第1話 出会い。

 駅から徒歩18分の安アパート。

 二階の三号室。

 僕は布団の中で息も絶えだえの状態だった。

 流行病から来る高熱と呼吸困難。

 解熱剤と風邪薬は効いた気がしなかった。

 スポーツドリンクを飲みつつも、身体の中の水分が失われていくのがわかる。

 身体が熱かった。

 天涯孤独の身の上で、バイトで食いつないできたけど、割と詰んだのかなあ。

 朦朧としながら考える。

 そして、僕は意識を失った。


 意識を取り戻すと、思った以上に明るい空間だった。

 そして、そこには二つの顔。

 髭面の男と金髪の女。

「セシリアが目を覚ましたぞっ!」

 男が叫んだ。

 バタバタと駆け寄ってくるような音とともに、新たな顔が現れた。

 医師なのか、僕の手を取って脈を見たり、熱を測るような動作をする。

「峠は越えたかと思われます」

「おおおおお!」

 髭面のおっさんが抱きしめてくる。

 わわ、いたいいたい。

「あなた、セシリアがびっくりしてるでしょ!」

「いや、あのそのすまん」

 僕は何がなんだかわからないまま、その風景を見た。


 後から理解するのだけど、これが、僕の異世界転生での最初の記憶だった。



「セシリアさま。お着替えをお持ちしました」

「ありがとう。ライラ」

 メイドのライラに御礼を言いながら、朝の身支度を整える。

 小学校の制服だ。


 僕はセシリア・アーチボルト。

 グランバニア王国のアーチボルト子爵家の長女。

 現在八歳。

 上に二人の兄がいる。

 そして、異世界転生者だ。

 僕は転生前の記憶と人格を残している。

 僕は高橋浩太郎という、底辺労働者だった。

 一応、二十八歳まで生きて、おそらくは病気で死んだ。

 転生とはいうものの、僕が認識できているのはセシリアが三歳以後の記憶だ。

 もともと転生していたのか、それともその時に「記憶」を取り戻したのか、その違いは僕にはわからない。


 女なのに、一人称が僕なのは、改めないといけない、そう認識しているがなかなか改まらないのは、困ったものだ。

 ついでに貴族なので一生独身というわけにもいかない。

 と、するといつかは男に抱かれるということになる。

 うえええええ。

 何でこんな記憶を持ったうえで女の子になってしまったのだろう。

 五年ほどの経験で、かなり女の子という事実には慣れてきたのだけど。

 どうしたものかなあ。


 さて、着替えたら家族そろっての朝食だ。

 メニューは、どこかかつてのアメリカンブレックファーストを思い出させるパンと卵の食事だ。コーヒーはないが、お茶はある。


 この世界、結構不思議で、魔法が存在する。身分制度が存在する。衣服はどうにも時代がかった衣服である。そして、医療の中心は回復魔法と呼ばれる魔法だ。

 いわゆる、ファンタジーの世界だ。


 そして、貴族、というか上流階級用に6-3-3制の学校制度がある。だから、僕も食事がすんだら学校へ行く。

 平民向けも6-3制の学校があるため、識字率もかなり高い。

 そして教科書が存在するので、紙があり、印刷技術が存在する。


 かつての世界で言えば、十五世紀から二十世紀ころの様々な文物が散見される不思議な世界だ。少なくとも、僕が生きてきた世界の「過去」ではない。

 正直、衣服、衛生、食事面だけなら、かなり近現代に近い。

 そのくせ一歩王都を離れると、モンスターを狩る冒険者といった存在もあるし、何かゲームの世界なのか。

 それとも僕と同じような転生者が技術チートを持ち込んで、発達レベルが歪んだ世界なのか。


 もし、そういうことなら、そいつはきっと日本人だ。

 だって、学校制度が6-3-3制で、4月スタートなんて、絶対に日本人が考えたに決まっている。


「セシリア。今度の日曜日、アイアンハート伯爵家の者が家にやってくる。お前と同年齢の子どももいるので、きちんとお相手するように」

「わかりました。お父様」

 僕の最初の記憶では、髭面のおっさんだったが、落ち着いているときは、凛とした貴族そのものである。


 まあ、心配してたんだろうな。

 人の親として。


 あ、もう一つ余談だけど。この世界には「日曜日」が存在する。僕なりに調べてはみたがキリスト教は存在しない。

 それなのに、だ。


 まあ、あまり考えても仕方ないので、こういう話はこのくらいにしておこう。



 話題にのぼったアイアンハート伯爵家は、いわゆる辺境伯と呼ばれる力のある家だ。

 300名規模の常備軍を抱え、グランバニア王国の四枚の盾と呼ばれる家の一つ。


 そんな家が、なぜアーチボルト子爵家などを訪れるのか。

 それは、父が現アイアンハート伯爵の戦友であるからだ。

 今でこそ、戦傷で足を痛めて以来、王都で役人の仕事についてはいるが、かつては王国騎士団の一人として大活躍したとのこと。

