1000人の命より大切なもの
日和崎よしな(令和の凡夫)
1000人の命より大切なもの
レクターには三分以内にやらなければならないことがあった。
ガラス壁の向こうに広がる広大な宇宙空間と、そこにポツンとたたずむ地球を尻目に、目的地を目指してひた走る。
「レクターさん、ちょっと金を貸してくれねーかな」
細い通路から顔見知りの男が急に現れてレクターの腕を掴んだ。
全力疾走していたので、レクターは肩に大きな衝撃を受けた。
「悪いがあとにしてくれ」
「そう邪険にしない――」
レクターは男を銃で撃ち殺した。そして再び走る。
今度は腰の曲がった中年女性が正面に立ちはだかった。
「レクターさん、このまえお願いした畑のスプリンクラーの修理はどうなって――」
「すみません」
レクターは女性を突き飛ばして走り続けた。
「おい、レクター。ちょっと大事な話があるんだが……おい、待てって」
レクターは腕を掴んできそうな同僚を銃で撃ち殺した。
もう時間がない。
レクターが制御室にたどり着いたときには、リミットまで残り一分だった。
「レクターさん、こっちです!」
若い男が飛び跳ねながら手招きしている。彼、ヤンペルがレクターをここに呼んだのだ。
レクターはヤンペルの元に駆け寄った。
「照準を変更できそうですか?」
「照準変更? そんなの無理だ。間に合わない。システムの座標計算に五分はかかる。それより、エネルギーの放射を中止させる」
「えっ!? そんなことをしたら、僕たちみんな死んでしまいます!」
事態は宇宙船のエネルギーが暴走したことに始まった。
それを受けて対応に当たったのが、この技術者ヤンペルである。
暴走の原因はエネルギー供給量が許容量を超えてしまったこと。このままではエネルギーが臨界点を越えて宇宙船が爆発してしまう。ゆえに、暴走を治めるためにエネルギーを放出する必要がある。
大量のエネルギーを放出するにはビーム砲を発射するのが手っ取り早い。というか、それ以外の方法は時間がかかりすぎて爆発までに間に合わない。
ヤンペルはビーム砲の発射シークエンスが開始したあとで、その照準が地球に向けられていることに気づいた。
これは誰かがそう設定したわけではなく、照準設定をしなかったためにシステムが自動で最も近い大質量体に照準を設定したのだ。
「そうだな。死ぬな。俺もおまえも、この船のみんなも。だが、これを停止しなければ地球が滅ぶ。80億人が死ぬんだぞ。それを殺すのは、宇宙船にビーム砲を発射させたおまえと、それを止めなかった俺ということになる」
レクターは自分が超大量殺人の片棒を担ぐのが嫌だとか、そんなどうでもいい感情では動いていない。
この大型宇宙船に乗っている1000人の命より大切なもの。
それは、地球に住む80億人の命。
明らかに釣り合わない天秤。
レクターはその天秤を水平な台の上に置いて、正面から見て冷静に判断したにすぎない。
《発射まで、残り三十秒。カウントダウンを開始します》
宇宙船のシステム音声がビーム砲発射までの残り時間を告げてくる。
レクターがビーム砲の緊急停止ボタンに右手を伸ばすと、ヤンペルがその手を掴んだ。
「レクターさん! この宇宙船には、人類最高峰の科学者たちが乗っているんですよ。ここには宇宙航空における最新技術と研究成果もある。人類にとって計り知れないほど貴重な財産です」
「それは人類が消えたら意味がないだろ」
《残り、十五秒です》
レクターが左手で自分の右手を押し込み、強引にボタンを押そうとする。
だが、ヤンペルのもう片方の手もレクターの右手を掴んで引きとめた。
「レクターさん! いまのあなたが生活を共にして家族同然に仲良くしている人たちを犠牲にしてでも地球を救うって言うんですか」
「そうだ」
地球には現在、80億人もの人間がいる。
その中にはレクターの家族もいる。両親は健在だし、3人の子供もいる。
レクターだけではない。1000人の乗組員の家族もいる。
どっちにも家族と呼べる人たちがいる。
だからこそ、レクターは選択に感情を差し挟まないことを決められた。
「僕たちがいれば人類は消えません。ここは自給自足が成り立っている。たとえ地球が――」
レクターは右手を押し込んでいた左手を懐に突っ込み、取り出した銃でヤンペルの頭を撃ち抜いた。
そして、緊急停止ボタンを押した。
「すまん。あと2秒しかなかった」
レクターだって、1000人の仲間を犠牲にはしたくなかったし、死にたくもなかった。
正義を語るつもりもない。
ただ、彼には傾いた天秤が見えていただけである。
おわり
1000人の命より大切なもの 日和崎よしな(令和の凡夫) @ReiwaNoBonpu
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