『庭師』の称号

うつみきいろ

『庭師の称号』

 ◆序章◆


 荒廃し、汚染された世界。度重なる自然破壊と戦争の後に人間は絶滅しかけていた。

 まだ息のある者は腐っていく身体を機械に繋ぎ何とか命を繋ぎ止めている。一人、また一人と倒れる中、最後に残った一人は真っ白な研究室の中で誰に言うともなく呟いた。

「やっと、成功した」

 その言葉は男の最期の言葉となった。


 ―――それから長い月日が流れた。

 木々が再び生い茂り、大気中の汚染物質を吸収する。地層は隆起と沈降を繰り返し、海から新たな島が現れる。壊された自然が少しずつ回復していく。

 そして人類が滅んでから二十万年経ったある日、ついに新たな知的生命体が生まれた。

 彼らは『鳥人』と呼ばれ、見た目は人間とほぼ同じ。言葉を操り、森を切り拓いて文明を発展させ、かつての人類と同じように暮らしている。人間と違うのは、一部の鳥人が特別な力を持っていることだった。

 力を持つものは『称号持ち』と呼ばれていた。ある者は人の傷を癒やし、またある者は何トンもの岩を軽々と持ち上げてみせる。能力の種類は無数にあるがいずれにしても力を持つ者は持たない者から一目置かれる存在だった。


 ◆第一章◆


「待て、泥棒ー!」

 恰幅の良い男が汗をかきながら此方に向かって走ってくる。

 気付かれたかと鳥人の少年スズメは顔を顰めて一目散にその場から逃げ出した。一つに結えた茶髪は毛先にいくほど黒味がかり、ピンと上に跳ね上がっていて、走る度ぴょこぴょこと揺れる。琥珀色の目は真っ直ぐ逃げ道だけを見詰めた。手には先程男から掠め取った財布と腕時計。財布は男と同じようにでっぷりと太っているし、腕時計は純金の上物だ。ここで捕まる訳にはいかない。質屋に持っていけば、当分生活に困ることもないとなれば、自然と足も軽くなる。

 スズメは大きな柵を難なく乗り越えると、この地区のスラム街、アウトサイドエリアへと降り立った。

「ス、スズメ!」

「下針! 見ろよ、今日は豊作だ!」

「そんな場合じゃない! 自警団員達がみんなを・・・・・・っ!」

 焦った様子の仲間が事情を伝えようと口を開いた時だった。

 頭上から大きな影が現れ、不機嫌そうな声が降る。

「君がこいつらのリーダーか」

 自警団の制服、それも上官であることを示す長いマントを羽織った男が此方を見下ろしていた。

 あまりにも温度の無い目。

(捕まるっ!)

 スズメは咄嗟にポケットに手を突っ込み、取り出した物を男に投げ付けた。

「宿木よ、生い茂れ!」

 投げたのは宿木の種。スズメの掛け声と共に一気に成長した宿木は男の身体を包み、地面に根付いた。

「た、隊長!?」

「今だ! 皆逃げろ!」

 予想外の出来事に焦る自警団員達の一瞬の隙をつき、皆蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。一人残らず逃げたのを見届けて、スズメも子供しか通れない抜け道からアウトサイドの更に奥へと駆け込んだ。


 ◆


「隊長!」

「大丈夫だよ」

 隊長と呼ばれた男は子供に一杯食わされたなと溜め息を吐きながら、身体に巻き付いた植物をぶちぶちと引き千切る。

「あの少年・・・・・・」

「あぁ、称号持ちだね。驚いたよ」

 男は部下の言葉に頷くと即座に命令した。

「さっきの少年を探して。少年が難しければその仲間でもいい。僕の前に連れて来て」

「承知致しました・・・・・・しかしどうするおつもりで?」

「自警団に引き入れる」

「は!?」

「心配しないでよ。いきなり入団させる気はない。まずは訓練学校に放り込む」

 上官の男はにやりと口角を吊り上げた。

「この僕を攻撃したんだ。それ相応の償いをしてもらわなくちゃね」


 ◆


「スズメ!」

「下針! 良かった、お前も無事だったんだな」

 アウトサイドにある隠れ家の一つでスズメは仲間達と合流した。みんな怪我も無く元気そうにしている。良かったと胸を撫で下ろしかけて、何かがおかしい事に気付いた。みんなの表情が暗い。

「どうした?」

 スズメは仲間内でナンバーツーにあたる下針に問い掛けた。灰色の髪の下に隠された紅の目は不安に揺れている。

「ホタルがまだ帰ってきてなくて・・・・・・」

「えっ!」

 驚いて周りを見渡せば確かに一人足りない。

「ま、まさか自警団に捕まったんじゃ・・・・・・」

 仲間の一人が震えながら言うと、全員押し黙った。逃げ出したのはスズメが最後。

 敵を撹乱するのにあちこち走り回って日も傾いている。そのスズメより戻るのが遅いとなれば、何かトラブルに巻き込まれている可能性が高い。

「・・・・・・もう一度探してくる」

「スズメ、危ないよ! まだ自警団の奴ら、私たちを探しているみたいなんだ」

「大丈夫。俺には『庭師』の称号の力があるし」

 仲間のこと放っておけねぇだろと苦笑すれば、下針はくしゃりと顔を歪めた。

「ほらこれ。今日の収穫」

 スズメは内ポケットから盗んできた財布と時計を取り出すと、下針に手渡す。

「暫くはこれで凌げる筈だ。もし俺も戻らなかったら後のことは頼むぞ」

 言外にだからお前はついてくるなと滲ませて、スズメは踵を返す。

「縁起でも無いこと言わないで! 私たちのリーダーはスズメにしかつとまらないんだから! 絶対無事で帰って来てよ!」

 背中にかけられる言葉に軽く手を振ってスズメはもう一度外へ飛び出した。


 ◆


「やぁ、こんばんは」

 隠れ家を出てすぐの路地の暗がり。

 普段なら立ち入る者などいないその場所から一人の男が現れた。真っ白な短髪に碧い目、ひょろりと華奢な身体。自警団の制服。

 見覚えがある。スズメが宿木で足止めしたあのマントの男だ。

「あ、あんたは!」

 叫びながらスズメはこの危機をどう乗り越えるか頭をフル回転させていた。自警団に隠れ家の場所を知られている。中には仲間たちがいるのにまた振り出しに戻ってしまった。しかし悲観している暇はない。仲間に危険を知らせなければ。

「ホタルをどこにやったんだよ!」

 わざと大きな声を出して、隠れ家の中の仲間に自警団の存在を知らせる。しかし向こうも馬鹿ではない。何処からかぞろぞろと集まってきた団員に隠れ家はあっという間に囲まれた。

「安心して。彼は無事だ」

「言葉だけじゃ信用出来ない」

「本当に返して欲しいの?」

『自分が助かる為にアジトの場所を僕達に教えたかもしれないのに?』と男は首を傾げた。スズメは男の放った言葉を侮辱と受け取った。確かに彼らがどうやってこの場所を探し当てたのかは気になるが、ホタルが場所を教えたなんてあり得ない。固い絆で結ばれた自分たちには裏切りなど存在しない。

「あいつはそんなことしない」

「大した自信だなぁ。でもまぁそうだね・・・・・・正解だよ。尋ねてみたけど決して口は割らなかった。この場所は僕の部下が見つけてきたのさ」

「乱暴なことしてないだろうな」

「まさか! 彼には指一本触れてないよ。でもまぁ長時間の尋問に疲弊してはいるかな」

「てめぇ!」

 きつく目の前の男を睨み付けると、どうどうと馬を落ち着かせるかのように両手で制される。

「気性が荒いなぁ。たった一人で僕達に歯向かうつもりでいるのか。でも見方を変えれば仲間を守るための自己犠牲ともとれる。そんな君だから仲間から慕われているんだね。良いことだ」

 男は隣に控えていた部下に何かを囁いた後、スズメに向かって、

「取り引きをしよう」

 と持ち掛けた。

「取り引き?」

「君が自警団に加わるなら、仲間の安全は保証する。今までの盗みの罪も問わない」

「は!?」

「それだけじゃない。自警団の運営する施設で全員の衣食住と簡単な教育を与えよう」

 悪い話じゃないだろうと男がにやりと笑ったのと、仲間のホタルが奥から連れて来られたのは同時だった。

「ホタル!」

 見慣れた黒髪に黄金の目。確かに仲間のホタルだ。自分より何倍も大きな男に挟まれて酷く怯えている。その様子にカッと頭に血が上った。

「何をした!」

「さっきも言っただろう? 何もしてないさ。怪我もない。勝手に怯えているだけ」

 大きな大人二人に取り押さえられ、逃げ出せないでいる仲間をみてスズメは唇を噛み締めた。

「君が頷けば全て上手くいく。さて、どうする?」

「俺が自警団に入るだけでみんなハッピー? そんなの信じられるかよ。一体どういう魂胆だ」

「向いているからさ」

「は?」

「君が自警団員に向いているから」

 僕の目に狂いは無いと豪語されて少し戸惑った。みんなのリーダーとしてどうすべきか心が揺らぐ。

「それとも全員ここで捕まる? 小さなギャングの親玉さん」

 男は畳み掛けるようにスズメを見下して言った。

 確かに男の言う通り、実際のところ実力差は明らかで勝ち目なんて無い。向こうは大人で訓練も受けている自警団、此方は年端もいかない子供だけで形成されたスリの集団だ。掠め取ったり逃げたりするのは得意でも、こうして取り押さえられてしまうとどうにも出来ない。

 唯一戦えるのは称号持ちのスズメだけだが、仲間を危険に晒すのは目に見えている。

「・・・・・・分かった」

「なぁに? 聞こえない」

「分かったって言ってんだ! 自警団でも何でもやってやる! 仲間達を解放してくれ!」

 もうどうにでもなれと叫んだ瞬間、ホタルの拘束が解ける。ホタルは急いで此方の方に走ってきて自警団達を睨み付けた。

「正しい判断だね。じゃあ取り敢えずみんな僕らについてきて。悪いようにはしないからさ」

 男は隠れ家の中にいる仲間も引き連れてついてくるように言うと、傍にあった木箱にどっかりと腰を下ろした。

 何も出来ないのが悔しくて歯を食い縛るが、ここは相手の言う通りにするしかない。

 スズメは仕方なくホタルを連れて隠れ家の入り口を潜った。


 ◆


 連れて来られたのは小さな教会だった。宿舎があり、勉強する為にと建てられた小さな荒屋もある。

「自警団が資金を出して運営している施設だよ。身寄りのない子供を引き取って育てている」

 マントの男の言葉に仲間達が騒つく。

「ねぇ、スズメ!」

「下針・・・・・・」

「本当に良さげな施設に連れて来られちゃったよ! あのマントの人の話本当なのかな」

 右隣を歩く下針は不安半分、期待半分といった様子で周りには聞こえないよう囁く。

 灰色の短髪が月夜に照らされて輝き、赤い目がゆらゆらと揺れていた。普段は男と間違えられるほど度胸がある女なのに、今回ばかりは勝手が違うらしい。

 一方でホタルはといえば思い切り顔を顰めている。元々は口数が少なく、表情も余り動かない男なのに珍しい。黒髪に半分ほど隠された眉間にはしっかりと皺が寄っていた。黄金の目は怒りに燃えていて、熱気が此方まで伝わってきそうだ。

「喜ぶなよ、下針。スズメの自由と引き換えなんだぞ」

「それは・・・・・・そうだけど・・・・・・」

「俺たちは今までずっとリーダーのスズメに縋って生きてきた。そして今日からはスズメの将来も食い潰すんだ」

 ホタルは何も出来ないことが悔しいのか、血が出るほど強く拳を握った。

「そう悲観するなよ。自警団に入るのだって悪くはないさ」

「スズメ・・・・・・」

「孤児の俺たちが真っ当な職につけるかもしれねぇんだ。だからもうそんな怒るなよ」

 安心させるように微笑めば、ホタルは僅かに身体の力を抜いた。

 教会の扉が開かれる。

 昨日までは知らなかった未来が始まろうとしていた。


 ◆


「おい、聞いたかよ? 今日アウトサイド出身の奴が入学してくるらしいぜ」

「聞いた聞いた。アウトサイドって要するにスラム街だろ? よく入学出来たよなぁ。しかも『庭師』の称号なんて」

「植物育てる能力だろ。お野菜育てるくらいしか出来ねぇんじゃねぇの?」

 教室に入る前からそんな下卑た言葉と笑い声が聞こえてきて、スズメははぁっと深く溜め息を吐いた。

(面倒くせぇ・・・・・・)

 恐らくは自分に向けられた言葉に入学初日から苦労しそうな予感が走る。悪口ぐらいなら聞き流せば良いが、嫌がらせをされたらどうするべきだろうか。相手をボコボコに殴り倒してもいいのか。駄目なんだろうな。面倒臭い。

 けれど此処で投げ出す訳にはいかない。何しろスズメの両肩にはアウトサイドで一緒に育った総勢十二人の仲間の生活が掛かっている。自警団訓練学校。スズメがこの学校に通い、自警団に加われば仲間の衣食住が保障されるのだ。

 今頃仲間たちは朝食を摂っているところだろうか。教会での待遇は思ったよりも良くて、あたたかなスープとパン、少し硬いが清潔なシーツの敷かれたベッド、どこにも汚れがない真新しい服に、風呂の準備までされていた。どうしてここまでしてくれるのかとあの自警団のマント男に詰め寄ってみれば、お前が自警団員に向いているからだと先日と変わらない答えが返ってくる。これには困り果てた。

 結局はスズメ含め仲間全員は厚遇をただ享受する羽目になっている。

 自警団の隊長だというあのマント男が約束を違えないなら、こちらもそれに応えなくてはならない。面倒だが、嫌味を言ってくる輩は無視をして役目を全うするのが筋だ。

 スズメはもう一度溜め息を吐いて、やけに重たい扉を開いた。


 ◆


「では教科書の二十四ページから。昼夜戦争が起こる過程から終戦までを説明する」

 黒板の前に立つ教師を見詰めながらスズメは密かに焦っていた。

(字が読めない・・・・・・数字はかろうじて分かるけど、こんなのどうしろっていうんだよ・・・・・・)

 一先ず教師の言葉を聞き逃さないようにしつつ、ノートに絵のようなものを書いて書き留める振りをする。教師に目をつけられたら厄介だし、周りの奴等に馬鹿にされるのも御免だ。

 幸い昼夜戦争のことは少し知っている。昼行性の属性を持つ称号持ちと夜行性の属性を持つ称号持ちの間で行われた戦争で、攻撃力で勝る夜行性の軍勢がはじめは勝利していたが、数で勝る昼行性の軍勢が巻き返し、結果的には昼行性の軍勢の勝利となった。

 その後暫くは混乱の時代が続く。昼行性の軍勢による夜行性の軍勢への差別、略奪、暴行。夜行性の軍勢によるクーデター。そのうち技術が発達し、昼行性の鳥人も夜行性の鳥人も昼夜問わず問題なく行動出来るようになってからは争いが激化した。スズメ達ストリートチルドレンもその時の混乱によって親を亡くした者の集団だ。

 しかし血を血で洗う連鎖に終わりはない。やがて昼行性軍勢の代表『鳩属』と夜行性軍勢の代表『鴉属』により平和に向けての同盟が結ばれ、混乱を取り締まる自警団が出来た。それで漸く人々は表面上、平和な世界を手に入れたのだ。しかし未だに差別は無くならないし、諍いも度々起こる。その事実をこの目で見て体験してきたスズメは同盟の素晴らしさに感動しているらしいクラスメイト達を冷めた目で見つめながら、教師の言葉に耳を傾けていた。


 ◆


 その後数日は分かった振りをして座学を切り抜けた。実技の方は目立ち過ぎない程度にこなした。勿論周りの奴等は『庭師』の称号のことを大した能力ではないと馬鹿にしてきたが、全て無視を貫いた。そうしていればいつか飽きるだろうと思ってのことである。

 しかし文字の読み書きが出来ないのはスズメにとって大問題だった。

 訓練学校には卒業試験がある。実技に加えペーパーテストも評価に繋がるのだから、いつまでも出来ないまま放っておくのは得策では無い。

 仕方がない。スズメは重い腰を上げ、学校の帰りに国立図書館に立ち寄った。中に入ると小さな子供向けであろう本を手に取り、上下にひっくり返す。

(どっちが上なんだ・・・・・・?)

 絵が無ければどちらが上なのかも分からない。大体本を見たところで読めないのだから勉強のしようがない。スズメは途方に暮れて開いていた本を閉じた。こうなったら世話になっている施設の職員にでも頼んでみるしかないか。

 スズメは仲間の顔を一人ずつ思い起こしながら、本を棚に戻す。仲間達を再びアウトサイド行きにする訳にはいかない。何とかしなければ。

 棚の前で顰め面をしていると、

「お前、文字が読めないのか?」

 頭上から男の声が降ってきた。

 驚いて見上げると、肩まである漆黒の長髪に闇夜を思わせる深い青の瞳の男が立っている。

(こいつ、気配が無かった・・・・・・!)

 思わず距離を取ると、男は焦ったように両手を振って弁解した。

「怪しいもんじゃないから安心しろよ! これでも俺自警団員なんだぜ?」

「・・・・・・自警団の制服着てない」

「今日は偶々休みだから・・・・・・あーもう! ほら、自警団のバッジ!」

 男はポケットから自警団のつけるバッジを取り出し、此方によく見えるように掲げた。小鳥が二匹、白い花を咥え、その後ろにオリーブがあしらわれた絵。確かにあの白髪の自警団隊長と同じ形状のバッジだ。

 スズメは少しだけ警戒を緩めて、いつでも逃げられるように退路を確認する。見ただけで分かる。この男は相当強い。足音も無く近付いてきて此方の間合いに入ってきた。何のつもりで声を掛けてきたのか分からないが、用心するに越したことはない。

「だからそんな怯えるなって」

「怯えてない」

「逃げようとしてるだろ。折角力になってやろうと思ったのに」

 男はバッジを仕舞いながら溜め息を吐いた。

「力に?」

「その制服、訓練学校の制服だろ?」

「そうだけど。だから何」

「となれば図書館に勉強に来た訳だ。けれどお前は子供向けの本を逆さまにして睨み付けていた。字が読めないからだ。訓練学校に通っているのに字が読めない! これは困った。だから俺が教えてやろうってんだ」

「・・・・・・別にあんたに関係ないじゃん」

 スズメは全て言い当てられ唇を噛む。何なんだこの男は。馬鹿にしているのか。

「関係大ありだって! だって未来の後輩が悩んでいるんだから! 手助けしてやるのが先輩の役目だろ?」

「いらねー」

 スズメは短く拒否して踵を返そうとした。突然現れた見知らぬ男に勉強をみてもらう道理はない。さっさと離れよう。しかしスズメのぶっきらぼうな態度に臆した様子もなく、男は背後からがばりと覆い被さってきた。がっしり腕を掴まれて身動き出来ない。

「何なんだよ!」

「はじめは『ABC』からだな! ほら、行くぞ!」

「だからいらねぇって! おいっ!」

 図書館に備え付けられている学習室に引き摺られながら、スズメは散々騒ぎ回った。

 しかし助けてくれる者も咎める者も誰もいない。

 やっと学習室に辿り着く頃にはスズメは男の腕の中でぐったりしていた。

「俺は『ヨル』ってんだ! お前は?」

「スズメ・・・・・・」

 もうこいつに何を言っても無駄なのだろうと悟ったスズメは諦め半分に自らの名前を口にした。


 ◆


「む・・・・・・かしむかし? あ、るところに・・・・・・」

 途切れ途切れではあるが、童話の本を音読する。それをヨルはキラキラした目で見詰めていた。まるで弟の成長を喜ぶかのような姿に少し照れ臭くなる。

 ヨルと出会ってから一ヶ月。毎日ではないが、暇を見つけてはスズメのところにやってきて読み書きを教えてくれるヨルのお陰で、アルファベットの大文字小文字の読み書きは大方出来るようになっていた。

