1-08『魔剣ドラッグオンソウル』前編

 淡い水色の短髪と、それに近い色味を持つ透き通った双眸。

 齢十九にしては背の低い魔法師の少女の外見で、特徴的な部分を挙げれば、その辺りが真っ先に出てくるところだ。

 どこか人形のような愛らしさを見る者に感じさせる。


 ただやはり、最も印象的なのは、変化の乏しい透明な表情であろう。


「……………………」


 黙り込んでいる魔法師から、感情を読み取るのは難しい。

 勇者をクビになったばかりの青年は、無言の彼女の意図を読み取ることを諦めた。


 いつも通りのローブ姿に、いつも通りの無表情。

 違いは発せられている謎の圧くらい。


「……怒ってる?」

「――いえ」


 恐る恐る訊ねてみると、魔法師の少女は端的に否定を返した。

 この反応は怒ってる人の反応じゃないかなあ、なんて青年は思うのだが、それを言葉にするほど無謀ではない。

 実際、本心から言っているようにも見える。

 つまりわからない。


 仕方なく続きの言葉を待っていると、やがて彼女は言った。


「すみません。ちょっと、意味がわからなくて」

「いや。――だから、できたら剣を買いに行きたいって話なんだけど」


 迷宮都市トラセアに訪れて、明けて一夜。

 晴れた空の下、勇者は『剣を買いに行きたい』と魔法師に伝えたのだ。

 その反応が無言&無表情だったことに困惑する勇者だが、実のところ困惑しているのは魔法師の側も同じだった。


 なぜなら、――勇者はもう剣を持っているのだから。


「ええと……何かの比喩なのでしょうか?」

「いや、言葉の通りなんだけど」

「でも勇者様は、もう剣を持っていると思いますが」

「一応は、まあそうだね。ただこれ、先生のとこで借りただけのものだし」

「そうですが」

「これから冒険者になるんだし、自分用の剣が一本欲しいな、って思って――……」


 なんだか徐々に言葉尻が窄んでしまった。

 まるで自分が、子どもじみたわがままを言ったみたいな気分だ。


「剣を二本使うというわけでは……?」

「使えないことはないけど、別に二刀流は専門じゃないね」

「予備でも……ないんですよね?」

「まあ、武器が壊れることは想定しておくべきだろうけど。今は違う」

「……よくわかりませんが」


 持ってるものをそのまま使えばいいじゃないか、と思っていることだけはわかった。

 それはまあそれでその通りなのだが、旅に出る前に借りてきた直剣は、業物と呼ぶのはおこがましい――どころか相当なの類いであり、正直言って心許ない。

 名剣とは言わないが、せめてもう少しくらいマシな得物を手に入れておきたいところ。


 と、思うのだが、どうも魔法師の少女はピンと来ていないらしい。


「なるほど」


 それでも少しの間があってから、こくりと魔法師は頷いた。

 彼女なりに、勇者の言ったことを解釈したらしい。


「つまり勇者様は、今持っている剣よりも質のいい剣が欲しいということですね」

「……まあ、言ってしまえばそういうことかな」


 少し迷ったが、勇者は問いに頷きを返した。

 その表現だと単に強い武器を欲しているだけみたいだが、確かに間違ってはいない。

 だから肯定したのだが、するとなぜか、無表情だった魔法師は少しだけ笑って。


「わかりました。それでは買いに行くとしましょう」

「いいの?」

「ええ。剣のことはわかりませんが、勇者様がそう仰るのなら」

「そうか。悪いね、ありがとう」


 礼を告げて勇者は微笑む。


 現状、勇者は稼ぎを――というかお金を持っていない。完全な無一文だ。

 つまり事実上、魔法師のヒモである。


 ヒモ勇者の身分で「剣を買ってほしい」と頼むことには抵抗があったが、しかし今後は魔法師とパーティを組むことになる以上、前衛を務めるのは勇者の役目になる。

 他人の命を背負う以上は妥協できなかった。そう考えての提案だ。


「いえ、構いません」


 一方で魔法師は勘違いしていた。

 すでに剣を持っているにもかかわらず二本目を欲している。

 これは勇者が初めて見せた個人的な欲求だ。

 勇者が持っている剣の質が悪いとわからない少女は、そう捉えたのだ。


 召喚されてから一度も見せなかった、初めての要求。

