1-05『火炎弾の魔法』

「なんだ、いったい。見せたいものって?」


 首を傾げて訊ねるベネに、新米少女はフフフと楽しげに口角を歪める。


 休日。

 魔法屋を発った新米は、朝ご飯――もとい一般的には昼ご飯――を食べるために行きつけの飯屋を訪ねていた。

 彼女とベテが泊まっている冒険者向けの借宿から程近い、大通りから少し外れた店だ。


 安く多く回転が速く、何より味がいい。

 彼女もよく利用するが、何よりベテがよく利用する行きつけだ。

 そこなら合流できるかもしれない、という考えは正解だった。


 かくしてベテと合流した新米は、食後にベテを誘って町外れに向かう。

 広い場所で、魔法の試し撃ちをするための誘いだった。


「まあ、まずは見てくださいよ、先輩。ふふ、きっと驚きますよ?」

「……なんだよ、もったいぶりやがって。つーか、ちょっとテンション高くないか?」

「かもしれませんね! 今日のわたしは……ふふふ、なにせひと味違います!」

「えぇ……?」


 お腹も膨れて絶好調の新米ちゃんである。

 ベテがちょっと引いていることには気づいていたが、もはや気にもならない。


「では、とくと見てください!」


 自信満々に宣言し、それから新米は離れたところへ向けて手を伸ばす。

 狙いをつけたのは近くの小山――切り立ったその崖の部分。

 今はそのすぐ近くに立っているため、まるで大きな壁のように見える。

 これなら当てても被害はないだろう。


 大きく息を吸い込んで、それから。


「――《火炎弾の魔法ファイアボール》ッ!」


 魔法の名を口にすると同時、掌に魔力を流し込む。

 肉体に魔法式を刻み込んである場合、魔法名を口で言う意味は基本的にはないのだが、そこは気分の問題だ。

 込められた魔力が式によって意味を成し、現実を塗り上げる。


 果たして、放たれた火炎の弾が、目の前の崖へとまっすぐに飛んだ。

 土壁がわずかに砕かれ、熱量に焼け焦げ黒い染みを生む。


「どうですかっ!」


 確かな手応えを得て、新米ちゃんは満面の笑みで背後に振り返る。

 そこには彼女の想像通り、驚いた表情のベテが呆然と立ち竦んでおり――。


「……買ったのか。お前……魔法を」

「はい! こないだ折半してもらったママックの魔晶のお金で、思い切りました!」

「……そうか……」


 小さく、零すように呟くベテ。続けて、


「…………そう、かあー…………」

「え。あ、あれぇ……?」


 有頂天に浮かれていた新米だったが、ここでふと気づく。

 おかしい。なんかこう、ベテの反応が思っていたのとちょっと違う。


「あ、あの……あれ? 先輩?」

「今のは《火炎弾の魔法ファイアボール》だよな……さっき叫んでたし」

「そうですけど……」

「リクの奴、知ってるはずだってのに……。やってくれたよ本当」

「リク……?」

「あいつの店で買ったんだろ? この町で魔法を売ってるのはあそこだけだ」


 それがあの無骨な店長の名前らしい。

 そういえば、これまで聞いたことはなかったけれど。


「まあ、とはいえこれは俺の責任か。確かに言ってはなかったな……」

「……わ、わたし、何かまずいことしちゃったんですか……?」


 頭を抱えてしゃがみ込むベテの姿に、さすがに新米も不安になってくる。

 そんな彼女の表情を見て、小さく息をつくとベテは立ち上がって。


「いや、いい。口で言うより目で見るほうが簡単だろう」

「先輩?」

「いいから。お前、ちょっとそこに立ってろ」

「はあ……わかりました」


 どういうことだろうと首を傾げる新米の前で、ベテは彼女から距離を取った。

 おおよそ十五歩分の距離を取り、そこから彼は弟子に告げた。


「俺に向かって魔法を撃ってみろ」

「え……えっ!?」

「いいから。――それでたぶん全部わかる」


 新米は少し迷う。なにせベテはただその場で、無防備に突っ立っているだけだ。

 もちろん彼の技量なら、剣さえ抜けば魔法を弾くくらいは余裕だろう。

 この距離から、しかも真正面から撃ったところで、ベテに当たるとは思えない。


「わかりました」


 新米は頷き、右の掌を真正面に向ける。

 念のため、込める魔力は最小限に留めつつ、少女は意を決しながら。


「行きますよ先輩!」


 ――魔法を放った。


 まっすぐに、炎の球体が飛んでいく。

 魔力を纏った魔法の火は、そのまま狙い通りにベテの元に――


「あれっ?」


 ベテの正面――足元の辺りに着弾した魔法を見て、新米は首を傾げる。

 確かにベテを狙ったはずだが、かなり下のほうにずれていたのだ。


 その様子を、わかっていたかのようにベテは小さく。


「当たらねえだろ」

「お、おかしいですね……。込める魔力が少なすぎたのかな」

「飛距離じゃねえよ。これは単純に、物理的な角度の問題でしかない」

「……?」


 言葉の意味がわからず、新米はきょとんと首を傾げる。

 ベテは赤茶の短髪を片手で掻きながら、ゆっくりと説明を始めた。


「掌をまっすぐ相手に向ける、ってのは意外と難しい」

「――へ?」

