1-07『タスケルトン先生』
「くっ……!?」
その日、珍しく
――ウェスティア第十八迷宮、第二階層。
新米ひとりでも、ほとんど危険はないはずの低階層にもかかわらず、信じられない数の魔物が一気に出現したのだ。
最初こそ、これは今日は稼げるかも! と、むしろ喜びで迎えた新米だったが。
『つかお前マジ才能ねえんだよな』
『辞めたらもうこの仕事? ホンマ実家帰ったほうがエエって』
『なんか、なんか違うんだよな君は。オーラ……そう、オーラってのがないんだわ』
『もっとちゃんとした仕事に就けばいいのに。親御さんに恥ずかしいと思わないワケ?』
『お前ってなんか、負けヒロインって感じの顔だよな(笑)』
ここまでの数のテルハウンドに囲まれては、さすがに対応も必死になる。
「ていうか一匹だけなんか悪口の方向性が違わない!?」
普通にムカつくテルハウンドの喉を、短剣を通して掻き切る新米。
群れに行き遭ったことで、テルハウンドの発する言葉が魔力による重圧を纏っている。
聞かされているだけで動きが鈍るような感覚は、決して精神的な要因ではなく、魔力が物理的に重しになっているから。
――先輩から教わっておいてよかった。
たとえるなら、目には見えない重たい空気の毛布で、上から押さえつけられるような。
『うわっ野暮ったい奴。お前モテないだろ』
「うるっさいなこの犬どもは本当もうっ!」
近場の喋るヤツを斬りつける。魔犬が霧散し、音もなく姿が掻き消えていく。
二桁は数を削ったはずが、それと同数はまだ残りがいた。
一匹削るたびに、次の一匹が跳んでくる。
細い通路を抜けながら、なるべく囲まれないように立ち回る新米だったが――。
唸り声。
『■■■■――ッ!!』
「っ、危なっ!」
繰り返される突進のひとつ。それが、これまでより速度も威力も高くなっていた。
咄嗟に短剣で受けたが、衝撃が強すぎて堪えきれない。
バランスを崩し、新米は後ろに吹き飛ばされる。
「く、ぅ……今のヤツは――!」
どうやらテルハウンドの中に一匹、ヘルハウンドが混じっていたらしい。
ヘルのほうがテルより身体能力が高く厄介なのだが、見た目では差がわからない。
――ああもう、テルだのヘルだのベルだのなんの……ッ!
少女は怒り混じりに腕を振るう。
投擲された短剣が、迫り来るヘルハウンドの眉間を正面から砕いた。
魔力で構成されたカラダが空気に溶けて、あとに遺された小さな魔力結晶がカラリと転がる音が響く。
だが今は戦利品を回収している暇などない。
通路の奥から、すでにもう一体の魔犬が迫りつつあったからだ。
新手を迎え撃つべく、新米はすぐさま立ち上がると、重心を前にずらして前傾し、
『あん、ぽん、たん!』
「どういう語彙力ぅ!?」
真正面から、テルハウンドの顎を蹴り砕いた。
弾き飛ばされるテルハウンド。
魔力で強化された蹴りの一撃は、新米の外見からは想像できないほどの威力を誇るが、果たしてトドメまで刺せたかは怪しいところ。
とはいえ確認している余裕はない。
投げた短剣を回収し、即座に体勢を立て直す。
入り組んだ路地まで逃げ込んだお陰で、続きの足音はまだ遠くに聞こえた。
「ダンジョンの地図、頭に叩き込んでおいてよかった……」
暗記し終えるまで入るな、というベテの教えは窮地で確かに役立った。
だが、このままずるずると進んだところで、さらなる下層へ追い込まれるだけだ。
「――くそぉ、どうする……? こんな冗談みたいなツッコミしながら死ねないって!」
選択肢はふたつ。
魔犬の群れが潜む上層方面の道へ戻るか、開き直って下層方面の道を進んで、ひとまず時間を稼ぐか。
本来なら迷うまでもなく前者なのだが、何かがおかしい気がした。
いくらなんでも、魔物の数が異常に多い。
言うほどダンジョンは魔物で満ちているわけではないのだ。こんなに何度も連戦になることはほとんどない。
途中からどんどん増えているのではないかと思えてくる。
「ダンジョンで異常事態が起きたら、警戒して疑い、理由を探すこと……」
ベテからの教えを思い出す。
おそらく、何かを見逃しているのだ。
見落とすことが致命的になる、何かを。
だがわからない。
違和感の出どころが掴めない。
何より考えている暇もなかった。
あと数秒もすれば、後続の魔犬たちに追いつかれる。
――ここは博打だが、あえて下層のほうに向かってみようか……?
