1-12『笑顔が魅力的になる魔法』

 ――正直なことを言えば。

 女盗賊としては、どうせ短い付き合いになると思っていた。



「やあ。はははは……、君が今回の仕事を請けてくれた冒険者さんだね?」

「…………」



 だから彼と初めて対面したときも、まあそうだろうな、という予想は超えなかった。


 どころか、なんならちょっと想像を下回ったくらいの勢いである。


「何を……している?」


 なにせ最初から、そんなことを訊かなければならないレベル。

 普通、最初の問いは『何をすればいい?』だ。だって仕事で来たのだから。


 だが目の前で大量の書物の下敷きにされ、顔以外が見事に生き埋めになっている年上の男に対して、初手で選べるコミュニケーションなんてほかに知らない。


 確かに対人能力には自信がないけれど。

 さすがにこれは、誰だって困惑が先に来ると思うのだ。


「やあ、ははは……だよね。入っていきなりこの光景じゃあ、それは驚くと思う」


 大量の本に(物理的に)囲まれた青年は言う。

 先に調べておいた情報では、年の頃は二十四――だが、実際に見てみると、その童顔はもっと若く見えた。

 これで魔法学校の研究職だというのだから、優秀ではあるはずだが。

 少なくとも、こうして学校内に自身の研究室を持つことを許されているのだし。


 ぼさぼさした灰色の髪も、人の好さそうな金眼も、着られているようなよれた白衣も。

 総じて優男然とした印象を拭えないのだが、見かけだけでは判断できない。


「ただ、ちょっと事故が起きてね、うん。お見苦しくもこの状態さ」

「…………」

「というわけで、――ちょっと助けてもらえないかな?」


 まさかこれが依頼ではあるまいな、なんて馬鹿なことを考えてしまう女盗賊だった。


 静かにかぶりを振る。

 依頼人には礼儀を尽くすべきだと常識は叫んだが、肝心の相手がこのザマでは彼女にだって限度があった。少し呆れが滲み出たのも無理ないことだろう。


 まあ、だからってこのまま帰るほど偏ったユーモアのセンスもない。

 盗賊の少女は彼に手を差し伸べる。


「ありがとう」

「……いや……」


 礼を告げる青年の手を取り、力を入れて引っ張った。

 本の山の下から、青年はそうやって発掘される。

 立ち上がることに成功した青年は、少し感心したように、ほう、と呟く。


「さすが本職の冒険者さんだね。僕より小さいのに、力ではずっと上だ」

「……そういうことを、あまり女性に言うものではないと思うけど」


 小さいとか力が上とか、誰もが言われて嬉しい言葉ではない。

 コミュニケーションが苦手な彼女にも、それくらいのことならわかるのだ。


「え、あ、ああ、そうかな!? 失礼なことを言ったのなら申し訳なかった……!」


 青年は慌てて頭を下げる。

 皮肉で言ったのかと思ったから、舐められないよう言い返したつもりだった。

 だがこの様子では、どうも彼の中では褒め言葉の部類だったらしい。

 それなら彼女としても、これ以上は責められない。


「ああ……いや。別に気にしてないけど」

「いや、確かに失敬だったよ。本当にすまなかったと思う」

「……だから、いいってば」

「そ、そうか……いや、つまり、そう。私は専門ではないんだけど、冒険者の魔力による身体強化が、永続的に肉体に与える影響について、面白い研究があったと思って……!」


 あたふたしながら手を振る青年。

 彼はそこで、目の前の少女が困惑していることに気がついて言葉を止めた。


「……いや、なんでもないんだ。冒険者さんには関係のない話だったね」

「なんでも……いいけど」

「ははは。心が広いんだね、感謝するよ」


 朗らかな笑みを浮かべ、青年は頬を掻いて言う。


 おそらく悪気はないのだろうが、勘違いはしているのだろう。少女はそう思った。

 彼も童顔で若く見えるほうではあるが、女盗賊のほうは背まで低いため、若いどころか幼く思われることが常だった。

 実際、十六歳が《幼い》の範疇かは諸説あるとしても、女盗賊はぱっと見では十代前半くらいに思われがちだ。