 彼を勇者として召喚したのは彼女ではない。


 だが原因となった魔法式は、間違いなく彼女が汲み上げたもの。

 だからこそ、彼に対して全てを責任を負う義務がある――魔法師はそう考えている。


 しかし勇者は、いきなり呼び出されて帰る方法もわからないというのに、文句どころか交渉のひとつもしてこなかった。

 むしろ面倒を見る魔法師に感謝しているくらいだ。


 それではあまりにも立つ瀬がない。

 だから彼女は、人の好い青年が初めて見せた一種のわがままが、少しだけ嬉しかった。


 信頼してほしいなどとは口が裂けても言えないが、それでも剣が欲しいと言ってくれる程度には、遠慮がなくなったのかもしれない。

 そのくらいのほうがまだ気楽だ。


「では行きましょう。この街なら、武器屋はいくらでもあるはずです」

「わかった。それじゃ、悪いけどちょっと付き合ってくれ」


 照れたように頼む勇者と、元の無表情に戻る魔法師。

 ふたりの意図は根本的にすれ違っていたが、どちらも揃って気がつかなかった。




「この店がいいでしょう」


 と言って、魔法師は一件の武器屋の前で立ち止まった。

 特に目立つような店ではない。大通りやダンジョンの近くには、もっと賑わった様子の店がいくらでもあった。

 ――にもかかわらず、彼女は迷うことなくこの店を選んだ。


「剣には詳しくないって話だったけど……ああ、知り合いがやってる店とか?」


 訊ねた勇者に、魔法師は首を横に振る。


「私に武器屋の友人はいません」


 もっと言えば武器屋以外の友人もいなかったが、もっと言う必要はない。

 それでも一軒の店を指定してきた魔法師に、勇者は不思議そうな表情を見せる。


「じゃあ、なんでこの店に……」

「魔法を使いました。《探し物を見つける魔法》――その拡大解釈です。おそらくはこの店に、勇者様が気に入る剣が売っているかと」

「へえ。そんなことができるんだ……やっぱり魔法って便利だなあ」


 感心しつつも、魔法に詳しくないがゆえに流す勇者。


 だがこれは大きな間違いだ。


 彼女が使った《探し物を見つける魔法》は普通、ちょっとした失せ物探しに使う程度の魔法でしかないのだから。

 それを《求めるものの在処を見つける魔法》として運用できるのは、ひとえに魔法師の少女の技量が卓越しているからにほかならない。

 かなり高度な魔法行使と言える。


「すみません、ごめんくださーい」


 そんなこととは露知らず、勧められるがままに勇者は店の戸を開いた。

 少し後ろに控えるようにして、まるで使用人のように少女も続く。


「ん? ――お、おお、客か? どうもいらっしゃい」


 店の真ん中に立っていた男が、少し驚いた様子で振り返りながら応対する。

 若い男だ。二十代後半ほどだろうか。ほかに店番がいない辺り店主なのかもしれない。


 どうやら店内の清掃でもしていたところらしい。はたきを手に持っている。

 周囲には、剣や槍、盾といった武器が至るところに並んでいる。

 性能がよさそうな品は展示されているが、いかにもひと山いくらといった武器は無造作に置かれていた。


 割と安価な品を扱う店なのだろう。

 品数や質では大きな店舗に及ばない一方、武器の手入れやほかのサービスで差別化しているタイプか――そんなことを、内心で魔法師は判断していた。


「意外と大きな武器が多いね」


 展示された武器を大雑把に眺めながら、勇者は魔法師へそんな風に声をかけた。


「そうですか? 武器は、もともと嵩張るものでは」

「まあ、そう言えばそうだけどさ。ほら、迷宮っていうからには、取り回しとかいろいろあるのかと思って。あんまゴツい武器だと、狭いところで使いにくいでしょ?」

「ああ、なるほど……。それは問題ないでしょう。この街のダンジョンは、勇者様が想像するより遥かに広いと思いますから」

「あ、そうなんだ? それは確かに意外かも」

「部屋も通路も、まるで巨人向けに作ったような規模ですよ」

「なるほど。じゃあもし住処に困った巨人と会ったら、ぜひ転居を勧めてみるよ」

「もう住んでる巨人いますけどね」

「あははは! ……、えっ?」


 思わず魔法師の顔を窺う勇者だが、少女はいつも通りの色のない顔。

