1-11『スマイルスライム』

「ここは穴場なんだよな、実は」


 唐突に、ベテがそんなことを言い始めるのを新米は聞いた。


 ダンジョン九階層。

 この《第十八番迷宮》の中では、だいぶ深層にまでふたりは降りてきたところだ。


「はあ……九階層が、ですか? ここに何かレアな魔物が湧いたりするんでしょうか」

「いやすまん、そうじゃない。この階層じゃなくて、ダンジョン自体の話だ」

「そうなんですか? あんまりそんな感じしないですけど……」

「まあ、お前はたぶん知らないんだろうが。冒険者は、意外と縄張り争いが激しいんだ」

「縄張り争い?」


 まったくピンと来ません、という表情で新米は首を傾げる。


 冒険者を志して最初にやって来た迷宮がここだと彼女は言っていた。

 そのせいだろう。


 正直、詳しく教えなくてもいいことではあると思うが。

 ベテは簡単に告げる。


「まあ世の中、商売敵はなるべく少ないほうがいいと思うタイプの奴もいるのさ」

「えっ。もしかしてそれ、自分が普段潜ってるダンジョンに、ほかの冒険者が来ないよう談合してるような連中がいるってことですか?」

「意外と察しがいいな。ま、残念ながらそういう話だ。七大迷宮クラスのデカいトコや、逆にここくらい規模の小さいところだと、そういうのに絡まれなくて楽なのさ」

「まあ確かにこの町の冒険者は……」


 ――控えめに言っても、相当にレベルが低い。


 まだまだ新米の彼女ですら、単に実力だけ見たら上位層――いや、下手をすればすでにベテの次には強いかもしれない。

 この町の冒険者は、いつも潜ってせいぜい五層程度。

 本当にそのレベルの実力だ。


「まあ、無理もないんだ。ここの連中は大半が、もともとただの一般人だった」

「そうなんですか?」

「……お前、王国に迷宮がいくつあるか知ってるか?」

「えっと……確か二十か所くらいでしたっけ」

「正確には十九だ。つまりこのダンジョンは国内で二番目に新しいダンジョンなんだ」

「へえ……それは知らなかったです」


 ベテの隣を歩きながら、なるほどなあと頷く新米。それから、


「でも、新しいなら普通もっと人気ありそうなもんですけど」

「新しいっつったってもう結構前だしな。それに十九番が直後に見つかった」

「人気を取られた、と……?」

「いや、必然の流れではあったと思うぜ。この十八番迷宮は、国内の全ダンジョンの中で最も規模が小さく、レベルが低い。そもそも誰も、わざわざ来ようとしないのさ」


 その小ささと言えば、このダンジョン全層の総面積が、《第一迷宮》第一層よりも狭いというレベル。

 ママックみたいなレアモンスターなど、年に一度出るかどうかだ。


 一日あればいちばん奥まで行って戻ってこられるダンジョンなんて、ここ以外には存在していない。

 もちろん、その実力があること前提ではあるが。


「わたしみたいな新人の訓練には、むしろよさそうですけどね」

「どうだろうな。どんなダンジョンでも、結局は低層の魔物は弱いんだ。それなら実力が上がるたびに深く潜れる、デカいダンジョンを選ぶだろ」

「ああ……なるほど」

「ここは田舎だが、数日もあれば余裕で王都につける距離だ。それなのにこの過疎っぷりってのが、穴場たる所以なんだよな。結構、温泉とかもあっていい町なんだが……」

「それは確かに。お風呂がいいのがいいところです、ここは」

「お前、確かついこないだまでは『温泉の何がそんなにいいんですかあ?』とか言ってた気がするんだけどな。宗旨替えが早いじゃねえの」

「あの頃はわたしも若かった……」

「都合いいなあ、お前」


 ベテに突っ込まれるが、故郷にいた頃は温泉なんて知らなかったのだ。仕方がない。

 新米自身、まさか冒険者になってから温泉好きに目覚めるなんて思わなかった。


「お前も、ここを踏破したらほかに行くべきかもな」


 近いうちに、このダンジョンで教えることもなくなるだろう。

 そう考えて提案するベテだが、新米のほうはこの先をまだ考えていないらしい。


「はあ、そういうものですか」

「この先も冒険者として喰っていくつもりだったらな。まあ、どこもこのダンジョンより危険なところだから、まだ先の話ではあるが。いつまでもこの町に留まらないだろ?」

「…………」


