第69話 石持ち

 ネスケラの紙幣発行プランをすぐに実行するのは無理であった。


 まず、この世界のどの国も紙幣は使われていない……筈だ。


 商人などは借用書などを使ってはいるが、一般人には無縁の物であり、商品の購入には一定量の金、銀、銅などが含まれた硬貨か、もっと元始的な物々交換で行われている。


 そんな世界情勢で、紙切れ一枚をお金代わりに使わせるというのは容易な事ではなかった。


 そこで、ネスケラ発案で最初に行われたのは、エビス商会による商品券の発行である。エビス商会傘下の商店でだけ利用できる商品券をバラまいたのだ。


 商品券はステアの能力で生み出されたパソコンとコピー機を使って印刷されている。透かしなどは無いが、この世界にコピー機が生まれない限り、俺たち以外に複製は不可能な紙質とデザインにしておいた。当面は多分これで問題ないだろう。




「あのぉ……こんな紙切れを貰ったんですがぁ……」


 店を訪れた青年は、1,500円と書かれた商品券を店員に見せた。


「ああ! これは銀貨一枚分に相当するお買物券ですね。その券で銀貨一枚分の商品を購入・・できます。それは硬貨代わり・・・・・の券なんです!」

「ほ、本当にこれで買えるのか……! じゃあ、これ下さい!」

「毎度ありがとうございます!」



 こんな感じで、サンハーレの町民に商品券を認知させ始めたのだ。


「いきなり紙幣だと町の人も抵抗あるかもだからね。こうやって商品券を実際に使ってもらって、紙でもお金の代わりになるんだぞって認識を植えさせていくんだよ!」


 客から商品券について尋ねられた際、それがお金の代わりになる事をアピールするよう、店員たちには言い含めておいた。商品の交換ではなく、あくまで券で購入したのだという意識づけをさせてみたのだ。


「うーん、これで本当に効果があるのかな?」

「ステア様、どうかな?」


 ネスケラに尋ねられたステアが1,500円分の商品券を手に持ってスキルを試してみた。


 ちなみに何故1,500円という半端な額かというと、どうやらこの世界での銀貨一枚分は、ステアの等価交換だと日本円で約1,500円分相当の買い物が可能になるからだ。つまり金貨一枚だと1万5千円分となる。


「……駄目ですの。紙一枚分の価値しかないですの」

「あちゃぁ……。流石にまだ無理かぁ……」


 どうやら1,500円分の価値には程遠いようだ。


「当てが外れたかな?」

「まだ結論を出すのは早計だよ! もっと世間に商品券の価値を浸透できれば、ステア様の能力にも変化が現れるかもしれないしね。それに、紙幣発行の為の予行練習だと思えば、将来的にも無駄な行為じゃないよ」


 硬貨だけでなく、紙幣が等価交換有りだとしたら、今後はかなり楽できる。


 数に限りのある金の含まれた金貨を用意するより、紙幣を大量印刷して物品と交換する方が断然効率的だからだ。それが叶った暁には、ステアの能力は更に神スキルへと昇華されることだろう。


(今でもかなりの神スキルだけどな)


 今夜の晩御飯はステアが生み出した高級和牛ステーキである。やったね!








 季節はすっかり真夏日である。イデールからの二度目の侵攻を防いでから一カ月が経過した。


 本日も慣れない軍事の書類仕事を終え、俺はステアたちと領主館から屋敷に帰る際中であった。


「そろそろ南部の併合も纏まりそうですの!」

「他の領地も傘下に収められそうなのか?」


 俺の問いにステアは首を横に振った。


「トライセン領、ソーホン領はサンハーレ自治領に組み込まれることになりましたの。でも、他の領地は拒否し続けておりますの」


 実際にイデール軍に侵攻され、一時的に占領されたトライセンとソーホンはサンハーレ自治領に従属する事を正式に決めた。その二つの領は既に領主が討ち死にし、残された一家に領地を纏めるだけの能力が欠けていたからだ。


 また、民衆の多くがイデール軍を撃退したサンハーレ自治領の庇護下に加わりたいと熱望していた。一度占領されたのが大きいのだろう。


 仮にこちらの併合要求を突っぱねていれば、もっと多くの領民たちがサンハーレに流れていたに違いない。それらを考慮した結果、トライセンとソーホンはサンハーレ自治領の軍門に下ったのだ。