 今は訓練学校から出る課題を手伝ってもらったり、読む本の難しさを少しずつ上げて聞いたことのない単語の意味を調べたりしている。

「凄いなスズメは! あっという間にアルファベットはマスターしちまった!」

「当たり前だろ、こっちは自分と仲間の生活がかかってんだ」

 悪態をついてみるが、もうスズメには警戒心はない。この一月でヨルは変わり者だが悪い奴ではないと分かったからだ。

「それにしても自警団てのは暇なのか? 付きっきりで子供の面倒なんかみてさ」

「んな訳ねぇだろ! 日々悪者と戦って市民の平和を守ってるんだからな!」

「信じらんねぇ」

 口ではそう言いながらも、時折ヨルが血の匂いをさせてやってくるのを知っていたスズメはそれ以上言及しなかった。きっとヨルは傷を負ってボロボロになってこの日常を守ってくれているのだろう。ならばこんなところでスラム街出身の可愛くもない子供に構うより、家で休んでいた方がいいに決まっている。だからスズメは寂しさを感じながらも口を開いた。

「なぁヨル、もう字は読めるようになったし、これからは教えに来なくていいんだぜ?」

「そんな寂しいこと言うなよ! それに教えるべきことはまだまだある!」

 隣に座っているヨルはスズメの肩をがしっと掴むと軽く引き寄せた。

「敬語だ!」

「敬語ぉ?」

「敬語は大事だぞ! 誰にでも今の話し方じゃ、相手になめられる!」

 ヨルは真剣な目でスズメを見つめた。

「俺はお前がスラム街の出身でも気にしない。むしろ仲間を守りながら生きてきたお前を立派だと思う」

 ヨルにはかなり初期の段階からスズメがスラム街出身なのを伝えていた。黙っているのはフェアじゃないと思ったからだ。しかしヨルはスズメが孤児でスリをして生活していたことを知っても態度を変えることはなかった。

「けどな、スズメ。みんながみんな俺みたいな奴ってわけじゃないんだ」

「スラム街出身だから下に見られるって?」

 聞き返せばヨルは大きく頷いた。まるで実例を見た事があるかのようだ。

「人の粗を探したい奴ってのは大勢いるんだよ。そういうやつに絡まれないように話し方や所作は大切なんだ」

「そんな奴全員ぶっ飛ばしてやるさ」

「組織の中には規律がある。階級もある。ぶっ飛ばしたくてもぶっ飛ばせない場面や相手がいるんだよ。俺はお前に損して欲しくないんだ。賢く生きろよ、スズメ。どこにでも落とし穴は転がってる」

 ヨルの瞳は大きく揺れていた。スズメを通して別の誰かを見るように。もしかしたらヨルには居るのだろうか。落とし穴に落ちて這い上がれなくなった大切な人が。別の人間を投影されるなんて普段なら怒り狂う場面なのだが、どうしてもスズメはヨルを怒る気にはなれなかった。ヨルが心からスズメを心配していることが痛いほど伝わってきたからだ。

 だからスズメにできることは一つだけ。静かに頷くことだけだった。


 ◆


 朝は早く起きて年下の子供達の身支度を手伝ってやり、仲間達と朝食。その後は訓練学校へ登校して持たせてもらった昼食を挟みながら実技と座学をこなす。放課後は図書館でヨルと座学や敬語、時にはテーブルマナーまで教え込まれた。

 そうして日々を過ごすうちに、教科書はすらすらと読めるようになり、人当たりの良い笑顔を顔面に貼り付けて丁寧語を話すくらいのことは出来るようになっていた。

 するとどうだろう。施設の職員達や学校の先生から受ける視線が別のものに変わっていったのだ。以前は虫を見るような目だったのが、優等生に向ける誇らしげなそれに変わった。

 相変わらず生徒たちはスズメを馬鹿にするが、座学も実技も成績を伸ばし続けているため、教師だけは難癖をつけてこなくなったのだ。

 そしてある日の午後。

「おめでとう、満点だ」

 教師は笑顔でスズメの提出した答案用紙を返却した。

「満点はクラスで一人だけだった。素晴らしい。これからも頑張りなさい」

 初老の教師はスズメを激励してから席に戻るよう促した。他の生徒からの視線が刺さる。

「けっ、アウトサイド出身がよ」

 呟かれた悪口を耳が拾うが、スズメは綺麗に無視をして自分の席に戻った。

 満点。

 ヨルに会ったら自慢してやろう。きっと自分のことみたいに喜ぶぞと自然と口角が上がる。ヨルの反応が楽しみで仕方ない。正直に言おう。スズメはヨルにかなり懐いていた。自分でも驚くくらいに。今まで仲間たちを束ねてアウトサイドを駆けていたスズメだが、ヨルのように頼れる兄のような存在も悪くないと思い始めていたのだ。

 人から頼られるのには慣れているし嫌いでもない。それでもヨルにガシガシと頭を撫でられると、何だか心臓のあたりがじんわりとあたたかくなるのである。

 果たして今日は図書館に来てくれるだろうかと思いを馳せながら、スズメはゆっくりと目の前の黒板に目を移した。


 ◆


 座学の後は実技授業だった。

 訓練学校に集められているのはみんな称号持ちの鳥人のみ。それぞれ自分の力の使い方を学び、能力の向上を目指す。

「今日は上階にいる犯人を捕まえる訓練だ! 各々能力の使い方を工夫して臨め!」

 体格の良い教師が大声で指示するのと同時に運動場から見える建物の五階あたりに一人先輩が現れる。少し見上げると屋上にも二人。三人とも卒業間近の訓練生で、学校でも噂になるほどの優秀さだった。

「犯人役は当然此方を攻撃してくる! 気を付けるように!」

「攻撃!? マジかよ」

 生徒たちが騒つく。

 先輩たちはそれぞれ『弓兵』『剣士』そして『道化師』の称号持ち。光の矢を撃ってくる弓兵の遠距離攻撃を潜り抜け、剣士の近接戦闘に打ち勝ち、するりするりと奇妙な動きで此方を撹乱する道化師を捕まえなければならない。

 これは訓練一年目にしては難しい関門だった。

 しかし出来なければ補習が待っている。補習もままならなければ落第だ。

 スズメは三人の位置を確認して、いつも何種類かの種を忍ばせている腰のポーチに手をやった。

「見ろよ、あいつやる気満々だぜ」

「座学で百点でも、花咲かせる能力じゃ先輩達にはかなわないだろ」

 すぐ隣にいた生徒がにやにやと此方を見ながら、わざと聞こえるように陰口を叩いた。本当ならここで殴り倒したいところだが、ヨルとの約束がある。乱闘はしない、先生には笑顔で対応。それにスズメには自信があった。訓練を重ねていくうちに、周りはスズメの実力に気付き口を閉ざすだろうと。

 黙らせるなら実力をみせる。これならヨルも文句はないだろう。

 先生が右手を挙げて合図する。訓練開始だ。

 スズメは素早く『弓兵』の死角に飛び込んだ。後ろをみると動くのが遅かった数人が矢の餌食になっている。勿論怪我はしていない。服と地面を縫い付けられて動けなくなっているのだ。しかしスズメと同じく殆どの生徒が死角へと移動している。

「俺から行くぜ!」

 勢い良く飛び出していったのは『防具屋』の称号を持つ生徒だ。全身を鋼の鎧で固め、天に向けて盾を掲げながら走っていく。それにつられた生徒が数人死角から飛び出し、矢に撃たれた。

 スズメはまたポーチに手を突っ込む。みんなにも利用されてしまうが仕方ない。

 スズメは力をこめてアコウの木の種を蒔きながら走った。アコウの木はあっという間にくねくねと成長し、アーチ状になってスズメの身を矢から守る。スズメが作った木のアーチの通り道をこれ幸いと他の生徒も潜っていくのが視界の端でみえた。その中には悪口を言っていた生徒も混じっている。

(便乗しやがって・・・・・・!)

 スズメは憤りを覚えるが、一先ず階段までの道の確保は出来た。あとはひたすら登るだけだ。

 足に自信のあるスズメは誰よりも速く階段を駆け抜けていく。五階にいた『剣士』の称号の先輩に思い切り宿木の種を投げ付けて動きを奪うと、するりとその横をすり抜けた。足元には先に出て行った『防具屋』の称号の生徒が伸びている。『剣士』の先輩に負けたのだろう。

 後は『弓兵』と『道化師』だ。

 屋上の扉の前までくると、スズメは少しだけ扉を開けてそこにエンジェルズ・トランペットの花の種を植えた。この花の香りには幻覚作用をもたらす危険な成分が含まれている。人体に影響が出ない程度に調整しながら『弓兵』と『道化師』の足元を花で覆っていく。

「な、なんだこの花は!?」

 いち早く気付いた道化師が建物の屋上から電信柱の上へと飛び退く。弓兵の方は逃げ遅れてパタリとその場に倒れてしまった。

 さてこれからだとスズメは屋上の扉を開けた。そして一歩歩き出そうと足を上げた時。ドン、と後ろから強引に押し除けられ、壁に打ち付けられた。先程悪口を言っていた生徒だ。大きな図体をしている割に足は速いらしい。そういえばこいつは『闘士』の称号だったか。持久力も戦闘力も高いという訳だ。

『闘士』の男子生徒はちらりと此方を見て下卑た笑いを向けると、一目散に『道化師』の先輩に突撃する。

 そこで何かがおかしいと気付いた。『道化師』の先輩は電柱の上にいる。

 倒すには細い電線を渡らなければならない。その図体で渡れるのか。まさか。

(エンジェルズ・トランペットの幻覚作用、こいつにも効いてるのか!)

 スズメは慌てて駆け出していったクラスメイトを追い掛けると、クレマチスの種に力を送って投げ付けた。クレマチスはつる植物の中でも壁に吸盤のように張り付く性質を持つ。そこにスズメの力が加われば、命綱のロープのように丈夫になるのだ。

 間一髪。

 空中へ投げ出されかけた生徒の身体をクレマチスのツルが絡めとる。もう片方の端はしっかり屋上の地面に張り付いて、生徒が屋上から落ちる事のないよう支えていた。

「す、すごいね君・・・・・・」

『道化師』の先輩が胸を撫で下ろしながら言う。

「ありがとうございます。でも先輩ももうチェックメイトですよ?」

 スズメは先輩の方を見て優等生の笑みを浮かべた。

 道化師の先輩の身体にも電線を伝ったクレマチスががっちりと巻き付いている。

「いやぁ、これは参ったねぇ」

 先輩は少し残念そうに笑って、先生に訓練終了の合図を送ったのだった。


 ◆


「よくやったなぁスズメ!」

 ヨルはスズメが座学のテストで満点を取り、さらには実技で大活躍したのを聞いて、自分のことのように喜んだ。お祝いだと見晴らしのいいレストランに連れて来られたスズメは少しだけ恐縮する。何せこの地域ではなかなかに名の通った名店だ。盗みにやってきたことはあるけれど、客として来るなんて初めてのことだった。

 けれどヨルに祝ってもらえるのは純粋に嬉しい。スズメは照れ臭さに頬を紅潮させながら、大切にしまっていた答案用紙をヨルに手渡した。

「なかなか難しい問題も解けているじゃないか! 凄いよ」

「二問目は難しかったけれど、ヨルに教えてもらったところだから解けたんだ」

「そうかそうか」

 ヨルは笑顔で乾杯しようとグラスを差し出した。スズメもそれに倣ってグラスを持ち上げる。

「スズメの更なる活躍を祈って」

 カチンと軽くグラスをぶつけてジュースを口に含む。ベリーの甘酸っぱさが口一杯に広がった。

「ヨルも俺と同じジュースでよかったのか? 酒を頼んでもよかったのに」

「飲まないようにしているんだ。自警団員としていつでも出動できるように」

「そっか」

「それより今日はたくさん食べろよ! 心配すんな、全部俺の奢りだ! 何せお祝いだからな!」

 そう言いながらヨルは店員を呼んだ。おすすめの料理があると言うので注文は全てヨルに任せる。あれこれとたくさん頼んでいるが食べ切れるだろうか。そんなことを思いつつふと店員の顔を見ると、店員がもの凄い形相で此方を睨んでいた。ビクンと身体が跳ねる。知っている。自分は何度かこの男に会っている。

 まだアウトサイドに住んでいた頃、このレストランで散々スリの仕事をしてこの男に追いかけられた。摘み出されるかとも思ったが、ヨルの手前手を出されることはなかった。店員は注文を復唱すると、何事もなかったかのように去っていく。

 ひやりと嫌な汗が背中を伝い、後悔や恐怖に取り憑かれる。

「・・・・・・どうした、スズメ?」

「俺、やっぱり帰りたい」

「え、なんでだよ?」

「俺はここにいたらいけないんだ」

 震えながら言うと、ヨルはゆっくりでいいから話せと促してきた。

「昔・・・・・・アウトサイドにいた時、ここで何度もスリをした。金持ちがよく来る店だから成功すればかなりの稼ぎになったんだ。でも流石に何度もやれば気付かれる。さっきの店員にも何回も追いかけられたことがあるんだ」

「そうか」

「俺、あの時は何とも思っていなかった。生きていくためには仕様がないって。仲間達を食わせていくのにも必死だったし・・・・・・俺たちが悪さをするのはこんな世の中のせいだって思ってた」

 生きるために盗む。それ以外の生き方を知らなかった。

「でも、でもさ。今は違うんだ。俺の行動一つで仲間たちの運命も変わっちまう。俺は訓練生として正しくないといけなくて・・・・・・今までのことも反省しなきゃいけなくて」

 本来なら牢屋にぶち込まれるところを全部免除されて、幸せを享受している。それはやはり正しいこととは言えない。少なくとも被害者たちにとっては。

 自分は本来大腕を振って歩ける立場ではないのだ。

「・・・・・・そうだな。でも反省することと、ずっと下を向いて生きていくことは違うぞ」

「え?」

「胸を張って料理を味わえ! そんで強くなって早く自警団員になれ。お前は今まで悪さしてきた分、街を守ることでそれを精算していくんだ」

 ヨルは真っ直ぐスズメの目を見て言った。

「清算・・・・・・」

「そうだ。俺はな、スズメ。今回お前が活躍して凄く嬉しかった。何より嫌な奴をわざわざ助けたのが誇らしいよ。なかなか出来ることじゃない」

 暴力で解決するのではなく、善行で返してみせた。その行動こそが尊いのだとヨルは言う。

「正しいことにだけ力を使え。それがお前に出来る唯一のことだ」

 ポンと肩を叩かれてスズメは泣きそうになった。

 ヨルの言葉はいつもあたたかい。

「さぁ気を取り直して、お祝いの続きだ!」

 この話はもう終わりとばかりに破顔してヨルはスズメのグラスにジュースを注ぎ足す。その時だった。

「君たち何やってんの?」

 後ろから唐突に声を掛けられて驚いて声のした方を見上げる。

「あ! ロム!」

「陰険白髪野郎!」

 スズメとヨルの声が揃う。

「なんだ、スズメ。ロムと知り合いだったのか?」

「ヨルこそ!」

 まさかヨルがこの白髪の自警団隊長と知り合いだったなんて。名前で呼んでいるということはかなり親しいのだろうか。見た目には性格が合うようにはとてもみえないが。

「前に言ったでしょ。アウトサイドから人員を一人引き抜いたって」

「それがスズメのことだったのか! 全然気付かなかった」

 ロムと呼ばれた白髪の男は隣の席の椅子を持って来ると、ヨルとスズメの間に座った。

「ヨルの方はどうなの。もしかして最近面倒見てる訓練生っていうのが彼?」

「そうそう、こいつ凄いんだぜ! 見ろよこれ! テストは満点、実技でも大活躍だったんだ!」

「それはそれは」

 何となしに嫌味な笑みを向けられてスズメはむっとする。

「やっぱり僕の目に狂いは無かった訳だ」

「・・・・・・ヨルの勉強の教え方が上手いんだ」

「嬉しいこと言ってくれるな! でもこの結果はスズメが頑張ったからだぞ」

 ヨルはロムとスズメの微妙な距離感には気付かずに、店員にもう一つグラスを持ってきてもらって「もう一度三人で乾杯しよう!」と笑う。

「乾杯?」

「今日はスズメの頑張りをお祝いしにきたんだ。お前も褒めてやってくれ!」

 ヨルが促してロムはグラスを持ち上げた。カツンと三つのグラスがぶつかる。スズメは不機嫌を隠さずにグラスの中身を一気に飲み干した。顔にはヨルと二人がよかったのにとでかでかと書いている。

「そうむくれられてもこっちも仕事なんでね」

「仕事?」

「食事が終わったら任務に行くぞ、ヨル。上からの呼び出しだ」

 ロムはヨルに向かって軽く任務内容を説明した。ヨルは真剣な表情でそれを聞いている。流石にこの話には入っていけない。スズメは無言で運ばれてきた食事に手を付けた。暫くそうしているとヨルが一言「わかった」と言ってスズメの方に向き直る。

「悪かったな、放ったらかしで」

「別に・・・・・・」

「話に入りたかったら早く訓練学校を卒業するんだね。君には大いに期待してるよ?『庭師』の称号なんてきいたことがない。珍しいからね」

 さてどんな活躍をみせてくれるか楽しみだ、なんて言いながらロムは目の前の肉を頬張る。

「あっ、それ俺の!」

「早い者勝ちだよ」

 わあわあと騒ぎながら食事は進む。

 結局その後は三人で夕食を楽しんで、任務に向かうのだというロムとヨルを見送り、スズメは教会に向かって歩き始めたのだった。


 ◆


 見晴らしのいい丘を下って細い路地を進む。電灯の灯りがぼんやりと闇夜を照らす中、スズメは小走りに教会を目指していた。

(後をつけられてる・・・・・・!)

 それも複数人。大人の足音だ。何が目的か分からないが、嫌な予感がする。けれどもう少しだ。次の角を右に曲がれば教会につく。流石に教会の中は安全だろう。

 建物の向こうに十字架が見えて少し気が緩んだ。それがいけなかった。

 目の前に突然男が飛び出してくる。先程までいたレストランの店員だ。

「・・・・・・っ!」

「よぉ、久しぶりだな。悪餓鬼」

 思わず後退りすると、背後からも声が聞こえる。

「散々この街で悪さしといて今は自警団の訓練生様かよ。都合が良いな」

 ぞろぞろと周りを複数人の男に囲まれる。みんな知っている。雑貨店の店主、果物屋の主人、宝石店の支配人。スズメが盗みを繰り返してきた店の主人達だ。

「やり返しに来たってわけか」

「やり返すなんてとんでもない! ちょっとお灸を据えるってだけさ」

「自警団から過去の罪は問わないって言われてる。俺たちから被害を受けた店には金も支払われているはずだ」

「だから?」

 店員は思い切りスズメの頬を殴り付けた。反動で吹き飛ばされ地面に転がる。

「散々俺たちの客から盗みを働きやがって」

「金が支払われたからって客からの信頼は取り返せねぇんだよ」

「このままじゃ俺たちの気が済まねぇ」

 立ち上がろうとしているところを別の男に蹴り付けられる。

(くそ・・・・・・っ! いつもならこんなやつら、『庭師』の能力で縛り上げてやるのに!)

 スズメは顔を歪めながら、先程食事の席でヨルに言われたことを思い出していた。

 正しいことに力を使え。

 正しいことってなんだ。ここで力を使うのは正しいのか。通常自警団員が一般人に能力を使うのは禁止されている。しかし攻撃されている場合は?

 けれど彼等が暴力を振るうのはそもそもスズメの過去の罪が原因なのだ。ならば男達に仕返しされても仕方ないのではないか。分からない。分からないからここは逃げるしかない。

 スズメは顔を歪めながらも立ち上がり、男の横をすり抜けて逃げようとした。しかし一人に足を引っ掛けられ、地面に押し倒される。何度も身体を殴りつけられて、スズメは拳を握り締めた。悔しい。だけど。

 スズメは決して能力を使わなかった。スズメが無抵抗なのを察したのか暴力は激しくなり、やがて頭にガンッという音が響いて、ついにスズメの視界は暗転した。


 ◆


 ヨルは朝焼けの街を必死に駆けていた。その後ろをロムも追う。

 任務が終わった後、子どもが路地で血を流して倒れていると情報が入ったのだ。その子どもの特徴がスズメと酷似していて二人は嫌な予感を拭えないでいた。

(どうか無事でいてくれ・・・・・・!)

