直球で返さないでくださいよ
正式に宮﨑さんが異動して一週間が過ぎた。隣の部署ということもあり、未だにちょこちょこ質問で会話することはあってもやっぱり何だか少し感覚は変わってしまっている。
それから初めて迎えた週末、土曜日は疲れが溜まっていたせいで最低限の家事をこなした以外は自宅でダラダラ過ごしてしまった。
二人だけの送別会以降、文章を書くことを再開したのは鞠さんと話したことがきっかけという事実が少し恥ずかしいけれど、あの日から時間がある時はパソコンと向き合うようになり、1日に数十分ずつでも時間を取るようになった。
小説家を目指そうというわけではないけれど、何かを書くということはやはり楽しかった。
それを思い出させてくれた彼女に感謝こそしつつも、それを伝えることはできなかった。
執筆……というには少し恥ずかしいけれど、書く前にSNSでもチェックしてみるかとアプリを開いた。そういえば、あの日にフォローして以来彼女のアカウントがタイムラインに出てきたことはなかった。埋もれていたというほうが正しいのかもしれない。
フォローリストから彼女のアカウントを探し、プロフィール画面へ移る。
「……昼も営業してるんだ」
投稿トップに固定されてるものを見ると、今週の出勤は昼が多いという言葉に合わせて、予定が投稿されていた。
コンセプトカフェという言葉の『カフェ』を抜き取って考えてみるなら、確かに昼営業というものがあってもおかしくないのかもしれない。
液晶の左上に映し出される時計を見ると、まだ今から支度をしても十分に彼女がいる時間には間に合うようだった。
逡巡して、結局俺は部屋着を脱ぐことにした。
今までそういう店に行くのは宮﨑さんに連れられて行くくらいだったし、あまり楽しさを理解できずにいたのだが、彼女との出会いは一人で行く気恥ずかしさを超えるくらいには良いものだったという結論だ。
記憶をたどって到着したビルの入口で少し戸惑ったが、決意して扉を開けた。
「お帰りなさいませ、旦那さま」
ドアを開けると鞠さんと千雪さんの二人だけが店内にいた。
旦那さまと迎えられるのは人生できっとここだけなんだろうなと妙な感動すら覚えてしまう。
「あれ、見覚えありますね、えーっと」
千雪さんが思い出すように上を見上げていて、横から鞠さんが補足する。
「隼人くん……ですよね?」
覚えられていたという安心感と、それでいて一人で来てしまったという恥ずかしさで悶えてしまいつつ、同意の返事を示した。
「はい」
「あ、ゲーム好きな旦那さまと一緒に来てた?」
「そうです」
「あ〜! 思い出しました! 鞠ちゃん、お兄さんとまた話したいって言ってたから。ささ、空いてる席にどうぞ〜」
促されて、カウンターの一番奥に腰掛けた。何となく真ん中に座ると他の人が来た時に気まずい気がする。
勢いで来てしまったけど、昼間だし別にアルコールは要らないんだよなぁ、どうしようかと悩んでいると、鞠さんがカウンター越しにメニュー表を差し出した。
「えっと、うちのお店、夜は飲み放題のセットもあるけど昼は普通にカフェ営業してるので。ごはん類もあるし、ドリンクもノンアルでお茶とかあります。席料は1ドリンクで60分って感じですね〜」
メニューを改めて見てみると、わり食事のラインナップも豊富だった。前回来た時は飲むつもりでしかなかったから気がついていなかった。
「お勧めあります? 昼、まだなんですけど」
「私はCランチですね。ボリュームあるし」
うら若き女性がボリュームがあって良い、と表現するのは何だか逆に真っ当な評価な気がして、つい笑ってしまう。
「いいですね、じゃあそれと……温かい緑茶ください、これ」
「かしこまりました! それでは少々お待ちください〜」
そう言って、鞠さんはメニューを千雪さんに告げると再びこちらに戻ってきた。どうやら、千雪さんがキッチンに入っていくようだ。
「あれ、ごはんって千雪さんが作るんですか?」
「いやいや、まさか。うちのオーナーが料理好きなので、昼だけオーナーがキッチンにいるんです。うちのお店以外にも手広くやってるから、夜はそっちに行っちゃってごはんはないんですけど」
多才な人もいるもんだと思っていると、ニヤけ顔でこちらを見ながら彼女が話題を変えた。
「今日、お一人ですか? もしかして私と話したくて?」
「あ、はい。そうです」
入店してしまった以上、隠すのも逆に恥ずかしい。同意して返した。
「えー、やだ、直球で返さないでくださいよ、恥ずかしい。いじろうと思ってたのに」
「照れる方が恥ずかしくないですか?」
「いやいや、そこはほら、様式美というか」
そんな軽口を叩きあってみたり。
「もしかしてSNS見てくれてます? 出金確認してから来てくれました?」
「あ、はい。仕事休みだし、久しぶりにちゃんとSNS見てたら出勤してるんだって」
わざわざ投稿を確認してみたということは黙っておこう。この様子だと、口を滑らせたら更にいじられてしまうのかもしれない。
「そうですよ〜。ていうか、もっとコメント送ってくださいよ! あんまりたくさんはやり取りできないけど、少しはお返事できるから」
少しは、っていうのはお店のルールか何かなのだろうか。確かに、お店に来なくてもSNS上でいくらでもやりとりができるのようであれば、ここに来る理由も一つ減るからそれも至極真っ当なものに思える。
「ていうか、送ってよかったんですね」
「良いですよ! 無理にとは言いませんけど、何か反応できそうなこととかあれば!」
「りょーかいです」
そんなやり取りをしたところで、千雪さんがトレイを持ってキッチンから出てきた。
「お待たせしました、Cランチです」
目の前に置かれたのは確かにボリュームがある定食だった。サラダ、クリームコロッケ、厚切りベーコンにハンバーグと、小さなカップにはオニオンスープが注がれている。
「確かにこれはボリュームありますね」
「そうなんです!」
わざとらしく自慢げに鞠さんが頷いた。
「ささ、お召し上がりください」
「頂きます」
両手を合わせて小さくつぶやき、ハンバーグを小さく割って口に運んだ。
「あ、美味しい」
職業上、こういうところで出てくる揚物やハンバーグは冷凍食品だという偏見があったけれど、どうやらそんなことはなさそうだった。先程彼女が言っていた、「料理好きのオーナー」とやらは、しっかりこだわって手捏ねしているのかもしれない。
「うんうん、うちのご飯をその辺のコンカフェと同じにされたら困りますよ」
「そうなんですね」
「うちみたいにこだわって作ってるところ、たぶんないです」
想像してたよりしっかりした味に驚かされながらも食事を続ける。
「それにしても、今日は本当に私と話しに来てくれたんですか?」
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