第68話 トラウマを乗り越えて

 私は父にロザリーの現状を話した。

 最終試験を突破するために、トルメン大学校へ行きたいとも。

 それを聞いた父は「行ってきなさい」と私を後押ししてくれる。

 喜んだもの束の間、父は「ただし」と条件を付けた。


「その前にある追試験に合格して、進級するんだよ」

「はいっ!」


 追試験は明後日。

 そのための勉強はルイスとやってきた。

 後は、彼に教わったやり方で苦手な問題を何度もやって覚えるだけ。

 今までそのやり方で成績を伸ばしてきた。

 だから追試験も問題ないはず。


「マリアンヌ、一人でトルメン大学校へ行けるかい?」


 父が私の事を心配して声をかける。

 私は「はい」と言おうとしたものの、声が震えて何も言えなかった。

 ロザリーの学校に慣れてきたから、トルメン大学校でのことも大丈夫だと思っていたのに。

 

「週末に約束をしてるんだよね? 僕も首都に行く予定があるから途中までついていくよ」

「……ありがとうございます。お父様」

「一人が難しいんだったら、僕もついて行く。それでいいね」

「はい」


 父は私の怯えようを見て、首都までついて来てくれるようだ。

 私は父の気遣いに感謝しながら、返事を返した。


 

 数日後。

 追試を無事、合格した私は進級を認められた。

 私は学生喫茶にて、二学年に上がる資格を得たことをルイスに報告し、約束通りルイスから髪飾りを受け取る。


「ほらよ」

「ありがとう」


 髪飾りは飾り箱に入っていた。

 『貴族が付けるような髪飾り、俺、買えねえんだけど』と口にはしていてたが、少し高価なアクセサリー店で購入してくれたのだと分かる。

 飾り箱を開けると、赤い飾り石と銅の装飾が彫られた髪飾りがあった。

 薔薇をモチーフにしており、母の形見の耳飾りを思わせる。


「付けてもいい?」

「ああ。好きにしろ」


 私は結わえていた髪をほどき、再び結わえる。

 そして、ルイスから貰った髪留めを付けた。


「どう、かしら?」

「……いいんじゃねえか」

「ありがとう」

「なっ、顔赤くしてんじゃねえよっ! こっちまで照れるだろうが!!」


 ルイスに褒められ、私の両頬は熱くなった。

 真っ赤になっていたらしく、私の照れている表情を見たルイスは、慌てていた。


「……あのね、この間の”追加ルール”についてなんだけど」

「ああ、あれな。お前、どこに行きたいんだ?」

「別の日にしてもらってもいいかしら」

「いいぜ。春休みになったから暇だしな」

「それだったら、ロザリーを連れてくるわ。三人で一緒に街を周りましょう」


 何もなかったら、私はこのままルイスと一緒に街へ買い物や食事へ出掛けただろう。

 学生喫茶で勉強しかしていなかった私たちが、街へ出掛ける。

 好きな人と一緒にデート。

 とてもやりたいが、それは実現できそうにない。

 何故なら、私の頭の中はチャールズのことと音楽科の最終試験の事でいっぱいだったからだ。


「ロザリーと会えるのは嬉しいけど、お前、なんか顔色が悪くなったぞ。具合悪いのか?」

「ちょっと、ね。これからの事を考えると……」

「これからの事って……、もうお前がやることは終わったはずだろ? 他に何があるんだよ」

「……ロザリーが困っていて、それを助けに行かないといけないの」


 ルイスは私の表情の変化にすぐに気づいた。

 私は観念して、すべてをルイスに打ち明けた。

 ロザリーの用事というのは、私に変装して私が通っていた学校を進級すること。

 最後の試験でロザリーが行き詰ってしまったこと。

 その知らせを大嫌いな男から貰ったこと。

 週末に彼に会って話をしなくてはいけないこと。


「そっか」


 ルイスは私の話を黙って聞いてくれた。


「それは、お前にしか助けられないことなんだよな」

「ええ」

「だったら、俺からも頼む。ロザリーを助けてやってくれないか」

「……」


 ルイスは私に頭を下げた。

 私は彼の行動を見て胸がきゅっと締め付けられた。

 大好きな人の意識は、別の女の子に向いている。

 その女の子は私の妹。私にとっても大切な子。

 ロザリーを助けることが、ルイスの頼みだというのなら――。


「ありがとう。ルイスの言葉で決心がついたわ」


 嫌な思い出のある学校へ行き、大嫌いな人に会うこともいとわない。

 私の迷いは、ここで消えた。



 当日。

 私は父と共に首都へきた。

 そして、トルメン大学校の校門の前に立つ。


「お父様、行ってきます」

「マリアンヌ……、一人で大丈夫かい?」

「はい」


 私はトルメン大学校の校門を通った。

 ここで私は沢山嫌な目に遭った。

 今も、嫌な記憶を思い出し、身体が震え、吐き気がする。

 私はそれを耐え、一人で待ち合わせ場所へ向かった。

 幸い、普通科の生徒は春休みに入っており、人は少なかった。

 ここで生徒がいたら、私は脚がすくみ動けなくなっていたと思う。


「やあ、待っていたよ」


 私がチャールズを助けた池。

 そこで彼は私を待っていた。


「マリアンヌ、久しぶりだね」

 

