第39話 数の暴力
討伐隊はマルコの宣言通り、森の中を流れる渓流へと向かった。
森の川には渡れるくらいの浅瀬が何カ所か存在する。その中でも一番広い浅瀬エリアの奥に、小鬼たちのコロニーがあると予測されていた。
「俺、この森には入ったこと無いんだよなぁ」
港町サンハーレの北には広い森林地帯が存在する。その森の脇にある街道なら何度も通行したが、本格的に森の中に足を踏み入れた事はない。
「森の中は冒険者の領分だからね。傭兵の依頼ではそうそう機会もないでしょ」
フェルの言う通りだ。
俺たち傭兵の主な依頼内容は対人用の護衛である。森で魔獣を狩ったり採集をしたりなどは冒険者の方が遥かに技量は上なのだ。
フェルたち“疾風の渡り鳥”は稀に冒険者稼業も行っていたので、何度かこの森にも足を踏み入れたことがあるそうだ。
「そろそろ例の浅瀬の筈だけど……」
「妙に静かね……」
ソーカとフェルが周囲を警戒していた。先ほどまではお気楽モードなソーカたちであったが、森の中をしばらく進むと彼女らの表情は一変した。
「静かって……俺には普通の森に感じるけどなぁ」
「他の魔獣だけでなく動物たちも全然見当たらない。こういった時は危険信号です、師匠」
「ええ。彼らが逃げ出すような化物が森に潜んでいる証拠よ。ちっ、やっぱりこの依頼には何か裏があるみたいね……」
どうやら小鬼の群れレベルでは済まない何かがあるようだ。
さすがにマルコもCランク冒険者なだけあってか、既に森の異常に気が付いていた。彼は討伐隊に進軍停止の合図を出した。
「おい、どう思う?」
「やっぱ、不味いんじゃあ……」
「だが、小鬼どものコロニーを放置する訳にもいかねえぞ!?」
ベテラン冒険者たちは集まって相談を始めたが、一方で事情を知らない傭兵たちからは不満の声が上がり始めた。
「なんだぁ? 冒険者の連中、急に止まりやがって……」
「小鬼如きに何をビビってるんだか……」
「おーい! さっさと先に進もうぜー!」
森のプロとアマチュアとの間で危機意識に差が生じたのだ。
このままでは良くないと思ったのか、マルコは号令を出した。
「総員! ここからは速度を落として、ゆっくり慎重に進むぞ! 周囲をしっかり警戒しながら進むんだ!」
結局、彼は進む決断を下した。
「ま、正解よね。このまま引いたんじゃあ、何の異変が起こっているのか、分からないままだし」
「でも、フェル。危なくない?」
あの戦いたがりのソーカでさえ危険だと認識しているのだ。それほど森は舐めてかかってはいけない場所なのだ。
すると、先頭付近にいた女冒険者がフェルの方に近寄って来た。確か彼女はマルコと同じ冒険者パーティ“フレイムダイブ”のメンバーだった筈だ。
「フェルさん。うちのリーダーから要請です。先頭で索敵をお願いできませんか?」
「……ま、その方が良さそうね。団長、いいかしら?」
フェルは一応団長である俺にお伺いを立てた。
「OK」
「じゃ、行きましょう」
俺が許可を出すとフェルは女冒険者と共に先頭集団に加わった。彼女が索敵するのなら、少なくとも前方からの奇襲は考えなくて良いだろう。
ベテラン冒険者たちの予測とは裏腹に、一行は何事もなく第一目標地点である渓流の浅瀬へと辿り着いた。
「なんでぇ。結局何もねえじゃねえか!」
「あーあ! 心配して損したぜ!」
傭兵たちはわざわざ大声で冒険者たちに聞こえるように悪態をついた。ああいう輩はことある毎に“自分は勇敢な男だ”アピールをするのだ。そういうのは口ではなく行動で示して欲しいものだ。
「今度からああいった連中を先頭にさせたらどうだ?」
「それもありですね。全速前進しかしないでしょうけど」
ソーカと取り留めのない会話をしながら、俺たちは渓流の対岸へと渡った。
「この先に小鬼どものコロニーがある! 全員、戦闘準備をしておけよ!」
俺は適当な店で購入した二振りの剣を鞘から抜いた。過日の戦争時に、コーデッカ王国軍から借りた武器よりも質が悪そうな剣だが仕方がない。何故か最近、高級武具店では武器の販売を一時止めており、これくらいしか用意する事が出来なかったのだ。
(こんな粗悪品じゃあ、あまり無茶な真似は出来そうにないな……)
