第32話

 新学期に入ったと思ったら、もう九月も下旬に差し掛かっていた。

 三週間に一度の約束の日。今日は、久しぶりにリホさんの家へ訪れる。


「なんだか、少し緊張します……」


 夏休み中は行き過ぎて感覚が麻痺していたけれど、やっぱりリホさんの家に行くのは冷静になってみれば緊張してしまう。

 誰かに見られたら問題視されてしまうかもしれないという不安もあるけれど、それ以上にリホさんと二人きりの状況というのは想像しただけで顔が赤くなる。

 いつも通話して声を聞いているし、学校でよく彼女を見かけるのだけれど、そういうのとは少し違う。何が違うのかは自分でも良く分からないけれど。


 今日の私はオーバーサイズのカーディガンを羽織っている。

 新学期初日以降、リホさんから口酸っぱく、外出するときはボディラインが隠れる服を着て欲しいとの要望を受けていたためだ。

 あまり意識したことは無かったけれど、リホさんからもを向けられていたりしたのかな、とか思うと恥ずかしくなる。

 そして、ちょっと嬉しかったりもする。

 

 そんな事を考えているうちに、私はあっと言う間にリホさんの家に到着していた。

 彼女の部屋のチャイムを押して暫くすれば、扉が開かれる。


「おはよ、ハルさん」

「おはようございます、リホさん」


 可愛らしいエプロンを纏った彼女がそこに居た。

 


 彼女の部屋は何やら美味しそうな香りに満ちている。

 その匂いを嗅いだら誰だって同じ料理を想像するだろう。

 カレーだ。


「もしかして、今日のお昼ですか?」

「そーだよ。朝から仕込んでるんだー。なんか凝ってみたくなっちゃってさ」


 料理好きな人というのは唐突に凝った料理を作ってみたくなるのだろうか。

 私にはその気持ちは理解できないが、そんな素晴らしい趣味をお持ちの方なら是非とも結婚したいと思う。

 ただし、必須条件は名前が松風里穂であること。

 

「ああ、早くリホさんの手料理が食べたいです。最近コンビニ弁当の生活に戻って、夕食が侘しいです」

「前に自分で料理出来てたじゃん……また饂飩でも作りなよ」

「無理です……自分の為に料理をするとか、仕事終わりにそんなモチベーションはちっとも沸かないです」


 リホさんからは大きめの溜息を吐かれてしまった。

 そんな風にされても困る。

 リホさんの為なら苦労することを厭わないけれど、自分為となるとどうにも力が入らないのだ。


「これは、失敗だったかな……」


 またしても溜息を吐いてテーブルの上の置かれていた、ラッピングされた袋を私に手渡す。


「えっと……私の誕生日は今日じゃ…………」

「知ってるよ! 前に聞いたのちゃんと覚えてるから。そうじゃなくて…………まあ、料理の楽しさがちょっと分かったっぽかったから、そのお祝いのつもりで……」

「……開けても?」


 彼女は黙って頷く。

 私がそれを見て、袋を開けてみれば中にはエプロンが入っていた。

 たぶん、彼女とおそろいの柄。


「……これから料理を頑張ります」

「無理しなくてもいいけど?」

「これを着る度にリホさんを思い出します!」

「それはちょっと嫌かも」

「なんでですか⁉」


 彼女が軽く吹き出す。

 彼女とのこんな掛け合いも慣れたものになった。

 

 リホさんは、柔和な笑みを作って私に一言だけ――。


「また美味しいご飯作ってね」


 着て早々、私はもう既に幸せでいっぱいな気持ちになっている。


「……努力します」

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