータが割って入った。

「何だ。お客様対応中だぞ」

『そのう、バッファローが』

 航界機の脇に、一際大きなバッファローが一体、何を打ち付けるでもなく、いた。

「バッファロー……だな?」

「……ですね」

「あれらも、ワシらと同じく『異世界』を見物したかったということか?」

「そこまで考えてはいないとは思いますが、ただ」

 管制系の分析通りだとすれば、あの異世界はバッファローだけが優先種となった結果、バッファローにとってすら食料に事欠く状況になっていたはずだ。つまり、いずれ『滅びる』世界だ。もしそこに、他の世界に繋がる何かが来れば、さしたる知能が無いとしても本能的にチャレンジするのではないか。

「あいつらも、逃げたかっただけなのかも知れませんよ。生きていける世界に、ね」

『いやそうじゃなくて異世界の生命の持ち込みは規約第38条で禁止されてましてね、マスター。マスター?』

「まあ、アメリカバイソン自体はこっちの世界にも居るんだから、黙っていればバレないんじゃないか?」

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