第61話 キンスリー伯爵

 川の傍には関所らしき砦が設けられていた。そこの所属である警戒船に停船するよう指示された俺たちは大人しくボートを停めて、サンハーレ領から来たことを正直に告げてみた。


 すると俺たちは帝国の密偵というあらぬ疑いをかけられてしまい、そうではないのだと説得を試みた。しかし、どうも納得してもらえず、結局ボートは拿捕されたまま、全員砦まで連行されてしまった。



「おい、これ拙いんじゃねえのか?」

「んー、拙いなぁ……」


 シュオウの言葉に俺は呑気な口調で返したが、内心では物騒な事を考えていた。


(このままだとこいつら……皆殺しにして進まなくちゃならなくなるなぁ……)


 それは本意ではない。


 やろうと思えば砦からの脱出や関所の突破自体は容易いのだ。


 今回旅の軍資金として、それなりの金貨を用意してある。いざとなればステアのスキルでもう一隻ボートを用意してもらい、そのままトンズラすることも可能ではあった。


 だがそれをしてしまうと、今後この水路を利用するのが難しくなってしまう。ドワーフの里へ行くのが大きな目的ではあるのだが、可能なら食糧を購入出来る新たな交易ルートを開拓したかったのだ。


 その第一候補がこの先にあるコーデッカ王国である。今後、この水路を利用する為にも、出来ればここは穏便に済ませておきたいのだ。




「……もう一度問う。貴様の正体はなんだ?」

「サンハーレ自治領軍の軍団長、ケルニクスだ」

「ふざけるな!!」


 兵士が机を叩いて怒鳴ってきた。


(うーん、気持ちは分かるけど本当の事なんだよね……)


 背が伸びたとはいえ、俺はまだまだ若僧だ。そんな俺が軍団長だと名乗ってもなかなか信用されないのだ。



 砦に連れて来られた俺たちは、全員一緒の拘留部屋に閉じ込められていた。


 本来なら牢屋にぶち込まれてもおかしくないのだろうが、俺たちが大人しく投降したことと、ステアたちがやんごとなき身分である可能性が否めないことを考慮して、兵士たちは最低限の措置を行なったのだと思われる。


 今は代表者である俺一人だけが別室で尋問を受けている状況だ。



 何度か同じやり取りを繰り返していると、一人の兵士が慌てて部屋に入って来た。


「傭兵ギルドにて確認が取れました。この男が所持していた認識票は“不滅の勇士団アンデッド”の物で間違いありません!」

「な、何ぃ!? じゃあ……本当にお前が、あの“双鬼“なのか!?」

「だから何度もそう言っている」


 サンハーレが独立宣言し、イデール軍相手に華々しい戦果を挙げた事はここの領地まで伝わっているようだ。そして、そのサンハーレ軍を指揮するのが傭兵である“双鬼”ケルニクスだという情報も、どうやら広まりつつあるらしい。


「それでは、お連れの女性が領主であるという話も……」

「事実だ。彼女は正真正銘、現領主のアリステア様だ。失礼が無いようにしろよ」

「「――――っ!?」」


 やっとこちらの話を信じ始めたようだ。


 だが、本当の問題はここからなのだ。


 俺たちが本物の領主に軍団長だったとしても、それはあくまでサンハーレ側で勝手に決めた事であって、言ってしまえば”自称”でしかない。


 俺の軍団長の件は抜きにしても、領主を決める権限は基本的に王政府のみにある。そしてこの領地……尋問続きで、まだこの領地の名前すら俺たちは聞かされていないのだが、どうやらこの地は現政権側のようなのだ。


(仮にステアが罪に問われるようなら、その時は……王国を潰す!)


 その口火として、まずはここの領主や兵士たちが不幸な目に遭うだろう。


(だから……対応を誤ってくれるなよ?)