 問題なのは、それ以外の近隣領地を治める領主たちであった。


 彼らはイデール独立国やゴルドア帝国の脅威を認識しつつも、やはり一領主に過ぎないステアに恭順することを躊躇うのか、領地併合を断わり続けていた。


 それならそれで構わないのだが、彼らの領民はそう思わなかったようだ。


 領民たちは帝国からの脅威に怯えており、今でも多くの民がサンハーレに移住し続けている。民の流出はそれだけで領地に深刻な影響を与える。民が減れば当然徴収できる税も減り、働き手や兵力も大きく損なわれる。


 俺の前世でも人手不足で深刻だったというのに、マンパワーが物を言うこの世界の産業において、人口低下はもはや死活問題だ。領地間は特に柵で隔たれている訳でもなく、民の流出はどうあっても避けられなかった。


 移民問題に関しては各領主からサンハーレ自治領に非難声明が出ていたが、ステアはそれを一切無視した。


「民を守れない時点で、領主の資格無しですの。あの方たち、併合を拒否する癖に、帝国軍が来たら援軍しろとか、食糧を融通しろとか……厚かましいですの!」

「うん。そんな要求は受け入れられないな」


 ただ、それで割を食う領民たちは気の毒であるが……俺たちは神ではない。他の領民を気に掛けてやれる余裕はこちらにも無いのだ。



 そう考えていた矢先に、随分と余裕そうな男の姿を見掛けた。


「よお! ご両人! 今から帰りか?」


 シュオウである。肌が大分焼けていたので、一瞬誰だか分からなかった。


「そういうお前は……また海に出ていたのか?」

「おうよ! 今はボートも使用禁止だし、今日はずっと泳いでいたな!」


 燃料が勿体ないので、軍事演習以外でボートの使用は基本的に禁止とされていた。


(こいつ……人が脳をフル回転させて慣れない仕事してたってのにぃ……海水浴を満喫していやがったな!?)


 俺とステアはシュオウに恨みがましい視線を向けた。


「な、なんだよ……! 俺は一応、やる事やってるっての!」


 今のシュオウの立場は一傭兵にしか過ぎず、軍属という訳ではない。


 シュオウは特に決められた役職や仕事は無いのだが、ちょくちょく町の情報収集も行っているようだし、稀にだが陸軍や海軍の演習にも自主的に参加していたりもする。


 そう……文句を言う筋合いは無いのだが……それはそれとして腹立たしい。


 ステアも同じ気持ちだったようで、ため息交じりに愚痴をこぼし始めた。


「わたくしも、偶には海で遊びたいですの。折角海のある町に来たのに……ろくに遊ぶ暇もないですの……!」


 サンハーレに来て三年以上経つが、俺たちは海で遊んだ記憶があまりない。ステアには色々と不憫な思いをさせてしまっていたようだ。


「わ、悪い! そ、それなら、明日は休みにして、ケリーたちも海に遊びに行かねえか?」


 さすがに気の毒だと思ったのか、シュオウがそんな提案をしてきた。


「や、休み……ですの? そんな事……許されるですの?」

「うーん、どうだろう? 一応、執事長に聞いてみるか」



 俺は早速領主館に戻って、未だ書類仕事をしていた執事長に明日は休めないかと尋ねてみた。


 ちょっと執事長の表情が青筋を立てているような気がしないでもない。


「…………まぁ、いいでしょう。まだまだやらなければならない事はありますが、ずっと仕事ばかりでは、ステア様も疲れてしまうでしょうからな」

「え? マジで!?」


 まさか要求が通るとは思わなかった。執事長、大好き!


「はい。今のサンハーレはステア様抜きでは機能しないのです。あの方のご心労に気遣うのも臣下の務めですからな。それに、前領主と比べればステア様はちょっと……働き過ぎですな」

「あー、ちなみにサンハーレ子爵はどのくらい働いてたんだ?」


 興味本位で俺が尋ねると、ヴァイセルは何故か目を細めた。


「……聞きたいですかな?」

「……いえ、結構です」


 彼の目を見て分かった。聞くだけ野暮だったようだな。



 とにかくこれで正式に休みの許可を貰った。明日、俺たちは海で休暇を満喫する事になった。








「という訳で……水着回だああああ!!」

「きゅ、急に何ですの!?」


 俺たちはサンハーレの港から少し北上した位置にある浜辺へと来ていた。


 その浜辺の背後には森があり、稀に魔獣や亜人が出没する事もある危険な場所だ。一般人は普段立ち寄らない浜辺なので、その分砂浜が一切荒らされておらず、とても綺麗でビックリだ。


