第18話

 全く以て遺憾な幕切れとなってしまったけれど、大きな収穫はあった。

 どうやら私は、リホさんからしてもという枠に入って無いらしい。

 彼女の気持ちが恋慕なのか、親愛なのかは曖昧模糊たる状態だけれど、少なくとも私は彼女にとって、特別な何かではあることは感じ取れた。

 それが、勢いで告白してしまいそうになるくらいには嬉しい。

 ついさっきまで、もう羽が生えて飛び立ってしまうのではないかというほどに舞い上がっていたのだ。

 なのに――。


「お゛っえ゛えぇ」


 今の私の気分は最悪だ。

 原田先生が、先ほど食べていたものを盛大にリバースしている。

 

 私のベッドの上で……。


「だ、大丈夫ですか?」

「あっえぅ……ぐすっ……えぐっ」


 体調が悪いからか、私に情けないところを見られて恥ずかしくなったからなのか。原田先生は、えずきながら涙を流し始めた。

 幸いというのか、彼女の胃の中は空っぽになったらしい。


「あぁ……、大丈夫ですよ。よしよし」


 とりあえず、黙って見ているだけでは居た堪れないので、彼女の背をさすりながら声を掛ける。

 正直、私ももらってしまいそうだ……。なんで人が吐いている姿というのはこうも刺激的なのか。

 

「ご、ごめんなさい……っ」


 原田先生はマジ泣きだ。小さな声で謝りながら、身を縮めて蹲っている。

 情けなさで私の方を見ることができない、そんな様子だ。


 リホさんだったら、こういうときも上手いこと励ませたりするのかな……。


 リホさんは、絶妙な気配りができる人だ。

 私が落ち込んでいると、少し茶化して笑いを取ったり、話を逸らして気を取り直させたり、時には自虐をして此方の気持ちに寄り添ってくれる。

 リホさんは、私の思う気遣い上手の理想みたいな姿を体現していた。でも、話し下手な私にはどうにもアレを真似できそうにない。

 今の私にできるのは、せいぜいが余計な刺激を与えないように、一旦距離を置くくらいだ。

 

「とりあえず、片づけるので……原田先生はシャワーを浴びて来てください。歩けますか?」

「…………」


 彼女は黙って頷いく。彼女自身で片づけるとは言いださなかった。私としても、その方が助かる。

 原田先生に掃除道具の場所を教えて、粗相したモノを片付けている彼女の姿を傍から見ているなんて、それこそ気まずくて辛い。

 

「タオルはここに置いておくので自由に使ってください。ゆっくりシャワーを浴びて大丈夫ですからね」

 

 俯く原田先生の手を引いてバスルームに連れて行った後、私は掃除へ向かった――。


 

 私は、大まかな片づけを終わらせて、ベッドのシーツを急場凌ぎで大判のタオルケットに代えた。

 

 マットレスにシミが出来てしまいそうだ……。中性洗剤とかで、あとから落ちるのだろうか。

 

 掃除スキルも然程高くない私には、こういうときの正しい対処もよくわからない。

 咄嗟に、リホさんにメッセージで質問を送ろうとして、先ほどの様子を思い出す。

 薫さんと再会した時も、私と言い争う中でそれなりに機嫌悪そうな態度を滲ませていたけど、あそこまで底冷えした声ではなかった。

 あのときは、怒りというよりも不安が勝っていたともいうのもあるだろうか。

 それにしても、今回は過去一怖い彼女の顔がチラついた。電話越しで良かったかもしれない……。


 これからリホさんにどうやってアフタフォローをするか、果てしない難題ができてしまった。

 明後日には、リホさんともあるというのに。


 あまりにも大きすぎる悩みに苛まれて頭を抱えていると、後ろから声を掛けられる。


「あ、あの……三波先生…………すみません……でした」


 大変申し訳なさそうな顔の原田先生は、私の部屋着を着用している。

 サイズは全く合っていないので、ブカブカだ。下着は……まあ、考えないでおこう。


「全然、大丈夫です。服はあと二時間もすれば乾燥まで終わるので、暫くはそれで我慢してください」


 ずぼらな私は、それなりに高いドラム式洗濯機を使っている。乾燥まで纏めてやってくれるドラム式は便利だ。

 いちいち自分で干したり取り込んだりする生活には絶対に戻れない。


「はい……」


 借りてきた猫のようだ。どうすればいいのか分からないといった様子で、部屋の恥の方で突っ立っている。見るに忍びない。

 私も職場の先輩の家で酔いつぶれた挙句に粗相をしたら、羞恥心で爆発するだろう。

 何か気の利いたことを言ってあげたいけど、下手なことを言ったら悪化しそうだ。


「が、学生の時でも、こんな失敗、したことないのに……ぐすっ」

「だ、大丈夫ですから! ほんと! 気にしないでください」


 さっきから、私は「大丈夫」を繰り返すだけになっている。やっぱり、語彙力がないというか、対応力がない。

 ――とにかく、慰めるしかない。

 そんな気持ちで、私は彼女の頭を撫でる。

 

「幸い、ここに居るのは私だけですから。これは、二人だけの秘密です。だから、もう大丈夫です」


 背が低くて童顔の彼女を見ていると、どうしても子供を相手にしているような気持ちになってくる。

 本人には決して言えないけど、今の彼女は生徒よりも子供っぽい。

 そう思うと、自然と彼女に優しく接することができるようになってきた。


 私は黙ってテーブル上のティッシュを取って彼女に渡す。

 原田先生は恥ずかしそうにしながら涙を拭って鼻をかむ。

 ひとしきり出すものを出せば、不思議と落ち着いてくるものだ。

 次に顔を上げた彼女の顔は、だいぶ明るさを取り戻していた。

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