「腕を伸ばした状態で前に掌を向けると、よほど手首を起こさない限り、わずかに下側を向くんだ。そのせいで、狙った位置よりだいぶ低い射角で魔法が飛ぶことになる」

「…………」


 確かに言われてみれば、前方向に伸ばした掌は、微妙に地面とは垂直にならない。

 手を顔くらいの高さまで上げるか、もしくは肘を曲げて腕を引かなければ、微妙に下を向く。


 つまり、


「そのせいで、下方向に狙いの角度が逸れるってことですか……?」

「ああ。こういう遠距離攻撃系の魔法式は、掌には刻まないってのがセオリーだ。なにせ掌で物理的に狙いを定めないといけないからな。式自体に、狙いを補正する機能はない」

「――――――――」


 想像もしていなかった落とし穴に、さすがの新米も絶句してしまう。

 魔法の購入について、ベテに一切の相談をしなかったことが裏目に出ていた。


「本職の魔法使い以外で遠距離魔法式を刻む奴が少ないのは、その辺りが理由になってるわけだ。普通は避けるし、刻むとしてもまだ狙いをつけやすい指先とかが基本だな」

「……知らなかった……」

「あるいは、狙いが粗くても構わないタイプの魔法式にするとかだ。いずれにせよ、刻むだけ無駄な式ってヤツもある。《火炎弾の魔法ファイアボール》なんて、まさに典型的なそれだ」


 ――要するに、無駄な買い物である。

 頭の中で、何かがガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。


「で、でも……か、完全に無駄ってわけじゃ……」

「当たらなくてもいい牽制用として割り切るんならそれでもいいが。だったらまだほかの魔法式を買うか、いっそ何もないほうがマシだ。そうそう暴発しないとはいえ、魔法式がある分だけ制御は難しくなる。いざってときに暴発して死ぬ、なんて笑えねえだろ?」

「何もないほうが……マシ……!?」


 これまでの冒険者人生(ひと月ちょい)で最大のショックに、身震いする新米。

 なにせ勉強代として割り切るには、ちょっと涙が堪えきれないレベルの額だ。

 というか、それでも魔法の中では安かったのは、つまりこの辺りが理由だったわけだ。


「く、くそぉ……なぜ誰も教えてくれなかったのか……っ!!」


 わなわなと震えながら、両手を地面についてくずおれる新米。

 後輩のそんな姿を遠目に見ながら、彼女のほうに歩きつつベテは言う。


「相談もせず、いきなり買いに行ったのはお前だろ」

「それはそうですけどぉ! でもお店でもそんなこと言われなかったしぃ!」

「売る側が言う義理ねえし、つーか刻む場所はあくまで買う側の責任だしな。世の中にゃ足の甲に攻撃魔法を仕込む奴だっている。魔法屋は戦法に口出しできねえんだよ」

「正論が染みちゃう――!」


 本気で悔しそうに新米は呻く。

 その様子を見て、さすがにベテも哀れに思ったのだろう。諭すように彼は言った。


「まあ俺も悪かったよ。魔法に関しちゃしばらく買わせる気なかったから、お前に教えてなかったんだ。先に言っときゃ、確かにこんなことにはならなかった」

「……、いえ……わたしが先走ったせいです、すみません……」

「別に謝ってもらう必要はないんだが……いや悪い。リクの奴なら、俺がいきなり魔法を買わせるわけがないって知ってただろうし、せめてあいつに話を通しときゃよかった」

「――ああ。そういえば……」


 そこで新米は、魔法屋の店主であるリクから言伝を預かっていると思い出した。


「どうした」

「いえ、店主さんから伝言があって。その……今日中なら負けてやる、とか……」

「……なるほどな。あいつも大概、商売っ気のない奴だ」

「先輩?」

「今から魔法屋に行くぞ。――その魔法式、リクに頼んで抜いてもらえ」


 もあると、そういえば店主が言っていた。

 そのことを思い出して目を見開く新米に、ベテは軽く肩を竦めて。


「一度刻んだ式も、魔法屋でなら抜いてもらえるんだ。今日中だったら負けてくれるって話なら、さっさと行って取ってもらえ。――今度はもうちょい考えて買えよ」

「……そうします」


 頷き、ようやく新米は立ち上がった。

 あのときの店主の妙な態度は、つまりそういう意味だったのだろう。

 気を遣ってくれたというわけだ。



 かくして彼女は、買ったばかりの魔法を取り外すために再び魔法屋へ戻った。

 それが最初からわかっていたのだろう。

 店主のリクは《魔法式に不備があった》として、なんと代金を全額返金してくれた。

 その代わり、彼から仕事をひとつ引き受けることになったが、お金が返ってくることを考えれば優しすぎる条件だろう。



 新米少女は、こうして魔法を失った。






■今回の魔法:火炎弾の魔法ファイアボール

 魔力消費の少なさと、その割に高い威力から、主に魔法使いに好まれる攻撃魔法。

 反面、冒険者が魔法式として肉体に刻むには不向きとされ、多く流通する攻撃魔法の中では非常に安価で買えてしまう。

 それが逆に被害者を生んでしまうため、ある意味で新米冒険者殺しの魔法でもある。

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