「こんな場所があったのか……。観光地にはベストだな!」

「海がめちゃくちゃ綺麗ですよ! これは映える!」

「だね! ここに宿泊施設なんかを建てたら、大儲けできそうだよ!」


 そう感想を述べたのは、元地球人三人組の俺、五郎、ネスケラである。


「この辺りは波も穏やかだし、大分泳ぎやすいぜ!」


 ここを案内してくれたのは、すっかり海遊びにはまっているシュオウだ。


 シュオウは内陸出身であった為、サンハーレに来るなり海を見てかなり驚いていた。それ以降、シュオウは海に魅了され、暇があれば浜に出掛け、最近禁止になるまではボート遊びにも興じていた。


「しっかし、この水着って言うのか? この服、すっげー泳ぎやすいな!」


 シュオウが穿いているのは海パンである。この日の為に、ステアの能力で生み出して貰ったのだ。


 俺もネスケラも水着姿である。


 俺は膝上まで丈のある普通の海パンで、ネスケラは何故かスクール水着だ。


「何故にスク水?」

「いや、需要があるかなーって」


(こいつ、更に属性を増やす気か!?)


 そのうち「のじゃ!」とか言いそうだ。この世界には長命種のエルフがいるのでマジで”のじゃロリエルフ”がいるのかもしれない。


 ちなみに五郎君も普通の海パンだ。ただし、隷属の首輪は着けたままなので、少々泳ぎづらそうだ。それに太陽光に当たり過ぎるととても熱そうだ。


 俺たちがそんな会話を繰り広げていると、他の女性陣もようやく着替え終わったのか、俺たちの前に姿を見せた。


「こ、これは本当に海に入る為の装備なのか!? ぬ、布の面積が少なすぎではないのか!?」


 恥ずかしそうに尋ねてきたのはエータである。


 彼女は大人っぽい黒のビキニ姿だ。戦士として引き締まった身体をしているので、スタイルも抜群だ。


「そうだよー! これが私たちの居た世界の水着だよー!」

「ちょっと待て! ネスケラのように、お腹を隠す水着もあるじゃないか!? 私もそっちの方が良かったぞ!!」

「あれれぇ? そうだったのぉ?」

「ですのぉ?」


 これは確信犯だな。ステアとネスケラでエータを嵌めたようだ。


 ネスケラの共謀者であると思われるステアは可愛らしいフリル付きのビキニにパレオを巻いていた。


「ど、どうですの?」

「最高だ!」

「で、ですの……」


 正直な感想を述べたら顔を真っ赤にしていた。どうやらこの世界の人たちにビキニは少々ハードルが高かったようだ。


 クーも少しだけ布面積が多いものの、やはりへそ出しルックの水着であり、フェルやソーカも慣れない水着姿に恥ずかしそうにしていた。


「なんだ? お前だけはへそ隠してんのか?」


 随分際どい海パンを履いているエドガーが、競技用水着を着用しているシェラミーに声を掛けた。


「まあね。私は別にそのビキニってやつでも構わなかったんだが……」

「駄目です! シェラミーさんはそれで良いんです!」


 ステアがシェラミーを擁護した。


 どうやらシェラミーのお腹には古傷があるらしく、それを気にしたステアが彼女用の水着をチョイスしたらしい。


 本人は傷を見られても全く気にしていない様子だが……競泳水着でもかなりセクシーだ。


「ふん、奇妙な格好だな」

「だが、確かにこれは泳ぎやすそうだ。水中戦をする際、シノビ集にも水着とやらを採用してみるべきか……」

「に、兄さま!?」


 アマノ兄妹も駄目元で誘ってみたが、意外にも付いてきた。しかも二人ともちゃっかり水着姿である。


 兄のセイシュウは相変わらず真面目で、日本の水着に感心しており、イブキは若干恥ずかしそうにしていた。俺がイブキの方を見ると、すっごい目つきで睨み返してきた。こっちも負けずにガン見すると砂を掛けられてしまった。