小鬼程度なら素手でも殴り倒せる自信があるのだが、数が多いとなると要らぬ生傷が増えるかもしれない。そうなると感染症の心配もあるので、できれば肉弾戦は避けたかった。
浅瀬を渡って少し先に進むと、ようやくお目当ての獲物が現れた。
「前方から四匹! 多分、小鬼よ!」
フェルの声はよく通る。最後尾の俺たちまで彼女の声が聞こえてきた。
彼女の予測どおり、前方から少数の小鬼が現れたようだ。小鬼特有の聞き取れない奇声が後方まで響いてきた。
「よっしゃあ! ようやく戦闘か!」
「逃げるんじゃねえ!」
小鬼たちは大人数の討伐隊を見て臆したのか、すぐに撤退したようだ。小鬼は基本的に臆病な性格なので、単体で人に襲い掛かることは稀だし、相手の数が多ければ大抵は逃げの一手だ。
それを知っていた下級冒険者や鉄級下位の傭兵たちは、チャンスとばかりに連中を追いかけ始めた。
「待って! 周囲に気配多数! 少し様子がおかしい!」
フェルが突撃しようとする者たちを制止させるも、彼らはその忠告を聞き入れず、目の前にいる小鬼たちへ攻撃を続けた。
「おら! くたばれぇ!」
「一匹撃退ぃ!」
血の気の多い連中は少数の小鬼退治に夢中らしく、周囲の警戒を怠っていた。
そんな連中の元へ森の奥から多数の矢が飛来してきたのだ。
「あひゅっ!?」
「があっ!?」
闘気もまともに扱えなかった者は次々と矢の雨の餌食となった。
「ちぃ! 奥に亜人種多数! それと両サイドからも大勢の亜人が迫って来ているわ!」
「総員、三方向に迎撃態勢! 矢に注意しろ!」
まさか小鬼たちが矢を使ってくるとは思わなかったのか、闘気を使える冒険者や傭兵たちは今頃になって闘気による身体の強化を始めた。また僅かにいる神術士の盾となるべく一歩前に出た。
こちらの迎撃態勢が整った頃には、両側面から小鬼たちが姿を見せた。その数……
「おい、嘘だろ……」
「まだ沸いて出てくんぞ……」
「一体……何匹いやがるってんだよぉ!?」
木々の間を小鬼の群れが蠢いていた。とても数えきれない。ぱっと見の目算でも100匹は優に超える数だろう。
「ソーカ! お前は右側な! 俺は左側の連中を狩る!」
「了解です!」
この人数差は鉄級の傭兵如きではどうにもならない。ここは俺たちが前に出るしかなかった。
「む、無理だ!?」
「こんな数……倒せる訳がねえ……!」
いくら雑魚の小鬼相手といえども、この数の暴力にはベテランでも決死の覚悟が必要だ。そんな覚悟を微塵も持っていなかった連中は早々に戦意喪失し、何人かは包囲が開いている後方へと逃げ出し始めた。そのほとんどが、依頼を放棄してもなんのペナルティも科せられない傭兵たちであった。
傭兵が任務を放棄しても、成功報酬が支払われないのとランクが落とされるだけで済む。そういった理由も有り、傭兵は勝てないと判断した相手にはすぐ逃げるのが鉄則でもあった。その代わり、その傭兵団の信用は大きく失われるであろう。
一方、冒険者たちが任務放棄すると成功報酬は当然無しでランクにも影響する。更に故意に任務を放棄した場合、きついペナルティが科せられる場合もある。勿論、正当性があれば撤退する事は認められているのだが、この場合は果たして……
「……て、撤退だ! 総員、撤退!!」
これはさすがに逃げても文句を言われない状況だ。
マルコもそう判断したのか、彼は早々に討伐隊へ撤退指示を出した。それと同時に残っていた冒険者や一部の傭兵たちも全員揃って逃げ始めた。そこに協調性や計画性は微塵もなく、全員ひたすら森の出口を目指して全速力で走りだしたのだ。
「師匠、フェルが……っ!?」
「ちぃ!? このままじゃあ、取り残されちまうか!?」
先頭で索敵に当たっていたフェルは一転、殿にされてしまったのだ。彼女は弓こそ超一流の闘気使いだが、近接戦闘は基本的に不得手であった。
「ソーカはフェルの元に行ってくれ! 俺がこいつらを足止めする!」
「了解!」
ソーカは目の前の小鬼たちを斬り捨てると、すぐに部隊後方へと向かった。
「おい、小鬼ども! この双鬼様が相手になるぜぇ!」
(同じ鬼仲間だ。仲良くしようじゃない!)
