利害関係の先
黒月水羽
研究所の日常
提出期限は今日の十一時五十九分。すでに時計の針は三分を切っており、恵茉は間違いがないことをざっと確認すると送信のボタンを押した。間違いなく送信されたことを確認してから息を吐き出す。両手を伸ばし肩を回し、凝り固まった筋肉をほぐす。
今日が締め切りだと気づいたのが三時間前なので多少雑なところはあるが、問題はないだろう。恵茉が保護観察している発症者はこれといった問題行動もとっていないし、なんなら異能局に協力している立場だ。文句を言われたら逆に言い返してやるところである。
終わったという開放感からぼんやりしていると時計の針が零時を指した。日付が変わったのを眺めながらどうしようかなと悩む。頭を使いすぎた反動か眠気が飛んでいる。かといってこのままずるずると起きていると明日に響く。明日は明日でやらなければいけないことがあるのだから寝た方が良い。そう頭では分かっているのだが疲労のせいで体を動かす気にならない。
ノックの音が響いたのはそんなタイミングだった。こんな時間に恵茉の部屋を訪ねてくる人間は限られる。身内のような相手に気を遣う必要はないので恵茉はけだるさを隠さないまま「入れ」と短く返事をした。すぐさまガチャリとドアの開く音がしたのでチラリと視線だけそちらへ向ける。
「お疲れ~。間に合った?」
深夜には似つかわしくないまぶしい笑顔を浮かべた白い肌に白い髪をした青年が部屋に入ってくる。その後ろに続くのは褐色の肌に黒い髪をした表情の乏しい青年。白と黒。真逆の色をした二人は正反対に見えて実に仲が良い。それを恵茉はよく知っているし、その様子を先ほど報告書で提出したばかりである。
「俺たちのことをものすごく優秀、真面目、元気。問題なしって報告してくれたか?」
真顔でそんなことをいうのは黒い方、希。先ほどまでかじりついていたテーブルの上にお盆ごと置かれたのはホットミルクとわざわざ器に盛り付けられたアイスクリームだった。認識した瞬間に恵茉の疲れ切った頭が糖分を欲し始める。すぐさま恵茉は用意されていたスプーンに手を伸ばし、シンプルなバニアライスを口にはこんだ。
「さすが希、気が利く。とても気が利く良い子だと次の報告書には書くからな」
「今回は書かなかったのか」
「大急ぎで書いたから何書いたか覚えていない」
「えーそれ大丈夫? やだよ俺、異能局にいかなきゃないとか監査はいるとか」
ちゃっかり自分の分も持ってきていたらしい満は床にあぐらをかいて座りカップアイスを食べている。この分だと恵茉を労ろうとしたのは希の方で満は深夜アイスのおこぼれを貰おうとしただけらしい。
「次のには満はちゃっかり者で油断も隙もないって書いておくな」
「まって。やめて。変な因縁つけられたら本当に呼び出されちゃうから」
満が悲痛な顔をする。患者の今後は保護観察官が提出する報告書の内容によって左右されるので必死である。それが分かっているからこそ恵茉はなにも言わず無言でアイスを口に運び、続いてホットミルクを飲む。暖かいと冷たいが胃の中でミックスされてちょうど良い塩梅だ。
「ねえねえ、所長。冗談だよね? 変なこと書いてないよね? 書かないよね」
「書いて欲しくないならもうちょっと媚びうったら?」
「所長! お疲れでしょう! 肩もみますよ!」
呆れた希の言葉を聞いて満はわざとらしく手もみしながら近づいてきた。肩がこっているのは事実なので無言で背中を向ける。肩に乗せられた手は白く、大きい。中性的な容姿や子供っぽい言動から忘れそうになるが満は成人した男性だ。そして自分は何年生きても中学生の小さな体のままである。
世間には異能症と呼ばれる病気は過度なストレスを受けることによって発症する。発見者によれば防衛本能の一環。過度のストレスから身を守ろうと内に秘められた力が異能として発現するのだ。発現する異能はストレスが限界を迎えたとき、一番強く願った思いが大きく影響することが分かっている。
恵茉が発症したときに願ったのは「老いたくない」であった。だから恵茉は老いない異能を発現し、百年ほど中学生の姿のまま生きている。
目の前にいる二人も恵茉と同じ病気を発症しており、それぞれ異能を発現した。国はそういった患者を保護という瞑目で管理し、症状が重い患者には保護観察官がつく。
恵茉が本日提出したのは二人の保護観察報告書でありこの提出が遅れると国から監査が入ったり、異能を管理している部署に呼び出される。これを無視すると国に対して害意があると見なされ指名手配され、報告書の内容によっては保護観察官が変わったり、国が管理する施設に収容されることになる。患者にとっては今後の人生を左右する重要なものなのだ。
