1-04『魔法屋』

 新米冒険者の朝は遅い。


 昼夜の概念がないダンジョンは潜るために早起きする必要がなく、それが休日となればなおさら惰眠は貪りたいもの。

 冒険で得た疲労は、休みでしっかり抜かなければ。


 ――と、言いたいところだが今日は違う。


「うん! いい朝!」


 もうすぐ天頂に上りそうな太陽を、借宿の窓から見上げて、新米冒険者は笑顔になる。

 彼女基準では余裕で朝であるこの時間、わざわざ起きたのは理由があった。


 今日は休日。

 普段なら午後まで眠る彼女が、ギリギリ午前中に活動を開始したのは、ほかでもない。

 買い物のためである。


 というのも先日、ダンジョンで討伐したママックが落とした魔力結晶が、割と高い値で捌けたことが主な要因だ。

 これまでの稼ぎと合わせれば、新米にしてはそこそこの貯金を獲得した彼女は、この休日に前から気になっていた《あるもの》を買おうと決めていた。


「ふふ。――先輩、きっと驚くぞぉ……!」


 こうして朝から上機嫌なのは、何を隠そうそのためである。

 なにせ今日は――生まれて初めての《魔法》を買いに行く日なのだから。




 諸々の身支度を済ませ、新米は町へ繰り出す。

 ダンジョンに潜らない休日の今日も、新米はいつも通りの軽装備ルックだった。

 あまり私服の類いは持ち合わせがなく、また特に必要ともしていない。


「この町ならこれでも目立たないからねー」


 というのが、オシャレ願望を故郷に置いてきた彼女の談である。


 ――田舎町ウェスティア。

 目立つモノといえば《第十八番迷宮》という、とっくの昔に完全踏破が宣言されている小規模ダンジョンくらいしかないここに、滞在している冒険者の数は少ない。


 とはいえ、地方にしてはダンジョンがあるだけ栄えているほうだ。

 これからダンジョンに潜るのか、あるいは彼女と同じで私服の持ち合わせがないのか、似たような冒険ルックの同業者も少数だが見かける。

 どれも顔は見覚えがあったが、あまり話したことはない。


 ウェスティアの大通りは、人も多く、今日も活発な賑わいを見せている。

 新米は、その大通りから少し外れて裏路地へと進んでいった。

 ヒトの気配は途端に少なくなる。

 だが新米は入り組んだ路地に迷うことなく、通い詰めて覚えた経路を歩く。


 ――ウェスティア唯一の《魔法屋》は、そんな裏路地の奥、ひっそり忘れられたような片隅にあった。


「店主さん、おはようございまーす!」


 慣れた様子で扉を開け、店内に入る新米少女。

 そんな彼女を迎えるのは、厳つい髭面をした――魔法関係職というよりは鍛冶屋か何かみたいな壮年の店主だ。

 少なくとも、客商売にしては愛想がない。


「なんだ、また来やがったか新米。魔法屋冷やかしてる暇があんなら稼ぎに行けよ」

「なんで店主さんまでわたしを新米呼ばわりかなあ。先輩の真似しないでくださいよ!」

「新米は新米だろ。――まあ、この町にいるのはほとんど新米だが」

「先輩がいるじゃないですか」

「そのベテが例外なんだよなあ。――まあいいが、あんま騒ぐなよ喧しいから」

「失礼な。今日のわたしは、ちゃんとお客さんなんですよ!」


 言って新米は、懐から膨らんだ財布を出す。

 一瞬だけ目を見開き、かと思えば普段通りにそれを細め、店主は訝しむように。


「……まさか買いに来たのか?」

「いつか買いに来るって何度も言ったじゃないですか。貯金ができたんです」

「本気だとは思ってなかったんだよ……」


 客だというのに、なぜかあまり嬉しそうではない店主だった。


 いつも眺めるだけで来ていたせいだろうか?