 ふと、じとーっとした視線で何かを訴えかけてくる新米にベテは気づく。


「……なんだ?」

「いえ。結局、先輩次第だなと思いまして」

「あ? どういう意味だそれは」

「さあ。それより、そのときには《新米》って呼び方を卒業したいんですけど――」

「……それはまだまだ早い。三年後に言え」

「せんぱいばかきらい」


 むくれる新米を見て、思わずベテも苦笑いを零す。


 彼女がこの町に来てから約三か月。なかなかに濃い日々だったと振り返って思う。

 ひと目見て有望な奴だとはわかったが、こうして完全に付きっきりで教えることになるとは考えていなかった。

 怠惰に過ごしてきたこれまでの日々に、忙しさを取り戻すほど。



 ――わたしに冒険者を教えてください。



 突然この町にやって来た少女が、いきなりそう頼んできた日のことを思い出すベテ。


 普通だったら、絶対に受け入れなかっただろう言葉。

 けれど今となってはもう、彼女がいて当たり前になりつつある。


「先輩」


 ふと新米の声が耳をくすぐり、ベテは顔を上げる。

 見れば彼女の正面――通路の先に、何か小さな塊のようなものが見えた。


「スライムです、……よね?」


 新米が言った通り、それは一見してスライムのようなゲル状の魔物に見える。

 だがスライム種の特徴とは少し違いがあった。

 本来は半透明であるはずの体色全体が、真っ白に染まっているのだ。新米が確認して訊いたのはそのためだろう。


 はっと顔を上げて、難しい表情でベテは言う。


「……マジか。まさかコイツと行き遭うとは……!」

「先輩?」

「俺も見るのは数年振りだ。このダンジョンにも湧くとはな」


 明らかに警戒した様子のベテを見て、新米少女も自然と身構える。


「このスライムは……」

「ああ」


 息を呑み、小さく頷くベテ。

 そして彼は言った。



「ヤツはスマイル」

「あっ、またこのパターン!」



 ――ダンジョンお馴染みのトンチキ与太魔物。

 何が嫌って、ふざけた生態のくせにだいたい厄介なのが嫌。


「なんですか今度は? 笑顔なんですか?」

「ん? お前は何を言っている? スライム種に顔はないだろう、どう見ても」

「だから、なんでわたしがおかしいみたいな流れですか、毎度?」


 不服さを露わにする新米だが、とはいえ状況を軽視することはできない。

 なぜならベテの様子が、珍しいほど緊張しているからだ。


「落ち着けよ。不用意に近づくな」

「……そんなに危険な魔物なんですか?」

「いや」


 首を横に振るベテ。それから、


「スマイル……正確にはスマイルスライムは、大人しくて危険性の低い魔物だ。スライム種に特有の溶解能力もないから、素手で触っても問題ない」

「あれ?」


 それならベテが緊張している意味がわからないのだが。

 きょとんと首を傾げる新米の目の前で、ふとベテが懐から何かを取り出す。


「持っててよかった、空き瓶」

「……なんで持ってるんですか、そんなもの?」

「こういうときのためだ。捕らえるぞ!」

「捕らえる!?」

「こいつは魔力結晶じゃなく、その周囲のゲル状の部分が高く売れるんだ」

「そうなんですか!?」


 ちょっと意味がわからなかったが、高く売れるのひと言で新米も割と乗り気になる。


 言うてコイツも大概だよなあ――と思いながらもベテは頷き、


「スマイルのゲル部分はいい薬になるんだよ」

「ほえー……そうなんですね。こんな見た目なのに……」


 いやまあスライム類の見た目なんて、どれも色くらいしか違いがないのだが。

 とはいえまさか、薬になる魔物がいるとは想像していなかった新米だ。


「……あれ、でも魔物の体って……つまりスライムでいうゲルの部分って魔力ですよね? それをどうやって薬の材料にするんですか?」

「ふむ。もちろん説明してやってもいいが、まずは捕まえてしまおう。せっかくの幸運を逃がすのは惜しいからな。――まあ、よほどじゃない限りは捕まえられるだろうが」

「ああ、それはそうですね。了解です先輩」


 不定形のスライム類は基本的に動きが鈍いが、いざとなると自ら溶け出して迷宮の壁や床にことがあるのだ。

 迷宮自体そもそも魔力であるからこその、一種の反則。

 魔力体を構成する核となる魔力結晶ごとの溶解はスライム類に特有の特殊能力だ。


