俺の方が顔は良いのに

 眠い目を擦りながら出勤すると、既に営三のメンバーは揃っていた。宮﨑さんと同じく異動が決まった課長、在庫管理を中心に担当している小島係長、唯一の女性である知可子さんに加えて、対面のデスクにいる宮﨑さんはコーヒーを飲みながらパソコンを立ち上げている。

「おはようございます」

 俺の挨拶にはまばらな返事。机の下にバッグを置いて、俺もパソコンを起ち上げた。

「黒沢くん、今日の16時から引継商談よろしくね」

「宮﨑くん、黒沢くんにしっかり引き継いであげなあかんで」

 横から口を挟んできたのは知可子さんだった。宮﨑さんと一緒に同じチェーンの違う商材を担当していて、次は彼女と俺がそうなるような引継になるらしい。

 快活で良い人とは言いづらいが、かと言って根っからの悪人というわけでもない。好ましく思っているわけではないが、俺にとってはまあこういう人もいるよねというくらいの存在だ。

 しかし、宮﨑さんからするとどうもそうとは思えないらしく、案の定移動中の車内で口を開いた。

「腹立つわー本当! あんたこそ俺に情報共有しろよって思うんだけど」

 ハンドルを握ったまま苦笑した。

 彼女とコンビを組んでのこの一年、相当に溜まっていたのは飲みに出るたびに聞いていた。

「黒沢くんも本当に気をつけたほうが良いよ。……まあでも、黒沢くんはたぶん好かれるから大丈夫か。あの人、頭いい人は好きだから」

「頭いいわけじゃないですって」

 さっきより苦く笑って返す。

 宮﨑さんはよくこういうことを冗談で言う。彼は地方の私立大学出身らしく、自分のことをバカだと表現した後に、それでも旧帝大出身の黒沢と同じ仕事やってるんだからー、と。

 俺からしてみると、大学に受かったのは運が良かっただけだし、そもそも仕事のできるできないに今のところ学力の要素を微塵も感じていない。

 何となくで就職してそこそこに働こうとしている俺なんかより、圧倒的に彼のほうが優秀だし尊敬できると思っている。

 仕事に対してモチベーションがあるわけではないが、こういう風になりたいという目標である彼が近くにいてくれたことは幸運だったと思う。

「知可子さん自身も頭いい大学出てるでしょ? どこかは覚えてないけどさ。黒沢くんがうちの配属になるって聞いたとき、嬉しそうだったもん。『この子は使えそうやな』って。俺の方が顔は良いのに」

「それ言いたいだけじゃないですか」

 いつものオチに今度は本当に笑った。人気の俳優の顔に似ていると自称する彼は、俺のことを上げたあとはこうやってルックスで自分を上げる。 

 見た目に限らず、コミュ力や理路整然とした態度など、俺にとっては尊敬する先輩でしかないのだけど。

「何にせよ、頑張ってよ。課長も新任だから知可子さんには強く出られないだろうから、黒沢くんがちゃんと違うところは否定しないと」

「うーん……頑張ります」

「頼むよ」


「おっ、宮﨑さん。聞きましたよ〜ご異動なんでしょ?」

 案内された商談スペースに現れるなり彼にそう声をかけたのは、一年前に研修みたいな形で商談同行した際にも会ったことのある廣綱チーフだ。

 180cmを超える宮崎さんより更に大きく、体格もしっかりしているので一見すると威圧感に溢れているが、その一方で物腰は柔らかかった。大手チェーンのチーフバイヤーだというのに、そうは感じられない。