 酷いときは本当に、幼年学校の児童だと思われるときもある。


 その意味では、少なくとも表向き侮ってこないだけ、彼の印象は実は悪くない。


「さてと、――冒険者さん」


 気を取り直すべくして青年が言う。

 と、そこで少女のほうが訂正するかのように。


「――盗賊」


 小さく、けれど鋭く言った。

 青年は面食らったように目を丸くするが、彼女もここは譲らない。


「呼ぶならそれで」

「……そうか。冒険者が名前を隠すのは知っているけれど……」


 それにしたって《盗賊》とは響きが悪い。

 わざわざそう呼ばれたがる理由が、少なくとも青年には思いつかなった。

 とはいえ何か事情があるようだから、突っ込んでも訊くのも難しい。


「わかった。なら私も倣って……そうだね、こちらのことは学者とでも呼んでほしい」

「……了解した」

「本当なら名乗るのが筋だろうけど、依頼は管理局経由だから私の名は知っているよね。それならここは、そちらの流儀に則るよ。――これから仲間入りするわけだしね」

「――――」


 女盗賊は余計なことを言わない。

 その意思を受け取って、一度だけ小さく頷いてから学者は言った。


「さて。依頼内容は私の護衛……というのが名目だけど、より正確にはダンジョン内での補佐になる。要するに助手を募ったと思ってほしい」

「心得ているが……助手が素人でいいのか?」


 女盗賊の疑問は当然だろう。

 募集要項の要求技能欄に専門的な歴史や魔法の知識という項目はなかったが。


「構わないよ。欲しいのはダンジョンの知識だからね。戦闘よりも、トラップの類いへの対処が欲しいんだ。知識はともかく実際の冒険に関しては、私は完全に素人だから」

「……それなら得意分野だ」


 彼女が盗賊と名乗っている理由のひとつは、ダンジョンに入る目的を《魔物退治》ではなく《宝の発見》に傾けているからだ。

 魔物の間引き、という社会的意義を持つ名目を無視する者は、冒険者から嫌われる。


 自ら名乗るまでもなく、財宝目的の冒険者は《盗賊》と嫌悪されるのだ。


「私の研究は、私が自身でやることだしね。それに戦闘は、まあ得意ではないけれど……時間さえ稼いでもらえれば、それなりに魔法は使えるよ。倒すだけなら大丈夫だと思う」

「それも問題ない。普段は単独ソロで行動している」

「頼り甲斐があって助かるよ。局からの紹介って時点で実力は疑ってないけどね」

「……、それで研究とは?」


 少しの間があってから、女盗賊は訊ねた。

 当然の問いだろう。小さく頷き、そして学者はこう語った。


。――私の目的は、ダンジョンという存在そのものの謎の解明にある」


 それは現在のところ、ほぼ完全な手つかずと言っていい分野である。

 当たり前に存在するが、なんなのかはわからない、けれど誰もが使っているもの。

 人間とは、そういう曖昧さを許容できる生物なのだと女盗賊は思う。


 ――目の前にいる学者のような、ごく稀な例外を除いて。


「なぜ世界にダンジョンが発生しているのか。ダンジョンとはどこにあるのか。どうして世界にあるダンジョンのほとんどが、この王国に集中しているのか。魔物とは何か――」

「…………」

「そういった謎を自分の手で解き明かすために、私はダンジョンを研究したい。それには自ら入るのがいちばんだからね、――ぜひプロの手が借りたかったんだ」


 学者は夢を語る。

 人類にとって未だ手つかずの分野を、自ら切り開くこと。

 そこに意義を感じるのだと。


 女盗賊は、彼の夢になどなんの関心もないし、何も感心はしない。

 でもそれで構わなかった。

 これは仕事だ。


 ――だけが彼女の存在意義である。


「わかった。引き受けよう」


 小さく頷いて女盗賊は言った。

 自分の能力がそれに足るものであれば構わないのだ。


「ありがとう! 条件面はのちほど詰めさせてもらうけど……いや助かったよ。なかなか引き受けてくれる冒険者がいなくってさ」


 そうだろうな、と少女は思う。

 迷宮管理局に届く冒険者用の個人依頼は、基本的に、ダンジョンに入らない間の仕事として存在している。

