第9話

 リホさんに握られている手を私の方に引き込む。


「学校じゃないんだから、その呼び方やめてよ」


 これまで私に見せていた怒ってますアピールのむくれ顔ではない。

 足を止めて私の方に振り向いたリホさんの顔は、見たこともないほど気色ばんでいた。

 思っていた以上にデリケートな話題なのかもしれない。でも、足踏みするわけにもいかない。

 たぶん、このまま立ち去るのは彼女のためにならない。只の勘だけど……。


「そんな顔するんですね。ぶりっ子してるより可愛いです」

「は?」


 私がわざとらしく笑顔を作って軽口を叩いてみると、彼女は益々逆立った。


「あたしが!どんな気持ちで! ……知らない……くせに…………」


 思ったより荒立った自分の声に驚いたようだった。強い語気から始まったわりに、ドンドンと尻すぼみになっていく。

 

「じゃあ、教えてくださいよ。聞きますから」

「い、言ったって……わかんないよ……」

「でも、話もしないで分かってもらうなんて傲慢です」


 本当に感情的になったとき、私は考えるよりも体が動く。たぶん基本的には短所になるんだろう。

 でも、たまには長所に転じてくれたりもする。リホさんに『会いたい』とメッセージを送れた、あの時のように。

 

 私は、――リホさんを抱きしめていた。

 

 先生としてなんとかしなきゃ、とか思っていたのに、結局はこれだ。

 私は、リホさんを知りたい。三波千晴として、彼女に寄り添いたい。


「ごめんなさい。事情は良く分からないです。でも、逃げちゃダメな事、ありますよ」

「…………」


 リホさんは、何かを言い返そうとしたようだったけれど、言葉にならなかったらしい。口をモゴモゴと動かした後、私の胸に顔を埋めた。

 泣かせてしまっただろうか。

 心配して、彼女の頭を撫でようとした時だった。


「あたしはぶりっ子なんてしてない」

「え」

「別にぶりっ子なんてしてない」


 リホさんは、私の胸に顔を押し付けながら喋り出した。


「そこですか? なんか、もっと言う事ありません?」

「取り消して! 取り消せ取り消せ取り消せ!」

「えぇ」


 フガフガと鼻息荒く、私の胸の内で怒っていらっしゃる。


「ご、ごめんなさい」

「……うん」


 ゆっくりと顔を上げた彼女は半べそだった。これまでに見たこともないほど子供らしい。

 リホさんは私よりも 7つも年が下なのだから、そう見えるのが自然なのだけれど。

 やはり、どうしても大人びたイメージが先行していただけに、今の彼女の姿は意外だ。

 ものの数分で、彼女の新しい一面をいくつも掘り起こしてしまった。


「んぅ! 髪の毛やめてっ!」

 

 気づけば私はリホさんの頭を撫で回していた。

 リホさんは髪が乱れるのを嫌ってイヤイヤと首を振る。

 それが相まって、更に髪は乱れてゆくのだけれど……。


「さて、じゃあ、戻りましょうか」


 今度は私がリホさんの手を引いて、薫さんの元に戻った。


 

 それほど離れていたわけでもない。私とリホさんのやり取りは、バッチリと薫さんに見られていたのだと思う。彼女は、私とリホさんを交互に見やっている。


「えっと……あの……二人はどういった関係で?」

「……なんだろうね」

「……なんでしょうね」

 

 聞かれても困る。形式上、『教師と教え子』と答えても良いのだけど、納得してもらえない気がする。

 私たち自身も、互いの関係を言葉で表現するのは難しい。


「まあ、友人という事で……」

「……そうですか」


 訝しんでいるようだったけれど、この場は引いてもらえた。

 それ以上に、彼女は話したいことがあるのだろう。


「あの、改めて……。久しぶりだね、里穂ちゃん」

「うん。薫ちゃん、なんでこんなとこ居るの?」

「ああ、塾の帰りで。最近、この辺で通い始めたんだ。いや、それは今どうでもよくって……」


 もしかすると、薫さん自身も、自分が何を言いたいのか纏まっていないのだろうか。

 本当に偶然の出会いだったようだし、咄嗟に声を掛けてしまっただけなのかもしれない。

 それに、どうみても訳ありの二人だ。薫さんにとって初対面の私が居るのは、変に緊張させてしまっているのかもしれない。というか、そうとしか思えない。


「あの、私はお邪魔みたいだし。今日はこれで……」

「ハルさんは、ウチでビール飲んでいかないとダメ」

「ちょっ」

「ビール……?」


 またしても薫さんは困惑している。リホさんは、どうして率先して話をややこしくしているのだろうか。

 もしかして、さっきのぶりっ子発言を根に持っているの……。


「てか、鮎も二人分買っちゃったんだから、ちゃんと食べて帰って」

「薫さんと食べるとか……」

「あたしはハルさんと食べたいの。わかる?」

「……はい」

「あの、お邪魔みたいだから、私は帰るね」


 ついに薫さんに気を使わせてしまう始末だ。しかし、それでは喧嘩までしてリホさんを引き留めた意味がない。

 

 私が薫さんを引き留めようとした時だった――。


「薫ちゃん、今から時間ある?」

「今から? え……どうだろう。三十分くらいなら……」

「じゃあ、ウチにおいで。あたしたちの夕飯作りながらになるけど、少し話そうか」


 今度は、リホさんから薫さんへ歩み寄っていた。

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