 今、自分たちの命が瀬戸際に立たされているとは知らずに、尋問していた兵士たちはひそひそと何かを相談し合っていた。


「……これで本日の聴取・・は終了とする。彼を部屋にお連れしろ」

「ハッ!」


 ”尋問”がいつの間にか”聴取”に切り替わってしまった。どうやら少しは冷静な判断ができるようだ。


 今のところ怒鳴られたり恫喝されたりはしたが、暴力までは振るわれていない。これくらいなら、まあ……兵士としては職務の範疇だろう。


 日本だと完全アウトな行為だろうし、やられた方はむかつくが……天誅リストに載せるのは勘弁してあげようじゃないか。



 部屋に連れ戻されると、ステアが心配そうに声を掛けてきた。


「大丈夫ですの?」

「ああ、だが……問題はこっからだな」


 俺たちの正体を知った領主がどう動くのか、そこが俺たちとこの領地の運命を決めるだろう。






 もう日が暮れそうな時刻、その来訪者は突然やって来た。


「キンスリー伯爵様がお会いになる! 全員、その場で跪き心して聞け!」


 偉そうな兵士が吠えていたが、俺たちは誰一人膝をつこうとしなかった。


「き、貴様ら! さっさと――」

「――そのままでよい」


 兵士の言葉を遮り、一人の老人が姿を現した。年齢は50過ぎだろうか。初老の男だが身なりが整っており、一目見て彼が貴族だと分かった。


「私がこの領地を治めるマテル・キンスリーだ。其方がサンハーレ自治領を名乗る集団の首魁だな?」


 キンスリー伯爵の言い回しが少し気になった。彼の立場からすると、そう簡単に自治領の存在を認める訳にはいかないのかもしれない。


 ステアが一歩前に出て伯爵に挨拶をした。


「初めまして伯爵様。わたくし、サンハーレ領の領主、アリステア・ミル・シドーと申しますの」


 ステアの華麗な振る舞いにキンスリー伯爵と名乗った老人は感心した。


「ふむ。どうやら本物のようだな。いや、失礼。姫殿下と……頭を垂れるべきなのかな?」

「それは不要でございますわ。今のわたくしはシドー王家の人間ではなく、一領主としてご挨拶しておりますの」

「そうか。では私もそう対応させて貰おう」


(おお? これは思ったより話せる御仁なのか?)


 貴族にしては珍しい部類だ。


「率直に申し上げると、我々は貴殿らの扱いに困っている。我がキンスリー領は代々王家に仕えてきた家系だ。現在その王家の方々は帝国の卑劣な侵略行為に手を焼き、王都に閉じ込められている状況だ」


 さすがは一国の首都と呼ぶべきか、王都は未だ健在らしく、帝国からの侵攻に現在も必死に耐えている状況なのだ。だが、王都の周辺地域は徐々に侵略され始め、南西部のほとんどが帝国の手に落ちている劣勢であった。


「そんな混迷を極めた最中さなか、身勝手にも自治領を名乗り、王家に弓引く存在が現れた。そしてその反逆者の首謀者が今私の目の前にいる。これに対して私は……どうするべきだと思う?」


 キンスリー卿からは老人とは思えない気迫を感じた。伯爵自身は戦えるような闘力は皆無だが、領主という立場が彼を大きく見せているのだろうか。


(サンハーレ子爵のような小物には微塵も感じなかった風格だな)


「伯爵様の事は伯爵様ご自身がお決めになる事ですの。ただ……わたくしたちも己の信念を貫き通させて頂こうと思います」

「信念、とな? この情勢下で領主の立場である貴殿が、迂闊に出歩くような真似が信念を持った行動であると?」


 伯爵の言葉にステアはほんの僅かだけ眉を動かしたが、そのままポーカーフェイスを装った。


(息抜きに旅行がしたかったとは……言えねえよなぁ)


 それに関しては弁明の仕様も無いが、ステアはちゃんとやる事はやっているし、目的もキチンとあるのだ。


「問題ないですわ。今は南部の情勢も落ち着きましたので、わたくしたちも次の段階に進もうとしているところですの」

「サンハーレ軍奇跡の勝利の報は私も聞き及んでいるよ。だが一度イデール軍を退けたと言っても、相手は一国の軍隊だ。トライセン砦に駐留しているイデール軍を放置して領主が船で川遊びとは……少し慢心してはいないかね?」


