第9話 大天使と悪役令嬢の婚姻【最終話】


「お会いしたかったですわ、ラミエル様! なぜ、わたくしを置いて行ってしまったんですの?」

 人気のないバルコニーに俺を拉致したアリシアは、涙ながらに問い詰めてきた。

 正直、そこまで俺を気にしているとは知らなかった。

 ネルシオンの危機を救った彼女が国王の信頼を得て、名誉を回復した様子は上空から眺めていた。

 リアナは罪人として囚われ、処刑を待っているような有様だ。

 復讐を果たして女伯爵になったアリシアは、この上なく幸せなはずなのに……。

「お前は十分すぎるほどの善行を施した。もう、俺の庇護は不要だろう? お前は一人前の聖女なのだから」

「そんなの酷いわ! 最初に約束してくださったはず。善行を働けば、わたくしと結婚してくださると」

「……お前は王太子妃になれるほどに復権したではないか?」

 それが答えになっていないことは、自分でもわかっている。

 アリシアは俺の腕を掴んで、切ない表情で俺を見つめた。

「あなたと結婚できないなら、王太子妃なんて何の意味もありません……わたくしのこれまでの人生で一番幸せだったのは、あなたと共に旅をしていた時間ですわ」

 ――それは、俺も同じだ。

 彼女と過ごした時間は、慎ましくも幸せなもの。

 田舎の粗末な宿や、時には野宿も余儀なくされたが、アリシアは文句ひとつ言わなかった。

 これまでに聖女に力を分け与えたことも、任務を行わせるため旅を共にしたことも、数え切れぬほどあった。

 しかし、彼女たちは天使という異形の俺に興味は示すものの、恋愛感情を抱くことはなかった。

 そもそも、俺がそれを許さなかったというのもあるが……。

 ところが、アリシアは違っていた。

 対等な一人の人間として、俺のことを見てくれていた……初めて会ったときから、ずっと。

 彼女の想いを振り払うのはたやすい――なぜなら、俺はとうの昔に生身の人間としての感情を失っているから。

 なのに、なぜ……俺はあの夜、彼女に口づけをしてしまったのだろう?

 神の使いであり、この世の何よりも清廉潔白であるはずの大天使が、たかが一人の女に惑わされるなど……。

 俺は、アリシアの色香に溺れたわけではない。彼女の内面の美しさに惹かれたのだ。

 どんなに疲れていても、病人のひとりひとりに向き合って苦痛を取り除く彼女の姿は眩しかった。

 与えられた役割なら当然だと思うかもしれないが、そんな献身ができる人間は実はなかなかいない。

 リアナのように任務を投げ出し、貴族や王族しか治癒しない聖女がほとんどだった。

 俺もアリシアのことを、そんな女の一人だと思っていた。

 しかし……実際の彼女はそうではなかった。

 見た目によらず素朴で、俺に同じ人間として興味を持ってくれた。

 旅の最中、澄んだ瞳で見つめられながら昔話をしていると、いつしか数千年前に経験した胸の疼きに苛まれるようになった。

 そう――いつの間にか、俺はアリシアに恋をしていた。

 果てしなく不器用で、実ることのない恋を。

 雨乞いの儀式を終わらせれば、アリシアの命は失われるさだめだった。

 そこを自分の魂を削って助けたのも、キスを奪ったのも俺の個人的な感情のせい。

 だから、彼女のもとから立ち去った。

 別れの言葉さえ告げず、彼女に二度と会わねばよかったのに……。

 このパーティー会場に来てしまったのは、魔が差したとしか言いようがない。

 縋るような目をして俺を見つめるアリシアに、まるで病気にでもなったように胸が高鳴る。

 清廉潔白だなんて、とんでもない!

 こんな俺が、大天使を続けていていいのだろうか……?

 ――その刹那、脳裏に天からの声が響き渡った。

(……ラミエルよ、思うがままに行動するがよい。これは長年、私に仕えてきたお前への褒美だ)

 神は、俺が修道院に入った経緯もすべてご存じだ。

 そのうえで、俺の最後の恋愛を許してくださったのだろう……。

 俺は泣きそうになるのを我慢しながら、アリシアに囁いた。

「共に行こう、アリシア。お前に、俺と添い遂げる決心があるのなら」

「……当たり前じゃないですか! 覚悟がなければ、わたくしは自分から迫ったりしませんわ?」

 高飛車な答えに混じる安堵と喜びの色――その時、俺は実感した。

 この世の誰よりも、彼女のことを愛している……と。

 彼女を抱き上げて、俺は白い翼を広げて夜空へと舞い上がった。


 ――アリシアと俺だけの終わらぬ恋物語は、今この瞬間から始まる。



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【完結】大天使様は断罪された悪役令嬢との婚姻を望まない~わたくし善行を積んだのは保身のためなので聖女と呼ばないでくださいませ! 江原里奈 @RinaEhara

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