 もっと速くと左右の足を動かしつつ、ヨルは心の中で祈る。もうすぐ目的の場所だ。

 孤児を受け入れている教会のすぐ近く。細い路地に出来た人集り。

「自警団です! 通して!」

 ヨルは人々を押し退け前へ前へと進む。そして見えた最悪の光景。

「スズメ!」

 石畳の道に広がった赤黒い血。その真ん中にぐったりと倒れているスズメの姿を発見した。

「スズメ、スズメ! しっかりしろっ!」

「あんまり揺らさない方がいい」

 血に濡れるのにも構わずに小さな身体を抱き上げると、ロムが冷静に傷の具合を確認する。

「ロム! お前の力なら治せるだろ!?」

「僕の力は一人につき一回しか使えない。ここで使ったら今後スズメには二度と使えなくなる」

「でも・・・・・・!」

「通常の治療で充分に治せるレベルだ。とにかく落ち着け」

 ロムはひとまずまだ出血している頭の傷にハンカチを押し当てた。

「・・・・・・屋敷に連れて帰る」

「はぁ!?」

「屋敷には有能な医者がいる。スズメのことは我が家で手当する!」

 ヨルは酷く取り乱しながらもしっかりとスズメを抱き直し、歩き出す。

 人集りはモーセが海を割ったように左右へと開けていき、遮るものはない。

「ヨル、考え直すんだ! 確かに君のところの医者は有能だけど、スズメは昼行性の一族なんだよ!?」

「関係ない! 次期当主は俺なんだ」

 ヨルはロムの忠告を無視して、自宅へと急いだ。


 ◆


「あ、れ・・・・・・? ここは・・・・・・」

 気がつくと見たことのない部屋にいた。豪華な調度品、枕元に置かれた薬。どうやら上等なベッドに寝かされているらしい。

 状況を確認しようと起き上がると、後頭部がズキズキと痛んだ。思わず呻き声をあげる。

 そういえば夜道で襲われてボコボコにされたのだった。硬い物で頭を殴られた記憶があるが、頭蓋骨をかち割られるのは免れたらしい。みれば身体中包帯でぐるぐる巻きにされていて、かなり手厚い治療を受けたことがわかる。

 でも一体誰が。

 頭を悩ませていると、カチャリと小さく音がして右側のドアが開かれた。

「・・・・・・スズメ! 起きたのか!」

「ヨル?」

 水差しを持ってきたらしいヨルはスズメの姿をみるなり目をまん丸にさせた。

「よかった、目が覚めたんだな! お前何日も寝っぱなしだったんだぞ・・・・・・!」

 ヨルは水差しを乗せたトレイを乱暴に机に置くと、スズメの両肩を掴んだ。

「どこか痛いところは!?」

「頭・・・・・・」

「そうだよな、すぐ医者を連れてくる!」

 今にも飛び出していきそうなヨルの腕を慌てて掴んで、スズメは「待って!」と叫んだ。

「此処はどこなんだ!?」

「俺の家だ!」

「はぁ!?」

 とんでもない答えに素っ頓狂な声を上げてしまう。ヨルの家。何故。本来なら街の病院か、世話になっている教会で治療を受けるのが自然だろう。それなのにヨルはわざわざスズメを自分の家にあげて丁寧に看病したというのか。

「安心しろ、名門鴉族のお抱えの医者だ! スズメの怪我もきちんと治してくれる!」

「鴉族・・・・・・?」

「そうだ! 俺は鴉族の長の長男! 次期当主様だからな。大体のことは出来る!」

 爆弾発言にスズメは頭に別の痛みを感じた。

 知らなかった情報が多過ぎる。

 鴉族。自警団設立にも関わった夜行性の鳥人達のトップ。その名家の出だとヨルは言う。しかも長の長男、次期当主様。そんな肩書きの人に勉強を習っていたのかという驚きと、どうしてここまでしてくれるのかという疑問。

 そもそも鴉族の次期当主が何故自警団員なんてやっているのかさっぱり分からない。

 スズメの記憶が正しければ鴉族は同盟を結んで自警団の設立に手を貸したものの、その後は自警団への関わりを一切絶っているはずだった。それは自警団がほぼほぼ昼行性の軍勢で占められているのと、鴉族が独自の私兵を持っているからに他ならない。

 それなのに何故ヨルは自警団にいるのだろう。

「・・・・・・色々聞きたそうな顔だな」

「話してくれるなら」

「話すよ。隠す事なんて何もないからな」

 ヨルは近くの椅子を手繰り寄せゆっくりと座ると、何から話そうかと問い掛けた。

「まず、介抱してくれてありがとう」

「ああ」

「でもなんでここまでしてくれるんだ? 勉強教えたり食事奢ったり、自分の屋敷に連れてきて医者に診せたり」

 特にこれといって繋がりがある訳でもないのに。そう続けるとヨルは「入団して一年経った時」と話し始めた。

「俺の階級がまだずっと低かった頃、はじめて後輩が出来た」

「後輩・・・・・・」

「夜行性の鳥人で、俺よりずっと幼かった。そしてお前と同じアウトサイド出身者だった」

 そこまで聞いてスズメはやはりと思った。ヨルがスズメを誰かに重ねているのは分かっていたからだ。ヨルは当時を思い出しているのか、懐かしそうに目を細めている。

 それが何だか癪だった。

「俺は後輩を可愛がった。年下の弟みたいに思ってたんだ。喧嘩の仲裁もよくやった。気のいいやつなんだが、気性が荒いというか何と言うか・・・・・・曲がったことを曲がったままにできない奴でね」

「そいつは今どうしてんだ?」

「・・・・・・死んだよ」

 呟かれた言葉は部屋にやけに大きく響いた。ごくりと唾を飲む。

「ある日あいつは上官に食ってかかった。思い切り殴り付けたんだ。止める暇も無くてね」

「それで、どうなったんだ?」

「次の日その後輩は前線送りになった。クーデターを起こしてる奴等に真っ先に突っ込む役目を押し付けられたんだ」

 それであっさり死んだのだ、と。ヨルはぼんやりと窓の外の景色に目を向ける。

「・・・・・・俺はその後輩じゃないぞ」

「分かってる。混同しているつもりもない。スズメはスズメだ」

「分かってるなら・・・・・・」

「だから救える。あいつは死んだけどお前は生きてるからだ。あいつみたいにならないように、俺の手で正しい道に導いてやれる。もう二度と子供が死ぬところなんて見たくない。そう思った」

 気付けばヨルの声は僅かに震えていた。爪が食い込んで血が出るんじゃないかというほど拳を強く握り締めて言葉を搾り出す。

「それなのにこんなことになった。俺のせいだ。俺が正しいことに力を使えって言ったから、お前、反撃しなかったんだろ」

「それは」

「ごめん。こんなつもりじゃなかった」

 ヨルは涙を流して、スズメの方に向き直るとそっと身体を抱き締めた。

「生きてて良かった」

「謝んないでくれよ。俺、反撃しなかったこと後悔してないぜ。それにそんな簡単に死んだりもしない。俺はあんたの死んだ後輩じゃねぇからな」

「ああ、そうだな・・・・・・本当にそうだ」

 ヨルはゆっくり噛み締めるように呟いて、スズメの頭を優しく撫でた。


 ◆


「スズメ、ロムが花持って来てくれたぞ」

「あいつが花? 嘘だろ?」

「そう言ってやるなよ。ああ見えて割といい奴なんだ」

 花瓶に生けた花を持って現れたヨルは、悪態をつくスズメに苦笑した。

「いい奴は人質とって交渉なんかしてこねぇ」

「その話は聞いたけどさ。結果的にはみんな幸せなんだからいいんじゃないか?」

 ヨルは薬を取り出しながら言う。確かにヨルの言う通りではあるのだが、認めるのは癪に触る。

「というかもう薬いいって。大体治ったし」

「駄目だ。まだ完治とは言えないだろう。全身の傷が癒えるまで屋敷からは出さないからな」

「過保護・・・・・・」

 正直に言うと自分が昼行性の鳥人であるせいでヨル以外の屋敷の人間には苦い顔をされているので一刻も早く立ち去りたいのだが、ヨルはスズメを帰そうとしてくれない。訓練学校にも行けないし、仲間達にも会えないし、ヨルの過保護振りも困りものである。しかも全部スズメを思ってのことなので余計に質が悪い。

 因みにスズメを襲った男達は自警団によって捕まったらしい。だから恐らく仲間たちは無事に暮らしていると思うのだが、この目で安否を確認しないとどうにも落ち着かない。

「なぁヨル」

「駄目だ」

「もう! なんでだよー!」

 誰かこの頑固者をどうにかしてくれ。

 スズメは一旦外出の話題をやめて、ばふっとスプリングのきいたふかふかのベッドに身体を預けた。

「おい、薬」

「なぁー、なんか話してくれよ。なんであんたが自警団やってんのかとかさ。暇過ぎて死にそう」

 大人しくヨルから薬を受け取りながらスズメは話を強請った。

 するとヨルが「うーん」と唸る。

「長いし、面白くもない話だぞ」

「それでいいよ。ききたい」

 スズメが返事をするとヨルは分かったと頷く。

 話はヨルが訓練学校に入学するところまで遡った。


 ◆


「お考え直しください、坊ちゃん!」

「止めるなよ、爺や! もう願書も出して受理されたんだ」

 ヨルは鞄に教科書を詰め込みながら言った。老齢の執事はそれはもう慌てていて泣きそうになっている。

「鴉族は代々自警団には関わらない決まりです! ご存知でしょう」

「意味のない決まりだ! 父上達はいつも怪しげな算段を立てていてクーデターの火種を作ってる。俺はそんなの御免だね! 世の中の平和のために生きるんだ!」

「当主様は夜行性陣営の地位の回復に努めていらっしゃるのです! 坊ちゃんはその後継者になるのですよ!?」

 執事は必死に言い募るが、ヨルの耳には届かない。昼行性がどうだとか夜行性がどうだとか、くだらないといったらない。もう戦争は終わっているのだから、これからは仲良くやっていけばいいのに世の中はちっとも平和にはならない。いつも何処かで血が流れている。だからそれを止めに行くのだとヨルは意気込んでいた。

 ヨルは鴉族の中では完全に異質な存在だったのだ。

 当主はそんなヨルを半分見放していて、妹のトコヤミにも当主の教育を施している。

 けれどヨルには次期当主の座なんてちっとも惜しくなかった。ヨルの目には将来自警団員として活躍する夢しか映っていなかったのである。

 そしていよいよ入学初日。

「なぁお前だろ? 鴉族の子供っていうの」

「え、そうだけど・・・・・・」

「うわーマジかよ! 悪の親玉が自警団に入ろうとしてやんの!」

 子供というのは残酷だ。

 訓練学校は正に社会の縮図。昼行性の鳥人たちが幅をきかせ、夜行性の鳥人はいわれのないことで虐められる。実際、ヨル以外の夜行性の鳥人も小突かれたり陰口を叩かれたりしていた。しかしその状況が余計にヨルのやる気に火をつけることとなる。

 正義感の強いヨルは虐められている者をみれば間に入り、悪口を投げかけられれば丁寧に説得を試みた。

 そんなことをしているうちに周りからは『変わり者』のレッテルを貼られ、遠巻きにされるようになってしまったのであった。

 更にヨルを苦しめたのは、実技も座学も苦手であることだった。自分でも要領が悪いのは気付いていたが、頑張って勉強してもテストの結果には反映されず、実技も未だ自分の能力を使いこなせていなかった。

「ヨル、お前は『人形師』の称号だったな。人の動きを自在に操れる能力――確かに使いこなすのは難しい力だが、お前のは見ていられないぞ」

「すみません、先生」

 本来なら複数人まとめて操れる強力な力の筈なのだが、ヨルには制御が難しい能力だった。この頃には実家にも殆ど見放されていたから、助けを求めることも出来ない。

 だからヨルはとにかくがむしゃらに目の前の課題に取り組んだ。

 そんなある日のことである。

「今日は二人一組で訓練にあたってもらう。みんな隣の席の奴とペアをつくれ」

 先生の言葉に、隣の席の奴をみる。そこには鳩族出身の生徒が座っていた。確か名前は『ロム』。『聖職者』という人を癒す力を持っていて、座学も実技も優秀な生徒だった。いつも気怠げにしているのが気になってはいたが一度話してみたいと思っていた奴でもある。だって相手は鳩族だ。仲良くなれれば世界の未来も明るい。

 しかしロムはたった一言でヨルの期待を裏切った。

「足引っ張らないでね、落ちこぼれさん」

「はぁ!?」

「何、怒ったの? 座学も駄目、実技も駄目。立派な落ちこぼれでしょ」

 蒼い瞳が此方を見返して意地悪く笑う。

「大体なんで鴉族の癖に自警団員なんか目指してるの。家には反対されてるでしょ?僕だったら許されるなら絶対訓練学校なんか入らない」

「お前は自警団員になりたくないのか・・・・・・?」

「なりたくないね。家に言われて仕方なく此処にいるだけ。だってちまちま犯人を取り締まっても無駄じゃん」

 ロムはペンを手元で器用に一回転させた。

「何やっても差別は無くならないし、争いも絶えない。僕がいくら能力で癒してやってもすぐ死ぬ。僕はね、一層のことこんな世の中なくなっちゃえばいいと思ってるよ」

 十をやっと越えた歳で、ロムは何もかも諦めたように言った。

 それがヨルとロムの出会いだった。


 ◆


 訓練の内容は至極単純だった。建物に立てこもっている犯人役の三人の生徒を捕まえること。決定打になる能力を二人ともが有していない場合は組の入れ替えがあった。

 順番に訓練に臨み、全員捕まえた組や一人だけ捕まえることに成功した組などが戻ってくる。そろそろヨルとロムの番だ。

「僕の能力は回復だから決定打にならない。犯人を捕まえるのは君だからね」

「わ、分かってる」

「僕は君のいる方に犯人を追い立てるから。その後は勝手にやって」

 全く抑揚無く話す割にロムの指示は的確だった。自分と違って要領の良い同級生にヨルは悔しげに唸る。

(みてろよ、絶対全員捕まえてやる!)

 人の身体を操る能力で三人の動きを止める。その間に縄で縛ってしまえば一丁上がりだ。

 ついに順番が回ってきた。先生が手をあげて合図をする。瞬間、ロムが素早く建物の裏側へと滑り込んだ。中で何やら悲鳴が上がり、犯人役の生徒が三人とも外に飛び出してくる。

「はやっ!?」

 展開の早さに面食らいながらも、ヨルも能力を使う為構える。ヨルが念じると手から細い透明の糸のようなものが幾つも現れ、犯人役の生徒達へと飛んでいく。

 一人、二人―――!

 残念ながら三人目は取り逃がすが、三人目が向かっていった方向にはロムがいる。

「おい! 一人いったぞ!」

 言いながら捕まえている二人の動きを必死に押さえ込む。しかしロムは一歩も動かず、腕組みをして壁に寄りかかった。

「は!?」

「言ったでしょ、後は勝手にやってって。僕の分の仕事は終えたよ」

「これは協力し合う訓練だろ!?」

 思わず激昂すると、一瞬集中力が途切れた。まずいと思った時にはもう遅い。

 糸が切れて捕まえていた二人の生徒も自由にしてしまった。

「そこまで!」

 無情にも先生の号令がかかる。ヨルとロムの結果は零人だ。

「あーあ、君とじゃなかったらもう少し良い成績だったのに」

「お前が最後動かなかったからだろ!?」

 ロムのあんまりな言葉にカッと頭に血が昇る。けれどロムはどこ吹く風だ。

「たった三人も捕まえられないってその能力どうなの? もう自警団員になるの諦めたら?」

「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけねぇんだよ! お前こそやる気がないなら訓練学校なんか辞めちまえ!」

 ヨルはロムの胸ぐらを掴んで怒鳴った。努力しても芽が出ない自分への怒りと努力すれば確実にいい団員になれるのにやる気のないロムに対する憤り。しかもそのロムに馬鹿にされる屈辱にヨルは震えた。

「お前たちやめないか!」

 先生が止めに入ったおかげで殴り合いの喧嘩にはならなかったが、ロムとヨルの関係に亀裂が入ったのは避けられない結果だった。


 ◆


 それからは喧嘩、喧嘩、喧嘩の毎日だった。

 顔を合わせれば嫌味を言い合い、実技訓練では常に張り合っていた。大抵はヨルの負けになるのだが、それでもいつか見返してやるとヨルは諦めなかった。しかしどうしても心は荒む。

 ヨルはある日の休日、気分転換に街の市場へと出掛けた。―――のだが。

「なんで此処にいるんだよ」

「うるさいな、こっちの台詞だよ」

 ばったりと居合わせたのは私服を着たロムだった。

「ロム様、お知り合いですか?」

 ロムの隣には茶色の修道士服を着た男が控えていた。知り合いかと尋ねているが、ヨルの漆黒の髪を見て鴉族の鳥人だと気付いたのだろう。汚いものをみるような目でこちらを見下ろしてくる。

「・・・・・・うん、知り合い。君は先に戻っていてよ」

「えっ! しかし私はロム様の護衛で」

「これだけ人の目のある場所なんだから大丈夫」

 ロムは男を下がらせ、ヨルの腕を強引に引っ張ってその場を後にした。

「お、おい!」

 ヨルが抗議の声をあげても返事も無しだ。

 やがて修道士の男が見えなくなったところでロムは漸くヨルの腕を放す。

「なんなんだよ一体!」

「面倒事になりそうだったから」

「面倒事?」

 オウム返しすると、ロムははぁと溜め息を吐いた。

「さっき君めちゃくちゃ睨まれてたでしょ」

「そんなのいつものことだ」

「・・・・・・僕はね、昼行性の鳥人がどうだとか夜行性の鳥人がどうだとか興味ないの。あのまま面倒なことになって巻き込まれたらたまらない」

 ロムの言葉にヨルは弾かれたように蒼穹の色を宿した両目を見詰めた。

 てっきりロムは夜行性の鳥人を見下しているのだと思っていた。けれど今彼は昼行性も夜行性も関係ないと言ったのだ。そういえば学校でロムが夜行性の鳥人の差別に加わっている姿はみたことがない。鴉族の癖にと言われたことはあったけれど。

「お前って・・・・・・本当に世の中の何もかもを嫌ってるんだな」

「嫌ってるんじゃない。興味がないだけ」

「本当に興味がない奴は面倒事になりそうでも見て見ぬふりするんだよ」

 以前ロムはこんな世の中はなくなってしまえばいいと言っていた。それは差別の無くならない世の中を嫌悪しての言葉だったのだとヨルは漸く本当の意味で理解した。

「じゃあなんで俺には鴉族の癖にって言うんだ?」

「馬鹿だからだよ」

「馬鹿!?」

「苦労するのが分かっててわざわざ訓練学校にやって来るなんて馬鹿以外の何者でもないでしょ。しかも差別のない世界にするだのなんだの言って。その成績で出来る訳もないのにさ」

 ヨルは驚愕した。言葉遣いは乱暴だが、それではまるでヨルの心配をしているみたいではないか。いやそれでも普段のロムの言動や行動にはヨルへの苛立ちが滲み出ていた。ヨルが言うことを聞かない頑固者だからか。それとも。

「なんでそんな一生懸命になれるの? 僕には分からない」

 拗ねた口調で吐き出された言葉にああ成程と合点がいった。

「ロムもしかして、お前も心の奥底では世の中を変えたいって思ってるんじゃないか?」

 ヨルと同じように。しかしヨルのように真っ直ぐに進んでいけない自らに嫌気がさして、結果ヨルに嫉妬した。

「やってみたいんだろ、俺みたいに」

「はぁ? 何言ってんの。そんなこと・・・・・・」

 否定して見せようとしたロムの声が不自然に途切れる。ロムの視線の先を辿れば―――

「・・・・・・っ!」

 細い路地裏に大男に口を塞がれた少女が引き摺っていかれるのがみえた。

(人攫い!?)