「ノォオオオオ!? 目がぁああああっ!?」

「ふん! 人様をジロジロと見るからだ。変態め!」

「ぷぷっ! ケリー、それは良くないぜ?」


 まさかシュオウに変態行為を窘められるとは……屈辱である。


 そういうシュオウも女性陣の水着に釘付けであり、彼女らからは白い目で見られていた。


「おい! 折角海に来たのだから、我々を見ていないで、さっさと海にでも行け!」

「ん! ステア様も行こう!」

「ですの!」


 ステアはいつの間にか浮き輪やゴムボートを用意していたのか、何時もの三人で海へと向かった。ネスケラも彼女らに同行する。


 俺はステアに予め用意して貰ったシュノーケルを装着した。


「お? それなんだ?」


 目敏いシュオウが俺に尋ねてきた。


「こいつがあれば、長時間海の中を泳げるんだ」

「すっげぇ! 俺の分も用意してもらおう!」


 シュオウはステアの下へ交渉しに向かった。



 俺たちは、海でしばらくぶりの休暇を満喫した。








 休暇を挟んでの翌日、西に偵察へ出ていたシノビ集から急報が届けられた。


「メノーラ領が南東へ動き始めました。どうやら目的は我が領の模様!」

「メノーラ領が? 今更だなぁ……」


 メノーラ領とは、ティスペル王国の最西端にある街周辺の領地で、規模もサンハーレより大きい。メノーラ領は帝国が宣戦布告した直後に寝返った裏切り者の領主が治める領地であった。つまり今は帝国勢力なのだ。


「メノーラ領は元々、親ゴルドア派で知られる領地でしたからな」


 開戦前から有事の際には裏切りの可能性がある領地として、世情に明るい者なら誰もが知っている勢力の一つであったらしい。


「しかしまぁ……そんな領地、よく王政府が黙認していたなぁ」

「無論、見過ごしてはいなかったでしょうな」

「実際に、メノーラは帝国領に面する領地としては、あり得ないくらいに軍事力が乏しい。その代わり、近隣領地には防衛用の砦を作らせ、国からも多くの兵を配備させている」


 ヴァイセルに続いて、南部から帰還したばかりのオスカー大隊長が俺に教えてくれた。


 さすがに王政府も裏切りは織り込み済みだったらしく、メノーラ領は所謂、緩衝地帯の役目と割り切っていたらしい。メノーラには過度に軍事力を与えないよう、しっかり縛り付けていたようだ。


「そんな領地がうちに攻めて来るの? 正気か?」


 こっちは小国とは言えイデール軍にも勝ってるんだぞ? 今更、一領主の軍隊が来たところで、ねぇ。


「恐らく、帝国から責っ付かれたのでしょうな。ただ無策で挑むほど相手も馬鹿ではありますまい?」

「ああ、執事長殿の言う通りだ。実際に、メノーラは単独で近隣の領地を落としているそうだしな」


 それには驚いた。


 兵力を奪われ、近隣領にも強固な防衛網が敷かれている近隣領地が、メノーラ領軍によって悉く落とされたらしいのだ。


「どうなってるんだ? 帝国から大量に兵でも借りてんのか?」


 俺の問いにシノビは首を横に振った。


「いえ、確かに帝国軍の援軍もありましたが、そこまでの数ではありません。どうやらメノーラは“石持ち”の傭兵団を雇ったようです」

「「「石持ち!?」」」


 シノビの報告に俺たちは驚きの声を上げた。


「石持ちかぁ……」

「そう来たか……」


 俺やオスカーが深刻そうな表情を浮かべていると、ステアが不思議そうに見ていた。


「前から気になっていたのですが……石持ちとは、一体何ですの?」

「そうか。ステアは知らないのか。“石持ち”ってのは、簡単に言えば金級以上の傭兵団って事だな」

「そ、そんな階級があるんですの!?」


 あまり一般人には知られていない情報かもしれない。



 傭兵の階級制度は上から順に金級・銀級・鉄級となっている。更にその階級ごとに上位・中位・下位と別れており、傭兵ランキングの順位によって階位が変動する。


 今の俺たち“不滅の勇士団アンデッド”はランキング1,054位で鉄級上位となっている。ランキング1,000位内に入れば、銀級下位に進級できる。


 エドガーが昔立ち上げていた“タイタンハンド”は金級中位の51位、シェラミー一味の“紅蓮の狂戦士団”は元金級上位の29位とかなり上の存在だ。


 では、“石持ち”とは何なのか。


 彼らは金級上位の1位、それを長い間キープし続けてきた規格外の存在だ。その場合、1位の傭兵団は殿堂入りのような形になり、ランキングから除外され、新たな階級を授けられる。


 鉄でも銀でも金でもなく、それ以外の鉱石に準えた新たな階級を名乗れるのだ。


 例えばダイアモンド級傭兵団、とかね。傭兵団の二つ名という表現がしっくりくるのかもしれない。


 故に“石持ち”である。



「そんな傭兵団をメノーラが雇ったという事ですか!?」


 ステアと同様、“石持ち”の存在を知らなかった役人たちが動揺を見せた。


 今までサンハーレ軍は大勢の敵軍を兵の質でもって補い撃退し続けてきた。だが、今度の相手は質も量も備わっているのだ。



 これは……かなり苦しい戦いになりそうだ。

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