第23話

 リホさんの家に入った後、早々にリホさんの体温を確認すると、やはり熱があった。

 今はリホさんをベッドに押し込んで看病をしている。


「約束していたデートは無理ですね」

「ちぇ~」

「また、日程を決めて行けばいいですよ」


 リホさんと薫さんとの和解の件で、彼女と約束したデートの日程が明日だった。

 でも、この様子では、明日に熱が引いていたとしても外出は避けるべきだろう。

 なにせ、明後日からは新学期が始まるのだ。

 無理をして風邪を長引かせるわけにはいかない。


「次はいつ行けるの?」

「土日なら基本的には空いているので、来週にでも行けますよ」

「ほんと? あたし、水族館行きたい! ……けほっ」

「こらこら、ちゃんと安静にしないと連れて行ってあげませんよ」


 あれ、これだとお母さんみたいだな。

 さっきまで、もっと甘い雰囲気だったはずなんだけど。


「はーい。ねぇ、ゼリー食べたい」

「はいはい。少し待ってください」


 まあ、お母さんでもなんでもいいか。

 今の私の仕事は、リホさんを甘やかすことだ。


 気持ちを切り替えて、リホさんがご所望のゼリーを持って戻る。


「どうぞ」


 しかし、リホさんにスプーンとゼリーを差し出すと、彼女はそっぽを向いてしまう。


「え、このゼリーじゃダメですか?」


 そういえば、どんなのが欲しいかとか何も聞かないで、適当なフルーツゼリーを勝手に選んでしまった。

 やはり、私は肝心なところで抜けている。

 

「すみません、違うの買ってきましょうか?」

「ハルさんが、あたしに食べさせて」

「……はい?」

「あたしに『あーん』して」


 ええっと? 『あーん』ってなんだっけ?

 

 いや、そんなボケをかましている場合ではない。


「さ、流石に恥ずかしいですよ……」

「あたしら以外に誰も居ないよ。いいじゃん」


 これは本気で言っているのだろうか? 本気なんだろうなあ。


 誰にも見られていないとはいえ、羞恥心を刺激されてしまうシチュエーションだ。

 

 だって、私もう25歳ですよ? もう、「あーん」とか言ってイチャつく年ではない……。

 

 とはいえ、羞恥心を捨て置けば、リホさんに「あーん」してゼリーを食べさせるなんて……そんなの嬉しすぎるに決まっている。

 

「と、特別ですよ?」

「イヒヒッ」


 私の返事にリホさんは聞いたことのない笑い方をする。

 

 嬉しそうで何よりだ。

 さて、……それじゃあ、好きな女の子との夢の体験をさせていただこうではないか。

 

 私はゼリーの封を開けて、スプーンで掬う。それを、リホさんの口元へ持っていった。


「い、いきますよ? あーーん」

「あーん……んっふふぅ」


 大変ご満悦な表情だ。

 リホさんが頬っぺたをモチモチさせている。引っ張ったらよく伸びそうだ。

 

 熱はあったけれど、この様子を見るに然程深刻ではない。

 ゼリーだって本当は自分で食べられるはずだ。

 

「あの、あとは自分で食べられますよね?」

「え~、体調悪くってスプーン持てなぁい」

 

 今日のリホさんは甘えん坊というよりお姫様気質。

 これまでも、猫みたいにすり寄ってくることはあったけど、こんなに我儘ではなかった。

 

「全部私にやらせるつもりですね……」

「あーん」


 リホさんは返事もしないで、と暗に伝えてくる。

 こうなっては、私は黙って従う他ない。


「あーん」


 リホさんは小さな口でスプーンを啄む。

 彼女を見ていると、段々と色々な事が気になってくる。


 あ、唇きれいだなあ。睫毛も長くて、目がおっきい。


 私は、彼女を見て、そんな事ばかり気になってしまう。

 ゼリーを一生懸命咀嚼する口の動きを、飲み込むときの喉の動きを。熱のせいか、少し朱に染まっている頬を。

 彼女の全てを目で追って、見惚れてしまう。


 ――やっぱり、好きだ。


 こんなにも、誰かに夢中になったことはない。こんなにも、誰かを独占したいと思ったことはない。

 この気持ちこそが、『恋』だ。


「ねぇ、リホさん。…………好き」


 食事が終わって少しウトウトしている彼女に、私は小さく想いを告げた。


「………………」

 

