閑話 原田静香の回想➁
「あ~~~! 気持ち悪~い!」
意識が覚醒すると同時、とんでもない吐き気に襲われ思わず言葉が漏れ出ました。
職場の皆さんと飲み会をしていたはずなのですが、いつの間にやら見知らぬ部屋に。
いったい、何が起こっているのでしょうか?
いや、でも……そんなことより、気持ち悪い!
「し、……ぬぅ……」
声にならない声とでも言うのでしょうか。
私の口からは嗚咽交じりの言葉が自然と零れます。
「大丈夫ですか、原田先生?」
私を気遣う優しい声。聞き間違えるはずもありません、今日、散々その美しい声に聞き惚れていたのですから。
三波先生が私の背後に居ることを確信すると同時に、喉元で押し留めていたモノが抑えきれなくなってしまいました。
「お゛っえ゛えぇ」
――ああ、やってしまいました。
暫定、『三波先生のベッド』に私のモノがぶちまけられていきます……。
死にたいです。消えてなくなりたいです。この場から立ち去りたいです……。
「だ、大丈夫ですか?」
焦ったような声で三波先生が私に歩み寄りました。
ああ、こんな情けない姿を見られてしまうなんて、私はこれから三波先生とどう顔を合わせて生きて行けばいいのでしょうか?
そんなことを思っている間にも、ベッドがどんどんど汚れていきます。
社会人にもなって、初めてお酒を飲む学生のような失敗をしてしまうなんて……。
段々と自分の情けなさに涙が出てきます。
「あぁ……、大丈夫ですよ。よしよし」
こんな最低な状況にもかかわらず、三波先生は私の背をさすり優しく声を掛けてくださいました。
それはもう女神さまのような慈愛を感じます。
しかし、私は情けなさから吐き気が治まっても顔を上げることすらできません。
職場の先輩の家で介抱され、ベッドを汚し、号泣まで……。
惨めすぎます。
「とりあえず、片づけるので……原田先生はシャワーを浴びて来てください。歩けますか?」
亀のように丸まって何もできないでいる私を見かねてか、三波先生はシャワーを浴びるように言ってくれました。
穴に入って一人になりたい気持ちで一杯なので、本当にありがたかったです。
黙って私は、彼女の言葉に甘えてしまいました。
シャワーを浴びて正気に戻った私は、三波先生に平謝り。
どんなお叱りがあっても仕方ない事態なのですが、彼女は聖母の如き優しさで私を許してくださいました。
私だったら、他人の吐瀉物を見た時点で卒倒します。
片づけてあげるとか、たぶん無理です……。
一緒になって吐いてしまいます。
ですが、三波先生は小さな子供をあやすように、私の頭を撫でてこんなことまで言うのです。
「これは、二人だけの秘密です。だから、もう大丈夫です」
ここまで来るともう優しすぎて逆に怖いです。
私は三波先生にお礼を言う事しかできません。
「……ありがとうございます、三波先生」
年齢的にはたったの 2つしか違わないはずなのですが、私にはない包容力を感じます。
私もあと二年であんな風になるのでしょうか?
――絶対に無理ですね……。
そんなことを考えていると、不意に三波先生の手が私の方へ向かってきました。
咄嗟のことで反応することもできずにいると、彼女は私の鼻先に指で触れます。
先ほど頭を撫でられたことといい、三波先生は自然とボディタッチをしてしまう方のようです。
ちょっと……いえ、だいぶ慌ててしまった私は、彼女から逃げるように後ずさろうとしました。
ですが、どこまでも鈍臭い私は、足を踏み違えて転びそうになったのです。
「おっと!」
三波先生は動じることなく私を受け止めてくださいました。
腰に手を添えて――――。
もう、私は骨抜きです。
相手が同性であるとか、同じ職場の先輩だとか、そういう全てを忘れて彼女にときめいてしまいました。
三波先生は、誰にでもこんな風に接してしまう方なのでしょうか……非常に良くないと思います。
「すみません! 鼻が赤かったので、思わず……」
鼻が赤いと撫でたくなるのでしょうか?
私には分かりませんが、やっぱり良くないと思うのです。
何か良からぬ勘違いを引き起こしてしまいそうです。
三波先生、学校の生徒にまでこんなことしていませんよね……?
色々な意味で心配です……。
三波先生と話をする内に、どうやら私の体調不良は酔いだけが原因ではなさそうだということが分かりました。
夏の暮れとはいえ、碌に水分補給をせずコーヒーばかりを飲んでいたせいで、私は脱水症状になっていたらしいのです。
社会人として、自分の体調管理も当然ながら仕事の内。
良い大人になって『水分補給はこまめにしましょう』なんて当たり前の事すらできないなんて……。
もうダメダメです。一度引っ込んだ涙がまた溢れ出してきそうでした。
どこまでも気分が沈んでいくのが分かります。
私の良くない所です。
でも、簡単に治る性格なら、とっくに治しています……。
「じゃあ、新人時代の恥ずかしい話でもしましょうかね」
ナーバスになった私を気遣ってでしょう。
唐突に、三波先生は過去の失敗談を語ってくださいました。
彼女の話は聞いているだけで身の毛がよだつ恐ろしいもので、自分がそんな失敗をしたらと思うだけで胃がムカムカしてきます。
ついさっき、あれだけ中のモノを吐き出したはずですのに……。
いつか、自分も同じように大きな失敗をしてしまうのではないか。
段々とそんな漠然とした不安にまで苛まれていきましたが、やはり三波先生は、そんな私の心を救ってくださるのです。
「大丈夫ですよ! 原田先生が失敗したら、私が全力で助けてあげますから!」
これまでに見たことのない、彼女の大輪の花のような笑顔に吸い込まれてしまいそうで――。
嗚呼、もう気づかない振りなんてできません。
私は、三波千晴さんに恋をしてしまいました……。
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