第3話
あれから、松風さんは学校に来なくなった。もう 1週間も無断欠席が続いている。
理由は間違いなく私だろう。
「あんな派手に髪を染めて。やっぱり、遊び回ってるタイプの子だったんですよ」
「私も、そう思ってたんですよ。最近の子は自由を許されすぎてるから、こうなっちゃうんでしょうねぇ。私の時代にあんな髪色してたら、女子でも学校で坊主にされてますよ!」
ワハハと笑い声が響く。職員室には、デカい声で松風さんの噂をする教師たちがいた。放課後は職員室に来る生徒も少ないとあって、遠慮のない会話が繰り広げられる。
録音でもして、出すべきところに記録を提出すれば、彼らの人生を壊すことも出来そうなレベルだ。
大して事情を知りもしないで、無責任に子供の尊厳を傷つけるような発言をする大人がいることに吐き気を覚える。しかも、それが教師をしている人間だというのが度し難い。
本当に録音してやろうか?
「まあ、どこぞで男を連れて遊んでいるんでしょう。親とも連絡がつかない家の子ですしね。そういうの多いですよ」
「三年生の大事な時期になって問題行動を起こされると迷惑ですよねぇ。他の子に悪い影響を与える前に、さっさと辞めてくれれば良いんですが――」
聞きたくもないのに、無駄に大きな声は職員室中によく響く。カッとなって立ち上がりそうになったけど、理性が踏みとどめた。
こんな話をしているけど、噂話をする男性教師二人が、松風さんに鼻を伸ばしながら話かけているところを何度も見ている。見た目のいい女子生徒に明らかな贔屓というか、色目みたいなものを使っているのは周知の事実だ。もちろん、生徒からの評判も最悪。それでも、簡単にクビにできないのが、この仕事だ。
「お前らが辞めろ……」
誰にも聞かれない小さな声で呟く。
でも、こんなこと言う資格はない。きっと、松風さんを苦しめているのは私なのだから。
無遠慮に彼女のことを話題にする人間が許せない。そして、彼女を傷つけた自分も許せない。
この場に居ると、バカな噂話をする同僚と自分自身に対する怒りで気が狂ってしまう。
私はさっさと書類仕事を済ませ、家路についた。
帰り道にあるコンビニで弁当とビールを買う。もはやルーティーンだ。大して考えることもなく、当たり前のようにそうしていた。
そして、コンビニを出ると、――松風さんが居た。
「三波……先生」
「松風さん……」
思いもしない偶然に、私は固まってしまっていた。彼女とは、偶然の出会いをする運命下にあるのか……。
いろいろと言いたいことがあったはずなのに、何を言えばいいのか分からない。頭の中が靄に包まれたように真っ白になっている。
何もできずにいると、そっと松風さんに袖を引っ張られた。何事だろうと思ってみれば、入り口前に立つ私たちを邪魔そうな目で見る男性が居る。
「とりあえず、移動しようか」
私の袖を引っ張る松風さんに、黙って従った。
━━━
スウェット姿の松風さん。ちょっとコンビニに行く程度なら普通の格好だろう。
それはいいのだが――。
どういうわけか、私は今、松風さんの家にいる。手を引かれるまま付いてきてしまった。
しかも、彼女の家は、自宅から徒歩5分程度の近所だということが判明。これまで合わなかったことが不思議なくらいだ。
「お茶出すね」
「いえ、お気遣いなく……。えっと、親御さんは?」
「いないよ。あたし、一人暮らしだから」
珍しいけど、無い話じゃない。とはいえ、未成年の一人暮らしと聞くと、少し心配な気持ちが湧く。
「そうなんですね。自炊とか大変だ……」
「あたし、料理とか掃除は好きだから。……前に話したと思うけど」
覚えている。リホさんはそう言っていた。
そうだ、一人暮らしだとも言っていたじゃないか……。
まだ、彼女がリホさんであるという事実を受け入れ切れていなかった自分に気づいてしまう。
「そうでしたね。得意料理は、ふわふわオムライス」
「うん、そう……」
私は、こんな話をしたかったのだろうか?