「そうなんです〜。私も廣綱さんと一緒に何か発売させるまでは異動したくないと思ってたんですけど」

「本当ですか〜? クレームばかり対応する担当外れたってホッとしてません?」

「あー……ちょっとだけ思ってました」

「ほらほら〜」

 宮﨑さんもこのチェーンを担当したのはこの1年だけということらしいから、それでいてこの仲の良さはやはり彼の人当たりの良さがあってこそなのだろう。

 そうそう、と宮﨑さんは横に立つ俺に手を向けて廣綱チーフに紹介してくれた。

「二年目の黒沢です。以前一度、同行でご挨拶はさせていただきましたが……」

 その声に合わせて一歩前に出て、名刺入れから一枚取り出した。

「改めてご挨拶させてください。宮﨑の後任の黒沢と申します、よろしくお願いいたします」

 身長差が10cm以上あるので上目遣いでチーフと目を合わせた。昨年会った時のお客様扱いの笑顔とは違い、俺がどの程度使えるのかを見定められているような気がするのは気のせいだろうか。

「頂戴します。改めて、廣綱です。黒沢さん、宮﨑さんは凄い人だったよ。二年目でしたっけ? 宮﨑さんに負けないように、よろしくお願いしますよ」

 どんな評価を受けたのかは表情からは伺えなかった。

 席につくように勧められ、言われた通りに宮﨑さんと並ぶ。

「いやでも本当に、宮﨑さんとの案件は私も楽しみにしてたんですけどね。ほら、うちのエリアって地域商品がなかなか入らないから」

「こちらの力及ばず申し訳ないです。後藤シニアに評価して頂ける提案がなかなかできずに……」

 名前がちらっと上がってきた後藤シニアとは、宮﨑さんから名前を何度か聞いたことがある。曰く、理詰めな暴君らしい。

 廣綱チーフとかなり詰めた商談をして提案したものでも、あっさり「僕は認めないよ」の一言でペンディングとなったと聞く。

「後藤はね〜、本部歴が長いから、こう、とりあえず試してみようがあまりないですからね。私からもプッシュしたんですが、ちょっとね」

 言外に後藤シニアを攻めたような表現になってしまい、宮﨑さんが慌てて言葉を足した。

「ああ、いや、私の提案力不足なので、すみません。ただ、黒沢はやってくれますから! 彼、頭いいから理論立てて提案してくれると思います」

「あら、そうなんですか?」

 いつも通り大学名をあげて、宮﨑さんは俺を上げるように紹介してくれた。

「期待の若手なんですね。宮﨑さん、どの大学でしたっけ?」

「私のことは気にしないでください、去る身なので」

「冷たいな〜」

 二人で笑い合うのを見て、果たして自分が一年後、彼とこんな風に距離感を詰められているのか心配になる。

 その後、宮﨑さんは最後の商談だからといくつかの案件の整理をした。既存で導入されている全国展開商品のエリア版提案と、新規でエリアとして取り組みたいメニューの聞き取りだった。

 社内で二人でもできることを、俺に分かりやすく伝えるために敢えて廣綱チーフを交えていてくれるのがはっきり分かるし、チーフがそれに付き合ってくれているというのも二人の関係性があってこそだろう。

「それじゃ、黒沢さん。次回の商談楽しみにしていますね!」

 去り際に廣綱チーフにそう告げられて、頑張りますと精一杯の笑顔で返答した。

 帰りの車内では「廣綱さんは良い人だから。後藤シニアはやばいけど、直接話すことも殆ど無いし、シニアがいる時はこっちも上の人がいるからさ」と補足された。

 ああ、少しではなく気が重たい。

 何も後藤チーフに限った話ではない。

 廣綱チーフの言う通り、コンビニの商品は流通量が多いだけに消費者クレームの数も少なくない。俺ですらこの1年で数え切れないほど対応してきたが、宮﨑さんの対応数はそれを上回る。

 他にも、与えられる予算が大きいからこその他部署からのやっかみや好奇の目、導入へのハードルの高さ等、考えればきりがないほどだ。

 わざとらしく小さくため息をつくと、宮﨑さんが笑いながら言った。

「大丈夫、今は気が重くても担当外れたらめちゃくちゃスッキリするから。……俺みたいに」

 いや本当、いい性格してるよ、この人は。

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