第56(4)話

 七海の周りには、体中に罅が入り、ボロボロと崩れ去っていく多数の屍鬼たちが横たわっている。彼女はそんな屍鬼たちに目もくれず、二本の小太刀を鞘に納めた。

 七海は小太刀を鞘に納めると、物陰に隠れていた俺の方へ振り返る。

「……」

 その顔を見て、俺は彼女に何か心境の変化があったのかと疑問を覚えた。具体的に何とは言えないが、いつもよりその顔が清々しいような気がした。

 もしかしたら先日、七海と公園で少し話したからだろうか。彼女はあのとき、ありのままの自分を吐露していたようだった。自分の感情をようやく口にしたような感じだった。そのおかげで、一つ彼女を束縛していた何かがなくなったのだろうか。もしそうであれば、彼女の役に立てたようで嬉しいが……


 七海がゆっくりとこちらに向かってくる。

 またかすり傷を負っていたら、自分の魔導薬で治してあげよう。

 そう思っていると――、


「七海ッッ」


 彼女の背後から忍び寄る影が見えた。おそらく、撃ち漏らした屍鬼がまだいたのだろう。屍鬼は狂った嗤いを浮かべ、背後から彼女に襲い掛かろうとしている。

「ッッ⁈」

 七海も俺の声で敵に気がついたようだ。振り返った瞬間、目を見開いて驚く。さすがに今からでは七海の詠唱が間に合わない。

「七海、伏せてッ」

 俺はとっさに掛けていたバッグから小瓶を取り出し、屍鬼に目掛けて投げつける。

 七海はすぐさま身を屈めてくれた。


 赤色の液体が入った小瓶は弧を描いて屍鬼に向かって飛び、少しして、パリンという音を立てて屍鬼の額にぶつかる。

 次の瞬間、空気に触れた中身の液体が火を噴き始めた。

「ッッ⁈」

 何が起こったのか分からず、屍鬼が驚愕の表情を浮かべる。しかし、その間にも瞬く間に炎が屍鬼の体全体に燃え広がり、屍鬼の体を炭へと変えていく。

 やがて、屍鬼は断末魔を轟かせながら、全身を炭へと変えた。


「……、今のはなに?」

 炭になった屍鬼に視線を落としながら、七海が問いかけてくる。

「魔導薬、空気に触れたら着火するようになっている」

 彼女に近づきながら俺はそう答えた。

「魔導薬ってこんな使い方もできるんだ……」

 七海は残り火を見ながら感心している。

「昨日作った新作。すごいだろ?」

 先日、俺は七海に、彼女のために自分のできることがしたいと宣言した。今も魔導薬を使った治療を彼女にしているが、それだけでは不十分だと感じて、怪異と戦うための魔導薬も実験していた。

 今さっき使ったのがその実験の成果だ。

「うん、すごい。それと、……助けてくれて、ありがとう」

 目を伏せながら七海は感謝の言葉を述べた。

「……」

「どうかした?」

 俺が何も言わないことを不審に思ったのか、七海が目線を上げる。

「いや、七海がお礼を言うなんてって思って……。ちょっと驚いていた」

 俺の言葉に七海がむすっとした表情を浮かべる。

「なにそれ? 私がお礼も言えないような人間だって思っているわけ?」

「いや、そういうわけじゃなくてっ。ほら、七海って夜は俺に当たりが強かったからさ」

 最初は彼女に殺されかねない勢いだったし、彼女と同行するようになってからもその態度は厳しかった。

「……悪かったね、その……、当たりが強くて……」

 どうやら彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。これからは余計な一言を挟まないよう気を付けよう。


「ほ、ほら、次の怪異のところに行こうか?」

 これ以上彼女の機嫌を損ねないよう、話題を変えることにした。

 しかし、七海は、

「……」

 じっと俺を見つめてくる。正直、冷や汗をかいた。

 そして、七海はハア、とため息をついて、

「……そうね」

 と口にしたのだった。

 この後の怪異討伐では、なぜか七海はさらに怪異に対する当たりが強かった気がする。

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