次に会ったら、もっと違う事を言いたかった気がする。でも、何を話せばいいのか分からない。
結局、何も言葉にできないで口を噤んでいると、松風さんから話しかけられる。
「先生は……ハルさんは、あたしが学校を辞めたら、ちゃんと話をしてくれる?」
なんでそんな事を、とは言えない。理由は分かっている。
『私は貴方の先生です』
そう言ったのは私だ。彼女がその関係を望んでいないのを理解していたのに。
「学校やめたら駄目ですよ。そんなことしなくても、話はできますから」
「それは教師として?」
「私は先生ですから」
松風さんは、しかめっ面をしている。
彼女の望んでいる答えではない。それでも、私は教師である自分を捨てることができない。
ふと、口から自然と言葉が出た。
「私、小さい頃から学校の先生に憧れてたんです。質問したら色々な事を答えてくれて、自分が知らないことを沢山教えてくれる凄い人達だと思っていたから。でも、実際は違いますね。知らない事ばっかりです。たまに間違えたことを教えたりするし。……酷いことを言う人もいます」
「何の話?」
「私の話です。話をしたかったんでしょう?」
松風さんは、目を丸くしている。
「松風さんは、どうして出会い系アプリなんてやってたんですか?」
「あたしと同じ人を探してたから。学校の子たちは皆、
出会い系アプリと聞くと、どうしても恋愛関係を求めて使われるものというイメージがある。
しかし、言われてみればアプリの宣伝には、友達探しに役立つ旨も書かれていたかもしれない。
「でも、悪い大人に絡まれたら危ないですよ……」
「そーだね。実際、酷い人に会っちゃった」
私を薄目で見てくる。
悪いことをしたつもりはない。
……いや、したか。彼女を傷つけた。
「ごめんなさい……」
「酷いよ。凄く楽しみにしてたのに……」
「私もですよ。ずっと、楽しみにしてました。あんな風に本心から話ができる人は、リホさんだけだったから」
「ほんと?」
「本当です。もっと、大人な女性だと思っていましたけど」
「年下だけど、自立って意味では、あたしの方が大人でしょ。毎日ちゃんと自炊してるし」
「……たしかに。私は毎日コンビニ弁当です……」
目を合わせて、二人して吹き出した。
気が付いたら、私たちは普通に話ができていた。
互いの呼び方も、いつの間にか『リホさん』と『ハルさん』になっている。
そうして、暫く他愛のない話に興じていると、リホさんから再び真面目な話題を振られる。
「学校辞めるっていうのは、流石に嘘だよ。休んでたのは、ちょっと顔合わせるのが嫌だっただけ。明日からちゃんと行くよ。卒業はしたいから」
切なげな顔で語る彼女に、それなら良かった、とは言えない。
私はなんだかんだと言って、まだ彼女に答えを出していない。
教師だなんだと言って逃げていた。その上、都合よく教師と教え子の関係を続けようとしている。
私は気づいてしまった。
嘗て私を振った中学時代のクラスメイト。彼女もこんな気持ちだったんだと。
私からの告白を受け入れることはできない。それでも、今までと同じ友人関係は続けたい。
そんな我儘な気持ちを、今になって理解した。
勇気を振り絞って一歩を踏み出した相手に、踏み出した足を元に戻してほしいと言われる悲しさ。
私は辛かった。だから怒って、関係を絶った。
あの時とは少し事情の違う話だけど、本質は似たようなものだ。
私に比べて、リホさんのなんと優しいことか。私の立場を理解して、これまで通りの関係を続けようとしてくれている。
彼女の勇気を、無かったことにしようとしてくれている。
このまま、彼女に甘えて良いのか?
――いいわけがない。私は、それを望んでいない。
「私は、……リホさんと話をしたかったんです。だからあの日、『会いたい』って送りました。自分の立場とか、そういうものを置いて考えたら、結局これが私の答えです」
相手を知って、元の気持ちとは関係のないところで答えを出そうとしていた。
彼女と新しい関係を持つことは、教師である自分の否定であるように感じたから。
でも、誰かにどう思われるかじゃない。私と彼女がどう思っているかだ。
これは誰かの話じゃない。私と彼女の話だった。
「……いいの?」
「もう、答えは出したつもりです」
普通とは異質な関係なのだろう。でも、別にいいじゃないか。
元から私は人と違っていた。それを認めてくれる人が居ないと思い込んで、殻にこもった。
でも、私を理解してくれる人は目の前にいる。
この日、少しだけ私たちの形が変わった。
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