迷宮に存在する魔物の特徴として、連中は自分が生まれた
ダンジョンから外へ魔物が出ないもの同じ理由だろう。
階層さえ移動してしまえば時間を稼げる。
少なくとも、今この第二層にいる魔物たちは、第三層へは降りてこない。
ほとぼりが冷めるまで第三層で待っておくという選択肢は一応、存在していた。
無論、第二層の境界で出待ちを受ける可能性は否定できない。
また何より、第三層でも魔物が大量出現している可能性がある。
その場合は、今より厄介なことになるだろう。
――やっぱり現実的に突破が計算できる、上方向に戻るべきかな……。
わずかな時間をいっぱいに使い、頭の中だけで落ち着いて今後の方針を立てる。
冷静さを失わないのは、ベテからの薫陶が行き届いているお陰なのだろう。
そのことを自分で自覚して、やっぱり彼と出会えたのは幸運だったと新米は思った、
その瞬間。
「――……ッ!?」
弾かれるように、彼女は背後へと振り返った。
魔犬たちが向かってくる方向に、それは背中を向ける行為だ。
だがそんなリスクを全て無視してでも、今ここで視線を向けるべきはそちらだと、刹那のうちに直感した。
否、させられたのだ。
こちらへと向かってくる存在によって。
軽い足音。
それがさきほどの獣たちとは異なり、二足の存在であることが聞き取れる。
――ヒト型の魔物は強力だ。
これはダンジョンに潜る人間なら誰もが知っている常識である。
しかし、けれど――この場合。
「歩く……骸、骨……」
皮と肉と――あらゆる臓器を失い、骨だけになった存在。
否、違う。それは失ったのではなく、初めから持っていなかっただけだ。
死者が死後に骨だけで蘇るなど、単なる空想上の
目の前の魔物とは根本的に違う。
果たしてスケルトンはヒト型に含まれるのか否か。
少女には判断がつかなかった。
わかるのは、それが明らかに強力な魔力を帯びた魔物であるという事実と。
そして何より、落ち窪んで存在しない骸骨の眼が――明らかに自分を見ていることで。
直後。――骨格だけの騎士が、剣を抜き放った。
※
「そしてそのままその骸骨が、わたしを助けて地上まで送ってくれました……」
「運がよかったな。それは迷宮三種のライフラインでお馴染み、タスケルトン先生だ」
「本当にどこの誰なんですかそのネーミングをしたアホは」
――誰かついでに理解のほうも助けてほしい。
当たり前みたいに語るベテに、もうツッコミが追いつかない新米だった。
「スケルトンって魔物ですよね……?」
助けられておいてなんだが、それでも訊かざるを得ない質問だと彼女は思う。
そしてベテは、ごくあっさりと頷いてこう答えた。
「魔物だな。だからまあ、基本的には普通にヒトを襲ってくるんだが」
「じゃあ、なんであのスケルトンは助けてくれたんでしょう?」
ダンジョンで邂逅したスケルトンは――魔物としてはあり得ないことだが――目の前にいた新米には見向きもせず、むしろ逆にテルハウンドの群れへと突っ込んで行った。
剣を振るい、それこそ騎士もかくやと獅子奮迅――。
あっという間にテルハウンドを全滅させ、そのあとは紳士的に第一層への境界地点まで彼女を送り届けてくれたのだ。
お辞儀をして、最後には骨だけの手をカタカタ振ってくれた謎のスケルトン――もといタスケルトン先生に、新米もこくりと感謝の会釈をして、地上まで戻ってきたのである。
