第25話

「あの、やっぱり狭くないですか?」

「それは否めない」

「や、やっぱり、私は床で……」

「じゃあ、あたしも床で寝よー」

「病人が何言ってるんですか……。一緒にベッドで寝ましょう」

「ハルさん……大胆…………」

「はぁ……」

 

 時刻は21時を過ぎた頃。

 私とリホさんはベッドの上で向かい合っている。

 シングルベッドに二人というのは、密着状態でもそれなりに狭かった。

 

 目の前にリホさんの顔があって、お風呂上がりの彼女からは石鹸のフローラルな香りが――。

 

 いや! 変な事を考えてはいけない!


「ハルさんから、ウチの石鹸の匂いがする」

「ひっ」

 

 彼女は私の首筋へ顔を寄せてくる。

 思わず変な声が出た。

 態となのだろうか。彼女の吐息が私の首筋に当たってくすぐったい。


 ――こ、これはマズいです!


「リホさん、もうちょっと離れて……!」

「ふふっ、恥ずかしがってる」

「やっぱり態とやってるでしょ!」

「バレたか」


 悪戯っぽい顔を私に向けて笑う。

 彼女の熱はまだ引かないけれど、心身ともに余裕がありそうで何よりだ。

 どちらかと言えば、私の余裕がなくなって来ている。


「明日さ、一緒に家で映画を見ようよ」


 下から覗き込むように私と目を合わせた彼女は、突然そんなことを言う。

 上目づかいでそんなことを言われたら、断れるわけない。


「いいですよ。どんなのを見ましょうか」

「ホラーがいいかも」

「私、ホラー苦手なんですけど……」

「あたしもー」


 じゃあ何でホラーなんですかね……。


 怖いもの見たさという奴だろうか。私には、あの心境が良く分からない。

 努力した先に相応の対価があるなら頑張れるのだけど、ホラー映画をみて得られるものって何なのだろうか。

 一人暮らしの身で怖い映画を見るというのは、中々にリスキーだ。

 家で独りになってから脳裏に浮かぶ恐怖映像がジワジワと効いてくる。あれの感覚が苦手なのだ。

 

「苦手なのに、見るんですか?」

「ハルさんが言ってたじゃん。料理楽しいって」

「……?」

「苦手な物も、ハルさんとなら楽しいかもしれないなって」


 微笑む彼女が美しい。瞳の中に吸い込まれそうだ。

 いや、比喩ではなく、私は無意識に彼女に顔を寄せていた。


 自分の心臓がドクドクと脈動しているのがわかる。

 近づく私から、彼女は目を逸らさない。じっと、私を見つめている。

 

 ――もう、このまま……。


「風邪、うつっちゃうよ」


 頬を赤らめた彼女が、私の唇に人差し指を当てる。


「だから、今はこれで我慢」


 そう言って、彼女は私の唇に当てた指を、自分の頬に宛がう。

 

 どうしよう、むしろ熱が上がってしまったのですが……。


「こ、こらこら、顔を寄せるんじゃない……」

「だ、だって、リホさんが……」


 頭がクラクラして回らない。

 もう既に彼女の熱を貰ってしまっているのだろうか。


 私は何とか踏みとどまっているけど、これ以上何かあったら爆発する。


「ハルさん、エンジン掛かるの早いよ」

「いやいや、これで何も感じなかったら人間やめてます……」


 つい数刻前に告白した相手からこんなことされて、興奮しないわけない。

 心の中はグチャグチャだ。自制心を飛び越えて、彼女を求める気持ちが溢れてくる。

 

「もうちょっと、もうちょっとだけ待ってね」

「さっきの、絶対に聞こえてましたよね……」

「なんのことやら」


 溜息が出る。

 待つと決めたのは自分なのだし、気長に待つけれど。

 とはいえ、待たせるなら変な刺激を与えないで欲しいものだ。

 

「さっさと寝ましょうか……」

「そーだね。今日は良く眠れそう」


 私は中々眠れそうにない。

 まだ、彼女の熱が口元に残っている――。


━━━


 ハルさんの方から気持ちよさそうな寝息が聞こえる。

 昨日は床で寝たって言ってたから、疲れが溜まってたのかな。


 暗くてもう顔は見えない。

 今はどんな表情をしているんだろう。

 

 いつも困った顔で私の冗談に付き合ってくれるハルさん。よく失敗して悲しそうな顔になるハルさん。嬉しそうに微笑むハルさん。

 全部がだ。


 もう自分の気持ちに疑いはない。

 私は、三波千晴に『恋』をしている。


 それが、――怖い。


「あと、ちょっとだけ……」


 私に勇気があれば――。


 暗闇の中、ハルさんの手を探す。


「冷たい」


 掌で触れる彼女の手は、ひんやりとして気持ちよかった。

 ハルさんの手が冷えているというよりも、私の手が熱を持っているのだろうか。

 

 そう、――まだ私の熱は引かない。


『好き』


 彼女のたった一言が、ずっとずっと耳に残っている。

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