IF

水円 岳


「ポールくん。君の目の前に、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが迫っていたとする。君ならどう対処する?」


 紙面の細かい文字を必死に目で追っていたセルリー教授が、キーボードをせわしなく叩きながら僕に訊いた。

 またか。まあた変なことを言い出したよ。急な呼び出しだったから、てっきり提出したレポートに問題があったと思ってすっ飛んできたのに。


「えー? それは回避できないでしょう。素直にかれますけど」

「欲のない男だな。生存欲ゼロか」

「いやー、生存欲はありますよー。生きるために食べるし、寝るしー、こうしてレポートも書いてるしー」

「ふむ」


 教授は紙面から目を離さない。僕の出したレポートを舐めるようにして読んでいる。僕のレポートなんか舐めたって味なんかしないし、おいしくないよ。それとも、字が小さかったかな。もうちょいフォントサイズを大きくしておけばよかったかも。


「てか、回避できそうなら素直に回避するし、だめそうなら諦める。それだけっすー」

「だ・か・ら! どうやって回避するのかって訊いてるんだ!」

IFもしもの話になんか付き合えませんよー。先生はいっつもそうなんだからー。突拍子もない作り話で謎かけしてさー。学生に嫌われてますよ」

「君らに好かれて給料ギャラが上がるなら、なんぼでもくだらんジョークを連発してやるよ。だが、理論物理の世界でウケを狙ったって評価も給料も上がらんからな」

「へー」

「いいから、さっきの問いにもっとまじめに答えろ」

「バッファローがどうたらってやつですか?」

「そうだ」


 めんどくさ。最初と同じ答えを返そうと思ったけど、それでレポートの評価を下げられるのは困る。ええと。


「死んだふりをする」

「連中は疾走中だ。君の生死なんざ一々気にせんだろ」

「同じ速度で逃げる」

「できるのか?」

「むーりー。あ。バッファローの背中に飛び乗る」

「どうやって?」

「ううー、だからIFもしもの話は嫌いなんだよう」


 レポートを読み終えたんだろう。教授がでっかい溜息をついてから退室を促した。


「ポールくん。バッファローが問題なんじゃない。全てを破壊しながら突き進む。そこが問題なんだよ。どうしてわからないかな」

「だーかーらー。IFもしもの話には付き合えませんてば」

「わかったわかった。手間を取らせたな」

「で、僕のレポートはどうだったんですか?」

「もちろん合格クリアだよ」

「だったら早くそう言ってください。まだ課題が三つ残ってるのでー」

「三つも残してるのか!」

「だって嫌いなんだもん、あとのはー」


 こめかみを押さえた教授が、しっしっと僕を追っ払った。


◇ ◇ ◇


 私は。ディスプレイ上に投影された不定形の輪を注視している。


「なんど打ち込み直しても、結果は同じ……か」


 世の中には、天才としか言いようのない特殊な人種がいる。ただ、そいつらの才能はしばしば極めて狭い範囲にしか発揮されない。当大学の出来の悪い学生代表であるポール・ウィガードもその一人だ。あいつは、他の学生が鼻歌交じりで片付ける課題の消化にものすごく時間がかかる。理由は明白。想像力が乏しくその使い方も極めて下手くそだからだ。

 世の中ってのは山のようなIFもしもの積み重ねで出来ているから、IFもしもの先を読もうとしない限り全てが場当たりになる。人生がじり貧に陥ることなんか誰にだってわかるはずだ。だが彼にはまともな想像が出来ない。しないのではなく、能力的に出来ない。出来ないことを一々求められるのは確かにしんどいだろう。その代償なのか、神は彼に素晴らしい才能を授けた。実生活では全く役に立たないが、恐ろしいほど優れた才能を。

 彼は彗星や小惑星の軌道計算の天才だ。与えられたわずかな事実をもとに寸分違わず精密な計算式を弾き出す。それは彼の思索から導かれた熟果ではなく、単なる事実掲示に等しい。計算式にIFもしもは微塵も入っていないのだ。


 私が戯れに彼に与えた課題は、バッファロー・トレイル彗星群という軌道が特定されていない彗星群の軌道計算だった。バッファロー・トレイルは、幽霊彗星群とも呼ばれている。軌道が変則というだけではなく、突然現れ突然姿を消すまさに幽霊のような彗星群だ。ものが幽霊だけに観測記録もごくわずかしかなく、大型コンピュータで軌道計算しようにも計算に必要なファクトが少なすぎて式が立たない。いくら天才でも、こいつの軌道計算は無理だろうと課題に出してみたんだが……。


「この軌道だと数日中に地球を直撃する。ポールくん、君の計算式は極めて正確なんだ。もうIFもしもなんかじゃないんだよ」



【 了 】

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IF 水円 岳 @mizomer

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