 その頃、戦場で倒れていたアイアンハート伯爵を助け、互いに背中を預け、隣国アイタリアの包囲網から脱出したとか。

 その家長が国王チャールズ・グランバニア八世に会いに来るついでに、家を訪れるという。

 一応、記憶のおかげで、見た目八歳とは言っても、精神年齢は三十を越える。

 子どもの相手は、正直苦手だ。


 学校でも、割とぼっちのことが多い。

 だって……、そこまで無邪気に遊べないよ。

 いい年なんだよ。精神年齢は。


 そして、当日。

 いかにも偉丈夫といった様子のダストン・アイアンハート伯爵が、妻と息子を連れて我が家にやってきた。

 うちも家族で出迎えて、僕が息子のアルバートのお相手をすることとなった。

 アルバートも、同じ八歳。

 とは言え、兄たちが相手をしてもよかったのではないだろうか、という気はする。

 とは言え、家長に逆らわないのが貴族の美徳。

 僕はアルバートに屋敷を案内することにした。

 だが、結構無表情。

 楽しまれていないような気がする。

 女と遊ぶなど、ごめんこうむる、と言う感じの硬派なのだろうか。

 いや、さすがに八歳でそれはないだろう。


 えーっと、どうしたものか。

「セシリア嬢。こちらには図書室などはないのだろうか」

「はい。ご案内しますね」

 同年代の女と遊ぶ気はないから、本を呼んで過ごそうということか。

 ずいぶん、露骨な態度をとってくれる。


 あ、子どもの相手は苦手と思っていたが、これでは僕の方が子どもだな。

 クールに行こう。

 とは言え、案内したら、すたすたと自分で本を探しに行くのを眺める立場になると、ちょっと悲しい。

 軍事に名高い、辺境伯の息子。

 ならば。


 この世界には将棋がある。

 チェスと将棋を混ぜたような「戦盤」というゲームだ。騎士たちが戦術眼を養うために、よく遊んでいるという。

 武門の息子が嗜んでいないわけはない。

 そう睨んだ。


 メイドのラウラにお茶を用意するように頼みつつ、「戦盤」をテーブルに用意する。

「アルバート様。少し、ゲームをいかがでしょう?」

 面倒くさげに、こちらを見る。

「女の身で、と言われるかもしれませんが『戦盤』などいかがでしょうか」

 ちらりと見て、再び本に目を落とす。

 無視された。

 むか。

「そうですか、アルバート様は、女に負けるのが怖いということですか。それとも、『戦盤』は苦手でしたでしょうか?」

 こちらの嫌味に、少し不愉快そうな視線を向けた。

「いいだろう。付き合ってあげましょう」

 うん。礼儀は崩さない。

 アルバート様は、意外と大人だ。

 二人して、テーブルに向き合い、さし始める。

 しばらくすると、手が止まる。

 ふっふっふっ。

 ぼっちが幸いして、僕はこの『戦盤』をかなりやりこんでいる。

 中等部の先輩たちを相手に遊んでいるくらいだ。

 同じ八歳の子どもと侮っていては、勝てる勝負も勝てないぞ。


 そして、初戦は僕が勝った。

 それも、かなりコテンパンに。


 ライラがお茶とお菓子を持ってきて、脇へと置く。

 僕は、お茶を一すすり。

「もう一局、打ちますか?」

「もちろんだ」

 アルバート様は、極力平静を装って答える。

 うん。何か可愛い。


 こうして見ると、偉丈夫ダストン・アイアンハート伯爵の血を引いているとは思えないくらい、整った顔立ちをしている。


「では、もう一局」


 お互いの実力を理解した上での再戦である。

 油断なく打ち合うと、実力は互いに似たレベルであると感じた。

 そこまで差があるとも思えない。


 そして、同レベルと戦うゲームは純粋に面白いものだ。僕は接待という言葉を忘れ、何度となく打ち合い、そして感想を言い合った。


 気がつくと日が暮れていた。


「ずいぶんと仲良くなったものだな」

 図書室に入るなり、そう言ったのはダストン・アイアンハート伯爵。

「お父様」

 アルバートが立ち上がった。

 僕も立ち上がって一礼する。

「『戦盤』か。アルバート、お前、無理やり相手をさせたのではないだろうな」

「いえ。お父様。セシリア嬢は、私が今まで会った同世代の中で、おそらくもっとも強い打ち手です」

「ほう。そこまで言うか。では、楽しかったか」

「はい。とても」

 アイアンハート伯爵は、とても嬉しそうに笑った。

「そうか。では、そろそろ失礼する時間だ。セシリア嬢にご挨拶しなさい」

「セシリア嬢。今日は本当に楽しかったです。次までに、もっと腕を磨いてきます。ぜひ、また一局お願いいたします」

「こちらこそ、本当に楽しかったです。またお会いできる機会を楽しみにしています」


 これが、僕とアルバートの出会いだった。


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