第4話 追想の旋律

 女の子をリビングへ連れて行った。

 そこに大きなピアノが置かれていた。

 きっと院長と談笑している、身なりの良い青年の男性が用意したからだろう。

 青年の男性はクラッセル子爵といい、クラッセル領を統治している貴族だとか。

 クラッセル子爵が何故この村に来たかというと、彼はこの孤児院に縁があり、年に一度楽器の演奏を披露してくれるのだという。

 私が孤児院に入った年は、その演奏会は終わっており私はそれをはじめて聞く。

 はしゃぐ子どもたちを、ルイスがまとめていた。

 

(あのおじさんがピアノを弾くのかしら)


 冷静に周りを見ていた私も、演奏会を楽しみにしていた。



 少し経ち、演奏会が始まる。


「今日は僕じゃなくて、娘が楽器を演奏するよ」

「ごきげんよう、マリアンヌ・クラッセルです。よろしくお願いします」

(あの子だ……)


 クラッセル子爵が輪の真ん中で私たちに声をかける。彼の隣に金髪の女の子が立つ。

 服の裾を持ち、膝を折って私たちに一礼をする。

 マリアンヌの優雅な仕草に、私は焦がれた。

 まるで、絵本の中に登場するお姫様のようだ、と。


 挨拶を終えると、マリアンヌはピアノの椅子に座った。両手を白鍵に置く。

 ざわついていた場が途端に静かになり、皆、マリアンヌに注目する。

 ポーン。

 細く、白い指が最初の一音を叩く。

 その直後、小さな手が白鍵と黒鍵の上を縦横無尽に動く。

 小さな体を動かして、端から端まで叩く。

 その旋律は美しく、私の胸の苦しさが和らぎ、昔、お母さんと出掛けたことを思い出させてくれる。特に、広場でピアノの演奏を聴いた時だ。

 私の国では楽器を使って演奏すると、心が穏やかになったり、気持ちを奮い立たせたりする効力があるとされている。特にピアノの演奏に秀でたものは”神の手”と呼ばれ、国王から爵位を得たり、貴族から演奏会の依頼があったりするとか。

 夢のような話だけど、誰でもなれるというわけではない。

 楽器はとても高い上に、手入れをするための維持費や先生を雇う指導料も高いから、裕福な家庭か貴族しか扱わない。

 ピアノは最たるもので、宮廷楽師になれるのはほんのわずかだという。


(すごいわ……)


 私はマリアンヌの演奏に圧倒されていた。

 不思議とこの演奏は、私を笑顔にするために弾いてくれているのだと思ってしまう。

 マリアンヌの手が生み出す音色は、軽快で柔らかく、暖かさを感じた。

 細い指が目では追えないくらいに素早く動くのに、彼女の旋律に雑味がない。

 ピアノの演奏を聴いたのは人生で二回目だけど、マリアンヌの演奏技術はとても高いことが分かる。


(きっと、こういう人が”神の手”になるんだわ)


 私はふとそう思ったその時、音楽の調子が変わる。


「あっ」


 聞き覚えのある音色を耳にし、声がこぼれた。

 身体が跳ねるような軽快な音色。

 これは、お母さんと町に出かけた時に聴いたものと同じだ。

 当時、弾いていた女の子とマリアンヌが重なる。

 もしかして、あの子はーー。


 パチパチパチ。


 私が考えている間に、周りから拍手が聞こえた。

 拍手の音で我に戻った私は、小さな拍手を心安らぐ素敵な演奏をしてくれたマリアンヌに送る。

 マリアンヌはピアノの椅子から立ち、服の裾を持って、深々と一礼する。

 私とマリアンヌの目が合う。

 私の顔を見てはっとしたマリアンヌは、私の方へ近づいてきた。


「どうして泣いているの?」

「え?」


 マリアンヌの両手が私の両頬を包み込む。

 私は心配そうな表情を浮かべているマリアンヌを見て、きょとんとしていた。

 指摘され、私はマリアンヌの演奏を聞いて、涙を流していたのだと気づく。


「泣いてない」

「でも、涙が出ているじゃない」


 私はマリアンヌから離れ、袖で涙をぬぐおうと腕を前に出した。

 その腕をマリアンヌに掴まれる。彼女は首を横に振り、私の服よりも高価な生地が使われてそうなハンカチを私に差し出した。


「レディでしたら、涙はハンカチで拭うものよ」

「ありがとう……」


 私はマリアンヌからハンカチを受け取り、涙をぬぐう。さらさらとした触り心地の良い生地で、ごしごしこすらずとも、軽く目元を抑えるだけで涙が吸い込まれてゆく。


「これは……、マリアンヌの演奏を聞いて感動したからです」

「そうなの?」

「昔、町でお母さんと一緒にあなたの演奏を聞いたことを思い出して涙が出ちゃったの」

「……なら、よかったわ」


 私は涙を流した理由をマリアンヌに告げたが、彼女は首を傾げている。理由を分かってはいないけど、私が微笑んだのを見て、マリアンヌはほっとした表情を浮かべた。

 マリアンヌはクラッセル子爵のほうへ顔を向ける。彼の元へ行くのかと思いきや、彼女は驚くべきことを言い出した。


「お父様! 私、この子を家に連れて行きたい」


 マリアンヌが驚きなことを言い出した。

 ここは孤児院だ。極稀に貴族が奉公人として連れてゆくこともある。

 私は将来、適当な奉公先で働くと思っていたので、貴族の家に招かれることに驚いたのだ。

 私はクラッセル子爵を見た。

 クラッセル子爵は笑みを浮かべている。

 果たして、マリアンヌの提案をクラッセル子爵が受け入れるのだろうか。


「いいよ。話を付けてくるから、その間、彼女と遊んでなさい」

「お父様、ありがとう!」


 マリアンヌはクラッセル子爵に礼を言った後、私をぎゅっと抱きしめる。


「マリアンヌ、どうして私を選んでくれたの?」

「だって、私がいなくなったら、またあなたは悲しい顔をするでしょ?」

「……」

「私はあなたを笑顔にしたいの! だから、一緒に暮らしましょう」


 私はマリアンヌの腰に手をまわし、彼女を自分に引き寄せた。


「……はい」


 私はマリアンヌの言葉に返事をする。

 お母さんを失ったことでぽっかりと空いた心の穴が埋まった気がした。


 

 


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