第22話

「なんというか……余計な口出しをしたようで、すみませんでした」

 

 薫さんは、本当に申し訳なさそうな顔で私に謝ると、この場を去っていった。

 彼女の言いかけた言葉の続きを、いつか聞く機会はあるのだろうか。

 薫さんとは、リホさんを交えてもっとしっかり話をしなくてはならない気がする。


「じゃあ、私もこれで……」


 原田先生も、心ここに在らずといった様子で、フラフラと帰っていく。

 薫さんはともかく、原田先生はどうしてあんなにも動揺しているのか……。

 私の恋愛対象が女性であるということが、それほどにショックだったのかもしれない。

 原田先生からは、今後距離を置かれてしまうだろうか。せっかく仲良くなれたのに残念だ。

 

 とはいえ、一難乗り越えることはできた。

 

「すぅ……ふ~。とりあえず、何とかなりましたかね……」

 

 思わず大きく息を吐いてしまう。

 まさか、リホさん本人より先に、あの二人に私の気持ちを告白することになるとは……。

 でも、自分の気持ちを誰かに向かって口にしてれば、心に落ちるものがある。また 1つ、覚悟を決めることができた。


「さてと、まだ肝心なリホさんとの問題が残っていますね。はぁ……」


 大事なのは、ここからだ。

 本当に、私とリホさんの関係はあっと言う間に壊れかねない。

 まだ確かな形を持たない曖昧な関係。

 何か小さな出来事から影響を受けてしまう。

 だから、誰にも邪魔されたくない。

 私たちの間に確固たる何かができるまでは――。


 今の時刻は午前10時。しっかり者の薫さんなら、土曜日とはいえ既に起きているだろう。

 しかし、念のため、事前にリホさんへメッセージを送信しておく。

 

『今から家に行きます』


 すると、またしても送った瞬間に既読が付いた。

 リホさんは、私のメッセージを常に監視しているのだろうか……。


 どんな反応があるだろうかと身構えていると、通話がかかってきた。

 速攻で受信ボタンを押す。


「おはようございます」

『……おはよう』


 彼女の声は刺々しいというよりも、気怠そうだ。

 珍しくまだ寝ていたのかもしれない。

 でも、彼女の声を聞けただけで安心している自分が居る。

 

「今起きたところでしたか?」

『別に。こんな時間から、何しに来るの』

「リホさんと話したいだけです。いけませんか?」

『……原田? って人はもういいの?』


 やっぱり棘もある……。

 でも、いつもならもっと刺々しい。


「はい。もう帰りましたよ」

『ふーん。……けほっけほっ』

 

 リホさんの咳き込む音が聞こえる。

 ただの咳払い、というわけではなさそうだ。


「もしかして、風邪ですか?」

『わかんない。昨日の夜から空咳が出るだけ』


 声の感じからして、空咳だけとは思えない。

 もしかして、熱もあるんじゃないだろうか……。


「典型的な夏風邪じゃないですか。すぐに行きます。何か欲しいものは?」

『いいよ、動けないほどじゃないし』

「リホさん……」

『…………スポーツドリンクと、ゼリー』

「はい。じゃあ、切りますね」

『あ……』


 何かを思い出したのか、彼女は一言だけ声を出す。


「どうしました?」

『……いて』

「いて?」

『……繋いでいて』

 

 リホさんは相当弱っているのかもしれない。思ったより深刻そうだ。

 とにかく、誰かの声を聞いていないと心細いのだろう。


「わかりました。話しながら向かいます」

『昨日の事聞かせて』


 いや、昨日の話を聞きたかっただけだろうか……。


「い、今ですか?」

『……けほっ、今』


 まあいい、どのみち話すつもりだったのだから。

 それにどうせ、このお姫様のご命令に私は逆らえない。


 私は彼女の家へ向かって歩き始める。


「わかりました。昨日は――――」


 私が話し出すと、彼女は相槌を打つわけでもなく、ただ静かに私の声を聞いていた。



 家が近いと非常時に助かる。コンビニによって買い物をしても、10分も掛からず彼女の家に到着した。

 

「付きました。玄関の鍵は開けられますか?」

『うん、今行く』


 少し待つと、鍵を開ける音と共に扉が開く。


「いらっしゃい」

「お邪魔します」


 扉の向こうの彼女は、頬が赤らんで、少し息が荒い。

 やっぱり、だいぶ体調は悪そうだ。


「全然、咳だけじゃないですね……。すぐバレる嘘はやめてください」

「……ごめん」


 リホさんが、ばつが悪そうな顔で謝る。


「昨日から体調悪かったんですね」

「夜から、ちょっとだけ……」

「それなら私を…………」


 私を頼ってくれればよかった。


 そう言おうと思ったけど、それが無理だったことにすぐ思い当たる。

 私は昨日、原田先生を家に泊めていたから。

 

 もしかすると、昨日も今日も、彼女がすぐ私のメッセージに既読を付けたのは、私を頼ろうとしてくれていたからなのではないだろうか。

 心細くて、私にメッセージを送ろうとして、私のメッセージ画面をずっと見て……。


 本当のところは分からない。でも、寂しそうにしている彼女を想像したら、涙が込み上げて来た。


「……いいよ。ありがとね、ハルさん」


 私はダメな大人だ。年下の病人にまで気を遣わせている。

 本当は、すぐにベッドに戻してあげるべきなのに、リホさんを抱きしめて離せない。


「次は、絶対にすぐ来ますから……」

「うん」


 私が彼女を解放できたのは、私の涙が止まって暫くしてからだった。

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