第6話 マリアンヌお姉さま

 私はマリアンヌに屋敷を案内してもらった。

 一階は、執務室、応接室、客間、浴室、食堂、演奏室があり、二階は衣裳部屋、クラッセル子爵とマリアンヌの私室がある。どの部屋も広く、高価な家具が置かれており、小さな部屋で過ごしていた私は屋敷の内装に圧倒される。


「この広いお屋敷にたった二人で暮らしているの?」


 すべての部屋を見終えたあと、私は率直な感想を呟いた。

 マリアンヌには兄弟がおらず、クラッセル子爵夫人は一年前、病気で亡くなったという。

 豪華な屋敷にたった二人で住んでいる。私はその事実に驚愕していた。


「これから、ロザリーも暮らすのよ! お部屋は私の隣にしましょう!!」

「隣……」


 この屋敷は機能が一階に集中し、二階はプライベートな造りになっている。

 マリアンヌに二階を案内されていた時、彼女の私室の隣は案内されていない。空室だから省かれたのだろう。広い部屋だということには違いないけれど。


「あら、いやなの?」

「ううん。私……、この屋敷で暮らしていいのかなって」

「もう、暗い顔をして! いいに決まっているでしょう」


 マリアンヌと出会わなければ、私は裕福な家庭の下働きか、町のどこかすみっこで生活費を稼ぐ暮らしをしていただろう。

 見たものを記憶することだけしか取り柄のない孤児の私が、華やかな生活を送っているマリアンヌと同じ場所にいていいのだろうか。ここに来たものの、私は自分が置かれている状況に戸惑っていた。


「マリアンヌ、ロザリーは初めての場所に緊張しているんだ。無茶をさせてはいけないよ」

「お父様、おかえりなさい」

「ロザリー、広い屋敷を探検して疲れただろう。客室にお茶とお菓子を持って行かせるから、そこで足を休めなさい」

「はい。クラッセル子爵」

「……」


 ピアノを片づけていたクラッセル子爵が屋敷に戻ってきた。

 私たちのやり取りをみたクラッセル子爵は、マリアンヌをたしなめ、私に優しく声をかけてくれた。

 クラッセル子爵の低い声は、聴いていて落ち着く。

 私はクラッセル子爵の好意にお礼を言った。

 笑みを浮かべているクラッセル子爵の口元がひくついた。何か彼が気になるようなことを口にしてしまったのだろうか。心当たりがない。

 私とマリアンヌは客室に入り、革張りのソファに向かい合う形でそれぞれ座った。

 少し経って、一人のメイドが二組のティーセットとお菓子をのせたワゴンを引いてくる。

 テーブルの上に二組のティーカップが置かれ、そこに紅茶が注がれる。そのあとに、三段のお皿の上に軽食と焼き菓子がのった、ティースタンドが置かれた。


「ロザリー、口からよだれが垂れているわよ」

「ごめんなさい。こんなに豪華なアフタヌーンティーは初めてで」

「また服の袖で拭こうとして! ハンカチを使いなさい」

「……はい」


 孤児院では布の生地は貴重なもので、ハンカチを使う習慣が無かった。

 口元のよだれを服の袖で拭こうとすると、マリアンヌに怒られた。彼女からハンカチを受け取り、それでよだれをぬぐった。

 向かいに座るマリアンヌは両足をそろえ、背筋をピンとした美しい姿勢で、紅茶を飲んでいる。一つ一つの仕草が丁寧で、育ちの違いを痛感させられる。


「好きに飲んで食べて。それとも……、嫌いな食べ物があったかしら?」

「その……、どうやって食べたらいいか、分からなくて」

「どうやって……」


 私の言葉にマリアンヌはぽかんとした顔をした。


「……これはね、一口で食べられる大きさに作られているでしょう?」


 マリアンヌは下段にあるサンドウィッチを素手で掴み、それを一口で食べた。

 確かに、軽食と焼き菓子は一口で食べられる大きさになっている。

 私はマリアンヌに倣って、中段にあるスコーンを手に取って食べた。

 レディの食べ方として合っているのかと考えながら食べていたから、全く味が分からない。

 口の中がもっさりする。

 私はそれを紅茶で流し込んだ。

 茶葉の苦みが口の中で広がる。


「ふふっ」


 私の食べ方を見て、マリアンヌは吹き出した。


「おもしろい顔!」

「苦い! すごく苦い!!」

「ロザリー、緊張しないで。食べ方や礼儀作法は少しずつ覚えてゆけばいいのよ」

「うん」


 孤児院育ちの私が、子爵令嬢として育てられたマリアンヌのような礼儀作法をすぐにできない。

 それをマリアンヌは分かって、先にサンドウィッチを食べたんだ。彼女の教え方はまるで―ー。


「マリアンヌ、まるで私の……、お姉ちゃんみたい」

「っ! 今日から家族になるんだもの。姉のように慕ってほしいわ!」


 姉のように慕ってくれるマリアンヌ。

 私は、声を振り絞りながらマリアンヌの事を「お姉ちゃん」と呼んだ。

 それを聞いたマリアンヌは、口元を手で押さえる。彼女の緑の瞳は、宝石のように輝いていて、とても喜んでいる。


「はい。マリアンヌお姉さま」


 この出来事以降、私はマリアンヌの事を「お姉さま」と呼ぶようになった。


 

 

 

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