第7話

 雨の中を歩いたからなのか、二人でゆっくり喋りながら歩いたからなのか、それとも、その両方なのか。

 いつも以上に時間をかけて、私たちはスーパーに辿り着いた。


「やっと着いたー」

「靴の中が浸水してしまいました……」

「雨が降るの分かってて、なんでパンプスを履いてくるかな」

「完全に抜けてました……」

「やっぱハルさんって、ハルさんだよね……」

「その明らかに良い意味のニュアンスじゃないセリフはなんですか!?」

「だって……ふふっ」


 堪えようとしていたのに、込み上げて来たものが漏れ出たような笑い方。

 馬鹿にしているわけではなのだろうけど、なんというか、大人が子供を見ているような目線での笑いに感じる。


「なんですか、その笑みは?」

「ごめんごめん。むくれてるハルさんが可愛くって」

「ぐっ……私の方が年上なのに…………」

 

 予想通りの意味合いでの笑いだったらしい。流石に恥ずかしいというか、悔しい。

 いつかどこかで大人らしさを発揮して、私への認識を見直させてやりたい……。


「さて、今日は何を食べよっかなぁ」

「私は久しぶりに魚がいいです」

「魚かー。夏だとあゆとか良いかもね」

「鮎ですか?」

「あれ、あんまり食べたことない?」

「というか、見た目すら想像できませんね……」


 実家でも魚料理というのはあまり食べてこなかった。せいぜいがメジャーな秋刀魚だったり鮭だったり、丑の日に鰻を食べるくらいか。

 外食ならお刺身やお寿司を食べることもあるけど、鮎なんて聞いたことは無い。

 

「鮎はねぇ、小さくって可愛いんだよ。しかも美味しい!」

「ほほう。じゃあ鮎にしましょう」

「おっけー! って言ってもあるか分かんないけどね」

 

 私とリホさんは、鮎を目指して鮮魚コーナーへ向かう。

 鮮魚コーナーへ近づくと、若干寒気がするほどの冷気が流れていた。


「なんか寒いですね、ここ」

「魚は鮮度が命だから。やっぱり冷やすのにガンガン冷房使うんだろうね」

「なるほど。……早々に離れたいところです」

「あはは、そーだね。ハルさんの濡れた足が凍りそうだ」

 

 こうしている間にも私の足からドンドンと熱を奪われていく。裏で生鮮食品を管理している人たちは、さぞや寒い場所にいるのだろう。


「お、マジであったー!良かったねハルさん」

「へー、これが鮎ですか。思ったより小さいですね。焼いて食べるんですか?」


 鮎というのは、思ったよりもずっと小さかった。正直、捌いても食べるところがあるのか疑問だ。


「これはね、唐揚げにすると美味しいんだよ」

「唐揚げ?丸ごと食べるんですか?」

「そう。頭から丸ごと齧りついちゃう」


 思ったより豪快に食べるらしい。

 それにしても、リホさんは本当に料理スキルが高いと思う。

 少なくとも、私の実家でもそんなものは出てきたことはない。


「リホさんの実家では、そういうのが良く出てきたんですか?」

「…………いや、実家ではないよ」


 何気ない私の一言で、リホさんから先ほどまでの明るさが一瞬で消え失せた。身体の体温が全て持っていかれるのではないか思うほど、この場に冷たい空気が流れているように錯覚する。

 いや、実際に冷房から冷たい空気は流れているのだけれど。とか冗談を考えてる場合ではなくて……。

 どう考えても、リホさんに実家の話は禁句だった。学校から連絡をしても応じない親なのだ。何か普通とは違う家庭環境であることは誰にでも想像がつく。

 あまりにも、配慮に欠けていた。

 

「ご、ごめんなさい! リホさん……あの……」

「アハッ! なんてね! そうそう、うちのお母さんが好きだったんだー」


 絶対に嘘だ。でも、彼女は必死に取り繕おうとしている。

 べらべらと捲し立てるように何かを喋って誤魔化そうとしてる彼女に、これ以上に謝罪を重ねたり、深く家庭について詮索すれば失礼になる。

 私は、黙って彼女の手を握った。


「リホさん。ここは寒いですから、早く会計をしに行きましょう」

「あ、……うん」

「全く。ちょっと寒すぎですよ。足がキンキンです」

「そーだね。あたしも、ちょっと寒いや」


 手はまだ離さない。冷えてしまった手が、もう少し温まるまで。


「あ、そーだ。ハルさん、鮎の唐揚げにはお酒が合うらしいよ。買っていったら?」

「え゛っ」

「あたしとしたことが、うっかりしてたよ。お酒コーナーに寄っていこう」

「いやいや! ダメですよ!」

「なんで?先生もう大人じゃん」

「いや、私がお酒を飲むことは良いんですけどっ、そうじゃないでしょ!」

「私の家で飲むのがダメってコト?」

「当たり前ですよ! 生徒の家でお酒飲むとか犯罪です!酔った勢いでリホさんを襲ったらどうするんですか!?」

「ちょっ! ハルさん、声大きい……!」

「あっ……」


 いきなり飛び出した驚きの発言に、思わず大きな声が出ていたらしい。

 周りからは若干の注目が集まっている。

 しかし、「またこの人たちか」みたいな生暖かい視線だった。どういうことだろうか。


「もう! 良いから行くよハルさん!」


 リホさんは繋いだままの手を引っ張って私をレジまで連れて行く。

 ついでに、ビールらしきものを買い物かごに放り込んでいたが、止める間もなかった。

 

「いつもありがとうございます」

 

 会計をすれば、何故かレジのお姉さんからはホクホク顔でお礼を言われた。

 なんなんだろうか……。私とリホさんの繋がれた手を横目にチラチラ見ていた気がする。

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