 おや? これはもしかして……


「伯爵様。その情報は少し古いですわ。既に我々はイデール軍の二度目の侵攻も打ち負かし、トライセン領の奪取に成功しておりますの」

「な、なんだと!?」

「まさか……そんな馬鹿な!?」


 ステアの話を聞いたキンスリー卿と従者たちが動揺していた。


 どうやらここキンスリー領にはまだ最新の情報が届けられていなかったようだ。


 無理もない。今は王国内のあちこちが戦地だろうし、早馬でも最新情報が届けられるのには数日間を要するだろう。


「まさかサンハーレの領主軍が一国の軍隊を撤退まで追い込んだと言うのか!?」

「ええ。我々がこうやって川遊びに興じていられるのが、何よりの証拠でございますの。伯爵様の部下もご覧になったかと思いますが、我々は新型の軍船も開発しておりますの。イデール艦隊も既に一当たりして壊滅させておりますわ」

「し、信じられん……」


 常識で考えるのなら、元子爵家が保有する戦力だけで一国の軍隊を負かしたとは誰も思わないだろう。


 だが、これは嘘偽りの無い事実なのだ。


「お気持ちは分かりますわ。でも、もう数日もすればこの辺りにも南部の情報が届くのではありませんの? わたくしたちが嘘をつく理由は無いでしょう?」

「う、うむ。確かにそうだが……」


 流れは完全にステアの方に傾いていた。そこでステアは一気に伯爵へ畳みかけた。


「そこで先程のご質問を返すようですが……伯爵様は我々に対して、どうなされるお積りですの?」

「…………ふう。これは一本取られたな」


 伯爵は深くため息をつくと、改めて気を引き締め直した。


「アリステア殿の言葉は俄かには信じられない事だらけだが、虚言は無いのだと思う。だが、あくまで私がそう信じ始めているだけで、今はその確証が持てない。不確かな情報で領地を預かる私が貴殿らに配慮する事はあり得ない」


 うーん、この爺さんが言う事も一理あるのだがなぁ……


「貴殿は本当にシドー王家の末裔でサンハーレの現領主なのかもしれない。そこの若者が白獅子を暗殺したというあの“双鬼”で、軍を率いてイデール軍を撤退させたのも事実なのかもしれない。そう、全ては“かもしれない”なのだ!」


 おい、待て! 俺は暗殺なんかしてないぞ!


 どうやら白獅子の一件は未だにそういう事になっているらしい。


「それは数日経てば証明できる事ですわ!」

「ほお? それではその証明が済むまで、ここに滞在してもらえるのですかな?」

「うっ!?」


 それは困る。こちらも色々と忙しい身だし、出来れば早急にここを通して欲しいのだ。ステアの言葉を逆手に取って提案してくるとは……抜け目のない爺さんだ。


「ふふ、少し意趣返ししただけだ。貴殿らにも何か理由があってここまで来たのだろう? ただ今日はもう遅いから、明日に出立するとよろしい」

「え? それでは……?」


 急に態度を豹変させた伯爵に、俺たちは呆気に取られていた。


「うむ。確かに貴殿らの言葉には未だ確証が取れていないが、帝国の侵攻により王国が窮地に立たされ、現政権が機能していないという状況は揺るぎのない事実である。だからこそ、領主である私が判断した。今は一領主の離反なんぞにかまけている余裕は無い!」

「キンスリー伯爵……」


 つまり彼は王政府への忠義を貫きつつも、それでも俺たちを見逃すと言ってくれているのだ。


「今は戦時下故、大層なもてなしは出来ん。だが、もっとマシな拘留部屋を用意させよう。ああ、それと往路の心配もしなくて良い。我が領地は得体の知れない船一隻にかまけている余裕も無いからな」