 ヨルはそう認識すると同時に駆け出していた。

「おい、ヨル!」

「助けを呼んでる暇がない! 追い掛けないと!」

 止めようとする声を跳ね除けると後ろで舌打ちが聞こえる。

「人攫いが出ました! 自警団に通報をお願いします!」

 近くの店の主人にそう伝えたロムがすぐさま追い掛けてくるのを気配で感じながら、ヨルは走る速度を上げた。ヨルの頭の中には少女を助けることしかない。

(能力が上手く使えないなんて言ってられないぞ!)

 自分自身に喝を入れつつ、ヨルはロムと共に犯人を追いかけた。


 ◆


「待て!」

 叫びながらヨルは大男の背中を追う。男もヨル達の存在に気付いたのか、右に曲がったり左に曲がったりして此方を撒こうとしてきた。何回も見失いそうになるのを必死に食らい付く。此処で逃したらあの少女は人買いに売られてしまう。そうなったら助けるのは不可能に近い。

「おい、ヨル!」

「なんだよ!」

「どんどん細くて暗い路地に入っていってる! ここは一旦引き返した方がいい!」

「そんなことしてたら逃げられちまうだろ!?」

 並んで走って言い合っている最中だった。

 前にいた大男が不意に立ち止まって此方に向き直る。片方の口角を上げてそれはそれは愉しそうに。

「逃げられなくなったのはお前らだ」

 ビクンと身体が跳ねる。

 後ろから迫る複数の大きな影。

(仲間がいたのか・・・・・・!)

 振り返るや否や上から素早く布を被され、抱え上げられる。そのまま縄を巻かれてヨル達は抵抗すら出来ずに少女と共に隠されていた馬車の荷台に詰め込まれる。

「今日は餓鬼が三人だ。大漁だな」

 男達はゲラゲラと下品に笑いながら馬車に乗り込んだ。ガタンと音がしてすぐに馬車が動き出す。絶体絶命の状況にヨルはどうすべきか必死に考えた。


 ◆


「おい馬鹿」

「馬鹿って呼ぶのやめろ」

「だって馬鹿でしょ。散々止めたのに結局みんな仲良く捕まってるし」

 犯人に聞き咎められないよう注意して小声で話す。少女の声は聞こえない。

「俺のせいかよ!?」

「当たり前でしょ。追い掛けているつもりが犯人達の根城に誘導されて笑っちゃうね」

「お前だってついてきた癖にっ!」

 少し声を荒げるとロムに静かにしろと蹴られた。割と近くに転がされているらしい。

「それよりここから逃げ出す方法なんだけど」

「え、なんかあるのか?」

「護身用のナイフを持ってる。縄はそれで解けると思う」

 ロムはそう言うと何とか自分に被せられている布を剥がすように指示した。ヨルは渋々口で布を咥えて身体をもぞもぞと動かす。此方も何も見えないから方向は当てずっぽうだ。そうして何とかロムを布から解放すると、今度はロムがヨルに掛けられている布を剥がす。

 漸く視界がクリアになったところで次の指示だ。

「僕の胸元にナイフがある。咥えて取って」

「なんで俺がこんな事・・・・・・」

「右じゃない、左だよ」

「はいはい分かりましたよ、やればいいんだろやれば」

 暫くごそごそと漁ると、硬いものが口に当たる。これだ。

 取っ手部分をしっかり噛んで引き抜く。

「よし、そのままじっとしてて」

 ロムはナイフに縛られた手を押し付けて少しずつ縄を切っていく。手の拘束が解けるとナイフを受け取って足に掛けられた縄も外す。今度はヨルの番だ。ぎっちりと結ばれた手足の縄を断ち切る。最後に攫われた女の子だ。掛けられた布をそっと剥がして縄を解いてやると、少女は泣きそうな顔でお礼を言った。

「さぁ、ここからだね」

「どうする?」

「犯人を捕まえるのは自警団に任せよう。俺たちは馬車から飛び降りて脱出する」

「まぁ仕方ないか」

 ヨルもロムの意見に頷いて、そっと後ろの扉を開く。

 ヨルは少女を抱いてロムの後ろに続いた。

「いい? せーのでいくからね」

「分かった」

 せーの、と小さく掛け声をあげようとした時だった。

「やっぱり駄目!」

 幼い少女は動いている馬車から飛び降りるのが相当怖かったらしい。ヨルの腕を擦り抜けて荷台の奥に戻ろうとする。

「なんだ!?」

 少女の叫び声に人攫い達も気付いたらしい。

 荷台を覗く為の窓が開けられ、大きく舌打ちされた。

「おい、餓鬼が逃げようとしてるぞ!」

「まずい!」

 ヨルは咄嗟に少女の腕を掴むと強引にロムの方へ投げ付けた。見事少女を抱き止めたロムはそのままの勢いで荷台から落ちる。

 ヨルも急いで飛び降りるが、

 ―――――バンッ!

 焼けるような痛みが背中を襲い、受け身も取れずに地面に転がった。

 視界の端で馬車が止まるのが見える。犯人達がくる。でも身体が動かない。多分骨が折れているし、それに。大男の右手で鈍く光っている銃に撃たれたのだと知る。

「ヨル!」

 犯人達が戻る前にロムがヨルの傍に駆け付けた。

「女の子は・・・・・・?」

「んなこと言ってる場合!?」

 ロムは自分が撃たれたように苦しそうに顔を歪めてヨルの傷に手をかざした。途端に身体中が青白い光に包まれる。

 痛みが、消えていく。

(そうか、『聖職者』の能力は怪我を治せるんだったな・・・・・・)

 遠のきそうな意識を必死に手繰り寄せ、ヨルは犯人達を睨み付けた。

 ロムが珍しく頑張っているんだ。ここで能力を使えなくてどうする。

 両手を犯人達にかざし、深呼吸する。大丈夫だ、絶対出来る。ロムとあの女の子を守るためなら。

 ヨルは意識を集中させて近付いてきた三人の男に『人形師』の糸を巻き付けた。

「・・・・・・!? なんだこれ!?」

 昏倒させて追い掛けられないようにすればいい。それなら。

 ヨルは三人の男を操って壁に思い切り突進させた。頭から突っ込んだ人攫い達は衝撃に耐え切れず倒れ込む。死なない程度にダメージを与えるよう狙ったが上手く脳震盪を起こしてくれたらしい。

 騒がしかった路地裏に静寂が訪れる。

「ヨル・・・・・・」

「はは・・・・・・これでもう落ちこぼれじゃないだろ?」

 力無く笑ってよろよろと身体を起こす。

「すげぇな、撃たれたところも骨折も治ってる」

「・・・・・・この馬鹿!」

 ロムは震える手でヨルの胸を叩いた。

「使いたく無かった!」

「えっ」

「一度使ったら君のことはもう二度と治せないんだよ! それなのに君は!」

 本当に馬鹿だとロムは涙を流した。その涙につられてヨルも目を潤ませる。

「ごめん。ごめんな」

 その日、ヨルははじめてロムに謝った。

 そして二人で犯人を縄で縛った後、少女と三人で自警団のもとへ行き、保護を受けたのだった。


 ◆


「それからだな、ロムと仲良くなったのは」

 ヨルはロムとの思い出をスズメに語って聞かせた。

「実技は事件の時にコツを掴めたのか上手く能力を使えるようになったし、座学はロムが教えてくれてさ」

「あの白髪野郎に勉強を・・・・・・?」

「そうだ。ロムの方も前より真剣に授業に臨むようになってな。で、無事二人で訓練学校を卒業した!」

 壮絶なエピソードにスズメは驚き通しだ。大体、ロムが鳩族の出身であることもきかされていない。あの鉄面皮が鳩族。本当にびっくりだ。

「だからな、ロムは俺の命の恩人なんだよ。そんな邪険にしてやんなって」

「・・・・・・ヨルがそう言うのなら」

「ははは! ありがとうな」

 よしよしと頭を撫でられてスズメは何も言えなくなる。

 ヨルの話を聞いた後だと、何故かロムが持ってきた花が少し輝いてみえた。

「仲が良いなら直接持ってきてくれたらよかったのに」

「そうもいかないんだよ。鳩族と鴉族は仲が悪い。俺とロムは特例なんだ。気軽に相手の家を行き来なんて出来ないのさ」

 元気になってここを出たらお礼を言うといい、と微笑んでヨルは椅子から立ち上がる。

「さ、傷に障るから。もう薬飲んで寝てような」

「だから過保護過ぎだって!」

 悲痛な叫びはやっぱり聞き入れられないまま、無情にも部屋に一人スズメを残して扉は閉められた。


 ◆


 怪我をしてから一月。

 流石にこれ以上ここにはいられないとヨルが任務に出掛けたのを確認してからスズメはそっと部屋の外に出た。トイレや風呂へは通っていたが、他の場所には行ったことがないので勝手がわからない。外へ続く道はどっちだろうか。

(無駄に広過ぎるだろう、この屋敷)

 何処までも続く廊下を歩いていると、前の方から人の気配を感じた。ヨルに会うのも厄介だが、ヨル以外の人に会うのはもっと厄介だ。スズメは慌てて近くの部屋に忍び込んだ。

「それで首尾はどうですの?」

「滞りなく」

 廊下から若い女の声と低い男の声が聞こえた。

 スズメがドアの向こうにいることには気付いていないようだ。

「今度こそ昼行性の奴らを皆殺しに出来ますわ」

「お嬢様、ヨル様が連れてきた子供がまだ屋敷にいます。充分に気を付けてください」

「ああ、あの茶髪の・・・・・・忌まわしいわね。子供とはいえこの屋敷に昼行性の鳥人がいるなんて」

(昼行性の奴らを皆殺し・・・・・・?)

 不穏な言葉にスズメは冷や汗をかく。

 扉の向こうにいるのが誰かは分からないが、平和を崩そうとしていることは理解できる。クーデターの算段か。鴉族の次期当主はヨルなのに、ヨルの預かり知らぬところでこんな計画が練られているなんて。

 とにかく早くヨルに伝えなければ。

 けれど今のままでは情報が足りない。何せ相手が誰かも分からないのだ。それに具体的にどうするつもりなのかも分からない。日付や時間も。集めているであろう仲間の人数さえも。

(確かめないと・・・・・・!)

 スズメは使命感に燃えた。クーデターなんて起こさせるものか。どんな計画を立てているのか情報を集めて事前に阻止するのだ。その為には。

(まだ暫く屋敷を離れられないな)

 いつの間にか廊下から人の気配は消えていた。

 スズメはそっと扉を開くと、来た道を戻る。

 ヨルが帰ってくるのは三日後。それまでに最大限自分が出来ることをやる。

 スズメは一人頷いて、ひとまず自分にあてがわれた部屋へ足音を殺して歩いていった。


 ◆


 スズメは自室に戻ると早速動き始めた。

 カズラというつる植物で天井までの梯子を作って上まで登ると、天井の板を一つ外す。そして屋根裏に侵入すると、作った梯子を回収した。天井の板を元に戻せば準備完了だ。

(各部屋の様子を覗いて回ろう)

 中は暗くて蜘蛛の巣がそこら中にある。ねずみの姿も見かけるが関係ない。伊達にアウトサイドで育っていない。泥水を啜って生き延びたことすらあるのだから。

 屋根裏は全ての部屋に繋がっているようだった。部屋があるところだけ光が僅かに漏れている。スズメは狭い屋根裏を這いずって進んだ。

 実は目指す場所は決まっている。スズメの部屋と風呂のある別棟を繋ぐ廊下の途中にいつも鍵が掛かっていて入れない部屋があるのだ。しかもその部屋は他の部屋の三倍はあろうかという大きさ。中に何があるのか確かめない手はない。

 暫く這いずっていると、話し声が聞こえた。どうやらすぐ下の部屋に人がいるらしい。スズメは一旦止まって様子を伺う。

「ヨルは任務に行っているのか」

「はい、三日後まで戻られません」

 その声の一つには聞き覚えがあった。いつもヨルについている執事長の声だ。もう一人は誰か分からないが、執事長が敬語を使っているということは位の高い鳥人なのだろう。

「あれにも困ったものだ。次期当主が自警団などと・・・・・・妹のトコヤミの方が余程しっかりしている」

「御当主様、それは・・・・・・」

「しかしこれも時代の流れか。ヨルが当主になれば、世の中も少しは変わるのかもしれんな。いつまでも昼行性の奴らを目の敵にしているのも疲れた。老いたな、私も」

 老齢の男の声が低く部屋に響く。威厳のある通る声。執事長が『御当主様』と言っているということは、この館で最も偉い人物だということだ。

「何をおっしゃいます、御当主様! 我々の受けた屈辱を忘れた訳ではございませんでしょうに」

「確かにそれはそうだ。しかしヨルが自警団の隊長になってからというもの夜行性の鳥人への風当たりも少し弱まったときく。血を血で洗う選択よりもヨルの方が賢いのかもしれん」

 スズメは改めてヨルの偉大さに気付かされた。鴉族の当主の心が揺らいでいる。ヨルがたった一人で足掻いて努力して世の中を良い方へと導いている証拠だ。ヨルはすごい。自分も何かヨルの役に立ちたい。よしやってやるぞと意気込んで思わず身をのりだすと、ガタンと天井板が物音を立てた。

「誰だ!」

「ははは、そう興奮するな。ただのねずみだろう」

 警戒する執事長の声と当主の笑い声が木霊する。これ以上ここにいるのはまずい。スズメは見つからないよう細心の注意を払ってその場を後にする。

 目指す部屋はまだまだ先だ。


 ◆


 身体中が埃で真っ白になり、蜘蛛の巣でベタベタになる頃、やっとスズメは目的の部屋に辿り着いた。

 人の気配が無かったので天井の板を外してみると、そこは物置部屋のようだった。

 しかしそこに置かれているのは物騒な代物ばかり。銃、弾薬、剣。毒薬の類いまである。スズメはつる植物の梯子を下ろして部屋の中へと入った。ゆっくり部屋を見て回る。大量に置かれている木箱には火薬が満載されているし、剣はいつでも敵を刺し貫けるよう研ぎ澄まされている。穏やかではない。

 全ての武器には鴉族の私兵団のマークが刻まれていて、鴉族の兵力が如何に強いかを表していた。

 ふと窓の外を見れば広大な中庭がみえる。今いる場所は二階なので、兵士達が鍛錬している様子が一望できた。

(この数の兵士がクーデターを起こしたら・・・・・・)

 多くの血が流れるのは避けられないだろう。何とかして止めなければ。

 しかし鴉族の当主の話していた内容を聞く限り、先導しているのは現当主ではない。

 勿論ヨルも違う。ならば主導者は誰なのか。

(確かお嬢様って呼ばれていたけれど・・・・・・)

 当主はヨルには妹がいると言っていた。もしかしてあの女がその妹なのだろうか。

 それに『お嬢様』とやらと話していた男の方も気になる。

(確かめないと)

 スズメは梯子を使って屋根裏に戻ると、一旦自室に引き返した。

 館の連中はスズメの事を毛嫌いしているから用事が無い限りあてがわれた部屋には来ないが、もうすぐ昼食の時間なのだ。抜け出していることがバレるとまずい。身体中についた埃も払い落とさなければ。

 スズメは小さい身体を器用にくねらせて再び狭い屋根裏を這いずっていった。


 ◆


 自室に戻ると姿見を見詰めながら急いで埃と蜘蛛の巣をハンカチで払う。ボサボサになった髪も整えて、やっと一息ついた。

 何気なく机の上に目を向けるとヨルが持ってきてくれた勉強道具が目に入る。

(俺に万が一のことがあったら・・・・・・)

 スズメはあと三日帰らないヨルのことを考えた。味方のいないこの屋敷で無事に三日間過ごせるだろうか。やはり一度屋敷を抜け出すべきか。しかしクーデターの情報をもっと集めたいという気持ちもある。

 スズメは一枚の紙を取り出した。

 そして教科書を開き、単語を幾つか書き出していく。そして出来上がったのはびっしりと敷き詰められた文字列。一見すれば難しい単語を覚えるため書いたように思える。その中にスズメは幾つかの単語を残した。『クーデター』、『計画』、『おじょうさま』。

 斜めや縦に読むと読めるそれにヨルが気付いてくれるか分からない。逆に犯人グループに見つかって処分される可能性もあるし、処分されなくてもヨルがこの紙に気付かない可能性だってある。それでも届く事を信じて紙を丁寧に折り畳むと、窓から外の茂みに放り投げた。

 そして窓をしっかり閉じると、タイミングよく執事長が食事を運んでくる。

「昼食です」

「ありがとうございます」

 この執事長は少し苦手だ。昼行性の鳥人への嫌悪が透けて見えている。今も鋭い眼光が此方を見下ろしていた。

 執事長は料理をテーブルに並べる。サラダにスープ、パンに肉料理。最後にデザートまで用意されていて何だか恐縮してしまう。

「さぁどうぞお座りください」

 執事長は椅子を引いて此方を振り返った。それに応じようとして一歩足を踏み出した瞬間、部屋の中の空気が変わる。ピリッとした緊張感。

(なんだ・・・・・・?)

 何か違和感がある。理由がある訳では無い。アウトサイドで生き延びた過去の経験か野生の感か。自分の中の何かが危険を感じ取り、頭の中で警鐘を鳴らしている。じりっと後退りすると執事長は溜め息をついた。

「『どうぞお座りください。マナー違反ですよ』」

 執事長の両目が怪しく赤く光った。するとどうしたことだろう。

 身体が勝手に椅子に座るべく動き出す。

「な、んで・・・・・・」

「『執事』の称号ですよ。マナー違反を取り締まる能力です」

 身体が自由に動かせないでしょう? と執事長は嫌らしく笑った。どうやら条件を満たす事で相手の動きを操る能力らしい。

「ヨル様のように自在に相手の動きを操ることは出来ません。精々廊下を走るのを止めたり、椅子に座らせたりする程度です。しかしそんな能力も使い方次第・・・・・・」

 ストンと椅子に座る。未だ身体は指一本動かせない。冷や汗が背中を伝った。

 スズメの首に執事長の手がかかる。

「俺に手を出せばヨルが気付くぜ」

「構いません」

 執事長ははっきりとそう言うと、思い切り力を入れてスズメの首を絞めた。

「ぐ、ぅぅぅ・・・・・・!」

「次に当主になられるのはトコヤミ様ですから」

 抵抗したくても何も出来ない。酸素が失われた頭ではどうすれば良いかも考えられなかった。

「トコヤミ様と私兵団長の話を聞いていたでしょう。その後は屋根裏を這いずっていた。気付かれないと思いましたか?」

 私たちはずっと貴方を見張っていたのですよ、と執事長は続ける。

「・・・・・・っ!」

「余計なことをしなければ生きてここを出られたのに。馬鹿ですね」

 執事長の嘲笑する声を最後にスズメの意識はプツリと途切れた。


 ◆


「ん・・・・・・?」

 スズメは真っ暗な部屋の中で目を覚ました。此処があの世だろうか。でもその割には絞められた首は痛いし、手足を縛り上げられている感触がある。

(生きてる・・・・・・?)