 少しだけ新米は反省する。


 そういう客は珍しい。魔法屋は、それこそ服屋などとは違って展示品などない。

 彼女のように冷やかすだけの客が滞在しても、面白いことは特にないのだ。

 魔法の道具が欲しければ、道具の専門店がある。

 この店で眺められるものなんて、せいぜい商品リストくらい。


 ただ、こことは違う田舎で育った彼女には、魔法に強い憧れがあった。

 だからリストを眺めるだけで楽しかったし、なんだかんだ人の好い店主とも今では雑談友達のつもりだ。


「何がいいかなあ……。やっぱり攻撃魔法ですよね、ここは!」

「ウチは生活魔法は取り扱ってねえぞ」

「ラインナップは何度も見てるので知ってますよ。――さてさて……」


 カウンターの上の商品リストを、にこにこ笑顔で改めて眺める上機嫌な新米。

 そんな彼女を、店主がものすごく怪訝そうに見つめていることには気づいていない。


「ベテはこのこと知ってんのか?」


 ――ベテ、とは新米の師でもある先輩冒険者のあだ名だ。


 普通、実力のある冒険者は、もっと大きなダンジョンに旅立つ。

 この町でベテランと呼べる冒険者は彼だけで、その理由から町でも《ベテさん》として親しまれているのだ。


 ――大抵は、ベテランだからベテさん、と勘違いされて。

 実際は普通に、名前の前半を切り取った愛称である。


「先輩には言ってませんよ」


 と、顔を上げて新米は店主に答えた。


「やっぱり、相談なしで来やがったな……」

「サプライズですよ。わたしが魔法を覚えれば、少しは先輩も楽になるはずです」


 ――彼女はベテとふたりでパーティを組んでおり、冒険で得た稼ぎは基本的に完全折半という取り決めだ。

 もちろん新米の彼女としては、明らかに実力差があり、何より教えを乞うている立場である以上、ベテの取り分が多くあるべきだときちんと主張してある。

 だがそれは彼が断固として認めなかった。


 そもそも彼は自分が師匠であるともあまり認めていない。

 あくまでも対等の冒険者同士であるというスタンスを崩さないのだ。

 新米が彼を《師匠》ではなく《先輩》と呼ぶのは、あくまでも同業者であって、違いは経験だけ、立場は対等である――という在り方を徹底させるための、ベテの指示だった。


 ――だったら貰った分で、せめて冒険の役に立つ何かを買おう。

 魔法を買うと決意した理由は、半分が憧れだが、もう半分はそれだった。


 ところで、



「なんですか? この《安全にオギャれる魔法》というのは」

「ん? ああ、お前は新米だし、まだママックには遭ったことがないか」

「あっもうそれ以上は聞きたくないので大丈夫です」



 魔法というのは様々な種類が存在する。

 それこそ原理的には無限だ。


 だが一方で、魔法を習得する方法は――これは二種類に限られる。


 ひとつは、当然だが自力で習得する方法。

 魔法使いが術式の原理を学んで、自ら魔法を放つことができるようにする。

 ただこれは無論、本職の魔法使い以外では不可能だ。


 魔法について無知な、戦士系の冒険者である新米では、自力で魔法は覚えられない。

 だからふたつ目の方法――すなわち、魔法屋で購入するという選択肢を取る。


 肉体の一部に、魔法屋で魔法式を刻み込んでもらうことで、その通りの魔法を使用することができるようになるのだ。

 多くの人間は、この方法で魔法を習得する。


 ――ただし、この方法にはいくつかの欠点が存在した。

 魔法屋は店主の責任として、そのことを目の前の新米に確認する。


「いいのか? 基本的に、購入魔法はふたつが限度だ。一生で使える魔法の半分が、今日買った魔法になる覚悟はあるんだろうな?」

