映し鏡

神父猫

移し鏡

僕は鏡を勢い良く割った。

鋭い破片を両目に刺した。

これも僕が選んだ結末だ。

「これでいい。もう何も見たくないんだ。僕が僕である事も。お前がお前である事もだ。」

幼い少女の声は僕を貶した。

「気に食わないな。まるで私のせいみたいじゃないか。確かに私はお前の全てだ。お前がこの結末に辿り着いたのも私のせいだ。お前を作り上げて白紙に戻したのも私。ただ、選択したのはお前だろ。これは全て私のせいであってお前のせいなんだ。だからもう機能しない惨めな目で私を見るなよ。気味が悪いだろう。」

僕の前には少女がいる。

この少女は僕であって少女ではない。

少女であって僕でもない。

世界の全てであって何者でもない。

「この結末を何故、お前は望んだんだ。何が目的なんだ。教えてくれ。」

「私に目的なんて無い。私はお前自身だ。お前を白紙にしてやった私はお前そのものだ。目的があるとするのならばお前が一番に知っているはずだろ。」

僕を白紙にしたのはこの少女だ。

少女に情けは無い。

面白いから僕を塗り潰して、つまらないから僕を白紙に戻す。

「お前が僕に消えて欲しいと思えばいつでも世界から存在自体を無かったことにできる。そんなことを言っていたよな。消してくれ。僕という存在を消してくれ。もう嫌なんだ。」

少女は大きく笑った。

「私がいつお前に消えて欲しいなんて願ったのか。お前は私を飽きさせないな。この私がお前の言う事を何故、受け入れなければならいないのだ。忘れたか。私はお前如きが願いを唱えて良い相手じゃないぞ。」

彼女は僕が生み出した幻想であって現実で世界そのものだ。

「その目は私を睨む事すら叶わなくなったか。私はお前の目をその気になれば治すことができる。私に不可能なんて無い。また美貌で華やかな世界を見ることができるぞ。最もお前がそれを望むと思えないが。」

「もう見たくないんだ。世界も。現実も。幻想も。何も見たく無くなった。自分自身もだ。」

「何故、お前は生きている。早く死んでしまえばいいじゃないか。世界である私の前から消えてしまえばいいじゃないか。お前自身もそれを望んでいるのじゃなかったか。私はお前の世界だ。お前が死ねば私も存在が死んでしまう。何を言いたいか分かるな。私からお前を殺すことはないが死にたいのならさっさと死ぬべきだと述べている。」

僕は黙ってしまった。

返答が見つからなかった。

「そうだ。お前は死ねないんだ。死ぬのが怖いんだ。今更、命を労わろうなんてどこまで愚かなんだ。」

「全てはお前が導いた結末だ。お前が全て悪いんだ。お前のせいで僕はこんな運命を負った。そんな言い方はあんまりじゃないか。」

「おいおい、やめてくれよ。これ以上、笑わせないでくれ。私が導いたなんて聞こえが悪いじゃないか。私はお前が望んだ知識を与えただけだ。勝手に壊れたのはお前だろ。私は、お前が望んだこと以上に何かを与えたことはあったか。一度もない。良いか。これは全てお前が自分で自分を作り上げて、そこに色を付けた。色に耐えれなくなったお前は自身を白紙に戻した。たったそれだけの物語だ。」

偽り無くその通りである。

全て僕が始めた物語で望んだ世界だ。

「僕はどうしたらいい。教えてくれ。導いてくれ。もうどんな結末でも受け入れる。僕にはもうお前しか居ないんだ。」

「この物語は結末を迎えたじゃないか。お前はお前を偽り続けた結果、世界を見ることが出来なくなった。どんな結末も受け入れるとは良く言ったものだ。まずはこの物語の結末を受け入れてみてはいかがだろうか。」

少女は玩具を見るような目で僕を見る。

「良いぞ。新しい物語を私が導いてやっても構わない。ただ、結末は期待するな。」

僕は世界をもう一度、信じる事にした。

「さあ、こちらへ来い。新しい物語の入口だ。」

気がついた時には、広大な草原に立っていた。

そして鮮明に世界が見える。

「気がついたか。視力は治してやった。勿論、対価無き治癒はできない。理に反してしまう。お前から言葉を対価として奪った。お前はもう何を思っても言葉にすることはできない。思うだけだ。」

言葉が出ない。

話し方を忘れてしまった様な感覚だ。

「終わりが見えないこの草原で終わりを探す。これがお前の新しい物語だ。」

僕は怯えてしまった。

終わりが見えないこの物語に。

「何を怯えている。これはお前の望んだ物語じゃないか。考えてみろ。お前は終わりが嫌いじゃないか。結末が嫌い。終焉が嫌い。この物語は終わりが見えないだろう。これはお前が意識的に望んだ世界なんだ。私は何も小細工なんてしていないぞ。お前が望む世界をそのまま具現化しただけだ。そして自身を嫌うお前は言葉を失うことを望んだ。人と関わらなければ自身を嫌いになる事が無くなるからだ。さあ、存分に駆け回ってくれ。お前は今、水を得た魚じゃないか。」

僕は終わりの無い物語を歩き始めた。

広大な草原に小さな水溜まりを見つけた。

僕は覗き込んだ。

水面には何も映らない。

「お前は生命として存在していないんだ。ここまで歩いて疲れを感じたか。答えは否だ。お前は何にも映らなければ、何にでもなれる。お前はこの水面に何を望むんだ。」

僕は考えることを辞めた。

何者にもなりたくない。

それが答えだったからだ。

「これがお前の答えか。面白い。素晴らしい。良いぞ。お前の望みを叶えてやる。」

少女は僕の頬に手を当てた。

「ここでお別れだ。最後に私が何者だったのか教えてやる。お前と一緒だ。私は私自身を拒絶し、憎み、殺した。私は世界ではなく、呪い。幽霊と同じ類だ。生命の成れの果てだ。ただ、人間であった頃より実に愉快であったぞ。お前も幸せになれよ。」

気がついた時には自宅のベッドに横になっていた。

「僕は、長い夢を見ていたのか。」

僕には色があった。

「白紙じゃない。やはり夢だったのか。」

起き上がり、洗面所に向かった。

「違う。夢なんかじゃない。現実だった。」

鏡が割れていた。

破片を持ち上げ、覗いた。

「おい、待て。どういうことだ。」

そこには僕は映っていなかった。

僕は思い出した。

少女も鏡に映っていなかった事を。

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映し鏡 神父猫 @nyanx

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