「キンスリー伯爵様の特別な配慮、サンハーレ自治領は忘れませんわ」

「ふふ、有事の際は期待させてもらおうかな」


 これでここの関所に関しては事実上、通行がフリーとなった。


「王国内でこの河川を交易に利用しているのは我が領地だけの筈だ。ただ……この先のジーロ王国内にも当然関所があるぞ?」

「それは貴重な情報を……! 感謝致しますわ!」

「うむ。平時であれば、通行税さえ支払えば何事も無く通れる筈なのだが……」


 その口ぶりだと、伯爵様は何かしらの問題があると考えているのだろう。


(止めてー! その手のフラグ、この世界では倍になって返ってくるんだからぁ!?)


 この先にあるジーロ王国の関所……一体どんなハードイベントが待ち受けているのだろう。




 その日俺たち一行は、伯爵家の拘留部屋で一夜を明かした。


 豪勢な食事にふかふかのベッドも用意され、見張りの美人メイドさんたちがずっと俺たちを監視している拘留部屋だ。


(俺、一生ここで拘留され続けたい!)




 昨夜、とんでもない待遇を受けた俺たちは爽やかな朝を迎えていた。


「あー、俺だけここに残ってもいいかな?」

「よし! シュオウは置いていこう!」


 俺と同じ感想を抱いていたシュオウがうっかり口を滑らせ、エータから冷たい視線を向けられていた。


(馬鹿な奴だ。そういうのは口に出すもんじゃないのさ!)


 俺が心の中でほくそ笑んでいると、横にいたイブキが余計な事を言い出した。


「この男も満更ではなさそうだから一緒に置いていかないか?」

「イブキさん!? 相変わらず俺に当たり強いよねぇ!?」

「ふん。師範殿は口に出さんでも表情でバレバレだ」

「なんと!?」


 よく見ると俺にも冷たい視線が向けられているではないか!?


 俺とシュオウの評価が下がってしまった。


(おのれ、ポンコツ忍者め……! 今度、イブキの好物の豚汁に苦手な香辛料をたっぷり入れてやるぜ!)


 俺とイブキとの関係は、何故か溝が深まるばかりであった。何でだろう?



 色々とあったが、最後には俺たちを拿捕してくれやがった兵士たちにも見送られ、ボートは更に西方の上流へと進み始めた。



 この辺りになると、川の流れもゆったりしている上に川幅も広いらしく、水深もそれなりにあった。コーデッカ王国領内までは船での交易が可能なのだと伯爵が保証してくれていた。


(ふむ、今のところは水路として文句無しだな!)


 ネスケラが提唱していた川を使っての交易は、いよいよ現実味を帯びてきた。


 一応ステアはキンスリー領との交易話を持ち掛けていたらしいのだが、やはり食糧に関しては色よい返事を貰えなかった。国内は何処も備蓄が苦しく余裕が無いことは知っていたので仕方がない。


「……ん? キンスリー領はジーロ王国と交易をしていないのか?」

「今は止められているようですの。戦時下で安全確認が取れないからという理由で断られているようですの」


 既にステアが伯爵から聞き出していたようだ。ステアもだんだんと為政者らしくなってきた。


「それじゃあ、ジーロは帝国側に付いたってのか? それってヤバくね?」

「いや、ジーロは現状どっち付かずのままだ」


 シュオウの発言をイブキが否定した。


 こう見えてイブキはシノビ集の頭目という立場だ。実際の運営は副頭目のクロガモが行っているが、彼女の耳にもそれなりの情報が届けられていた。


「ジーロ王国側は一貫して、小鬼も管理出来なかったティスペル王国を非難し続けている。帝国側もジーロ参戦を警戒していたのか、早い段階で北部に軍を駐留させているようだ。後手に回り不利を悟ったジーロはしばらく動かんだろうな」

「……どの道、俺たちは歓迎されていない立場という訳か」


 もうジーロ王国領は目と鼻の先だ。


 俺たちは新たな難題にぶつかろうとしていた。

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