そんな報告書を提出する保護観察官と患者の関係は一般的には良いとは言えない。異能が社会に浸透してから数十年しかたっていないこともあり偏見や差別は強く、患者を脅迫する保護観察官もいれば良い報告書を出してもらうために保護観察官を買収する患者、その関係者も後を絶たない。
一人の人間の判断に患者の人生が左右される。この仕組みがまちがっているのだろうが、ではどうするかといえば答えは出ない。異能の存在が浸透してきたといっても人類は未だ異能との付き合い方を計りかねている。
「自分の研究に熱中しすぎて、俺たちの報告書を当日まで忘れてた所長が悪いともいえるけど」
絶妙な力加減で肩をもんでくれる希のおかげでぼーっとしていた恵茉は満の言葉でハッとした。満の言葉と共に肩をもむ行為をやめた希がじっと恵茉を見下ろす気配がする。自分が悪いという自覚があるだけに顔をみることができない。笑っていない希は顔が整いすぎているせいか作り物めいて怖いのだ。
しかし次に満か発せられた言葉は子供がふてくされるような軽いものだった。
「アイスに飲み物をみつぎ、肩もみまでしたのに……!」
「アイスと飲み物は俺だ。自分の手柄にするな」
「ひどい! 所長! 俺の純情を弄んで!」
「勝手にお前が肩もみ始めたんだろ。所長が俺たちが不利になるようなこと書くわけないのに」
心底呆れきった様子の希とわざとらしく鳴き真似をして恵茉に抱きついてくる満と体温に恵茉はこわばっていた体の力を抜いた。
責められるかと身構えたのに信頼されている示されてムズムズする。自然とあがりそうになる口角を抑えつけようとするがどうにもできず、恵茉は誤魔化すためにホットミルクを飲むことで口元を隠した。
「忘れていたのは私の落ち度だがな、お前らは私にもっと感謝するべきだ。ここまで患者を自由にしている保護観察官は少ないんだからな」
「知ってるし、感謝している」
照れ隠しにいった憎まれ口にやけに真摯な言葉が返ってきてドキリとした。視線を向ければ満が穏やかな顔をして恵茉を見つめている。信頼していると伝わる眼差しに恵茉は照れくささと、あの希が感謝を素直に言えるようになったのだなという感動のようなものを覚えた。
初めて会った時、希は自分に絶望していた。異能を発現するということは普通の人間としては生きられないということだ。どこに行くにも何をするにも監視がつく。常に他人に見張られ問題行動を取れば容赦なく閉じ込められる。そんな境遇を憂いて自暴自棄に陥る患者はたくさんいる。
かつての希もその一人だった。だから恵茉は希の保護観察官を引き受けた。その選択は間違いではなかったと確信している。
「俺も拾ってくれたのが所長で良かった。所長じゃなかったら今頃俺はどうなっていたことか……」
「闇市とかに売られてそうだよな」
「わー、俺高値でうれそー」
死んだ目をする満は自分の容姿が他人にどのように見えるかよく分かっている。というか恵茉が分からせた。そうではないと好奇心旺盛で誰にでも人なつっこく近づいていく性質の満は自ら危険に突っ込んで行きかねないからだ。
「お前らは本当に手間がかかるなあ」
「なんか自分が面倒みてるみたいな空気だしてるけど、所長が人間らしい生活を送れているのは俺のおかげ」
「希がいなかったらご飯食べるのも寝るのもお風呂入るのも忘れるもんね、所長。良かったね希がいて。希に感謝した方がいいよ」
一瞬で形勢が変わったことに恵茉の頬は引きつった。言い返したいところだが希と満がいうことが最もすぎて言い返すことが出来ない。
「お前らを拾って救われたのは私の方かもな……」
なんとはなしに口から漏れた言葉が胸にしみこんだ。口にすると妙にしっくりする。なるほど自分は救ったようで救われていたらしい。
自然と笑えてきてついつい声をあげて笑ってしまう。急に笑い出した恵茉を見て希と満は目を丸くした。
「拾ったのがお前らで本当に良かった」
中学生で止まってしまった体。いつか病気を治して普通の人間として生きて死ぬために、病気を治すために研究を続ける日々。知らず知らずに溜まっていたであろう疲労、ストレスを緩和してくれたのは目の前の騒がしい奴らに違いない。
希と満は自由に生きるため、恵茉は研究を続けるため。利害の一致で始まったドライな関係であったが、今は利害以外の気持ちもある。希が入れてくれたマグカップの暖かさを感じながら恵茉は目を閉じた。
今日はよく眠れそうだと恵茉は笑った。
利害関係の先 黒月水羽 @kurotuki012
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます