第三章 Rosy summer vacation

第13話

 人間というのは、少しばかり歳を重ねたところで大して成長なんてしやしないのだろう。

 そもそも、成長というのは継続的な努力や、大きな苦難を乗り越えてこそ得られる貴重な経験の塵積なわけで、ただ生きているだけで嵩を増す年齢とは関係ない。

 何が言いたいかというと、私という人間は、まだまだ未熟だという事だ。

 

「ねえ、ハルさんって不器用なの?」

「ちょっと、里穂ちゃん……」

「ぐぅ……」


 私は今、何故か二人の女子高生に囲まれてケーキ作りをしている。私の担当は、生クリーム作り。

 これまで、生クリームなんてものは、材料を突っ込んでかき混ぜていれば簡単に完成するものだと思っていた。

 そんな舐めた考えをしていたものだから、私はこうしてリホさんに詰め寄られている。

 

「あのね、クリームは混ぜ方が悪いとボソボソになっちゃうの。混ぜすぎもダメ。定期的にクリームの質感を確かめながら空気を含ませるようにしたり、砂糖も微調整していかないと。美味しいクリームを作るのは大変なんだよ」

「そんな高度な事、私には……」

「クリームぐらいなら流石にできるって、自分で豪語してたよね?あたしはイチゴを切る方をやって欲しかったのに」

「包丁を持つ方が大変だと思ってました……」

「イチゴのへたを取ったら、スライスするだけだよ……」

「その、『だけ』が難しいんです!」

「ちょっとちょっと、二人ともそのくらいで。これでも使えはするんだから」


 薫さんが仲裁に入ってくれたけど、リホさんのお小言はまだ止まらない。


「あたしも、使えないとは言ってないよ。でも、ハルさんを甘やかしたらダメ。このままだと、一生成長しないよ」

「一生って……。そもそも、お菓子なんて作れなくっても生活はできますよ……」

「あ、今更そんなこと言うんだ! 私には、『継続は力なり』とか偉そうに言ってたくせに」

「え、偉そうにはしてないです! それに、それは勉強の話ですよ!」

「お菓子作りや料理だって、大事な生活スキルなんだから!」

「こらこら、二人とも? いい加減に……」


 私とリホさんの言い合いに薫さんが困った顔をしている。

 良い大人が何を女子高生と言い争っているのか……。正直な所、自分が子供っぽ事を言っている自覚はあるのだ。

 とはいえ、感情的になると、どうにも言動を抑えきれないのが私の短所。

 リホさんが相手というのも大きな原因の 1つだろう。彼女には、なんでか本心を丸裸にされる。

 ――私が、そうしたいのかもしれない。

 

 

 さて、そもそも、どうしてお菓子作りなんてことをしているかというと、話は一週間ほど遡る。


「ねえ、里穂ちゃん。久しぶりにお菓子作りとかしてみない?」

「ああ、懐かしいね。中学の時はよく薫ちゃんの家でやってたっけ」

「そうそう。なんかね、動画見てたら、フィナンシェのレシピを紹介してるやつが流れてきてさ」

「それで作ってみたくなったわけだ」

「どうかな?」


 二人が和解してからというもの、会えなかった分の時間を取り戻すかのように毎日一緒にいるらしい。

 普段は違う高校に通っていることもあって、夏休みのうちに遊んでおきたいのだろう。

 教師をしている私としては、受験勉強は大丈夫なのだろうかと心配する気持ちもある。しかし、野暮なことを言うものではない。

 それに、薫さんはしっかり塾に通って勉強も頑張っているらしい。リホさんは、専門学校への進学を希望しているとあって、大学受験ほど熱心に勉強する必要もないのだとか……。

 

 ちなみに、今の私は昼間からリホさんの家に入り浸ってお茶をご馳走になっている。

 いや、ご馳走というと語弊があるか。茶葉を買ったのは私なのだから。

 最近はもう、リホさんの家に入る口実を考えるのも面倒になってしまった。勤務日は夜に、休日は開き直って昼間から当然のように毎日お邪魔している。

 

「私はいいんだけどね。ハルさんが……」


 ボケッとしていると私に話の矛先が向いた。

 

「えっ、二人でやったらいいじゃないですか」

「そんなぁ……私はハルさんとも…………」


 あざとい。うるうるした目で私を見てくるリホさんからは、明らかに作為的な何かを感じる。しかし、だからといって彼女からの誘いを断ることなどできるだろうか。いや、できない。


「私は、難しいことはできませんけど……。それでもいいなら」

「やった! じゃあ、ウチでやろう」

「ハルさんも私の家に来たら良いと思うんだけど」

「薫さんの家に入るわけには……。ご両親に遭遇したら、何とご挨拶すればよいのか……」

「普通に友達って言えば良いと思うんだけどなぁ」


 私が親御さんだったら、自分の娘が成人女性を家に連れ込むなんて状況を、何とも思わないはずがない。

 実際に私がどういう人間かは問題ではない。大人は子供を心配するものなのだ。余計な心労を掛けるものではない。

 その心労の元になっている私が言っても、説得力は全くないけど……。

 

「ま、いいじゃん。ウチでやれば」

「キッチン狭いよー……。はあ、でもいいか。それはそれで楽しそうだし」


 キッチンが狭いことには同意だ。どう見ても三人で並ぶ場所ではない。

 とはいえ、テーブルをキッチンの方に移動すれば何とかなるだろう。

 

「じゃあ、決定!あ、でもフィナンシェの型がないや」

「私が買っておきますよ。リホさんの家に置いておけばいいです」

「え、いいの?」

「それなりの値段しますよ? 急に誘った三波さんに出してもらうのは……。私が用意するので、大丈夫ですよ」


 どうやら薫さんは、フィナンシェの型をわざわざリホさんの家に持ってくるつもりらしい。

 そもそも、私が居なければ薫さんの家で事が済んだのだ。私の為にそんな面倒を掛けるわけにいかない。

 

「アハハ! これでも社会人ですから。お金の話は任せてください。それに、薫さんの家から持ってくるのは大変でしょう」

「まあ……でも……」

「だいじょーぶだよ薫ちゃん。ハルさんには、お礼に毎日美味しいご飯を作ってあげるから」

「ですね。リホさんから日頃お世話になっているお礼としては、むしろ不足しているくらいです」

「それだと、私だけ得しちゃってるよ……」

「細かいなぁ。じゃあ、薫ちゃんがハルさんにお菓子作りを教えるってことにしよーよ」


 

 そんなわけで、薫先生によるお菓子作り教室が始まった。

 初めは約束通りフィナンシェ。次にクッキーと来て、今がショートケーキだ。

 

「フィナンシェとクッキーはちゃんとできてたし、ショートケーキだってできそうじゃない?」

「えー。あれは生クリームを作るのも生地に盛り付けるのも難しいよ?」

「ふふん。もう私だって生クリームくらいは簡単に作れますよ、リホさん!……盛り付けは任せます」

「その意気です、チャレンジしてみましょう三波さん!」


 薫さんの完璧な指導の下で成功した 2回のお菓子作りで、私は調子に乗っていた。

 

「やめといた方が良い気がするなー……」


 そんなリホさんの心配は、見事に的中したのだった。

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