ソーカという防波堤を失った反対側の小鬼集団が背後から迫っていた。そんな状況下で俺は前にいる小鬼の群れも同時に相手をしなければならなかった。
既に味方のほとんどは逃げ出したか、遅れた者は小鬼の群れに飲み込まれてしまった。よって、今は周囲を気遣う必要なし。
「これならどうだ!」
俺は剣を持った両腕を横に広げると、その場でくるくると回り始めた。
「わはははは! これなら近寄れないだろ!」
闘気を籠めたグルグル回転コマの剣戟は、近づいてくる小鬼たちをズタズタに斬り裂いていった。それを見た先頭の小鬼たちは臆するも、後方から次々と小鬼たちが進軍し、それに押される形で前の小鬼たちから順に細切れにされていく。
(あーあ、可哀想に……うっ!?)
ずっと回っていた所為か、俺は気持ち悪くなってふらついてしまった。どうやら三半規管は闘気でもそれほど強化してくれないらしい。
「やべっ、気持ち悪っ……!」
停止した俺に向かって小鬼たちが迫って来るが、突如上空から降って来た矢がそれを阻んだ。
「何やってんのよ! さっさとずらかるわよ!」
見上げると、木の上にフェルが立っていた。ソーカも一緒である。
「あ、なるほど! その手があったか!」
木の上は小鬼の姿も無い。連中は木登りが苦手なのだろうか。
「よっと!」
俺はその場から跳躍して枝の上によじ登る。
すると、何人かの小鬼たちが木を登り始めた。どうやら全く登れない訳でもないようだ。
登れない小鬼はそこらで拾った石をこちらに投げたりしていたが、俺たちという餌に群がった小鬼たちは後方の同族集団からも押し込まれ、カオスな状況が生み出されていた。
既に何匹かの小鬼が同族に踏みつぶされたり圧死したりしている。
「……こいつら、馬鹿か?」
「うげぇ、凄い数……」
「こんなの、初めて見たわよ……」
俺たちは必死になって上によじ登ってくる小鬼たちを蹴落としたり、剣でツンツン突いたりしながら地上の地獄絵図を観察していた。
先程は100匹を優に超えているなと思っていたが、どうやら桁が一つ二つ違っていたようだ。
「こんな群れ……絶対コロニーの一つ二つってレベルじゃ済まないわ……! ギルドの連中、これを隠してた訳か……! あ・い・つ・らぁ……っ!」
フェルが鬼の形相で小鬼たちを睨んでいた。
「どういう事、フェル?」
「ソーカも知ってるでしょう? 小鬼は放置すると大災害を引き起こすって。だからギルドは各支部で常時討伐依頼を出し続けているし、処理が追い付かなくなった場合は今回みたいに大規模な討伐隊を編成させるの。連中、恐らく日頃の駆除をサボっていたのね!」
同じ亜人種でも、肉の美味しい豚人とは違って、小鬼は倒しても何の益も無い。小鬼の肉は不味いし、どこの部位も素材として使い物にならないらしく、粉々にして撒いても畑の肥料にすらならない厄介者なのだ。
故に放置できない小鬼の討伐は、経営が苦しいギルド支部にとっては常に悩みの種であった。それでも小鬼退治は大事な仕事なので、国やギルド本部からは助成金が出ているらしい。
稀にそれを着服して懐に入れる不逞の輩が存在するそうだが……
「そうでもなければ、こんな数になるなんてあり得ない! ギルドの連中、ミュスの落日を知らないっての!?」