「さあ? 実のところ、タスケルトン先生が人間に味方する理由は謎なんだ」
「……わかってないんだ……」
「もし判明したら、ダンジョン学の分野に新たな歴史が刻まれるな。まあ、スケルトンはそもそも例外的な魔物で、人間を喰うことがないし。いろいろイレギュラーな魔物だ」
「まあ口がないですからね……」
「口はあるだろ一応」
「じゃあ内臓がないぞうと言い換えますけど。……いや何を言わせますか先輩コラ」
「勝手に言ったじゃん……」
いろいろあって、新米も少しハイになっているのかもしれない。
ともあれ、タスケルトン先生のお陰で助かった。
ほっと胸を撫で下ろす新米に、ベテは静かに語りかける。
「ちなみにな、新米」
「なんです、先輩?」
「実は言うほど窮地でもなかったと思うぞ」
「え?」
きょとんと新米は首を傾げる。それからふと気づいて、
「あ、もしかしてわたしの実力なら、あのくらいはどうとでもなったと――」
「そうじゃない」
「なんだ……」
「お前も違和感はあったんだろ? 単純な見落としだ。――おそらく、お前が相手してたテルハウンドだが、そのうちの大半は本物じゃなくてただの幻覚だったはずだ」
その言葉にしばらく無言になる新米。
そして、
「――――――――、へえっ?」
「魔物の魔法に引っかかったってことだ。隠れてたヤツがいたんだろうな」
「えっ、いや……でも待ってください。あれが幻覚って、だって、確かに実体が……」
「だから実体のあるヤツは本物だったんだろうさ。だけど、よく思い出してみろ。お前が倒したヤツのうち、おそらく何体かはおかしなことがあったはずだぜ」
「そ、そう言われましても……」
言いながら、新米は戦闘を思い出してみる。
紛れていたヘルハウンド――アレはおそらく本物だ。
体当たりを喰らっている以上は、幻覚だったはずがない。
奴はしっかり倒して、空気に溶けながら魔晶を落とした――。
「あ。……ああっ!? 魔晶を落とさなかったヤツがいたっ!!」
ようやく思い至って彼女は叫んだ。
そういえば、音もなく消えていった個体がいた。
倒せばドロップがある以上、魔物が消えれば、必ず落ちる音がするはずなのに。
「そういうことだ。冒険者がドロップ品も確認しないようじゃまだまだだぜ」
「ぐ、ぬ……くぅう……っ! ……はあ。まだまだ未熟でした」
反省し、次からはその点も意識しようと心に誓う新米。
どんな冒険者も、その繰り返しで経験を重ねて強くなっていく。
「ところで先輩。幻覚魔法を使う魔物って――」
「たぶんベルハウンドだろうな」
「……ああ。それ本当にいたんだ……」
「首輪についた鈴を鳴らして、幻覚を生み出すヘルハウンドだ」
「なんで魔物が首輪してるんですか」
「大抵は、ベルゴブリンに飼い馴らされているからだな」
「え、なんて? 何ゴブリン?」
「ベルゴブリン」
「なんですかそれ……」
「別名をゴブリンリンと言って」
「言うな」
「ゴブ
「もう聞きたくな――いっ!」
■今回の魔物:
正確に言えば、あくまでも
だが、いわゆる迷宮で恐れられる《ヒト型》とは違う。
なぜかわからないが、たまにバグって人間の味方をし始める。とても紳士的。
迷宮三種のライフラインのひとつ。
冒険者たちは、尊敬と親しみを込めて《先生》と呼ぶ。
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