 てっきり殺されたとばかり思っていたので少々混乱した。その混乱を打ち消すように誰もいないと思っていた部屋にランプの灯りが灯る。

「目が覚めたか」

 そこには黒いフードを被った男が立っていた。

「誰だ!? ていうかなんで俺は生きてんだよ!」

 湧き上がる疑問と恐怖にスズメは叫ぶ。しかし男の方は動じることなく落ち着き払っていた。

「御当主様だよ。執事長がお前を殺そうとしている時に、お前と話をしに来た御当主様が部屋を訪れたんだ」

「俺と・・・・・・話を?」

「御当主様はヨル様の影響で昼行性の鳥人に興味深々でね」

 お前がどういう鳥人か確かめに行ったみたいだ、と男は語る。

「突然現れた御当主様に執事長は動揺して、お前が突如失神したことにした。結果お前はギリギリ助かった訳だ」

「じゃあなんで俺は捕まったままなんだ?」

「下っ端の俺にわかる訳ねぇだろ。俺は御当主様にお前を捕まえて隠しておけと言われただけだ」

 友好的に見えた当主がスズメを閉じ込めておくように命じたという。命を救っておきながら、そんなことをする理由が全くもって分からない。一体鴉族の当主は何を考えているのだろう。

「安心しろ、殺せとは命じられていない。食事や水も与えるように言われている。後でパンでも持ってきてやるさ」

 そう言うと、ひとまず水の入った瓶を前に置かれる。

「手足縛られててどうやって飲むんだよ」

「お前の能力については聞いている。そのままでも飲めるだろう?」

 さりげなく縄を解かせようとしたが失敗に終わり、スズメは仕方なく『庭師』の力を使ってつる植物を操ると、器用に水の瓶を掴み口元に持ってきた。そこでピタリと動きを止める。

「安心しろ、毒なんか入れてないさ。言っただろう。殺せとは命じられていない」

「お前は執事長や『お嬢様』とやらの仲間じゃないのか」

「俺は御当主様に命を救われた身でね。あの方は身寄りの無い子供だった俺を引き取って育ててくれた。だから御当主様の為にしか動かないのさ」

 男の言葉には力強さが宿っていた。恐らく嘘では無い。そこには確かに裏付けされた忠誠心が垣間見えた。

「でも私兵団なんだろう?」

「ああ私兵団員だ。だから表向きは私兵団長の言うことを聞く。しかし私の心は御当主様にある。・・・・・・まぁ私兵団の中じゃそれ程位が高い訳でもないがね」

 色々と複雑なのさと男は笑った。そしてこの話はもう終わりだとばかりに踵を返すと、静かに部屋を出ていく。

 錠の閉まる音がして、漸くスズメは諦めて瓶の中の水を飲んだ。


 ◆


 それから数日。スズメは薄暗くカビ臭い部屋で暮らした。部屋を訪れるのはフードを被ったあの男だけ。男は名を『ユウギリ』と言った。当主から貰った名前なのだと大層大切そうに話していたのがやたら印象に残っている。もしかしたらユウギリの境遇がスズメと近かったからかもしれない。身寄りの無かったスズメを救いあげたロムとヨル。ユウギリにとってはそれが鴉族の当主だったのだ。

 ユウギリは以前話した通り、当主にだけ忠誠を誓っていた。そして密かに当主の意とそぐわない行動を起こそうとしている者達を調べているようだった。つまり、クーデターについて。

「御当主様は次期当主をヨル様と決めていらっしゃる。けれどそれに反対する者が一族や使用人、私兵の中にいるんだ」

「同じ鴉族なのに」

「同じ鴉族だから、さ。ヨル様は今までの鴉族の当主とは全く違う。昼行性の鳥人との和平を望み、鴉族が避けていた自警団の団員になった。その行動を生理的に受け付けない連中がたくさんいるんだ。何せちょっと前まで昼行性の奴らとは戦争していたんだからな。敗戦後の恨みつらみもある」

 戦争の記憶、敗者となった夜行性の鳥人達が昼行性の鳥人から受けた屈辱。それらをなかなか手放せない気持ちは分かる。むしろヨルの方が異質だということも。

「はじめは御当主様もヨル様の行動に腹を立てていた。辞めさせようともされていた。けれどヨル様の真っ直ぐな心が御当主様の心を少しずつ変えていったのさ」

「でも変わらない奴もいる」

「そう。妹のトコヤミ様とトコヤミ様を担ぎ上げている者達。中には私利私欲を満たすためにトコヤミ様側についている者までいる」

「もしかして私兵団長、とか?」

 クーデターを起こすのに十分な武器を保管していた部屋を思い起こしながらスズメが尋ねると、ユウギリははぁと溜め息を吐いた。予想は的中らしい。あれだけの量の火薬弾薬を私兵団長に黙って溜め込むのは難しい。むしろ私兵団長が命令して武器を集めさせていると考えるのが自然だろう。それに私兵団長はトコヤミと秘密裏に会ってなにやら話し合っていた。それはスズメがこの耳でしっかりと聞いていたのだから間違いない。

「その通り、私兵団長がトコヤミ様と一緒になってクーデターを先導している。今ではほぼ全ての私兵がトコヤミ様側だ。つまりもう御当主様には止められない。止める武力がないんだ」

 本来なら当主を守る立場の私兵団が敵。それに対抗する手段もない以上、最早当主の肩書きは形だけのものとなっていた。当主もユウギリもこの状況をどうにかしたいと思いながらどうする事も出来ずに、ただ情報だけでも集めようと秘密裏に動いている。

「もうあまり時間がないんだ。計画の日取りが近づいている」

 ユウギリは絶望した顔で言って両手で顔を覆った。しかしスズメには希望の光が灯る。ユウギリは謙遜していたが、優秀な兵士らしい。計画の日取りまで調べあげている。もしかしてユウギリの握っている情報は予想より遥かに多いのではないか。

「なぁ」

「なんだ」

「ここにゴトウシュサマを呼べるか?」

「はぁ?」

 ユウギリは怪訝な目でスズメを見た。

「三人で話したいことがある。俺がそう言ってるってことをゴトウシュサマに伝えてくれるだけでもいい。俺もクーデターを止めたい。ヨルの力になりたいんだ」

 ヨルを助けたい。その気持ちでスズメの胸の中はいっぱいだった。クーデターが起これば恐らく当主もヨルも、当主側にいるユウギリのような鳥人も危険に晒されることになる。たとえ肉親といっても、トコヤミなる人物が危険分子を見逃すとは限らない。だからどうか最悪の展開を迎える前にどうにかしたかった。

 スズメは真剣な目でユウギリを見詰める。

「・・・・・・お前みたいな餓鬼に何が出来る」

「考えがあるんだ」

「はぁ・・・・・・分かった。でも期待はするなよ。言ってみるだけだ。全く、お前みたいな子供の手でも借りたいと思っちまうとはな」

 俺も落ちぶれたぜと続けて、スズメの目の前にパンと水を置くとユウギリはまた明日と去っていった。


 ◆


「この私を呼び出すとは本当に面白い子だ」

 そう言ってやってきたのは鴉族の当主、『ザンヤ』だった。ヨルとそっくりな深い青の瞳と白髪混じりの黒髪。口元には柔和な笑みを浮かべていた。

 後ろにはユウギリも控えている。

「なんでも話があるとか」

「はい」

 スズメは大きく頷いて居住いを正す。単刀直入に言います、と前置きしてスズメは口を開いた。

「鴉族の中でクーデターを企む者達がいると聞きました。貴方の御息女と私兵団長、執事長まで一緒になって昼行性の鳥人へ攻め入る気だとか。私兵団は殆どがそれに賛同しているとも伺っています」

「やれやれユウギリはお喋りだなぁ」

「具体的に何処が襲われるか、情報はあるのですか?」

 スズメの言葉に当主は言葉を詰まらせる。

「それを教えれば君を巻き込むことになる」

「もう充分巻き込まれてますよ」

 トコヤミと私兵団長の会話を聞いた時から、スズメには逃げ道はない。執事長に首を絞められたように命を狙われ続ける。

「私を閉じ込めているのは、私を守るためですね」

「・・・・・・そうだ。君は館の鳥人に命を狙われているからな。縛り上げているのは申し訳ないが、此処でほとぼりが冷めるまでじっとしてもらおうと思っていたんだ」

 当主がスズメを閉じ込めていたのはスズメの命を守るためだった。館の誰も知らない場所に匿ってユウギリに世話をさせたのだ。全く回りくどい方法だが、やはり当主は敵では無かった。これで信頼して話が出来る。

「それで情報はあるのですか?」

「ある」

 当主は短く答えた。

「日時、場所、兵力。全ての情報はおさえている」

 ユウギリが言葉を付け足す。

「しかしそれだけだ。情報はあるのに何も出来ない。こんなに歯痒いことはない」

 当主は悔しそうに顔を歪めた。

「もう私には誰かを諌める力はない。自分で作り上げた武力に殺される。多くの昼行性鳥人と共にな。そしてまた世界は混沌と化す。戦争の始まりだ」

「諦めるのが早いんですね。まだ出来ることをやっていないのに」

「出来ること・・・・・・?」

 スズメの言葉に当主は首を傾げた。当主は本当に手詰まりだと思っているらしい。

 でも手が無いと分かっていても情報収集をやめなかったのは助かった。

「自警団に依頼するんです」

「自警団・・・・・・?」

「要は対抗する武力さえあればいい。自警団は元々クーデターを鎮圧する為に出来た組織です。数さえ揃えられれば私兵団にも対応できる」

 ヨルとロムがいる自警団。助けを求めれば必ず応えてくれる自信があった。

「私に身内を売れと言うのかね」

「戦争を起こすより余程良いでしょう。クーデターを貴方とヨルが先頭に立って鎮圧すれば鴉族の評価もそこまで下がらない」

 酷なことを言っている自覚はある。自分の娘を自警団に突き出せというのと変わらないということは。しかしアウトサイドで毎日生きるか死ぬかという生活を続けていたスズメには分かる。何かを切り捨てなければこの世界では生き抜けない。

「御子息様か御息女。どちらか一方しか選べません。ご決断を」

「・・・・・・っ!」

 スズメの琥珀色の両目に囚われて、当主は息を飲んだ。


 ◆


 時は一週間前に遡る。

「スズメが勝手に帰っただって?」

「左様でございます」

 任務を終えて帰宅したヨルは執事長の言葉に目を丸くした。確かに傷はもう治りかけていたが、あと十日間くらいは見守ろうと思っていたのに。やはりこの屋敷は一人でいるには居心地が悪かったのだろうか。

 ヨルはスズメにと買ってきた土産を片手に肩を落とした。しかしすぐに気を持ち直す。施設に帰ったならこちらから出向けばいいのだ。幸いロムからスズメが身を寄せている場所は聞いていた。

 ヨルは執事長を下がらせると、早速支度を始める。

「お兄様」

 廊下に出て外套を羽織り、さぁ行こうかと思っていると、不意に後ろから声を掛けられた。

「トコヤミ」

「お出掛けになるのですか?」

「あぁ」

 立っていたのは妹だった。漆黒の巻き髪に黒い目。大きなリボンの髪飾り。可愛らしい豪華な黒いドレスを着込んでいる。

 トコヤミはチラリとヨルの手元を確認すると、顔を曇らせた。

「まさかあの子供のところに行くのですか?」

「勝手に帰ってしまったみたいだから様子を見に行こうと思ってな」

「どうかおやめください」

 トコヤミは眉を顰めて言った。

「嘆かわしいことですわ。あの子供は昼行性の鳥人なのですよ?」

「トコヤミ。まだそんなことを言っているのか」

 ヨルは妹を嗜めた。深い溜め息が出そうなのを何とか飲み込んでトコヤミに向き直る。トコヤミは鴉族の古い伝統を重んじ、昼行性の鳥人のことを毛嫌いしていた。時代錯誤もいいところだ。同じ環境で育ってきた兄妹なのにどうしてこうも考え方が違うのだろう。ヨルは苦い顔をした。

「俺は昼行性も夜行性も関係なく誰もが平和に暮らせる未来が来ると信じているんだ。トコヤミも過去の因縁は忘れて、差別的な考えはやめろ。そんなのは誰も得しない思想だ」

 語気を強めて言うと、トコヤミはわざと驚いたような顔をした。

「あら、お兄様こそ夢物語はおやめくださいな。お兄様はどうして戦争が起きたのかご存知の筈でしょう」

「それは・・・・・・」

「全ては生き残るため。そろそろ現実を見られては?」

 そう言い残すと、トコヤミは静かに去っていった。その後ろ姿に僅かに焦燥感を覚えながらも、ヨルは黙って見送るしか出来なかった。


 ◆


「戻ってきていない・・・・・・?」

 ヨルはやってきた施設の玄関先で愕然とした。

「はい。怪我をした日から一度も姿を見ておりませんよ」

 てっきり今もヨル様のお屋敷にいるとばっかり、と修道女は続けた。不安そうな顔で見詰めてくる女の言葉に恐らく嘘はない。

 嫌な予感がする。まさか戻る途中にまた誰かに襲われたのか。しかし自警団にそのような連絡は来ていない。だとしたら。

 ヨルははっと顔を上げて慌てて来た道を引き返した。後ろから「ヨル様!?」と声を掛けられたが振り向く余裕は無い。

 修道女に嘘はない。あるとしたら屋敷の人間だ。昼行性の鳥人に嫌悪を抱いている者たちだ。きっと彼らが何かしたに違いない。まさか招いた客に堂々と手出しするなんて。スズメは無事なのか。今何処にいるのか。嫌な想像が頭の中を駆け巡る。

 こんなことなら長期の出張時にだけ施設に帰せばよかった。しかし後悔している暇はない。

 ヨルは自宅へ戻ると、ありとあらゆる部屋を探した。通常の客間は勿論のこと、納屋や家畜小屋に至るまで、スズメが捕まって隠されていないか、襲われた形跡が無いか調べ上げる。けれどスズメの姿は何処にもない。ヨルは何時間も探し回った後に項垂れてスズメが寝泊まりしていた部屋のベッドに腰掛けた。

「何処にいるんだ・・・・・・」

 ヨルは心配で胸が張り裂けそうだった。また以前のように大切な後輩をなくしてしまうのだろうか。今度こそ守ると自らに誓ったのに。

 ふと視線を机に向けると花瓶に生けてある花が萎れていた。花瓶の水を替える者がいなかったのだろう。僅かに異臭がするのは水が腐っているからか。

 腐っている。

 ああそうだ、腐っている。この屋敷の連中は皆、腐り切っている。その殆どが昼行性の鳥人に差別的で、敵意を隠そうともしない。だとしても、だ。相手はまだ子供なのだ。屋敷の者に害をなしたことも一度もない。怪我をして運ばれてきたただの子供。

 そんな相手にどうして酷い真似が出来るのだろう。ヨルには理解できなかった。そしてそんな連中のいる屋敷にスズメを一人置いてきたのは紛れもなく自分だ。なんて事をしてしまったのだろう。ヨルは両手で顔を覆い、自らの無力さを呪った。

 そんな時だ。控え目にドアがノックされた。

「誰だ」

「ヨル様お客様がお見えです」

 そう言ったのはあの忌々しい執事長だった。客だなんて。今それどころではないのは分かるだろうに。

 ヨルは名前だけ聞いて追い返すようドア越しに指示しようとした。しかしその声は執事長の声に掻き消される。

「勝手にあがられては困ります!」

「ヨルはここ? 案内ご苦労様。もう君に用事ないから下がっていいよ」

 聞き覚えのあり過ぎる声にヨルは思わず立ち上がった。すぐにドアに駆け寄り扉を大きく開く。

「ロム! どうして・・・・・・」

 そこに立っていたのはロムだった。後ろには焦った様子の執事長が見える。それもそうだろう。鴉族と鳩族は仲が悪い。ロムとヨルの関係は良好だが、それでも今までお互いがお互いの家を訪ねるなどありえないことだった。それなのに連絡も無しに急に鳩族の次期当主が現れたのだから驚くのは当然のことだった。

「どうしても何も、うちで預かってる子供が一人行方不明でね」

「ロムの耳にも入ったのか」

「当然だよ」

 中に入っても? とロムが言うので、ヨルは一歩下がって道を開けた。

「ヨル様!」

「執事長、客人の相手は俺がする。お茶の用意もいらない。下がってくれ」

 ヨルは悲鳴のような声音の執事長の言葉を遮って言う。そうしてすごすごと持ち場へ戻っていくのを見届けると、扉を閉め、鍵を掛けた。

「ロム、こんなことになってすまない」

「君のせいじゃない」

 ロムは部屋を見渡して、引き出しを開いたりクローゼットを開けたりし始めた。

「ここはスズメの部屋?」

「そうだ。けれど何も無かった。屋敷内も隅々まで探したが何処にもいないんだ・・・・・・」

「本当に全部探したの?」

 不意にロムの視線が天井に留まる。つられて上を見上げると、天井の板の一部が僅かにずれているのが見えた。

「天井裏・・・・・・?」

「スズメは学は無いけど頭は悪くないよ」

 梯子を持ってきてくれる? と言うロムに頷いてヨルは早速倉庫へと駆け出した。


 ◆


 梯子を使って天井裏を覗くと、一部だけ埃が綺麗に拭き取られていて、誰かが這いずって奥へと進んだことが知れた。

「こんな狭い隙間、子供じゃないと通れないね」

「じゃあスズメが? でもどうして・・・・・・」

「何かから逃げ出すためか・・・・・・或いは何かを調べるためか。後者の方が可能性は高いかな」

 確かに逃げ出す為に通ったのなら、今頃施設に帰っていないとおかしい。だとしたら屋敷内を探索するために通ったのか。しかし何故スズメはそんな危ない真似を。

「この奥で何か見てはいけないものを見て襲われたのかもね。拉致するってことは施設に帰せない理由があるってことだろう?」

「施設に帰せない理由・・・・・・?」

「この屋敷の中で怪しい動きとかないの? ああでも君って鈍いもんね」

 ロムは溜め息を吐くと、再び部屋を探索し始めた。

「部屋はもう見ただろう?」

「スズメが何か情報を掴んだのなら絶対痕跡を残すはずだ」

 ロムは絶対の自信を持っているようで、ベッドの下や机の裏などを丹念に調べていた。そして粗方調べ終わると、今度は窓に手を掛ける。そういえば窓の外は―――。

「庭か!」

「その口調だと庭は調べてないんだね? 行ってみよう」

 ロムの言葉にヨルは力強く頷くと、「案内する」と言ってロムを連れ立って部屋を出た。時刻は既に三時をまわって徐々に日が傾き始めていた。


 ◆


「見つけたぞ!」

 すっかり日が暮れた頃、漸く庭に植えている低木の隙間に紙が落ちているのを発見した。丁寧に折り畳まれているそれを開いてみると、スズメの筆跡でびっしりと文字が書かれている。

 しかしこれは―――。

「ただの書き取りの勉強の跡か・・・・・・?」

 自警団の教科書に並んでいる単語が敷き詰められている紙面に困惑する。単語同士には特に繋がりもなく、意味は見出せない。取り越し苦労だったかとヨルが落胆していたところで、同じく紙を覗き込んでいたロムがゆっくりと指で文字をなぞる。

「『クーデター』」

 ヨルはひゅっと息を飲み込んだ。確かにロムが斜めになぞった部分を読むと『クーデター』と読める。それならば。

「こっちから読むと『計画』だ」

「これは? おじょうさま?」

「それは多分妹のことだ」

「なるほど、君の妹がクーデターを計画していることを知って襲われた訳だ」

 ロムが判明したことをさらりと纏める。しかしヨルは解き明かされた事実に打ちのめされた。兄妹仲は決して良いとは言えない。けれど血を分けた妹がそんな大それた計画を立てて、スズメを襲わせたなんて。

「ショックなのはわかるけど、立ち止まっている暇はないよ」

「分かってる。分かってるけど・・・・・・」

「・・・・・・僕は人の心に寄り添うのが苦手だ。けれどこれは分かる。まだクーデターは起こってないし、スズメが生きている可能性もある。まだ止められる」

 ロムはヨルの肩に手を置いた。彼なりの精一杯の励まし。

 そうだ、ロムの言う通りまだ止められる。妹が過ちを犯す前に、自警団員として、鴉族の次期当主としてやるべきことがある。こんなところで膝をついていられない。

 それにスズメがまだ生きているならば早く助け出してやらないと。

 まずは兵を集めるところからだ。ヨルとロムは頷き合うと、自警団の中央本部へと急いだ。普段、自警団は各地へ散らばって担当地域を巡回している。しかし鴉族には私兵がいる為それに見合う兵力が必要だ。本部へ申請して団員を集めてもらわねばならない。それもトコヤミに見つからないよう秘密裏に。

