1-10『ダンジョン』
『――えっ、いやダメですけど普通に』
と、普通に言われてしまった。
迷宮の入口にて、王国迷宮管理局職員の言葉である。
「ははは、参ったね! まさかダンジョンに入る段階で躓くとは思わなかったよ!」
あくまで愉快そうに勇者の青年は語る。
が、割とこれは死活問題だ。
金銭面というか、連れてきた魔法師の沽券的に。
天才って触れ込みは、何かの間違いだったのかもしれない。
「す……すみません。まさか入口で止められるとは……」
――ダンジョンには誰でも入れるものだと思い込んでいたのだ。
まさか止められてしまうとは思わなかった。これは明確に魔法師の落ち度だろう。
いや。正確なことを言えば、ダンジョンには事実誰でも入れる。
これは基本的に正解だ。
特に資格はない。
凶悪な魔物や、恐ろしいトラップが多数存在するダンジョン――その立ち入りを資格制にできるほど冒険者は人気のある職じゃないからだ。当たり前だが。
ただ《七大迷宮》クラスともなれば話も別だっただけ。
『え、ダンジョンは初めて? 初めてで第一迷宮? ……いや、さすがにそれはちょっと考え直したほうがいいですよ……。ただでさえ未踏破迷宮は危険度が高いですから、もう少し簡単なダンジョンで経験を積んで、慣れてからまた改めていらっしゃってください』
受けつけの職員に、ごく真っ当な善意で制止されたふたりである。
無理を言って押し切ることはできただろうが、さすがにそれは人としてどうか。
「私が迂闊でした。確かに初めは、もっと危険度の低いダンジョンにすべきでしたね」
頭を下げて魔法師は謝る。
――召喚されたこの勇者の青年に、それなりの戦闘能力があるのは確認済みだった。
何かしら、剣術を修めていたのだろう。
剣士としての実力は低くなく、
『とてもではないが伝説の勇者の実力ではない』
所属する《愚者の樹海》が下した最終判断はそのようなものだったが、これは初めからハードルのほうが高すぎるだけで、青年の実力自体は決して疑いようのないものだ。
これなら冒険者として食べていけるはず。
そう判断した魔法師の少女も間違ってはいなかっただろう。
誤算だったのは、彼女が過去に初めて入ったダンジョンが七大迷宮の一角だったこと。
――それが許されたのは、彼女が《特級魔法師》だったからということだ。
「ふむ。しかしダンジョンに入れないとなると、どうしようか?」
「そうですね……」
と、考え込むように目を伏せる魔法師。
ふたりは現在、迷宮都市トラセアの一角にある飲食店を訪れていた。
宿を取り、いざとばかりに迷宮へ向かうも、こうして出鼻を挫かれてしまった。
だから仕方なく食事にしつつ、これからの方針を相談する流れだ。
「まあ、しばらくは私がひとりで潜るか――」
「それは却下がいいかな」
ひとまず告げられた魔法師の案に、勇者は即座に首を振った。
「勇者様、それはどうして……?」
「別にダメではないけれどね。先生ひとりに任せるのは、僕としてはちょっと」
「……先生という呼び方はどうにかなりませんか」
「なら君のほうこそ、勇者様って呼ぶのはやめてくれないかな?」
「…………」
「僕は今いる世界のことをほとんど知らない。それを教えてくれるんだから、先生だよ」
平行線以外を辿らないやり取り。
諦めとともに息をつき、首を振ってから魔法師は言う。
「では勇者様」
「君、結構強情だよね」
「貴方に言われたく――いえ、すみません」
「…………」
思わず反論しそうになった魔法師だが、勇者が笑っているのを見て口を閉ざした。
仲よくなるとか、親しくなるとか、そういうつもりは一切ない。
感情を挟まずただ粛々と、己の責任を果たすだけ。それが彼女の方針である。
「で、何かな? 先生」
「……そもそも、勇者様はダンジョンのことをほとんど知りませんよね」
「まあ、正直に言えばそうだね。魔物がいるとか、そういうことなら想像はつくけど」
「おおむねその通りです。魔物は、あくまでもダンジョンの内部だけにいる存在で、外の世界の生態系とはなんの関わりもない超常の概念です」
「外の世界……?」
妙な表現に目を細める勇者。魔法師は小さく頷く。
「――ダンジョンの内部は異世界とされています」
「異世界……」