 害がない代わりに無敵になる最終手段――その場合、捕獲はもちろん討伐もできなくなる。


「どうやって捕らえます?」

「よし。スマイルの奥側に向かってナイフを投げてくれ。音でこちらにおびき寄せる」

「それでビビッて染みちゃったらどうします?」

自己溶解アレはスライム系の最終手段だ。再生にかなり時間がかかるから、よほど窮地じゃない限りまず使わない……はずだが、もしそうなったら運が悪かったと諦めよう」

「なるほど」

「大丈夫、スマイルを見つけた時点で運は向いてる。俺たちがこれ以上、接近するほうがスマイルを警戒させるだろう。……やってくれ」

「了解です。――それっ」


 軽く腕を振って、新米は無造作に持っていた短剣を放り投げた。


 わずかに弧を描いて、それがスマイルよりも向こう側に落っこちる。

 カツン、と迷宮に硬質な音が響き渡り、音に反応したスマイルが、見事にこちら側へと移動し始めた。


 そのときにはもうベテは駆け出している。


 一気にスマイルと距離を詰め、手のひら大の空き瓶の蓋を開けて待ち構えた。

 ベテの側へにじり寄ってきた巨大スマイルは、瓶の入口に触れた途端、まるで自分から吸い込まれていくかのように、サイズを縮めてすっぽりと中に納まっていく。

 それにしっかりと蓋を閉めてから、ベテは新米を振り返った。


「捕獲成功! やったぞ新米、こいつは大儲けだ」

「…………」

「ん? どうした、あんまり嬉しくないのか」


 笑顔で振り返ったベテだったが、新米はなんだか難しい顔をしていた。

 そのわけを訊ねてみると、少女はなんだか実に微妙な表情で。


「や、そういうわけじゃないですけど。なんかこう、物理法則を無視した光景だな、と」

「そりゃ今さらだろ」

「まあ、そうですけど。でもだってほら、体積とか三十分の一くらいになってますし」

「スライム類のサイズは《気分》だ、仕方ない。元気だと膨れるし、怯えると縮こまって狭い場所に潜り込もうとする。その生態を上手く利用したスマートな捕獲だったろ?」

「わたしも気分で痩せられるようになんねえかな……」


 魔物なんて大概どれもこれもイカレた生態をしているが、スライム類は群を抜くなあ。

 まだまだダンジョン初心者の新米は、こういう常識外れの光景にいちいち引っかかってしまうタイプだ。

 ていうか、慣れきって当たり前ヅラしているベテが怖い。もう。


「まあでも、確かにこれで儲けたわけですしね。素直に喜びますか!」

「だからって今度は《氷結弾の魔法アイスボール》とか買いに行くなよ」

「ヒトの失敗を擦らないでくださいよ! うるさいな、もうっ!」

「はっはっは!」

「…………」


 からからと笑って誤魔化すベテだった。


 ――これは、思ったよりもだいぶご機嫌みたい。


 新米にはちょっと意外だった。

 ダンジョンの攻略に慣れているベテは、多少のことではここまで喜ばない。

 ともするとこれは、思った以上にラッキーな事態なのかもだ。


「先輩。スマイルって、ママックの魔晶とどっちが高く売れます?」

「比べるのもバカらしいくらい圧倒的にスマイルだな」

「そんなに?」

「ほかのダンジョンならママックは割と出るし、落とすのもただの魔力結晶だ。ちょっとサイズがいいからこの町じゃ値がついたが、同程度以上の魔晶を持つ魔物も普通にいる」

「まあ、言われてみればそうかもですね」

「対してスマイルは相当レアだ。ここ数年はもう幻の魔物ってレベルだし、そもそも素材として非常に優秀だ。スマイルなしに同じレベルの回復薬は……まあ、まず作れない」

「回復薬、ですか……?」


 使ったことがないのでピンとは来ない新米だったが。

 とはいえ普通の薬を、あえて回復薬と呼ぶことは基本的にないだろう。


「てことは、スマイルは魔法薬の素材ですか」

「ああ、そういうことだ。だから魔物でも材料にできる」

「なるほど……ようやく納得しました」

「効果もヤバいぞ。腕の一本くらいなら千切れたって生やせるレベルだからな」

「すごっ!?」

「まあ、その分だけ作るのは難しいんだがな。ゲルに込められた魔法式から有害な部分を取り除き、機能を壊さず薬に転写する。言うのは簡単だが、一流の魔法薬学者じゃなきゃまず作れない薬だ。……だから高く売れるとはいえ、売る先があんまないんだよなあ」