「ええっ、そうなんですか!?」

「そんなことも知らねえで魔法屋に来るんじゃねえよバカ……」


 本気で呆れた表情の店主に、さすがに新米も頬を染めた。

 だが仕方がないのだ。彼女の故郷には魔法屋がなかったため、魔法を扱える人間がほぼ存在しなかった。

 まあ魔法使いならいたが、本職はもちろん多くの魔法を使いこなす。


「むむ……そう言われるとちょっと尻込みしますけど」


 ここまで来て買わないで帰る、というのもちょっとアレだ。

 元より狙いは定めていたのだから、その程度は甘んじて受け入れるべきか。


「でも買います! 店主さん、《火炎弾の魔法ファイアボール》ひとつ!」

「ふたつ買う奴いねえよ」

「いや、言葉の綾じゃないですか。まあ、どっちにしろ普通にふたつ買えるほどのお金はないんですけど。というか、いちばん安いこの魔法で割と限界……」

「……ったくもう、恨むぜベテ……」


 などと言いながらも、カウンター奥にいる店主は仕方がなさそうに立ち上がった。


 この辺りで、そろそろ新米も《なんか変だな?》と思い始めた。

 今日はきちんと買いに来たというのに、店主はまったく嬉しそうじゃない。

 元からそういう性格だしなあ、と最初は捉えていた新米も、なんだか徐々に不安になってきていた。


 だが今さら、やっぱりなし! と言えるほどの違和感でもなかった。

 その頃には店主はカウンターから出て、つまらなそうな顔で新米に問う。


「――どこに入れる?」

「え? ……何がですか?」

「魔法式だ。体のどこに刻み込むかと訊いている。――扱う魔法にもよるが、こういった攻撃魔法は基本的に式を入れた場所がそのまま発動箇所……この魔法なら発射点になる」

「ああ、そういう意味ですか……なら、やっぱり普通は手とかですよね」

「そうだな。大抵、利き腕とは逆側にする」

「利き手は武器を持ちますもんね。わたしは左利きなので、右手にお願いします!」


 言いながら、新米少女は笑顔で左手を差し出した。

 それを、店主はやはり難しい顔で眺めている。


「……あの、何か……?」

「いや。……掌でいいんだな?」

「別にいいですけど……」

「――わかった。じゃあ最後に詳しい説明をする」

「はい、ちゃんとお聞きします!」

「…………はあ」


 小さく息をつく店主。

 だがすぐに真面目な表情になると、彼は新米に説明を始めた。


「まあ説明書きにある通りだが。《火炎弾の魔法ファイアボール》は式に魔力を通すことで、名前の通り火の玉を放つ魔法だ。威力は込める魔力量で調節できる。――ここまではいいな?」

「はい! ――ふふふー、やっぱり遠距離攻撃の手段が足りてないと思ってたんですよ」


 短剣を使う新米も、直剣使いのベテも、基本的には近接攻撃主体だ。

 この前のテルハウンド戦のように、武器を投擲して扱うこともできるが、あんなものはあくまで敵が単独だったがゆえの――文字通りの飛び道具、曲芸の類いだろう。

 こうして遠距離攻撃の手段が手に入れば、これからの冒険はだいぶ楽になるはずだ。

 スライムだって、魔法で倒せば壊さずに結晶を手に入れられる。


「ここからは全ての魔法に共通の説明だ。基本的に、魔法式は一度刻んだら消えることがない。例外が起きない限りは、一生使い続けることができる」

「えっと……例外とは?」

「世の中には《魔法式を消す魔法》も存在するって話だ。まあ、そんなものを魔法使いに喰らうことはほぼほぼないから、あるとすれば多くはダンジョンのトラップ類だな。式というか、まあ踏んだ奴の魔法効果を消す系の罠で、効果の強いものだと式ごと消される」