 やるべき事がたくさんある。ヨルは気を引き締め、足を速めた。


 ◆


 自警団の対応は迅速だった。すぐに東西南北の支部から団員が送られ、火薬や武器が揃えられる。戦闘や拘束に特化した称号持ちも数多く集められた。これならクーデターを鎮圧出来る。あとは出来るだけ穏便に事を済ませ、スズメを助け出すだけだ。

 スズメが居なくなってかなり日が経つ。早くしなければ。ヨルは必死に準備を手伝い、部下に指示を飛ばしながら気合いを入れる。

 そんなところにふらりと現れたのは自警団団長と本部長だった。自警団のナンバーワンとナンバーツーの二人である。

「本当にいいのかね」

 自警団団長は開口一番ヨルにそう尋ねた。

「君にとっては身内を引き渡すようなものだ」

「それは・・・・・・」

「勿論制圧には全力を注ぐつもりだ。しかし情報が行方不明の訓練生のメモだけではな。勘違いという可能性はないのか? もう一度きちんと確かめてみてからでも・・・・・・」

「その必要はありませんよ」

 そこに第三者の声が混じる。聞き覚えのある声に思わず振り向けばそこにはヨルの父親が立っていた。

「父上!? ここで何を・・・・・・」

「自警団に依頼をしに来た」

 ヨルの父であり、鴉族の当主であるザンヤが護衛もつけずに自警団の敷地内に足を踏み入れた。今まで鴉族が自警団に関わろうとしなかったことを考えれば前代未聞の話だ。しかし実際にヨルの目の前には父がいる。その事実に団長も本部長も声を失っていて、結果その場にいる全員が呆けた顔でザンヤを見詰めることになった。

「私がここに来るのはそんなにおかしなことかね?」

「い、いや・・・・・・そういう訳では・・・・・・」

 いち早く沈黙から抜け出したのは自警団団長だった。しかしその顔には未だ困惑の表情が浮かんでいる。

「実は折り入って話がありましてね。人払いをお願いしたいのですが」

 恐らくは誰にも伝えずお忍びでやってきたのだろう。当主とは思えない粗末な服にフードのついた外套を着て現れたザンヤに事の重大性を察した団長は「分かりました」と頷いた。そうしてすぐさま団長と本部長、ヨル―――ヨルの頼みでロムも同席する形で話の場を整えた。他の団員は全て外に出され、作業を行なっている。

「それでお話とは?」

「実は我が家にクーデターを企む者がいましてね」

「・・・・・・っ!」

 そこにいる全員が目を見開いた。まさか当主自らクーデターの話を持ち出すなんて。

「自警団の皆様にはそのクーデターを止めていただきたいのです」

「しかし貴方は当主でいらっしゃる。そこまで分かっているならばご自身で止められるのでは・・・・・・」

「お恥ずかしい話ですが屋敷にいる者はその殆どがクーデターに賛同しておりましてね。私兵団も含めて、最早私の言う事をきく者はおりません。皆、娘のトコヤミの言いなりなのです」

「ではクーデターの首謀者は・・・・・・」

 団長が恐る恐る口を開くとザンヤは大きく首を縦に振った。

「娘です」

 詳細な情報はここに、と続けてザンヤは紙の束を取り出す。そこには武器や火薬の量や私兵団員一人一人の情報、計画実行の予定日時などが詳しく記されていた。

「ここまで調べがついているのですか・・・・・・」

「ええ。しかし私にはそれを止めるための武力が無いのです。そこで是非自警団の力をお借りしたい」

 ザンヤは机に両手をついて力強く言った。その父の姿にヨルは息を飲む。

「どうか私に代わって娘を止めてください。大事にならない内に」

 今にも頭を下げそうな勢いのザンヤに、ロムは冷たい視線を向けた。

「よく身内を売る気になりましたね」

「おい、ロム! やめないか!」

 話に割って入るロムを団長が止める。

「だって信用できないじゃないですか。今までずっと自警団と距離を置いていた鴉族の当主が依頼だなんて。持ってきた情報も我々を欺く為の嘘かも知れません。この男をよく取り調べるべきです」

「君の疑いはもっともだ。いくらでも調べてくれて構わない」

「父上っ!」

 ロムと父親のやり取りを見ていられずにヨルが声を上げる。しかしそんなヨルを諭すようにザンヤは言った。

「私はね、ヨル。お前とトコヤミどちらかしか選べないのなら正しいと思う方を選ぶ。そしてトコヤミの罪は私も共に背負うつもりだ。あの子の親としてね」

「そんな・・・・・・どちらかを選ぶなんて・・・・・・」

「そうすべきだと言ってきた子がいてね」

 ザンヤはロムとヨルの顔を順番に見詰めた。

「スズメくんだよ」

 えっ、とロムとヨルは同時に声を漏らした。ザンヤの口からスズメの名前が出るとは思わなかったからだ。

「彼は無事だよ。殺されかけていたところを助けて私が保護したからね」

「保護・・・・・・?」

「トコヤミは知らない場所だ、安心してくれ。それにしてもスズメくんは度胸がある。自警団に依頼する案も彼の提案でね。私を直接呼び付けて直談判してきたんだ」

 はははと豪快に笑うザンヤに皆呆気に取られる。

「はははじゃありません、父上! 早くスズメを解放してください!」

「ああその事なんだが・・・・・・彼の提案を受け入れてから拘束を解いて施設に帰るよう促したのだがね、本人が帰りたがらなくて」

「はぁ!? 拘束!?」

「どう身を振るべきか悩んでいたものだから仕方が無かったのだよ。彼には申し訳無かったがね」

 でも今は縄は解いているよと笑うザンヤにヨルは一発喰らわせてやりたくなった。

 ずっと探していたスズメがまさか父親のもとにいたなんて。それならそれで教えてくれたら良かったのに。可哀想に拘束されていただなんて酷すぎる。いや、それよりも殺されかけていたってどういう事だ。やはりトコヤミ達に狙われたのだろうか。だとしたらこれ以上鴉族の敷地内に置いておくのは危険だ。いち早く助けてやらねばならないのに何を呑気に笑っているんだ、この父親は。

「スズメには俺から話します! 会わせてください!」

「そうか。それならこれから先はお前に任せるよ」

 ザンヤは怒りに震えるヨルとは対照的に穏やかに応えた。そして団長に再度「依頼、受けてもらえますか」と尋ねる。

「勿論です。全力で協力しましょう」

 団長はザンヤの申し出を快諾する。ロムもスズメの名前が出たところで色々と合点がいったのかこれ以上何も言わなかった。

 かくして鴉族の当主も巻き込んだクーデター制圧作戦が始まったのだった。


 ◆


「スズメ!」

「ヨル!・・・・・・とロム」

「僕の顔みて嫌そうにするのやめてくれる?」

 当主が自警団に話に行った後、スズメとユウギリのところにヨルとロムがやってきた。スズメは久々にみるヨルの姿に素直に喜んだ。それはヨルも同じようで何処にも怪我がないか確認されたあと、思い切り抱き締められる。

「無事でよかった!」

「ちょ、ヨル! 苦しいっ」

「それくらい我慢するんだね。この馬鹿が君をどれだけ心配してたか」

 ぎゅうぎゅうと力を入れられて悲鳴を上げると、隣に立っているロムが意地悪そうに笑った。どうやら助けてくれるつもりは無いらしい。心配をかけたのは悪かったが、少し愛情表現が過ぎるのではないだろうか。親もなく、今まで愛情を注いでくれる相手に恵まれなかったスズメにはヨルの行動の意味が分からなかった。ヨルは「良かった」「死んだかと思った」と繰り返し呟きながら大粒の涙を流している。抱き締め返すべきだろうかとも思ったが、さっきから勝手に身体が固まって動けない。慣れていないのだ、こういうのには。結局何も出来ずにヨルが満足するまで揉みくちゃにされ、スズメはぐったりと床に腰を下ろした。

「どうしたスズメ!? 座り込んで具合が悪いのか!?」

「いや! 大丈夫! 元気だから!」

 勘違いしたヨルがまた心配そうに近付いてきたので危険を察してすぐに立ち上がる。

 抱き締められるのは嫌ではないのだが、とても疲れるので暫く遠慮したい。今度はロムも止めに入ってくれて「話が進まないからその辺にして」とヨルを引き剥がしてくれた。

「それで? 無事ならどうして施設に戻って来ないの?」

 腕組みをして此方を見下ろすロムの姿はなかなかに迫力がある。しかしここで負ける訳にはいかない。

「俺にもここで出来ることがあると思って・・・・・・クーデターを企ている連中を見張ってるんだ。それに施設に帰ったら、施設にいる仲間達を危険に晒すことになる」

 トコヤミ達はスズメがクーデターに気付いていることを知っている。きっと今頃いなくなったスズメを血眼で探しているに違いない。クーデターの計画を外に漏らされる前に今度こそ息の根を止めようとしてくる筈だ。そんな中で堂々と施設に帰れば、施設を襲撃されるかもしれない。スズメ以外に称号持ちもいない状況でそのような事態になるのは絶対に避けたかった。施設に帰れないのであれば此処でユウギリと共にトコヤミ達の動向を見張ろうと思ったのだ。しかしヨルとロムは顔を見合わせて顰め面をしている。

「あのね、スズメ。君はまだ訓練生なんだよ?」

「そんな危ないこと今すぐやめるんだ」

 二人は自警団で匿おうとか、ここから安全に連れ出すにはなどと話し合っている。

 けれどスズメの意思は固かった。

「俺、ここから離れないよ」

「スズメ!」

「あのさ、連中は俺のこと探してると思うんだ。だってクーデターのことを知っているのは俺だけだし」

 もしかしたらスズメを助けたザンヤにも情報が漏れていると思われているかもしれないが、ザンヤが身内を売るとまでは考えていないだろう。だとすれば気を付けなければいけないのはスズメの方だ。

「俺が自警団にいると万が一連中にバレたら、クーデターの計画に何か変更が出るかもしれない。せっかくゴトウシュサマがお忍びで護衛もつけず自警団に依頼しに行ったのが水の泡だ」

 少しでもリスクは避けたいのだと言えばヨルとロムは渋い顔で閉口した。二人とも今までのスズメとの会話でトコヤミ達が施設や自警団を見張っている可能性に思い至ったのだろう。

「大丈夫、危ないことはしないから」

 続けて言い募ればはぁとロムの方が溜め息をついた。

「ここで何もせずじっとしているなら見逃してあげる」

「ロム、それはっ!」

「自警団だって百パーセント安全だって訳じゃない。君の妹さんには僕たちがスズメを探していることには気付かれているだろう。このままスズメを探し続けている振りをする方がいいかもしれない」

 スズメは行方不明のままとした方が安全だと判断したのだろう。ロムは渋々といった様子でスズメの提案を受け入れた。ヨルはまだ納得していない様子だったが、最終的には「絶対危ないことはするな」と言い含めてロムの考えに従う。二人はスズメをまだ探している振りをしながら時々スズメの様子を見に来ることにして、部屋を後にした。名残惜しそうなヨルに笑顔で手を振ってスズメはよし、と気合いを入れる。こうなった以上は絶対クーデターを止めてやる。

 スズメは二人から言われた言葉も忘れ、一人意気込んだ。


 ◆


 それからスズメは与えられた隠れ部屋から度々抜け出すようになった。今度こそ見つからないよう細心の注意を払ってユウギリと共に情報集めに奔走する。ヨルとロムにバレないように行動することも忘れない。スズメが情報集めをしていると知ったらまた怖い顔で止めてくるに決まっているからだ。

 ヨルとロムがやって来るのは大体昼間だった。ロムはわざと正面玄関を潜ってヨルと合流する。二人ともまだスズメを探しているというアピールを欠かさない。そして鴉族当主にしか知らされない地下通路を通ってスズメのところに来るのだった。

「スズメ、今日は果物を持ってきたぞ」

 外套のポケットからよく熟した林檎を取り出してヨルが微笑む。ロムはいつも呆れ顔だ。

「ヨル、そんなに土産ばっかり持ってこなくていいって」

「林檎は嫌いだったか?」

「いや、好きだけどさ・・・・・・」

 隙を見つけては甘やかそうとするヨルにスズメは少々不安になる。

(俺のこと小さな子供って思ってるんじゃないだろうな)

 物心ついてからとっくに十年は経っているのだ。少なくとも十四、五歳にはなっていると自分では思っている。アウトサイドの仲間達の中では一番年長であったのもあってスズメはなかなかヨルの過保護な接し方に慣れなかった。

「あ! そうだ。他にも土産があるのを忘れてたよ」

「も、もういいってば!」

「ほら、長期任務の時に手に入れたんだ。メタセコイアという木の種らしい。変わった形で面白いだろう?」

「種・・・・・・」

 恐らくはスズメの能力のことを考えて選んでくれたのだろう。ゴツゴツとした不思議な形の種を手のひらの上に乗せられて胸が熱くなる。だからこういう扱いには慣れていないといっているのに。

「・・・・・・ありがとう、ヨル」

「どういたしまして!」

 素直に礼を言うと、ヨルは心底嬉しそうな顔で破顔した。


 ◆


「まだあの子供は見つからないんですの?」

「申し訳ございません、お嬢様」

 スズメが情報を集めだしてから一週間後。はじめに痺れを切らしたのはトコヤミ達の方だった。

 丁度トコヤミと執事長が会話しているところに居合わせたスズメは素早く物陰に隠れる。

「いつ情報が漏れたとしてもおかしくありませんわ。日程を前倒しにしましょう」

 トコヤミは組んだ腕を右人差し指で忙しなく何度も叩いて言った。相当苛々しているらしい。対して執事長はしきりにハンカチで額の汗を拭いている。

「しかし準備がまだ整っておりません。火薬や武器の数も予定している量の七割といったところです」

「それだけあれば充分ですわ。大切なのは相手の虚をつくこと。私兵団長にも伝えなさい」

「かしこまりました。ではいつ頃に?」

「明朝、日の出と共に此処を立ちます」

 はっきりと告げられた言葉に執事長が息を飲んだのが分かった。

 明日の朝。まさかの回答に身体が震えるのが分かる。昼行性と夜行性の鳥人の争い。

 それも殺し合いが明日起こってしまう。予定ではクーデターの作戦実行まであと十日は猶予があるはずだった。それが明日の朝に変更とは、余りにも早すぎる。自警団の準備はどの程度進んでいるのだろう。伝えてすぐに動けるのだろうか。様々な考えが頭の中をぐるぐる回る。その大半は悪い考えばかりだ。

 しかしスズメは自らを奮い立たせるように拳を握り締めた。この事態を覆せるのはスズメだけだ。とにかく急いでヨル達に伝えなければならない。

 スズメはトコヤミ達が立ち去るのを待って、すぐさま行動に出た。まずはユウギリに伝えることからだ。やる事が山積みだが、きっとやり遂げてみせる。絶対クーデターを止めてやる。スズメの目は決意に燃えていた。

 ◆


 ユウギリに事情を伝えた後、ユウギリはザンヤに、スズメはヨル達自警団に知らせることになった。夜明けまで時間がない。急がなければ。

 スズメは隠し通路からこっそり屋敷の外に出て、自警団の駐屯地に向かう。

 駐屯地は街の中心部にある。徒歩だとかなり時間がかかってしまうが他に移動手段がない。スズメは中心部に向かう坂道を駆け上った。誰かがつけて来る様子はない。

 幸か不幸かトコヤミ達も明日の作戦実行の準備に追われていて、スズメの動向を監視する暇がないのだろう。隠れる必要がないとなればこっちのものだ。アウトサイドで鍛えた足の速さは誰にも負けない。スズメは坂を登り切ると繁華街を擦り抜け、教会の前の広場を通り過ぎ、自警団駐屯地へと駆け込んだ。

「自警団団長はいらっしゃいますか!?」

 自警団の建物に入り、大声で叫ぶ。すると受付カウンターから一番近くにいた上背がある団員が此方を向いた。

「何だね君は?」

 その団員はスズメの姿を見るなり訝しげに顔を顰める。当然だ。いきなり夜中に子供が飛び込んできたら何事かと思うだろう。もしかしたら悪戯だと思われるかもしれない。スズメがどう団長に取り次いでもらおうかと頭を悩ませていると、奥の扉からやたらとカラフルな髪色をした男が出てきた。赤や黄色、緑、青など毛束毎に色が違う髪を長く伸ばし、後ろで一つに纏めた男は、ヨルやロムより豪華な制服に身を包んでいる。

「私に何か用かね?」

「あなたが団長、ですか?」

「そうだよ」

 優しく微笑んで頷いた男はパロットと名乗った。この人が自警団のトップ。それにしてはやけに若くみえる。しかし纏うオーラはずしりと重く、人を統率する者としての経験値の高さが窺い知れた。スズメは緊張で渇いた喉を鳴らして口を開く。

「私はスズメと言います。今ヨルの家で厄介になっている者です」

「あぁ、君がスズメくんか! 話は聞いているよ」

 パロットによるとヨルやロム、ザンヤにスズメの存在については聞いていたらしい。

 それなら話はスムーズに進む。スズメは全ての経緯をすっ飛ばして結論だけを述べた。

「クーデターの日取りが早まりました。明日の朝、やつらは動き出します」

 一瞬にして建物内が静寂に包まれる。そして次の瞬間、頭に直接声が響いた。

『総員戦闘配備! これより明朝行われるクーデター鎮圧のため準備を行う!』

「うわぁ!?」

 スズメは驚いて思わず両手で耳を塞いで座り込む。

「すまない、びっくりさせてしまったかな。私の称号は『通信士』でね。特定の範囲内、特定の人間に情報を伝えられるんだ」

「特定の範囲内・・・・・・?」

「今の号令で、この建物内の団員全員に情報が伝わったってことだよ。しかし今此処にいない団員には遠過ぎて情報が伝わらない。ここからは足を使わないとね」

 団長は小脇に抱えていた軍帽を被ると、周りの団員にてきぱきと指示を飛ばし始めた。

「情報をありがとう、スズメくん。これで多くの命が救われるよ」

「なんでそんな簡単に私の話を信じてくれるんですか・・・・・・?」

「ヨルとロムのお墨付きだからね。それに情報が間違っていても撤退すればいいだけの話だ。最悪なのは、君の言う事が確かで我々がそれを無視した場合だよ」

 なるほど理にかなっている。トコヤミ達のことが本当で自警団が何もしなかった場合、多くの死傷者が出るのは必至だ。それよりは現場に急行するのが良いと判断したのだろう。

「後のことは任せて君は施設に避難するんだ。施設のある街の中心部あたりまでなら君の声が届くから、危なくなった時は私の名前を呼んでから思い切り叫びなさい」

「声が、届く?」

「あぁ、私の能力は遠くにいる者の声を拾うことも出来るんだよ。やはり範囲は限られるけどね」

 団長の能力は受信と発信両方が可能らしい。連絡手段が手紙しかないことを考えれば、便利な能力だ。しかし便利な能力といえばスズメも負けていない。

「あの、他に私にできることは・・・・・・」

「ない」

 もっと力になりたくて溢した言葉は、冷たい声によって遮られた。はっと顔を上げるとパロットの黄金の瞳が此方を見詰めている。

「君はまだ団員じゃない。勘違いしないことだ」

 次の瞬間には頭をぐしゃぐしゃと撫でられて「ここも安全じゃない。早く帰りなさい」と諭された。完全に子供扱いだ。子供な上にまだ自警団の訓練生なのは事実だけれど、能力はあるし役に立ちたいのに。しかしパロットはこれ以上の反論は許さないという態度を崩さない。ここは大人しく引き下がるしかない。スズメは小さく頷くと自警団の建物を後にした。

 ◆


 スズメは街灯の明かりが頼りなく照らす深夜の道をとぼとぼ歩きながら、一先ずはパロットの言う通り施設を目指していた。これからどうするべきだろうか。本当はヨルの元に行って共に戦いたい。しかしあそこまで団長に口酸っぱく止められてはスズメとしても動きにくかった。しかしそんなスズメの悩みは思いがけない事態に飲み込まれ、消え去ることになる。