「ええ。私たちがいるこの世界とは完全に別種の世界。勇者様も、入口を見たのですから想像はつくかもしれませんが」
「……ああ。確かに、正直に言うとだいぶ意外ではあったね」
思い出すように目を細める勇者。
さきほど向かった迷宮管理局の施設は、それなりに大きな建物ではあったが、あくまで常識の範疇だ。
どこを見渡しても、ダンジョンなんて呼べるような大きな建造物はない。
「そもそも、こんな大きな街の中にダンジョンがあるって時点で不思議には思っていたんだけど――あ、すみません店員さん。コーヒーお代わり」
注文が住むのを待ってから、続けるように魔法師は言った。
「正確には《ダンジョンがある》ではなく《ダンジョンの入口がある》ですね。この街は」
そこにあるのは、ただの扉だ。
いや、それも正確な表現ではない。
扉はあくまで後づけであり、ダンジョンの入口とは何もない空間にただ存在するだけの平面だ。通過すると迷宮に到達する鏡面空間。
「どうして異世界ってわかるんだろう? あ、ありがとう、店員さん」
首を傾げて問う勇者に、こくりと魔法師は頷き。
「単純に、ダンジョンとされる空間が、この世界のどこにも見つかっていないからです。あれほど大きな建造物がこの世界のどこかにあったら、見つからないとは考えづらい」
「……なるほど。確かに単純だ」
「もちろん、世界中全てを探したわけではありませんが。目視にせよ魔法にせよ、外からダンジョンの入口以外の何かを観測できたことは、過去一度もありません」
この世界のどこにもないのだから異世界だとしか考えられない。
言ってみれば、根拠としてはその程度だ。おそらく間違ってはいないだけで。
「現状、ダンジョンとされる異世界は、何かの大きな建造部の内側……と思しき空間しか存在していません。ダンジョンから見た《外の世界》は観測できていないわけです」
「入口しか出口がない、ってことかな」
「そういうことになります。全てのダンジョンの壁面は、いかなる手段によっても破壊が不可能で、どうあっても《外側》に到達できない」
「…………」
「そういう意味では、ダンジョンに関しては何もわかっていないも同然ですね」
「そんなものが国中にあるってのも恐ろしい話だね……あ、店員さんコーヒーもう一杯」
「飲むの早すぎないですか?」
「美味しくて」
「…………」
まあ気に入ったのなら構わないけれど。
かぶりを振って話を戻す。
「とはいえ基本的に、ダンジョンは入りさえしなければ外には安全です。割と」
「割とかあ。――おっと、どうも店員さん。とても美味しいので気に入りましたよ」
店員に微笑みかける勇者を、魔法師は押し殺した無表情で見つめる。
――考えてみればかなり美形の青年だ。
金糸の髪はなめらかで、その下に映える蒼い眼は宝石のよう。
剣士にしては細身の体も頼りなさとはまるで無縁で、この整った顔立ちに微笑まれた女性店員は顔が真っ赤だ。
残念なのは、ホットコーヒーをがぶ飲みしていることくらいだろう。
お冷やか何かと間違っているのかと疑いたくなる。
「それで。ということは、何かしらダンジョンの外にも危険が?」
「……いえ、そういうわけではないのですが。ただダンジョン内の魔物は、倒さないまま放置しておくと個体数を増やします。今のところ前例はありませんが、もしも増えすぎて外にまで出てきたら大変なことになるため、基本的には冒険者たちが数を減らします」
その報酬として、ドロップする魔晶の類いを売却した金を得る。
冒険者にとっては個人的な稼業だが、大きな目で見れば公共的に意味があるのだ。
もちろん、場合によっては王国公式の騎士団や魔法師隊が出ることもある。
もっとも、ダンジョンに魔物が増えすぎる――なんて事態が起きたことも、ほとんどないのだが。
「魔物かあ……」
どんな想像をしているのだろうか。少し真面目な表情で勇者は呟く。
ダンジョンに入ったことはないということだから、魔物を見たこともないはずだが。
――いや、でも確か
「野生の獣となら、戦ったことがあるけれど。僕の生まれは田舎だったからさ」
懐かしむような様子で、勇者はそんなことを語った。
その目は、ここではないどこかを見ているかのように思える。魔法師には何も言えなくなってしまった。
