第二章 Past meets present
第6話
季節は相変わらずの夏。
教室から見える空には重々しい雲がかかっている。梅雨は明けたはずなのだけど、もう少ししたら激しい雨が降り出しそうだ。
一学期を終えた生徒たちは、
「ハルちゃんせんせー! もう帰りたいよー、雨降りそーだよー」
「駄目です。サボった分はしっかりカバーしなければいけません。あと、ハルちゃんはやめてください」
本日は、不良娘改め――
良い感じに二人の仲を深めて、これからイチャイチャストーリーが始まるかと思いきや、現実は非情なのだ。
このままでは、彼女は単位が足りなくて留年することになる。
一週間に及ぶリホさんの無断欠席は、当然ながら校内で大きな話題となっていた。
無断欠席の間、リホさんの親には連絡が通じないし、当然本人も連絡を受け付けなかったのだから、関係者各位はてんやわんやだ。
しかし、このまま学校を去るのかと思われる中、リホさんはひょっこりと復帰する。
リホさんには、クラスメイトからは質問の雨が、教師からはお説教の雷が降り注ぐ。そして、彼女は、のらりくらりとそれらを
彼女への罰は、休んだ期間分の授業を追加課題と夏休み中の補講で穴埋めするという形で手が打たれた。
臨時で補講の担当教師を募集されてた時、私はいの一番に手を上げる。補講なんて面倒な仕事を引き受けたがる教師は他におらず、教員一同よろこんで私に仕事を丸投げしてくれた。
ちなみに補講といっても、基本は自習形式で、一人で問題集を解き進める程度の内容だ。私の仕事は彼女の見守り役と、分かる範囲で質問に答えることだけ。
「無断欠席をしていた分の授業を夏休み中に補填し、追加の課題を提出してようやく完全復帰です。頑張ってください」
「あたしが休んでたのは先生のせいなのに……」
「…………ごめんなさい」
そう言われてしまっては何も言い返せない。正論を並べてみたものの自覚はあった。
私の優柔不断が彼女を不登校にまで追いやってしまったのだ。さっさと自分の本心を伝えていれば、こんな面倒にはなっていなかった。
先生らしく気丈に振舞おうとしていたけれど、罪悪感で気持ちが沈んでいく。
「ちょっ、冗談! 冗談です! 夏休みもハルさんと居れて嬉しいなー!」
「でも……」
「ハルさん、大丈夫だって。別に怒ってないから、ね?」
「……うん」
危ない。落ち込むところだった。今の私は頼れる先生だ。
私は先生。私は先生。私は先生。……よし!
「おほんっ! では、気を取り直して。補講の続きを頑張りましょう! ……あと、学校でハルさんはやめてください」
「はぁ……めんどいなぁ」
いつもと同じ教室の中、いつとは違う空気が流れている。
補講日はあと二日。学校の中でも、こうして彼女と二人きりで過ごす時間が、妙に心地よく感じた。
この時間に好意的な私が居ることを知ったら、リホさんは今度こそ怒ってしまうだろうか。
問題集と睨めっこをする彼女を眺めつつ、私はそんなことを考えていた。
━━━
学校からの帰り道。予想通りに雨が降っていた。
頭上から傘を激しく叩く音が聞こえてくる。
「ハルさんが傘持ってて助かったよ。危うく、ずぶ濡れだった」
「今日は雨の予定でしたからね。テレビで天気予報とか見ないんですか?」
「ウチにテレビ無いよ。予報は携帯で見てるけど、今日は忘れてた」
「あー、やっぱり今どきはテレビ持たないんですね」
私は昔からテレビっ子だから生活必需品だと思っているのだけど、最近は携帯があれば必要ないと考えている人も増えていると聞く。
言われてみれば、リホさんの部屋でテレビを見た記憶はない。携帯を開けば情報が溢れている世の中で、テレビなんて大きなものを狭い部屋に備える必要はないのかもしれない。
「今どきって……ババ臭いなぁ」
「ババッ!? 酷いですリホさん!」
「いやだって……。てか、ハルさんくらいの年代でもテレビは持たない人の方が多いんじゃない?」
「どうでしょうね? 私は朝ごはんを食べるときにニュースを見る習慣があるので、なんとなく持っているのが当たり前の感覚になってます」
「自炊しないくせに朝食を抜かないのは偉いよね。でも、
「自炊しないのと朝食を抜く話は関係ないですよ。というか、どうせって何ですか」
「でも、合ってるでしょ?」
「……合ってます」
夜はコンビニ弁当と次の日の朝の菓子パンを買って帰るのが習慣だった。夜ご飯に関しては、最近は少し状況が変わってきたのだけど。
「今日はウチでご飯食べる?」
「リホさんが傘を持ってないのに、離れるわけにもいきません。仕方ないのでお邪魔します」
「まーた適当な理由こじつけるんだから……」
「適当じゃないです。不可抗力です」
「はいはい。じゃあ、スーパーに寄ろうか」
形式上、理由もなく生徒の家にお邪魔するのはどうかと思い、いつもそれらしい理由を付けている。
適当と言われれば適当だ。とはいえ、周りに何か言われたときの
「今日は何食べようね」
「リホさんが作るものなら、なんだって美味しいですよ」
「んふふー! そうでしょうとも!」
私たちは二人の時間を着実に積み重ねている。チャットで話すだけの関係から、こうして隣を歩くまで仲は進んだ。
家にお邪魔して、一緒にご飯を食べて。
でも、私には、まだ彼女のことが分からない。
松風里穂という生徒は、誰にでも笑顔を絶やさず、気遣いができる人気者だ。
元から、美人で愛嬌がある彼女は、学校でもアイドル的存在として有名だった。
だからこそ、今回の無断欠席も、問題視されつつも大事にはならずに済んだのだ。
少しばかり悪い風聞が流れても、これまでの彼女のイメージがそれらを撥ね退けた。これが人徳という奴なのかもしれない。
松風里穂を知るほど、可愛らしくて、溌剌として、誰にでも分け隔てないアイドルのような女性に思えてくる。
でも、私が出会い系サイトで知り合った
「それにしても、この雨の中を歩いているというのに、なんだか嬉しそうですね」
「なんでだと思う?」
「問題ですか……難しいですね」
「正解出来たら今日の夕飯にデザートが付きまーす!」
「それは是非正解したい!」
「ふふふ、答えはハルさんと相合傘してるからだよ!」
「答え言っちゃったじゃないですか!」
リホさんは楽しそうに笑った。この笑顔を見ると心が和らぐ。
私はまだ、彼女の核心に触れることはできないのかもしれない。それでも、彼女との時間を大切にしたい。
私は、自分自身で彼女と居ることを心に決めたのだから。
彼女の考えていることをもっと知りたい。でも、焦る必要はない。
リホさんが許してくれる限り、私たちには時間があるのだから。
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