 そこで《素人を連れてダンジョンに行け》と言われても困るのだ。


「これからよろしく、――盗賊さん」


 笑顔を浮かべ、学者は右手を少女に向けて差し出した。

 引き受けた以上は一応、彼は雇い主だ。多少の経緯は必要だろう。

 そう考えて、少しあってから、彼女はこう答えた。



「――よろしく頼む、学者殿」

「……、ははっ……!」



 その呼び方がおかしかったのか、なんなのか。

 学者は破顔すると、なぜかとても嬉しそうな表情で、彼女に大きく頷いた。


 その意味は、少女にはまるでわからない。

 そして訊こうとも思わない。

 確認することがあるとするなら、それはあくまで仕事のため。


「学者殿。それはそれとして、なぜ本の中に埋まっていた?」

「あ、……ああ、あれ?」

「あれから出られないとは身体能力がだいぶ不安だ。懸念があるなら先に――」

「いや、いやいや! そうじゃないよ!」


 慌ててぶんぶん首を振る学者。

 念願の依頼がせっかく成立したのに、こんなことで信頼を損なっては大変だ。


「いやまあ、不注意ではあったんだけどね。普段は読まない本を棚の奥から取り出そうとしただけなんだけど……」

「……?」

「昔、本棚に盗難防止のための魔法をかけたことを、うっかり忘れててね。自分でそれを踏んじゃって、雪崩に巻き込まれたってわけだ。……確かに情けないところを見せたね」

「盗難防止の魔法……」

「うん。書物が拘束になって、誰かに引っ張り出してもらわないと動けなくなる魔法ってわけなんだ。怪我をさせないようにしてて助かったよ、我ながらね……」

「――――――――」

「まさか二時間も閉じ込められるとは思わなかった。踏んだのが今日でよかったよ本当」


 さすが、護衛ひとりで自らダンジョンに入ろうとするだけはある。

 確かに間抜けなエピソードではあるが、魔法そのものの技術力は相当に高いらしい。


 その場にある書物を利用して、怪我をさせずに完全拘束する――しかも魔法使いである当人が自力で抜け出せないレベルでありながら、助けがあればすぐに出られる拘束魔法。

 魔法使いではない女盗賊でも、その恐ろしいまでの難しさは察しがついた。


「いやはや……今日は依頼を受けてくれる人が来るって聞いていたから、せめて初対面の印象くらいよくしようと思って本を探したんだけど、まさか逆効果になるとは……」


 ある意味で実力の印象はついたけれど。

 それよりも、少しだけ気になったことを女盗賊は訊ねた。


「印象をよくしようとして、本を……?」

「なんでも魔法で解決するのは、よくないかもしれないけどね」

「魔法……で、印象を……」

「うん。確か、蔵書のどこかに対人コミュニケーション向けの日用魔法の本が――」

「――学者殿」


 聞き捨てならない言葉を聞いた気がして。

 女盗賊は、気づけば少しだけ大きな声を出していた。


「ど、どうしたの、盗賊さん?」


 面食らった様子の学者。

 それに気づけず、――女盗賊は言っていた。



「そ、その。……その魔法は、他人にかけることはできないのだろうか?」

「――え? それって……つまり」



 そこまで言ってしまってから、はっとして女盗賊は冷静になる。

 何を言っているんだ。少しだけ頬を赤らめながら、誤魔化すように彼女は言った。


「す、すまない。なんでもないんだ。忘れてくれ」

「……その。たとえば《笑顔が魅力的になる魔法》とかなら――」

「忘れろと言った」

「でも、」

「忘れろ」

「……はい」



 若き学者と盗賊の少女は、こうしてお互いに契約を結んだ。

 ダンジョンに入り、その謎を解き明かすという――遥か彼方の夢を目指して。






■今回の魔法:笑顔が魅力的になる魔法

 笑うと、顔の周りなどにキラキラした粒子が輝くようになる魔法。

 魅力を増すと言われているが、そもそも笑わない人間にはあまり向いていない。

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