「へえ……」

「スマイルは再生能力が非常に高い。その自己再生の魔法式を薬に込めるんだが、これがそのままだと人間には毒でな。だから魔法式を改変して無害化するわけだ。本当は、同じ魔法式を一から構築できればスマイルもいらないんだが、人類はまだそれができない」


 スマイルが、非常に高額で取引される理由の半分がこれだ。

 現代の魔法使いでは、自力で構築できない《肉体を再生する魔法》の魔法式――それを持っている魔物だからということ。

 もう半分は、そもそもスマイルが希少レアだからである。


「まあ、いずれどこか大きい街にでも行って換金しよう」

「……そうですね、楽しみになってきました! これ結構なお宝ですよね……!」


 新米は、改めてベテが持つスマイル入りの瓶を見る。

 白いスマイルが中に入ったその瓶は、今見るとなかなかに――



 すごく牛乳だ。



「…………」


 どうしよう。

 めっちゃ牛乳に見える。

 ていうかもう牛乳にしか見えなくなってきた。

 牛乳だよコレ。

 瓶の中が似合いすぎでしょ。


「見た目あまりにもミルクですね、こうして見ると……」

「……確かにそう見えるな。まずい、俺もミルクにしか見えなくなってきた」

「ん、んんっ!」


 誤魔化すように咳払いなどしてみる新米。

 なんでこう迷宮産の与太魔物どもはいちいち緊張がないのか、という思考に蓋をして。


「ともあれお宝はお宝です。なるほど、この魔物がスマイルと呼ばれるのもわかりますね」

「……ん?」

「え? だって高く売れるし、めちゃめちゃ効く薬にもなるなら、そりゃあ手に入れたら笑顔にもなりますよって話で――」

「いや、スマイルの名前の由来はそうじゃない」

「――はい?」


 きょとんと首を傾げた新米に、ベテは目を伏せて言った。



「あまりの中毒性の高さに依存症を患った連中が総じて恍惚の表情だったからだ」

「ここに来て明かされる最悪の真実!」



 聞きたくなかった。

 あとそんなものを手に入れて喜んだ数秒前の過去も抹消したい。


「まあ、だいぶ昔の話だがな。まだスマイルがそこまで数を減らしてない時代は、同時にスマイルの魔法式の無毒化が確立されてない時代でもあった」

「…………」

「そんな時代に、なんとかスマイルの回復魔法式を利用しようと、そのまま飲んでみたり温泉に混ぜて浸かってみたり、いろいろ試したらしいんだが。そういった連中は、総じてスマイルの毒性にやられた。依存して幻覚を見たり、悪いと肉体がスライム化したりな」

「……あぁあ、想像したくないぃ……!」

「だがそういった連中はみんな、まるで天国にいるかのように満面の笑顔だったという」

「だからネーミングをした奴は本当にどういうセンスだったんだっつー」

「かくしてスマイルは乱獲されたが、やがて無毒化の方法が見つかり、今では資格を持つ一部の魔法薬学者だけがスマイルの扱いを許されている。とまあ、そういう歴史だ」


 新米は想像してみる。

 白濁色な温泉に恍惚の表情で浸かりながら、徐々に溶けていく人間の姿を。



 うん。最悪っ☆



 考えてみれば、ただのスライムは色違い程度だと同じ名前だった。

 わざわざ名前を分けられている時点で、何かあると疑ったほうがよかった気がする。



「ミルクと間違って飲むなよ?」

「しばらく飲めませんよミルク」



 スマイルを浮かべて、新米は答えた。






■今回の魔物:快楽性粘体スマイルスライム

 スライムの一種。見た目はミルクプリン。なかなか美味しそう(一見)。

 スライム種では群を抜く、驚異的な自己再生能力を持ち、その魔法式を再利用する形で致命傷すら治癒できるほどの凄まじい回復薬を作成できる。

 が、スマイルには中毒性と依存性があり、酷いと快楽とともに溶解する。物理で。

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