 冗談だったのか、それとも本気で言ったのか――冗談を言わなそうではあるけれど。

 生憎と確認する間もなく、魔法師が店主に声をかける。


「すみませんが店主」

「ああ、はいはい。お伺いしますよ。修理ですか? 購入ですか? それとも――」

「剣を探してきました。こちらの方に、いちばん合う剣はどれでしょうか」

「え? ……いや、そう仰られましても……」


 武器屋の男は困惑した様子で、視線を勇者のほうに向けた。

 勇者は苦笑だ。軽く肩を竦めながら、補足するように武器屋に言う。


「ひとまず、オススメの剣があったら見せてもらえませんか?」

「構いませんが……ちなみに、ご予算のほどは」


 この問いには、勇者に先んじて魔法師が答えた。


「――いくらでも大丈夫です」

「…………」


 さすがに怪訝に思ったのか、愛想のよかった武器屋の顔が一瞬だけ引き攣った。

 店主も若いが、客である魔法師と勇者はなお若い。

 この見た目で、金に糸目をつけないようなことを言い始めたら、何ごとかと警戒もされるだろう。

 せめて冷やかしだと思われないように、笑顔を作りながら勇者は言った。


「すみません、お願いします……!」

「……、わかりました。それでは少しお待ちを」


 武器屋の男はそう言うと、ふたりを残して店の奥へと入っていく。

 どうやら奥に仕舞ってある武器を見せてくれるようだ。だいぶ訝しんでいたようだが、それはそれ、ひとまず客とは見做してくれたらしい。




 しばらくして、武器屋の男が戻ってきた。


 その手には一本の剣。

 紫色の布で包まれたそれを、ひと目見て魔法師は目を細める。

 そのわずかな変化に気がつく者はいない。

 勇者は武器屋のほうを見ていたし、武器屋では無表情な魔法師の変化がわからない。


「一応、まずはウチでいちばん高価な剣から見ていただこうと思いまして」

「自慢の一本ですか。それは楽しみですけど――」


 ちらりと魔法師を窺う勇者。

 出立に際して、魔法師の職場である《愚者の樹海》から結構な額を貰っているが、その使用を勇者は基本的に魔法師の裁量に任せている。

 名目上はあくまで勇者のため、一種の慰謝料として渡された金だが、自分が持っているよりはいい、と魔法師を説得したのだ。

 魔法師のほうも、この王国の常識を持たない彼に任せるよりは、と同意して財務大臣に就任。

 以来、このふたりのパーティにおいて、財布の紐は魔法師が握っている。


 ――そしてわかったのだが、この魔法師の少女はかなりの倹約家である。


 旅の間、宿も食事も基本的に最低ランクのものから選ぶ。

 日常において使わなくて済む金ならとりあえず使わないでおく。

 倹約家というか、単に興味が薄いのかもしれない。


 そんな彼女だから、あまり高価な買い物には肯定的ではなさそうだが。


「――――」

「……、ああ」


 やっぱりなんだか機嫌が悪そうだ。

 わずかな差だが、少しだけわかるようになってきた。

 両目が少しだけ細くなっている。


 ――やっぱりもうちょっと安いヤツにしよう。


 モノを見る前に諦める勇者の目の前で、武器屋の男が布をほどく。

 そうして取り出されたのは、一本の真っ黒な剣だった。


 正確には黒い鞘だ。

 サイズはそれなりだが、シンプルで無骨な遊びのないデザイン。

 鞘から覗く柄の部分にも、取り立てて目立つ特徴はない。

 その機能性に特化した造形は勇者の好みと一致するところだったが、地味な見立めの割には存在感がある。


「へえ……」


 さすが魔法で探し当てたお店だけはある、と少し感心する勇者。

 まだ刀身も見ていないのに、それなりの逸品であるのだろうと内心少し舞い上がる。


「どうぞ」


 と剣を手渡され、勇者はそれを鞘から抜き放った。

 いい品だ。剣としての出来云々以上に、重さも長さも勇者にとって相性がいい。


「かなりいいですね」

「おお、おわかりですか! ええ、今なら価格のほうは――」

「――店主さん」


 小さく、そこで魔法師が口を開いた。

 その視線は、あくまで店主ではなく剣のほうに向けたままで。



「――

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