 私の言葉が聞こえていなかったのか、それとも、聞こえないふりなのか。

 彼女は返事をしない。

 私から彼女に聞こえていたか確認することもない。

 

 ――今は、これでいい。

 

 私の気持ちだけ、確かなものであれば十分だ。


「さて、リホさん! 水分を取ったら早々に寝てくださいね」


 彼女に背を向けて声を掛けると、返事があった。


「うん。……


 どういう意味のお礼だったのだろうか。その答えを知るのは、まだ少し先になるだろう。

 

 リホさんは、きっと私に隠していることがある。

 いや、隠しているというより、彼女自身が扱いに困って弄んでいる過去があるのだろう。

 彼女の家族の話や、もしかしたら、薫さんとの話も、私はまだリホさんのことを全然知らない。


 それでも、これから先、彼女が私を受け入れてくれるなら。

 私は、松風里穂の全てを受けとめよう。


 だから、今はまだ、これでいい。焦る必要はないのだから。

 

 

「はい、リホさん。零さないでくださいね」


 よっぽど水分を欲していたのか、彼女はペットボトルをあっと言う間に 1本飲んでしまった。

 今は 2本目に手を付けている。

 

「もう、子供じゃないんだから……」


 今さっき、あんな子供みたいなことをしておいて……。

 

 リホさんにペットボトルを渡すと、彼女はちびちびと口を付ける。

 一息ついた彼女は、何気ない感じで私に声を掛けてきた。


「ねぇ、ハルさん。今日は泊っていきなよ」


 明らかなキラーパス。

 

「えっ流石にそれは……」

「いいじゃん。明日も休みでしょ?」


 たしかに、明日も休み。リホさんとデートの約束をしていたけれど、それが無くなったのだし、明日は一日フリーということになる。

 だから、今日リホさんの家に泊まっても、何ら問題はない――――わけない。

 

 そもそも、リホさんの家に泊まる度胸がまだ私にはまだない。

 なにせ、暴走した私が、リホさんに何をしでかすか分からない。


「わ、私は昨日も床で寝たので……二日連続で床寝は辛いんですが」


 適当に吐いた言い訳だったけど、本心でもある。

 リホさんにも、原田先生を泊めた都合で、昨夜は私がちゃんと眠れなかった事を伝えてある。

 これで納得してくれないだろうかと、淡い希望を抱いた。


 まあ、無駄なのだけど。

 

「あたしのベッドで寝なよ。はい、解決」

「いやいやいや……」

「大丈夫だって。私、寝相いいし」


 リホさんだって分かっているはずだ。分かっていて、わざとやっているんだろう。

 なぜ、私は試されているのだろうか……。

 

「あの、リホさん? そういうのは、もう少しステップを踏んでから……」

「じゃあ、お願い事のデートやめた。代わりに今日泊って」

「それは狡いですよ!」

「うるさいなぁ。病人には優しくしなきゃいけないんだよ」

 

 我儘が過ぎる!

 というか、もしかして、さっきの私の告白って本当に聞こえてなかった?

 実はリホさんに聞こえていたけど、今は二人で大切に胸の内に仕舞っておく……みたいな流れだと思っていたけど、違った?

 

 私の恋慕に気づいていたら、ダメって分かるよね……?


「あ、あの……リホさん、さっきの聞いてました……?」

「…………?」


 彼女はすっとぼけた顔をしている。

 

 ――いや、本当に気づいていない?

 

 考えるほどにリホさんの真意が理解できない。

 彼女が何を考えているのか探ろうと目を合わせて、じっと見つめ合うけれど、やっぱり良く分からない。


「ねえ、ハルさん。あたしに嘘は吐かないよね?」


 もうこれは脅迫みたいなものだ。

 やっぱり、軽率に『何でも』なんて言葉を使うものじゃない。


「わかりましたよ……。二言は無いです」


 そんなわけで、私はリホさんの家でお泊りすることになってしまった。

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