「やっと見つけましたわ」

 カツン、とヒールの音が響いて、目の前に見覚えのある人物が現れる。漆黒の髪と目、大きな黒いリボンに漆黒のドレス。黒ずくめの服装に所々赤と紫の差し色が入っているのが艶めかしい美しい女性。トコヤミだ。

「どうして・・・・・・」

「計画日を早めれば貴方は必ず動くと思っていましたの。自警団に知らせるおつもりでしょう? そうはさせませんわ」

 どうやら既に自警団に情報が伝わっているとは気付いていないらしい。それは不幸中の幸いだが、だとするならば今スズメは絶対絶滅の危機に晒されていることになる。

 もし自分がトコヤミならスズメが余計なことをしないうちに相手の息の根を止めようとするはずだ。一瞬パロットに助けを求めることも考えたが、パロットは『名前を呼んで助けを求めろ』と言っていた。今ここでおかしな事を叫べば、トコヤミ達に自警団に情報が渡っていると勘付かれてしまうかもしれない。そうなれば再び計画の変更が行われたり、自警団への先制攻撃が行われたりする可能性もある。下手な行動には出られない。スズメが思案しているうちに、トコヤミの後ろからゾロゾロと大量の私兵団が現れる。私兵団はスズメを囲み武器を構えた。

「馬鹿な子。何もしなければ死ぬこともなかったのに」

「俺は死ぬつもりなんてない!」

 スズメは咄嗟に種を入れているポケットに手を突っ込み、能力を込めて数人の私兵団に向けて投げ付けた。

 投げ付けたのは、ドロソフィルムの種。葉にびっしりと生えている細い毛から消化酵素が含まれている粘着液を出す食虫植物だ。スズメの能力で通常の何倍にも成長したドロソフィルムは私兵団員たちを捕まえじわじわと皮膚を溶かす。

「うわぁぁ!?」

「なんだ!?」

 私兵団員たちは攻撃を受けるとは思わなかったのだろう。突然現れた緑の怪物に慌てふためく。

「ちょっと! 何をしているの!」

「申し訳ございません、お嬢様!」

「お前ら鴉族の私兵団だろ、なんで当主じゃなくてその女に付き従うんだよ!」

 スズメは次々に種を投げながら問う。しかしそれに応えたのはトコヤミだった。

「お父様は生温いわ!」

「生温い?」

「そもそもなぜ昼行性鳥人と夜行性鳥人は戦争なんてしていたと思う?」

 トコヤミの言葉に一瞬両者の戦いの手が止まる。

「理由があるのよ。一部の鳥人しか知らない理由がね」

 昼行性鳥人と夜行性鳥人が何故戦争していたか。そういえば訓練学校でもそれ以外でも戦いの理由は聞いたことが無かった。どうして今まで疑問に思わなかったのだろう。凄く重要なことのはずなのに完全に頭の中から消し去ってしまっていた。

「昼夜戦争の前にも小さな小競り合いはずっとあった。けれど一番大きな戦いは昼夜戦争。その原因はね、限られている食料と土地の奪い合いよ」

「限られている・・・・・・?」

「この世界は少しずつ汚染されているの。国土の外側からじわじわとね。植物は枯れるか毒を持ち、土は砂に変わっていっている。最北端の地域では既に食糧難に苦しんでいるわ」

 私兵団の団員たちも知らない事実だったのだろう。誰も一言も発しない。辺りは夜の静寂を取り戻し、しんとしている。

「食べるものも住む場所も少しずつ削られていっている。だからね、私たちも減らさなきゃいけないのよ」

 命の数をね、とトコヤミは妖艶に笑った。

「そしてその戦争のきっかけを作ったのが鴉族」

「鳥人を減らす為に戦争のきっかけを作った・・・・・・?」

 スケールが大き過ぎる話に茫然とする。

「なんだよ、それ・・・・・・」

「私たち鴉族はね、常に最良の決断をしてきた。何をしてでも自分たちが生き残るためにね」

「他の鳥人はどうでもいいってことかよ!?」

「ええそうよ。どうなろうと知ったことじゃない。私達は今から再び戦争の火種をつくる。昼行性の奴らを皆殺しにして、私たち夜行性鳥人が生き残る為のね。これは必要なことなの」

 トコヤミの目は夢見がちな少女のように純粋に光り輝いていた。今この状況ではそれが不気味で仕方ない。目の前にいるのはなんだ。とても同じ鳥人とは思えない。スズメはその違和感に耐えきれず声を荒げた。

「それはあんたの理屈だ!」

「いいえ、現実よ。戦争は絶対必要なのよ! 昼行性鳥人と夜行性鳥人は仲良しこよしなんて出来ない。昼行性鳥人に友好的なお父様やお兄様では駄目。私がやるの!」

 そう叫ぶとトコヤミは右手を真上に上げて合図した。


 ◆


 ヨルは走っていた。自警団駐屯地に繋がる道を一心不乱に走っていた。ユウギリから報告を受け、クーデターが明日の朝になったこと、そしてスズメが一人でそれを自警団に伝えに行ったことを聞いて、家を飛び出したのだ。

「スズメ!」

 ヨルは誰もいない暗闇に向かって叫ぶ。応える者は誰もいない。そんなに時間は経ってはいないはずなのにどこまで行ってもスズメは見つからなかった。嫌な想像ばかりが脳裏を過ぎる。もうトコヤミ達に捕まっているんじゃないだろうか。怪我をしているんじゃないか。いや、最悪の場合既に殺されている可能性だってある。そこまで考えてヨルは大きく首を左右に振った。縁起でもない。今はスズメを探し出すことに集中しよう。

 ヨルは更に走る速度を上げる。息が上がるが関係ない。妹のトコヤミに罪を犯させないため。スズメの命を守るため。ヨルは必死に両足を動かした。

 そうして街の中央部に入る坂道を駆け上った時だった。

『ヨル! 聞こえるか!』

「団長!?」

『あぁよかった、繋がって。クーデターの件、君のところにも連絡がいったんだね』

「・・・・・・っ! ということはスズメはそちらに着いているんですね!? 今も一緒にいるんですか?」

 ヨルは頭に響く団長の声に期待をかける。しかしそれは一瞬で打ち砕かれてしまった。

『いや、もうここにはいないよ。危ないから施設に戻るよう促した』

「なっ!? 一人で行かせたんですか!?」

『人員が足りないんだ。準備が出来次第、全員出立するからここも無人になる。施設に行かせるのが得策だ』

「それにしたって一人くらい護衛をつけてもいいでしょう! あいつは命を狙われているんですよ!?」

 スズメを一人で深夜の街に放り出したという団長にヨルは噛み付く。しかし団長に投げ掛ける言葉はそのまま自分への後悔でもあった。スズメを一人にしたのはヨルも同じなのだ。誰を責めることも出来ない。分かっているのに湧き上がる感情を抑えられない。団長はヨルが何を考えているか分かっているようだった。一言静かに『すまない』と言うと、次にヨルを励ました。

『大丈夫。彼はここまで一人でやって来たんだよ。能力もあるし判断力もある。施設はここからそう遠くないし、彼には私の電波を繋げているからね。危ない時は叫ぶように言ってある』

 しかしそんな言葉は今のヨルには届かない。

「スズメが大人しく従って助けを呼べる奴だったら苦労しないんです! とにかく私はスズメを探して施設に送り届けてから行きますからっ!」

 ヨルは強引に会話を終わらせると静まり返った繁華街を走り抜けた。

 言い知れない焦燥感がヨルを急かす。

 とうとう施設のある教会の前に辿り着くが、窓からは一つの灯りも見えない。誰かが起きている様子もない。ヨルはそのまま教会の前を素通りして再び自警団までの道を駆けた。

 そしてそこで衝撃的な光景と出会う。

 沢山の私兵団員に囲まれるスズメ。その前にはトコヤミがいて今まさに片手を上げ合図をしようとしている。トコヤミの隣には『弓使い』の称号を持った私兵が、光る矢をスズメに向けて弓を構えていた。

 危ない。

 考えるまでもなく身体が動いた。続いて身体を貫く衝撃。

 ヨルは自分より小さな身体を守るようにすっぽりと抱え込んでそのまま地面に倒れ込んだ。


 ◆


 団長から指示を受けてヨルとスズメを迎えに来た。ただそれだけの筈だった。

 しかしロムの目の前には信じられない光景が広がっている。光る矢に刺し貫かれ倒れているヨルとスズメ。その近くには鴉族の私兵団、そしてトコヤミの姿があった。

 場所は自警団駐屯地に程近い大通り。

 ヨルの周りにはじわじわと血が広がり、その身体はピクリとも動かない。

(なんだ・・・・・・これは・・・・・・)

 ロムが数秒呆けている間に、空からぽつりぽつりと雨が降り出す。

「あら、もう一人来たのね。お兄様を援護しに来たのかしら」

 トコヤミがこちらに気付いて微笑む。自分の兄が倒れていることなど気にも留めないというように。

「僕は・・・・・・迎えに来たんだ。二人を」

「それは残念でしたわね。たった今二人とも殺してしまったところですのよ?」

 ふらふらと二人に近寄ると、光の矢はヨルとスズメの二人ともの身体を貫き、矢尻が地面に突き刺さっていた。ヨルはスズメを守ろうとしたのだろう。スズメを包み込むように覆い被さっている。

 しゃがみ込んで恐る恐るヨルの肩を揺さぶると、

「ゔ・・・・・・ロム・・・・・・?」

「ヨル!」

 ヨルが薄らと目を開いた。

 まだ息がある。良かった。そう安堵しかけた。

 しかしヨルの負っている怪我と出血量、顔の青白さと不規則な呼吸―――その全てがもう取り返しがつかないことを示していた。ヨルはもう駄目だ。死んでしまう。ここに来る前に医療班と戦闘員は呼んでおいたが、きっと今すぐ治療したとしても間に合わないだろう。

 せめてロムの能力がヨルに使えたなら良かった。ロムの持つ『聖職者』の能力なら、どんなに酷い怪我で死に掛けていたとしても癒しの力で治せるのに。しかし幾ら願ってもそれは叶わない。だってロムの能力は一人につき一回しか使えないのだ。たったの一回。そしてヨルの一回目は訓練学校時代、ヨルが大怪我を負った時に使ってしまっている。

「一回しか駄目なんだって言ってるだろうが、この馬鹿・・・・・・っ!」

 ロムは悔しさで地面に拳を打ち付けた。パシャリと雨と血が混ざった赤い液体が音を立てる。雨は段々と強くなり、冷たくなっていくヨルの身体に容赦なく降り注いだ。

「ロム、スズメは無事か・・・・・・?」

「な、にを・・・・・・」

「俺はちゃんとスズメを守れたか・・・・・・?」

 もう目が見えないのだろう。虚ろな瞳でヨルは尋ねる。こんな時くらい自分の心配をしたら良いのに。いつもいつもヨルは他人の心配ばかりしている。それが腹立たしくて仕方なかった。ずっと訓練学校の時から嫌いだったのだ。

 要領が悪くて強い訳でも無いのに他人を気遣って自分の身を削って。それで良かったって能天気に笑っている。そんなところが昔から大嫌いだったのだ。

 けれど憧れてもいた。人の輪の中で笑うヨルはいつも輝いて見えたから。だからこいつは最期まで笑っていなきゃいけない。

 ロムはヨルの質問に答えるためスズメの様子を確認した。

 しかし。

 小さな身体は既に息絶えていた。

 ヨルの腕の中で苦しげに顔を歪めたまま。ヨルと同じく大量の血を流しながら。

 こんな結末があっていいのだろうか。スズメが死んだらヨルの行動は全くの無駄になってしまう。ヨルが命懸けで守ったならば、絶対生きていなければならないのに。

「なぁ、どうなんだ? スズメは無事か・・・・・・?」

 答えを急かすヨルにロムは一瞬言葉を詰まらせる。言える訳がない。こんな残酷なこと。スズメは死んでいる。君は犬死にだなんて。

「さっきから全然動かないんだ・・・・・・でも大丈夫だよな・・・・・・?」

 ロムは咄嗟に笑顔を作った。そんなことをしてもヨルには見えていないと理解しながらも下手くそな笑みを貼り付けてヨルの手を握る。

「あぁ、生きてるよ。君が守ったおかげでちゃんと生きてる。今はショックで意識を失ってるみたいだ」

「そっか・・・・・・よかった・・・・・・」

 ヨルはもう一度「よかった」と呟いて安らかに笑った。そしてふーっと長く息を吐き出すと、そのまま動かなくなった。

 握っていた手から完全に力が抜ける。

 ああ逝ってしまった。

 ここまでずっと一緒に戦ってきた仲間を、永遠に失ってしまった。そう理解するや否や、ロムはヨルとスズメを貫いている光の矢に手を掛けた。そして思い切り力を入れる。

 ―――ズ、ズズ・・・・・・

 内臓を掻き分ける不快な音を立てながら矢が抜けていく。

 トコヤミ達はこちらを見物して楽しんでいるようだった。此方を攻撃してこないのは助かるが、人の死を嘲笑する姿に反吐が出る。しかし今は気にしていられない。やるべき事がある。使命とでも呼ぶべきものが。

 ロムは更に手に力を込めて思い切り矢を引き抜く。最後にずるりと矢尻の部分がヨルの背中から抜けて、二人の身体は水浸しの地面に投げ出された。傷口が広がった事でどっと血が溢れ出す。ぬるりとした感触と鉄臭い匂いに顔を顰めながらも、ロムはスズメの身体をヨルの下から引っ張り出した。

 まずはマントを切り裂き止血点にきつく巻き付ける。そして気道を確保すると、人工呼吸と心臓マッサージを開始した。やり方が合っているかも分からない。それでもがむしゃらに華奢なスズメの胸を何度も何度も押し込む。

「生きろ、スズメ!」

 戻ってこいと必死に心で念じて。大雨の中、ロムは幾度もスズメの名を呼んだ。

「そんな事しても、もう死んでいますわ」

「うるさい、黙ってろ!」

 トコヤミのうんざりした声にロムは怒鳴る。

「こいつだけは生きてなきゃいけないんだ! ヨルが命懸けで守ったんだから!」

 何としてでも生かす。生かしてみせる。

「戻れ! 生きろよ!」

 躍起になって手を動かしていると、不意にスズメの身体がビクンと跳ねた。

「か、はっ・・・・・・」

「スズメ!」

 やった。戻ってきた。ロムの能力は死人には使えない。けれどこれなら。今の状況なら助けられる・・・・・・!

 ロムは急いでスズメの胸元に手を翳した。青白い光がスズメの身体を包み込む。光の中でスズメの痛々しい傷はみるみるうちに癒えて、青白かった頬が赤味を取り戻す。

 成功だ。ヨルが守ろうとした命を助けられた。

 ロムがほっと胸を撫で下ろしたのと、鴉族の私兵団員たちが武器を構え直すのはほぼ同時だった。

「なんてしぶといネズミなのかしら! もう一度丁寧に殺して差し上げますわ!」

「それは無理だと思うよ」

「はぁ?・・・・・・っ!?」

 その瞬間、トコヤミの身体を真っ赤な炎が包み込んだ。

「きゃあああああああ!」

「お嬢様!」

 堪らず倒れ込むトコヤミを私兵団員数人が抱え上げる。

 髪やドレス、装飾品が燃える異臭が立ち込める中、ロムは後ろを振り返った。

「助かったよ」

「間に合って良かったです! 隊長!」

 呼んでおいた自警団員が次々と到着し、鴉族の私兵団を取り囲む。『裁判官』の称号を持つ部下の能力により燃やされたトコヤミはふらふらとした足取りで忌々しげにこちらを見た。

「どうして自警団員がこんなにたくさん・・・・・・」

「君のお父上に依頼されてね。娘を止めて欲しいと。それでヨルも僕も準備を進めていたんだ」

「お父様が!? でも計画日変更の件は漏れていなかったはず・・・・・・」

 だってそこの子供が話す前に殺したんだもの、と続けたトコヤミはハッと顔を上げた。

「まさかもう自警団に話した後だったの・・・・・・?」

「そのまさかさ。ここに自警団員を呼んだのは僕だけどね」

 そう言うとロムは静かに立ち上がった。

「さぁ始めようか」

 視界の端には倒れているヨルの姿。そっちがその気ならやってやる。

「お望みの戦争だ」


 ◆


 雨音に混じる銃声。香る硝煙と血の匂い。

 夜の闇の中で鴉族の私兵団と自警団の衝突は酷くなるばかりだった。

「団長! もっと人員が必要です! このままでは無用な犠牲が出てしまう!」

 ロムはライフルで応戦しながら団長に通信を試みた。

『こちら本部、現在クーデターが起こるとされていた繁華街で鴉族の私兵団と交戦中! そちらに回せる人員がいない!』

「な・・・・・・っ!? そちらも戦っているのですか!?」

 団長の言葉にロムは目を見開く。まさか敵が二手に分かれて攻撃してくるなんて。

 しかし此方もこのままでは状況が悪化していくだけだ。何とか打開策を講じなければならない。

「団長、こちらは死者一名、重軽傷者多数です! 何とかなりませんか!」

『死者一名・・・・・・ヨルか。先程から通信が途絶えている』

「はい・・・・・・」

『状況は分かった。こちらを鎮圧し次第急行する! それまでどうか持ち堪えてくれ!』

 無常にもぷつりと途絶えた通話にロムは心の中で舌打ちした。

 ロムの部隊は回復役がメインの編成、今はそこにヨルの部隊が加わって二個小隊分の戦力だ。称号が戦闘向きでないロムのような隊員は銃火器を持つ事で戦力を補っている。そんな中相手は火力の高い編成で、こちらは押されている状態。トコヤミに対して大口を叩いたはいいものの、援軍が到着するまで戦えるか微妙なところだった。

「はぁぁぁぁ!」

「・・・・・・っ!」

 ロムは右から襲いかかってきた敵をライフルでぶん殴り思い切り蹴り上げる。

「ロム隊長! お怪我は!」

「気にするな! それよりも一人でも多く敵を倒せ!」

 部下に指示を飛ばしながらロムは奮戦する。これ以上仲間は殺させない。そう心に誓って、銃を握る手に力を込める。撃ち出した銃弾は正確に敵の肩を撃ち抜いた。

(あと五十人程度・・・・・・!)

