第16話
『わかった。いってらっしゃい』
飲み会に行く旨をリホさんに伝えると、思っていたより簡素な返事が来た。
引き留められたら飲み会をキャンセルしてリホさんの家に向かってしまう気がしていたので助かった。
けれど、もうちょっとガッカリして欲しいとか思ってしまう面倒臭い自分がいる。
『明日は来てね』
伝言を終えて携帯画面を閉じようとしたところで、リホさんから追撃が来た。
リホさんのこういうところが良いのだ。
私の口角は、見る見るうちに釣り上がっていく。傍から見られれば、大層気持ち悪く見えているだろう。咄嗟に、口元に手を当てた。
私は、光の速さでクリオネみたいな生物がOKサインを出している謎スタンプを送り返す。
口を押さえていたはずの片手は、いつの間にかガッツポーズを取っていた。
「よしっ、行きますか……」
気分良く独り言ちて席を立つ。デスクを適当に片づけて辺りを見渡すと、原田先生と目が合った。
彼女は少し困ったような顔をしている。もしかすると手持ちの作業が思ったより進んでいないのかもしれない。
「原田先生。困りごとですか?」
「す、すみません……。大丈夫です。そろそろ行きましょう!」
彼女の机を見れば、一年の国語の授業を想定したプリントがある。
彼女が作ったと思われるそれは、行間が詰められ読みにくい。どうにもレイアウトに難ありなものだった。
「これ、原田先生が?」
「……はい。なんだか良い感じにならなくて……」
「これなら、無理に一枚にまとめるよりも、ゆとりを持ってプリント二枚に分けた方が見やすいですよ」
「でも、そうすると二枚目がスカスカになってしまって……」
既に試しに作ったらしいものをPC画面で見せてくれた。
懐かしい。私も一年目で授業プリントを作った時は、レイアウトが気になって何度も作り直したもんだ。
「無理にプリントの横幅一杯を使う必要はないですよ。行間は一枚目と同じにしましょう。大きく余ったスペースは、フリースペースにすればいいです。それで生徒たちが自由に授業内容をメモしたりできる」
「ああ、なるほど……」
「私たち教師は、ついつい教える内容をどうやってプリントに詰め込むか考えてしまいますけど、使う生徒のことを考えれば、メモができるように適度な空間は残すべきです」
「ありがとうございます! 明日作り直してみます!」
「今やってしまいましょう。すぐ終わりますよ。ついでにショートカットも教えます」
私は原田先生のPCを借りて、彼女が作った資料の修正をする。ついでに便利なショートカットを教えると嬉しそうにしていた。
資料作成に使うツールのショートカットは便利なのに知らない人が多い。いちいちマウス操作するよりキーボードを何度か叩いて済ませた方が圧倒的に効率が上がる。
「あ、ありがとうございました!凄いです!私、これ作るだけで昨日から悩んでたのに……」
「私は三年目ですから。原田先生もすぐに慣れますよ」
隣に腰掛けた彼女は目をキラキラさせながら私を見ている。
私が、凄く仕事ができる人間に見えているのだろう。社会人なら多くの人が経験することだ。二年三年上の先輩は遠い存在のように感じてしまう。
実際に自分がその立場になってみれば、多くの場合、それが不慣れ故の思い込みだと分かる。
「大丈夫ですよ。本当に、すぐに慣れることができますから」
少し不安そうにも見えた原田先生の頭に手を乗せる。
本人には失礼で言えないけど、彼女を相手にしていると、どうにも同じ教師というより生徒と接しているような気分になってくる。
頭を撫でられた彼女は、一瞬驚いた顔をした後、照れたような笑みを浮かべていた。
「それじゃあ、行きましょうか」
「はい!」
元気よく返事した彼女は、グイッと手元にあったマグカップをあおり、
予定より出発は遅れてしまったけど、問題はない。聞いていたお店の予約時間までは余裕がある。
私たちは、仕事を終えた他の同僚と合流してお店へ向かった。
原田先生は、お酒に弱いらしい。
まだ、飲み会が始まってから30分程度。しかし、彼女は私の肩に頭を預けて、ぐでんぐでんになっている。
「みなみせんせー! きょうは、ありがとーございます!」
「それ、さっきも聞きましたよ」
「わたしはうれしーんです! みんな、いそがしそーで、しつもんできなくてぇ」
「それは……」
他の同僚たちは気まずそうに目を逸らしている。実際、みんな新人の教育に手が回っていなかったために、後ろめたい気持ちがあるのだろう。
私も人のことは言えない。原田先生に気を使わせて、こうして飲み会にまで呼んでもらってしまった。
「心細い思いをさせたようですみません。私も、もう少し接しやすい態度でいられる努力をします」
私が反省の気持ちを言葉にすると、他の教師からツッコミが入る。
「あの……三波先生は、先ず、そのビジネススーツをやめてみては……?」
「え、なんでですか?」
確かに、ウチの学校は教師にオフィスカジュアルでの出勤を許している。
ただ、私としては、学校教師もスーツ姿の方が頼りになる大人っぽく見えるだろうというイメージがある。
だからこそ、いつでもスーツを着て仕事をしていた。
……あと、毎日服を選ばなくていいのは楽なんだ。
「まあ、似合ってはいるんですけど……。ちょっと、取っ付き難そうというか」
「そう……ですか…………」
これでも、生徒たちからはそれなりに親しまれている自負があった。
リホさんからも、生徒から人気があると言われていたのだけれど……。
まさか、同僚たちから一歩引かれているとは思わなかった。
「いやいや!すみません!僕らも三波先生が優しい方だっていうのは分かってるんですよ!ただ、ちょっと仕事モードの先生は近寄りがたいというか……」
言われてみれば、私に話しかける生徒はいても、教員は殆どいなかった気がする。
毎日、定時で仕事を終えてさっさと帰ることを心がけていたから、職員室では仕事に深く集中していた。
更に、皆が緩い恰好をしている中で、私だけかっちりとスーツを着込んでいたら、話しかけにくいというものだ。
「に、二学期から、少し服装を変えてみます……」
「「「おー……」」」
感心したような声が重なっている。
ちょっと恥ずかしいからやめてもらいたい。
そうして話していると、重みを感じる肩の方からは、すーすーと寝息が聞こえてきた。
見れば、原田先生が寝こけている。
「ありゃー。原田先生ってこんなにお酒弱かったかな……。この間は、もう少し飲めてたと思うけど」
「最近忙しかったから、疲れてたんでしょ」
「だいぶ早いですけど、今頼んだ分で解散にしましょうか」
他の先生たちの同意もあって、会は早々にお開きとなった。
やっぱり素直に話せる時間は貴重だ。今回も、短い時間ではあったけれど新しい発見があるいい機会になった。
ところで、酔いつぶれた原田先生なのだけれど――。
「あー、だいじょうぶでーす。あるってかえるー」
呼んだタクシーの中に入れても、自分の家の住所すら言えず寝ぼけていた。
そんなわけで、年の近い同性である私が、家へ持ち帰ることに……。
なんで?
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