 チャールズは私に気づくと、近づいてきた。

 一歩近づけば、私に触れられるという距離まで。

 彼は相変わらず美しい。目を引く容姿をしている。

 けれど、私は彼から視線をそらし「お久しぶりです」と小さな声で答えた。


「屋敷での生活はどうだった? 俺は君に会えなくて寂しかったよ」

「……実家での生活は最高でしたわ」

「ふーん、ここで長話するのもなんだ。食堂でお茶でも飲みながら話そうじゃないか」

「分かりました」


 チャールズは私の髪を一房掴み、それに口づけをした。

 私は彼の行動にぞっとする。

 だけど、相手は他国の王子。無礼だと頬を叩いてはいけない。

 怒りをぐっと堪え、私は彼の誘いに乗った。


 私はチャールズの後ろをついて行く。

 彼は「マリアンヌは男の立て方を分かっているね」と私の歩き方について評価をした。

 けれど、私はそれを無視する。

 彼に褒められてもちっとも嬉しくはない。

 

 池から少し歩き、私たちは食堂へ着いた。

 チャールズは二人分の飲み物を買い、慣れた様子で個室へと入る。

 私は彼に向かい合うような形で座った。


「さて、本題に入るね」

「……最終試験の事でしょう。それはいつ、ありますの?」

「明日。課題曲は『落ちる太陽』」


 『落ちる太陽』。

 三百年前のマジル王国とカルスーン王国の戦争を表現した曲。

 最期の巨大な、太陽のような火球が落ちた旋律に迫力があり、今もよく弾かれている。

 有名な曲のため、私の実家にも譜面があり、それを弾いたことがある。

 合奏用の譜面でも、一日あれば弾けるだろう。


「マリアンヌはピアノ、俺はヴァイオリンを弾く。それでいいね」

「構いませんわ」

「演奏室はもう押さえてある。すぐに合奏へ取り掛かりたいところだけど……」

「まだ、お話がありますの?」


 チャールズの言葉が詰まった。

 練習に何か問題があるのだろうか。


「マリアンヌが俺の願いを叶えてくれるのであれば、協力してあげる」

「条件ですってっ!?」

「そう。あとは君の返事とサイン一つなんだ」

「これは――」


 チャールズは一枚の用紙を私に差し出した。

 そこにはマジル王国の紋章と短い文面が書いてある。


 ―― マジル王国第二王子、チャールズ・ツール・マジルはリリアン・タッカード公爵令嬢との婚約を破棄し、マリアンヌ・クラッセル子爵令嬢を新たな婚約者とする ――


 私は目を疑った。

 紙がくしゃっとするまで強く握りしめ、書かれた文字を凝視する。


「これにサインしろと……」

「マリアンヌの御父上には話を通してある。君が了承すれば婚約を認めるという返事だ」

「……」

「俺はマリアンヌ、君が欲しい」


 嫌だ。

 チャールズと結婚したくない。

 心の中では彼との婚約を断固拒否していた。

 だけど、これを断れば、チャールズは最終試験に出ない。

 ロザリーを救えない。

 トルメン大学校音楽科の最終試験に落ちてしまう。

 ルイスのお願いを破ってしまう。

 私は思いに反し、彼が差し出したペンを手に取った。


「婚約、お受けいたします」


 私はその紙にサインをした。

 受け取ったチャールズは今日一番の笑みを見せた。

 

「これで、マリアンヌは俺の婚約者だ」

「はい。チャールズさま」


 チャールズは席を立ち、私の右手を取ると、手の甲に口づけをした。


「一生をかけて、マリアンヌ、君を愛することを誓う」


 愛の言葉。

 異国の王子にここまで尽くされ、喜ばない令嬢がいるのか。

 いや、私以外にはいないだろう。

 

「俺が十八になったら、結婚しよう」

「えっ」

「学生の内でも結婚はできる。式は祖国へ帰ってからのことになるだろうが」

「チャールズさまはいつ、十八歳になられますの?」


 私は、チャールズの発言に頭が真っ白になった。

 話が思った以上に早く進み、理解が追い付かない。


「二か月後。新学期が始まってすぐには」

「その、私の家の方の準備が――」


 彼の誕生日は半月後かそれ以降なのだろうかと思いきや、その時はすぐだった。

 王族との結婚。

 チャールズがその気でも、私の家の支度は出来ていないのではないか。

 それを指摘しても、チャールズは余裕だった。


「それは心配ない。今日、俺の父が君の御父上と話を付けているはずだから」

「お父様が……?」

「祖国向けの式は俺が卒業してからするとして、ここでは小さなパーティをすることになっている。会場やマリアンヌのドレスはこちらが用意するから、心配しなくてもいい」

「……」


 私の知らないところで、私の意思関係なく話が進んでいる。

 外堀から固められていて、逃げ場が全くない。


「未来の妻の為なら、俺はなんだってする」

「それが……、最終試験への協力、なのですね」

「ああ」


 チャールズがその場に立ちあがった。

 私の腕を引き、ソファから立ち上がらせる。

 私とチャールズは互いに見つめ合った。


「マリアンヌ。俺の未来の妻、愛している」


 私の背にチャールズの手が回り、彼に抱き寄せられていた。

 彼の胸の中で私はじっと耐えた。


(ルイス、ルイス、ルイス……!)


 私はチャールズの胸の中で、大好きな人の事を思い浮かべた。

 長い抱擁が解かれると、私たちは明日の合奏に備えて、演奏室へ向かった。



 そのあとは全て上手くいった。

 最終試験に合格したし、リリアン様から形見の耳飾りを返してもらった。

 ロザリーもとても喜んでいた。

 けれど、私はこの長期休暇を終えたら、チャールズさまの妻になる。

 その事実をまだロザリーは知らない。

 自分の口で伝えたいと私が父に伏せているから。

 

(いつ、ロザリーに打ち明けよう)


 私はこの悩みを抱えたまま、ロザリーとルイスと三人で食事をしている。

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