「なるほど……」

「あとは単純な話、式を刻んだ部分の肉体を物理的に欠損した場合も使えなくなる」


 腕に式を刻んでいても、腕を切り飛ばされたら魔法が失われる。

 あまり想像したくない事態だが、言われてみれば当然の理屈でもあった。


「そして、魔法式はあくまでも買い切りだ。今言った理由でもそれ以外でも、失ったからといって補填はない。次が欲しければ、また金を出して買ってもらうことになる」


 もちろんそれはそうだろう。

 こくりと頷きを返す。ここまでが購入のための条件確認だ。


「よし。じゃあ手を出せ」


 言って店主は、カウンターの中から持ってきた一枚の巻物スクロールの封を解く。

 中には何かの記号や紋様めいたもの、知らない文字らしきものなどが記されている。

 それをカウンターの上に乗せ、店主は言った。


「上に手を乗せろ」

「はい」


 頷き、広げられたスクロールの上に手を乗せる新米。


「いや違う逆だ。掌が下」

「へ? あ、すみません……なるほど」


 手の甲側を下にしてしまっていた新米は、少し顔を赤らめつつひっくり返す。

 掌に何かを刻むのだから、その面を上にすると勘違いしたのだ。


「少し熱くなるが、終わるまで手を動かすなよ」

「えっ、結構痛い感じです?」

「耐えろ」

「……端的なご返答どうもですぅー……」

「魔力を通すぞ」


 言った直後、店主がスクロールの上を軽く指でなぞる。

 その意味はわからなかったが、直後、スクロールの紋様を走るように線が光る。


「――っ」


 わずかな痛み。触れている鍋を火にかけているような感触。

 けれど、それも一瞬だった。気づけば光が止み、小さく店主が告げる。


「終わったぞ」

「あ、もうですか……思ったよりあっさりでしたね」


 始まる前に少し脅されてしまったが、終わってみればそこまでの痛みではない。

 乗せていた右手を持ち上げる。

 すると確かに、光る線のような模様が掌に刻み込まれていた。


 その光もすぐに消える。

 だが確かにその場所に、何か新しい力があるのが感じられた。


「完了だ。掌に魔力を通すと発動するからな、しばらくは制御に注意しろ。どんな事故を起こしてもウチは一切の責任を負わない」

「わかりました。まあ、さすがに暴発させたりはしませんよ」


 魔力自体は、どんな人間でも基本的には持っている。

 そして魔法使いではない新米の冒険者でも、戦う際には身体能力の底上げに魔力を使うものなのだ。

 術らしい術は使えずとも、魔力の制御だけなら普段からやっている。


「これで……わたしも、魔法が使えるようになったんですね……!」


 感動から、そんな声が自然と零れてしまった。

 一方の店主は淡々としたもので、早々にスクロールを巻き取ると店の奥に戻っている。


「清算だ。金出せ」

「あ、はい。もちろんです」


 財布から貨幣を取り出し、店主に支払う。

 購入した《火炎弾の魔法ファイアボール》は、この店の攻撃魔法では最も安いものだったが、それでも冒険者としての稼ぎのひと月分は飛んでいくほど。

 無論、普段の冒険に使う雑費や生活費などを考えれば、貯金の多くを削り取ってしまう高価な買い物だ。


 冒険者として仕事を初めてひと月ちょっと。

 人生で最も高い買い物である。


「……いやあ……思い切ったぜぇ」


 なかなか軽くなった財布を懐に仕舞い込みながら、感慨深げに新米は吐息を零す。

 そんな彼女に、ふとなんでもないことのように店主が言った。


「ベテとは、このあと会うのか?」

「先輩とですか?」


 この堅物の店主が、そんなことを訊いてくるのは珍しい。

 新米は少し驚きながらも、考えながら答えた。


「予定はないですけど……でもせっかく買った魔法は見せびらかしたいですしね。会いに行ってみようかな、とは考えてますけど」

「そうか。――ならベテにこう伝えておいてくれ」

「先輩に言伝ですか?」

「ああ。内容はこうだ。――

「……?」


 妙な伝言だな、と首を傾げる新米。

 意味するところは不明だが、とはいえ覚えるのは難しくない程度だ。


 ――わたしが魔法を買ったのを見せたら、先輩も買いに来ると思ってるのかな?


 そんな風に解釈してみる。

 彼が魔法を使っているところは見たことがないが、宣伝なら手伝ってもいいだろう。

 店主の頼みに、新米は大きく頷いて笑みを作る。


「わかりました! それだけでいいならお伝えします」


 小さく、頷くだけで店主は答えた。

 それを確認してから、改めて礼を告げて、新米は店を出た。


 ――どうせなら、今日中に試し撃ちがしたいところ。

 だったらせっかくだし、それにベテを誘ってみることにしよう――なんて考えながら。






■今回の用語:魔法屋

 一般人/冒険者向けの魔法(正確には魔法式)を売っている専門店。

 肉体の一部に式を刻んでもらうことで、その式に応じた魔法を扱えるようになる。

 式は魔法のスクロールによる転写。

 持ち主によってロックが掛けられる仕組みのため、盗んだところで使うのは難しい。


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