第10話

 三人で歩き始めてから、リホさんの家まではあっと言う間だった。


「ただいま」

「「お邪魔します」」

「はい」

「おかえりなさい」


 なんだかんだと、私が「おかえり」を言うのも習慣化されている。リホさんの家に入るときの、いつものやり取りだ。

 ただし、今日はゲストが一人いる。


「里穂ちゃん引っ越したんだ」

「うん。高校入ってすぐに。今は一人暮らしだよ」

「へ、へー。大変だね」

「そうでもないよ。最近は、いつも独りってわけじゃないし」


 チラリと、リホさんと薫さんから視線を送られた。それぞれ違った意味合いの目配せのようで、どう反応したものか困る。

 上手い言葉は見つからないので、目を逸らしつつ話を流そうとした。


「まあ、あの。私のことはあまり気にしないでください」


 なかなかに無理のある注文だと自覚しつつ、薫さんに向けてそんな言葉を送った。

 薫さんは戸惑っているだろうけど、私も同じだ。事情を知らないままリホさんに連れてこられてしまったのだから。

 

「そういうこと。二人はそこに座って」


 リホさんに促されるまま、薫さんは席に着いた。

 私はというと、座る前にお茶を入れに向かう。ここ最近は、リホさんの家に入ると私が二人分のお茶を入れている。

 料理をしてくれるリホさんを見ているだけでは居たたまなかったことが始まりなのだけど、今となっては、ただの習慣と化した行動だ。でも、今日は二人分ではなくて、三人分。

 リホさんは本当に料理を始めるつもりらしい。エコバックを漁って、本日の食材たちを冷蔵庫に詰めたり台所に並べたりしている。

 真面目な話になるだろうから、お互いに向かい合って座った方が良いと思うのだけど、それだと緊張してしまうのかもしれない。

 今は、このくらいの距離感で話した方が都合良いという判断だろう。


「あ、コップが足りません」


 元々、この家に置いてあるコップは来客分を含めても 2つしかない。食器にしてもそうだった。


「二段目に使い捨てのがあるよ」

「ああ、そうでしたか」


 私は台所の二段目の引き出しを開けて使い捨てコップを取り出す。

 お茶を入れて席に着くと、薫さんはポカンとした顔で私を見ていた。


「ど、どうぞ?」

「ありがとう……ございます。あの、シェアハウスとかですか?」

「いえ、私の家は別ですよ」

「そ、そうですよね。里穂ちゃん、一人暮らしって言ってたし……なんか、すみません」

「いえ、あの、私のことは本当に気にしなくていいので……」


 私は目を逸らしてお茶を飲むことしかできない。非常に気まずい雰囲気だ。

 何か上手いこと仲介をしてあげたいけど、私が話に加わるとややこしくなる気がする。

 そんなことを考えていると、リホさんから薫さんへ話を切り出してくれた。


「薫ちゃん、あの人とはどうなったの?」

「ああ、うん。とっくに別れたよ」

「そっか。ごめんね。あたしのせいでしょ?」

「……全然違うよ」

「でも、あたしがあの人のこと、取っちゃったんでしょ?」

「…………っ」

 

 少しのやり取りだったけれど、これで二人の関係を私は察した。たぶん、薫さんは、リホさんのだ。

 私とリホさんが知り合ったばかりの頃、リホさんが聞かせてくれた。好きになった人の彼氏から好意を向けられた話。そして、それが原因でリホさんと想い人との関係が断たれたと。

 メッセージ越しには、リホさんにとって乗り越えた過去のように感じられたけど、全く以てそんなことは無かったのだ。今尚、リホさんの傷は開いたままだったらしい。

 そして、どうやら、傷が残っているのがリホさんだけではないことも分かった。

 薫さんは、沈痛な面持ちでリホさんの背中を見つめている。何か言いたそうにしてるけれど、言葉が見つからないのかもしれない。


 このまま話の流れを二人に任せていると、良くない方向に進んでしまう気がしてならない。

 私が横やりを入れる筋など無いことを承知の上で、口を挟む。

 

「やっぱり、お互い顔を見ながら話しませんか。これでは本心が伝わらないでしょう」

「……無理だよ。今こうしてるので、精一杯」


 リホさんの声が震えている。本当に、言葉通りなのだろう。

 私は、リホさんの方へ歩み寄った。

 我ながら、バカなことをしようとしている。


「頑張れたらご褒美を上げます」

「……何それ」

「私が、リホさんのお願いを 1つだけ何でも叶えてあげましょう!」

「バカにして……」

「してませんよ。本当です」


 今日だけで 2回目だ。今度は後ろから、私はリホさんを抱きしめた。

 初めは身体を固くするリホさんだったけれど、少しずつ、私に体重を預けるように寄りかかってくる。

 次の言葉を待っていると、リホさんから要求があった。


「手、握って」

「え」

「……早く」


 私が促されるままにリホさんの手を取ると、彼女は力強くぎゅっと私の手を握った。

 そして、ニギニギと掴んだ私の手を弄んでから、パッと放す。


「何でも、ね」

「手を握ったので終わりって事には……」

「ならないでしょ」

「は、はい。……ドンと任せてください」


 早まっただろうか。しかし、言ってしまったからには二言は無い。

 私とリホさんは薫さんが待つテーブルに着く。


「お待たせ。じゃあ、決着を付けようか」


 先ほどまでとは違う、凛とした顔でリホさんが薫さんに話しかける。

 悲しそうに俯いたり、衝動的に怒ったり、カッコいい顔で過去と対峙したり。今日のリホさんは、まるで百面相だ。

 

 ――人の表情というのは、こんなにも豊かだったのか。

 

 私は、場違いにもそんな感慨に耽っていた。

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