第8話

「もう! このスーパー、来づらくなったらどうしてくれるっ!?」


 スーパーから逃げるように出たところで、リホさんが声を上げる。

 似たようなセリフを前に聞いたような……。


「わ、私は何も……」

「してないと申すか!?」

「も、申します」


 お奉行様だろうか。プリプリ怒っているリホさんが可愛い。

 それはさておき、スーパーでの件は、流石にリホさんが悪いと思う。

 同性とはいえ、未成年が家に大人を招いてお酒を飲ませるというのは危険だ。


「あ、あたしを襲う……とか、大きな声で言っておいて!」

「そういうことが、あるかもしれないってことですよ!お酒に酔うと人は狼になったりするんですから!」

「ハルさんは、お酒に強いって言ってたし……」

「その場の勢いというのはありますよ。あと、人並みに飲める程度です」


 酔い方がいつも同じという事はない。そのときの体調や気分次第で、悪い酔い方をすることがある。

 これは、どれだけお酒に慣れているつもりの人でも、気を付けるべきことだ。

 

「い、勢いで襲っちゃうの? いつも」

「人聞きの悪いことを……! そんなこと、したことないですよ。ただ予防は必要という事です」

「うーん。でも、ビール買っちゃったし……」


 やっぱり、どさくさに紛れてビールを買っていたらしい。あの時は、周囲からの反応に動揺していたせいで止め損ねた。

 

「それは、私が持って帰ります」

「ちぇっ……別にいいのに」


 何が良いのだろうか?普通にダメだろう。

 何となくガードが堅いイメージを持っていただけに、リホさんの警戒心の薄さが心配になってきた。


「私は、リホさんが悪い男に捕まってしまわないか心配です」

「あー、男は大丈夫。絶対に家にも上げないし」


 急に声のトーンが一段下がる。男性に対しては、思っていた通り、ガードが堅いのだろう。

 でも、警戒というよりも、もっと仄暗い感情を抱いているようにも感じる。それが少し気になってしまう。

 リホさんは、面倒を避けつつ、男性とも仲良くできる世渡り上手だと思っていた。

 でも、もしかすると、男性と一定の距離を置いているのは、面倒事を避けるという意味合いだけではないのかもしれない。

 今の私では、踏み込めないラインの話だろうか……。

 リホさんの心につかえているものがあるのならば、私がそれを取り払ってあげたい。


 とはいえ、今はまだ彼女からもっと心を開いてくれるのを待つ他ない。

 

「……そうですか。まあ、女性にも気を付けた方が良いです。人も居るんですから」

「リホさんは、私にしたいの?」

「――はっ!?」


 ひっくり返った声が出る。またしても、唐突に凄いことを言われた気がする。

 数瞬前まで、真面目な事を考えていた気がするのだけど、思考が全て吹っ飛んだ。

 

 どういうことだろう。いや、だろう。これ何て答えればいいの?

 もしも、「そうですよ」とか言ったらどうなってしまうんですか?え?

 いや、落ち着くんだ私。

 私は大人。私は大人。私は大人。

 とりあえず、それっぽい言葉を返してお茶を濁そう。でも、なんて返せばお茶が濁るの?


「はい、時間切れ」

 

 リホさんと目を合わせたまま、何も言えずに固まっていると、ジト目の彼女から終わりを告げられる。

 

「早く帰るよハルさん」

「えっ、えっ?」

「はぁ……ほら、行くよ」


 戸惑っていると、私の手が優しく引かれる。

 どうやら、店の中で握った手は、まだ繋いだままだったらしい。


「ま、焦る必要はないよね」

 

 リホさんが何事かを独り言ちている。

 ――そういえば、いつの間にやら雨は止んでいた。


━━━

 

 リホさんに手を引かれて、彼女の後ろ髪を眺めながら歩いている。

 先ほどのやり取りから、会話もなくリホさんの家近くまで来てしまった。

 このまま会話なく家に上がり込むのは気まずい。私は、意を決して声を掛けようとした。

 そして、――。


「里穂ちゃん?」


 私が言葉を発するよりも先に、リホさんは、セーラー服を着た一人の少女から声を掛けられる。

 誰だろうかと思いつつ、振り返ったリホさんの横顔を見れば、その表情は驚愕に染まっていた。


「薫ちゃん……」


 全く状況を飲み込めていないけど、二人が知り合いであることだけは理解できる。

 二人は、それ以上何かを口にするでもなく、黙って見つめ合っていた。


「あの、リホさん? お邪魔なら、私は……」


 何かただならぬ空気を感じた私は、一旦リホさんから離れようとする。

 でも、私の手はより一層の力を込めて握りしめられた。

 リホさんの手が、少し震えている。


「久しぶり、薫ちゃん。じゃあね」

「あっ……」


 普段のリホさんからは考えられない、あまりにも淡白な対応だった。

 どう考えても、久しぶりに会った友人に対する接し方ではない。

 薫と呼ばれた少女は、一瞬引き留めるようにリホさんの方へ手を伸ばしたけど、顔を俯けて固まってしまう。

 

「ちょっと、リホさん!?」

「何?」

「いや、あの子、何か言いたそうですけど……」


 私の手を強く握って、彼女はグングン家の方に向かって歩いていく。

 薫さんとやらは、後方で私たちをじっと見つめていた。


「良いんだよ。もう」

「良いって、何が?」

「だから、用は全部終わったんだって」


 全く以て『良い』と表現できる感じではない。『終わった』というよりも、何かが始まろうとしてる気がする。

 何も状況を理解していないけど、今は、ではなく、として彼女を止めなくてはならない気がした。


「止まりなさい松風さん!」

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