ミュスの落日とは、小鬼退治を放置し続けた国が実際に滅亡しかけた大事件だそうだ。その小鬼大繁殖の余波は周辺国家にまで波及し、かつての大国であったミュス王国は周辺国から猛烈に非難され、侵略戦争の口実にまでされた程の大罪だ。
小鬼の猛威と周辺国との武力によって、ミュス王国はかなりの領土を削り取られ、現在では弱小国家に成り下がってしまった……という実話らしい。
「小鬼が国を滅ぼすのかよ!? 冗談じゃない!」
「その冗談みたいな事が、今現実に起ころうとしているのよ!!」
木々に登ったお陰で周囲が良く見渡せる。遠くの方まで小鬼がうじゃうじゃ沸いている光景を見せられると、それが誇張でも冗談でもなく、事実その通りである事がよく理解できた。
(国の存続は兎も角、こんな群れが森の外に出たら……サンハーレは間違いなく壊滅するぞ!?)
そうなれば俺たちの住んでいる郊外エリアも危険だ。このままではエビス邸や孤児院まで小鬼の被害が及びかねない。
「どうすればいい!? フェル!」
「とにかく、これ以上増えるのを阻止するの! 小鬼はコロニー内に牝を集めて出産する為の安全な場所を作るわ! そこを徹底的に潰していきましょう!」
「さっき、コロニーが複数あるような事を言わなかった?」
ソーカが尋ねるとフェルが頷いた。
「ええ! こんなバカみたいな数、普通のコロニーじゃあ絶対に納まりきらない筈よ! この森中にある小鬼のねぐらを全て潰すの!」
「だが、何時までも時間を掛けていたら、町まで小鬼が溢れちまわないか!?」
「一刻の猶予も無いわ! だから同時にやるのよ! 町の防衛と連中の棲み処を襲撃、二班分かれて行うの!」
「そんな無茶な!?」
さすがのソーカも泣き言をこぼした。
「無茶でも無理でもやるしかないでしょ! ケリー!!」
「ああ、そうだな。俺とフェルでコロニーを潰して回る。ソーカは大至急、エビス邸に戻って仲間たちに声を掛けてくれ! 子供たちの避難と町の防衛を任せた! 余裕があったらコロニーの殲滅を手伝ってくれると助かる!」
「うん! 二人とも、絶対無理しないでね!!」
(うーん。これ、無理しないと無理だろう。せめて武器がまともならなぁ……)
こんな事ならコーデッカ王国で武器を購入しておくべきだった。
「フェル、そのコロニーとやらの位置は分かるか?」
「小鬼の声が煩いし臭いしで索敵が難しい。でも、連中の出処を辿って行けば見つけられるかも……」
数が多過ぎて、逆に索敵が難しくなってしまったようだ。
「あと、小鬼の上位種がいるわよ。絶対に」
「……だろうな」
こんな大群が今まで森の奥に引っ込んでいたのだ。おそらくこの小鬼たちは統率されており、こいつらにある程度の指示を出せるリーダー的存在がいるはずなのだ。
そいつを先に倒すべきか……
「言っておくけど、小鬼の頭を潰すのは愚策よ。今そいつを潰したら、統制の取れなくなった小鬼の群れが森や外に拡がって、より収拾がつかなくなるわ」
「そうなるのかぁ……」
リーダーのような個体を見つけても、今はそいつに手出し厳禁ときた。
(何、この縛りプレイ!? 全く、この世界は……)
相変わらずハードなこの世界に俺は悪態をつくのであった。
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