――彼を故郷から引き離し、別次元へと拉致したのは彼女の魔法式だ。
「……魔物を生き物だとは考えないほうがいいですよ」
「それは、心構え的な話?」
「どちらかと言えばもっと根本の話です。魔物は……アレは生物というよりは、概念や、あるいはそう、現象とでも言ったほうが近い存在ですから」
「現象……」
「意思や本能があるわけじゃない。ただそういうモノであるというだけ。そう考えるのが最も本質に近い、と今は考えられています」
――まあ、確かなことはわかりませんが。
つけ加えるように魔法師は言う。
ダンジョンの中にしか存在しない上、死んでも遺体を遺さず、何より個体差があまりに激しい。
そんな存在を、包括して研究することは非常に難易度が高いのだ。
ともあれ、そうして概略を説明した魔法師に、勇者はこくりと小さく頷いて。
「あ、店員さんコーヒーもう一杯貰ってもいい?」
「貴方は内臓が鉄でできてるんですか?」
運ばれてきたばかりのアツアツのコーヒーが、なぜこんな秒速で飲み干せるのか。
もはやちょっと気になってきた。ていうかさっきから飲みすぎだろ。
「うーん。ここのコーヒーは本当に美味しいね」
再び注がれたお代わりに、勇者は満足そうな表情で目を細める。
「そんなにコーヒーが好きだったんですか?」
「ん? いや、どうかな。初めて飲んだからつい気になって」
「そうですか……」
ならここのが格別に美味しいかはわからないと思うが、指摘するのも野暮だろう。
少女に言わせれば別に普通だが、当人が気に入っているならそれでいい。
正直、コーヒーは一杯でもそこそこの値がするのだけれど。
たぶん、わかっていないのだろう。
魔法師には、今さらそれを指摘する気がなかった。
「……さて。以上がダンジョンや魔物に関しての大まかな概要です。まあ実際、これらを知ったところで特に役には立たないでしょうが。一応、常識の範疇として説明しました」
「いや、大変参考になったよ。ありがとう、先生」
「…………」
冒険者界隈で《先生》と言ったら、それは主に《骨》とかを指す言葉なのだが。
そんなことを考えている魔法師の前で、勇者が最後のコーヒーを飲み干す。
「さて、じゃあそろそろ出ようか」
「そうですね。私は会計を済ませてきます」
こくりと頷き、それに続けて勇者は。
「それで、これからどうしようか? 別の町のダンジョンにでも行ってみる?」
「ああ……そうですね。そうやって実績を作るのが正攻法ですし、こちらでもいろいろと調べておきます。あまり冒険者同士の縄張り争いには巻き込まれたくないのですが……」
「うん?」
「余所者の冒険者が、自分が潜っている迷宮に来ることを嫌うんですよ、彼らは。競争が激しくなると稼ぎが減るかもしれませんからね。この街なら大丈夫だと思ったんですが、ほかのところのダンジョンに入って逆恨みされるのは、あまり面白くないでしょう」
「なるほどね。できれば早いところ、実戦を経験しておきたいところだけど」
「そうなんですか?」
「うん。せっかくいい武器も手に入ったしね。――それに、コーヒー代も稼がないと」
「……でしたら、がんばって働かないといけませんね」
「あれ……もしかして、コーヒーって実は結構高かったりするのかな」
「どうでしょう。まあ私にも伝手はあるので、どこか別のダンジョンがある町に移動することも視野に入れましょうか。移動ばっかりで申し訳ないとは思いますが――」
「いっしょに来てくれるんでしょ? だったら僕は大丈夫」
「……そうですか」
淡々と答え、魔法師は感情を表に出さなかった。
組織の命令でもあるとはいえ、過去の生活を捨てているのは彼女も同じだ。
その点について、お互いにどこまで触れるのかは微妙なところ。
――勇者と魔法師の冒険は、ある意味では、まだ始まってもいないのかもしれない。
「ところで今日は贅沢をしましたので、次の旅では節約していきますよ」
「……その場合は、次から注文をする前に教えてほしいなあ」
■今回の用語:
この世界ではないどこかにあるラビリンス。
異なる常識が支配する異世界。詳しいことは何ひとつとしてわかっていない。
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