 数で有利を保っているうちに出来るだけ相手の戦力を削り取る。主犯だって逃しはしない。

「総員、陣形を崩さず攻撃を続けろ!」

「はっ!」

 自警団員たちは皆心を一つにして戦い続けた。


 ◆


 スズメは暗闇の中にいた。

(何だ? 周りが騒がしい・・・・・・)

 あちこちから上がる怒号、銃声、悲鳴。それらが叩きつけるような雨音に混じり合っては消え、また生まれる。何が起きているんだろう。そもそもどうして眠っているんだっけ。

 途轍もなく瞼が重い。ずっとこの暗闇の中を揺蕩っていたいけれど、何故だか目を覚まさないといけない気がした。

 深く眠っていた意識が浮上する。

「ここは・・・・・・?」

 土砂降りの雨の中。真っ暗な空は厚い雲に覆われて月も星も見えない。少し首を右に向けると大通りに面した雑貨屋が目に入る。そうだ。確か自分は施設に向かう途中だった。そこでトコヤミ達に囲まれて――――

「・・・・・・っ!」

 そこまで考えてスズメは飛び起きた。全身に痛みが走る。手足は痺れ、上手く動かせない。でも生きている。

(どうして・・・・・・)

 あの時、トコヤミの後ろから突然現れた弓兵の攻撃に対応出来ずに矢に打たれ倒れた筈だった。服は血まみれだし、普通なら生きている訳がないのに。スズメは急いで傷口を確認した。心臓を射抜くはずだった矢は何故か軌道を外れ、胸と腹の中間に刺さったようだった。大きな傷跡が残っている。けれど傷跡があるだけで傷自体は綺麗に塞がっていた。

 ああそういえば矢が刺さる瞬間あたたかい何かに包まれたような。徐々に鮮明になっていく記憶にスズメは青ざめる。

 カタカタと震えながら恐る恐る傍らを見ると、そこにはヨルが倒れていた。

「ヨル・・・・・・!」

 慌てて駆け寄るが返事はない。ヨルの胸には大穴が空いていて、血もたくさん出ていた。脈は無く、息もしていない。

「そんな・・・・・・! ヨル、ヨルっ!」

 スズメを庇ったのだとすぐに知れた。矢の軌道が変わったのはヨルがスズメを咄嗟に抱き込んだから。きっと凄く痛かっただろうに、ヨルの顔は安らかで。

「ああ・・・・・・あああ!」

 ヨルが死んでしまった。スズメを庇って命を落とした。

 大好きだった。本当の兄のように感じていた。

 勉強を教えてくれて、たくさん頭を撫でてくれて、スズメの為に泣いたり笑ったり忙しい人だった。

 ヨルの役に立ちたくて動いていたのに、そのせいでヨルが死んでしまうなんて。

 スズメは現実を受け入れられなかった。

 ふと前方を見詰めると、私兵団と自警団が戦っている。私兵団の中には指揮を取るトコヤミの姿も見えた。

 ああ、あいつらさえいなければ。

 スズメの心にポタリと黒いインクが落ちる。その漆黒はじわじわと広がり飽和してスズメの思考を支配した。

「許さない」

 ポツリと呟いた声に呼応するように大通りに植えられた街路樹や色とりどりの花々がぼんやりと光り出した。


 ◆


 ロムが奮闘する中、それは突然起こった。地鳴りのような音と共に複数人の悲鳴が辺りに響き渡ったのだ。

 見れば通常の何十倍、何百倍も成長した草花が私兵団員たちを捉え、木々の枝がその身体を刺し貫いている。そして育った植物の真ん中にはスズメの姿があった。一切の感情を消し去った顔に、目だけはやたらとぎらつかせて、ふらふらと頼りなく立っている。その足元にはヨルの遺体が横たわっていた。

「ロム隊長! これはもしかして・・・・・・!」

「ああ、『暴走』だ!」

 ロムは部下の言葉に頷きつつ、スズメの様子を観察した。ロムの能力で癒したとはいえ、本来ならばあれ程の大量出血の後立ち上がれる筈もないのだ。勿論、能力を使うなんてもってのほか。それもこんなに力の大盤振る舞いをしていたら、いつ命を落としてもおかしくない。しかしスズメはヨルを殺された怒りからか我を忘れているようだ。能力の暴走。早くスズメを正気に戻して止めてやらないと取り返しのつかないことになる。

「スズメ! やめろ! 後は自警団が片付ける!」

 琥珀の目を見詰めてロムは声を張り上げる。しかしスズメは瞬き一つせず、私兵団を睨み付けていた。

「ば、化け物! 助けてくれぇ!」

 枝に串刺しにされている私兵団員たちは怯えて助けを乞う。手足をばたつかせて何とか抜け出そうとする者もいた。けれど木々の動きは止まらず、獲物を逃さぬよう巻き付いて締め付けると、また次の獲物に襲い掛かった。そしてはじめに捉えた者から順に血を吸い取りだしたのだ。これは推測だが、スズメが無意識に失った血液を補おうとしているのだろう。血を吸われた者は萎れた身体をぐったりと木に預け、気を失っている。

 ――――ゴゴゴゴゴゴ・・・・・・!

 木々の成長は止まらず益々大きくなる。

「スズメ! このままだと君が死ぬぞ!」

「・・・・・・」

「聞こえないのか!」

 スズメは黙って左手を前方に掲げた。鋭利な枝が今度はトコヤミを捉える。

「きゃああああ!」

「お前だ。お前だけは絶対許さない」

「わ、私はお兄様の妹ですのよ!?」

「関係ない」

 ギリギリと草木がトコヤミの四肢を縛り上げる。

「お前さえいなければヨルは死ななかった」

 より一層太い枝がトコヤミの肩に突き刺さった。

「ぐ・・・・・・ぁ・・・・・・」

 大量の血が出る。助ける者はいない。気付けばこの場にいる私兵団の全員がスズメの操る樹木達に一掃されていた。

「スズメ、もう十分だよ。動ける私兵団員は一人もいない!」

「・・・・・・」

「スズメ!」

 やはり答えないスズメ。ロムは一か八か走り出した。

(ヨル、こういう役目はお前のはずだろ)

 そう心の中で文句を垂れながら、ロムはスズメの身体をそっと抱き締める。びくりとスズメの身体が揺れた。

「ヨル・・・・・・?」

「悪かったね、あいつじゃなくて」

「・・・・・・そっか。ロムか」

 スズメはゆっくりと目を閉じる。

「俺さえいなかったら、ヨルは死ななかったのになぁ・・・・・・」

 か細い声でそう言って、小さな身体から力が抜ける。その悲しい響きに腹が立ってロムは腕の力を強くした。

 スズメが暴走したのは現実を受け入れられなかったからだ。自分のせいでヨルが死んでしまったという罪悪感。自分自身を許せない心が暴走に繋がり、スズメ自身とトコヤミ達に襲い掛かった。けれどそんなこと知ったことか。スズメ自身にだってスズメを傷付けさせない。絶対、死なせない。ヨルが助けた命だ。何としても生き永らえさせてみせる。

 生意気なくそ餓鬼だけど、一人前になるまで面倒みてやるさ。

「それで満足だろう、ヨル」

 問い掛けに答える者はいない。

 だがロムはそれで満足だった。

 ――――死者一名。私兵団、自警団共に重軽傷者多数。民間人の犠牲ゼロ。訓練生一人重症。トコヤミ達は全員生きたまま捕えられて牢に入れられた。

 それが今回のクーデターでの結果だった。


 そしてそれから三年後。

 スズメは無事に自警団訓練学校を主席で卒業する。二匹の鳥とオリーブの葉があしらわれた腕章のついた、真新しい制服に身を包みロムに顔を見せにきたスズメは少し大人びた顔をしていた。

「ヨルには?」

「挨拶に行ったよ。墓前で敬礼してきた」

「そうか」

 ロムは書類を取り出しスズメに渡した。

「これは?」

「元アウトサイド出身者の名簿と斡旋した就職先のリストだ」

「本当に約束守ってくれたんだ」

 スズメが自警団に入れば、スズメのアウトサイド時代の仲間達の面倒をみる。それがスズメとロムが交わした約束だった。そしてスズメが正式に入隊した今、約束は果たされたのだった。

「ロムは東方に転属だっけ?」

「そう。君はまだあと一年中央で訓練だったね。その一年で辞めたいなんて言い出さないといいけれど」

「絶対やめない」

 スズメはしっかりした口調で言った。

「俺は、ヨルの役に立つんだ」

「・・・・・・そう」

 変わらないね、と呟いてロムは窓の外に目をやる。色鮮やかな春の花が咲き乱れる中庭は、スズメのこれからを祝福するように輝いていた。



 ◆第二章◆


「新人教育ー!?」

 自警団東方支部の一室に驚愕の声が響き渡る。

「ハーク、もう少し静かにして」

「だけどよ、ロム!」

「ロム支部長、でしょ?」

 他より豪華な造りの椅子に腰掛けている、白い髪の青年は目の前の部下を睨んだ。

 ハークと呼ばれた金髪の青年の方は一瞬たじろいだが、それでも抗議をやめない。

 後ろに立っている少年を思い切り指差して再び声を張り上げる。

「こんなチビの子守りしろってのかよ!?」

「彼は称号持ちだし、訓練学校をきちんと卒業してる」

「称号って言ったって『庭師』とかいう植物を育てる能力なんだろ!? なんの役に立つんだよ!」

 ハークは「やってられねぇ!」と言い放つと、そのまま部屋を出て乱暴に扉を閉めた。


「やれやれ・・・・・・」

「追い掛けた方がいいですか?」

「そうだね。彼は君の教育係だ」

 眉間のあたりを揉みながらロムが答えると、茶色の髪を後ろで一つに纏めている少年は静かに頷いた。

「あ、スズメ」

「はい?」

「配属おめでとう。ようこそ東方支部へ」

 ロムの蒼色の目が少年を見詰める。

「呼び寄せたのあんたでしょ。ヨルと同じで過保護なんだから」

 スズメはそれだけ言うと、今し方出て行った先輩団員を追い掛けるべく、敬礼をしてその場を離れた。


 ◆


「面倒臭い先輩に当たったな」

 スズメは支部を出るなり毒付いた。

 先程の模範的な態度から一転、ポケットに手を突っ込んで足元の小石を蹴飛ばす。

 毛先に向かうほど濃い茶色の髪は結っていても上へと跳ね上がっていて、乱暴に歩く度にぴょこぴょこと揺れていた。琥珀色の目には苛立ちが滲む。しかし支部を一歩出ればそこは繁華街。スズメの態度を叱る者は一人もいなかった。


 街には沢山の人が行き交っている。この中から先程の男を探すのは骨が折れそうだ。

「どんな見た目だったっけ?」

 確かツンツンとあちこちに跳ねた短い金髪の髪に紺色のヘアバンドを巻いて、目は新緑の色。目の色と同じピアスをしていた。背丈は百七十センチくらいだっただろうか。服装は今自分が袖を通している自警団の制服と同じなので見間違うことはない。

 どうせなら街中の観光がてらそれらしい人物を探そうと、フルーツや野菜の屋台が並ぶ一角に足を踏み入れた。スズメはこの国の中央の街の出身。気候が違う東方の街には見たこともない物がたくさん売られていた。食べ物は勿論だが、衣服などの織り物も初めて見る形や柄のものが多い。

 新しい刺激に、支部で暴言を吐かれて下がっていた気持ちも自然と上向きになる。

 なんだ結構楽しいななどと考えながら歩いていると、少し先に怪し気な動きをしている子供が目に入った。充分に通れる隙間があるのにわざと人とぶつかって謝っている。

(どこの街にもいるんだな)

 スズメは懐かしく思って子供の姿を眺めていた。

 しかし子供が見覚えのある人物にぶつかっていったところで黙ってみている訳にもいかなくなった。

(自警団なんか狙うなよ!)

 スズメは咄嗟に子供に近寄り後ろから捕まえると、そのまま子供の口を塞いで路地に飛び込む。

「はなせっ! はなせよ!」

「離すから暴れんなよ!」

 必死に逃れようとする子供から先程盗んでいた財布を取り上げる。パッと手を離せば、子供は転がるように走って此方と距離を取った。

「あっ! それ!」

「自警団から財布盗るとか勇気あるな。でもこれだけ没収ね。俺が面倒なことになるからさ」

 スズメはスリの子供にニヤリと笑い掛けると、「他は見なかったことにしてやる。行ってよし」と明るく告げた。

「は? 行っていいの?」

「おー」

「あんた自警団だろ? そんなんでいいのか?」

 子供は信じられないという顔で凝視してくる。確かに街を守る自警団員ならば、盗みを働く子供を捕まえなければいけないのかもしれない。しかしスズメは首を振った。

「俺もスラム出身でさ。小さい頃は同じようなことやってたし」

 子供だと雇ってもらいようもないし、盗むしかないよなとしみじみ続けると、子供は深々と被っていた帽子を取った。さらりと流れる黒髪。どうやら女の子だったようだ。

「スラム、出身・・・・・・」

「なんか困ったことあったら言いに来いよ。俺はスズメ」

「わ、私はツバメ」

「そうか、ツバメ。ま、程々にな」

 スズメはそれだけ言うと踵を返す。早く財布を盗られた間抜けな先輩に合流しなければならない。財布を渡してやったら一体どんな顔をするだろう。楽しみだ。

「ありがとう、スズメ!」

 少女の声に軽く手を振りながら、スズメは再び街の喧騒の中へ消えた。


 ◆


「こんなところにいらしたんですね」

 スズメはヘアバンドを巻いたツンツン頭にやたら丁寧な言葉で声を掛けた。

「なっ、お前・・・・・・」

「スズメと言います。よろしくお願いします。先輩」

 スズメは軽く頭を下げると、にっこり笑って先程子供から取り上げた財布を取り出した。

「えっ! 俺の財布!? なんでお前が持ってんだよ!」

「なんでって・・・・・・先輩がスリに遭ってたから取り返してあげたんじゃないですか」

「スリだって?」

「気付いてなかったんですか? 随分ぼんやりしてらっしゃるんですね」

 笑顔は崩さずに嫌味を言えば、途端にハークの顔が曇る。

「お前・・・・・・結構いい性格してんな」

「それはどうも」

「褒めてねぇ」

 苦々しい表情でスズメから財布を受け取ったハークは、今度こそスリに合わないようにそれを上着の内ポケットに入れた。

 その時だ。

「きゃー!」

 街中に女性の悲鳴が響き渡る。

「な、なんだ!?」

「行きましょう!」

 悲痛な叫びに足が押し出される。

 悲鳴は市場の先の住宅街から聞こえた。急がなければ。


 二人で現場に急行すると、そこには男五人に囲まれた女性がいた。

「いや! 離してくださいっ!」

 女性は男の一人に腕を掴まれて抵抗している。女性の服はボロボロで髪は艶を失い頬は痩せこけていた。一目見て貧民街の出だと分かる。男の方はといえばいかにも柄が悪そうな風貌だ。黒ずくめの服に金のアクセサリーをジャラジャラつけて、目にはサングラス。小さい頃から裏の世界にいたスズメには分かる。こいつら裏社会の連中だ。

「何をしている!」

「なんだぁ? 自警団の若造か」

 男達はスズメらをみても下卑た笑いを崩さない。罰せられる訳がないとたかを括っている様子だ。

「悪いが自警団の出る幕じゃねぇぜ? この女は俺たちに借金があるんだ。それを返せないなんて言うからよ。俺たちが仕事を斡旋してやろうってんだ」

「どうせ法外な利子をつけて貸したんだろ? 仕事も真っ当なものじゃない」

「へぇ? 言うじゃねぇか。でもよ、証拠がどこにある?」

 男は余裕で構えてこちらの返答を待っている。

「おい、まずいぜ。あいつらここら辺を縄張りにしてるマフィアだ。だけどなかなか犯罪の尻尾を掴めなくて自警団は手をこまねいてる」

 今だって正当な理由がある以上手出し出来ないと宣うハークにスズメは溜め息を吐いた。

「先輩は女性の保護を。話をよく聞いておいてください。自分はマフィアの巣をつつきに行きます」

「はぁ!?」

「何かあったら自警団の新人の暴走とでも片付けたらいいですよ。それでは」

「おい待てよ!」

 ハークの制止も聞かずにスズメは右腰につけたホルスターから種を取り出す。

 プリムラ・オブコニカの種子。成長すれば可愛らしいピンクの花を咲かせるが、全体に生えている毛に触れると、大量に含まれたアルカロイドの成分で皮膚が酷くかぶれてしまう。

 スズメはそれを容赦なく男達の顔面目掛けて投げつけた。

 スズメの能力で急成長、強化されたプリムラ・オブコニカの花が男達に襲いかかる。

「うわぁぁぁ!?」

「顔がっ! 焼ける!」

「やりやがった! あのチビ!」

 悶え苦しむ男達に今度は宿木の種をぶつけて拘束すると、スズメは唖然としているハークに女性の身柄を預けた。

「叩けばいくらでも埃が出るんです。理由なんて後付けでいい」

 だから早く行ってと言い残して、男達を更に縛り上げる。

「お前達のボスに話がある。案内しろ」

 スズメの冷たい声に男達は震え上がった。


 ◆


「ここがアジトか」

 男達に案内させてマフィアの根城までやってきたスズメは辺りを見渡した。

 裏通りに立つ不気味な屋敷。壁のあちこちに銃痕があって穏やかではない。入り口の門の前には黒いスーツ姿の体格のいい男二人が立っていた。また戦闘かと辟易していると、背後から何者かが駆けてくる音がする。

「おい、待てよ!」

 みればハークがこちらに走ってきていた。

「おや、あの女性はどうしたんです?」

「同僚のコマドリってやつに任せてきた。新人を一人にはできないだろうが」

「信用ないですね」

 呆れた顔を作ると、ハークは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「心配してんだろ!」

「はいはい」

 軽口を叩き合っていたら、強面の男二人がスズメ達に気付いたようだ。不審な顔で一人が近付いてくる。しかし男が到着するよりも先に男の脇を駆け抜けてやってくる少女がいた。

「スズメ!」

「ツバメ!?」

 ツバメは嬉しそうにスズメの腕に縋り付く。市場で会ったスリの少女だ。

「こんなとこで何やってんのさ」

「なんだツバメ、知り合いか」

「市場で私を見逃してくれた話の分かる自警団のお兄ちゃんだよ」

 強面の男はツバメと知り合いなのか親しげに二人で話している。それに異を唱えたのはスズメが無理矢理引っ張ってきた男どもだ。

「話が分かるだって!? 冗談じゃねぇ!」

「俺たちのありさまをみてくれよ!」

 顔中を真っ赤に腫らせて宿木に拘束されている男達は口々に泣き言を漏らした。しかしそれに動揺するスズメではない。宿木の拘束を更にきつくして男達を締め上げる。

「お前らが女性一人を大勢で囲んで乱暴してたからだろうが」

「俺たちは自分の仕事をしてただけだ!」

「だからその仕事が問題なんだって。ま、下っ端のお前らに何を言っても仕方ねぇ。話は直接お前達のボスとつける」

「え、スズメ。それ本気で言ってる?」

 ツバメは朱いまん丸な目でスズメを見詰める。その顔にはしっかり信じられないと書かれていた。

「スズメがその気なら案内するけど・・・・・・」

「勿論本気。頼めるのか? ツバメ」

「うん、いいよ」

 どうやらマフィアのボスは、ツバメ達スリグループの元締めもしているらしい。ツバメの有難い申し出を受けることにして、スズメ達はツバメと強面の男一人についていった。因みに捕まえた男どもは屋敷の入り口に括り付けておいた。

 大仰な門を潜ってワインレッドの絨毯が敷かれた長い廊下を進んでいく。屋敷内に窓は一つも無く、廊下の両側の壁にはランプがずらりと並んでいる。薄暗い中オレンジの光に照らされて四人は歩き続けた。

 ホールに出るとそこから階段を登り、二階に上がる。たくさんの部屋を通り抜けた先、突き当たりに他の部屋のドアとは明らかに造りの違う扉が現れた。

「ここだよ」

「ボス、入ります」

 ツバメと強面の男が先頭に立って扉をノックする。入れ、という声が聞こえてきて、二人は扉を開いた。

「何の用だ?」

 そこに待っていたのは、黒髪に白のメッシュ、パンクなデザインのロングTシャツに大きめのカシミヤのコートを着て、レザーのパンツとブーツを履いている男だった。

 机の上に行儀悪く両足を乗せて寛いでいる。老齢の男かと思っていたが、年齢は若い。

「自警団の奴らがボスに話があると押し掛けて来たんです。うちの者が既に数人やられてます」

「でも私を見逃してもくれたんだ!」

 強面の男とツバメが説明をする中、スズメがハークを片手で引っ張りながら前に出る。

「やっぱり黒だったな」

「お前は?」

「自警団員のスズメだ。自警団の権限でお前達を逮捕する」

「へぇ。これは面白いな」

 マフィアのボスはにやりと笑い、スズメ達を順に見詰める。

「どんな容疑で捕まえるつもりだ?」

「麻薬取り締まり法違反だ。部屋のあちこちに置いてある植木鉢に生えている葉は大麻だろう」

「そうなのか? 全然知らなかったよ。これはただ気に入ったから育ててただけさ」

 大袈裟に驚いてみせるマフィアのボスにスズメはかちんときた。なんて癪に障る男なんだ。そんな言い訳で逃れられると思っているなんて笑止千万だ。

「お、おいスズメ・・・・・・」

「何ですか? 今忙しいんですけど」

「いや、これは非常にまずい状況というか・・・・・・」

 歯にものが詰まったような言い方で話すハークを訝しげに見上げると、マフィアのボスが徐に立ち上がった。机に土足で登り、こちら側に降りてくる。

「こっちの自警団員はよく分かっているようだ」

「何を・・・・・・」

「我々マフィアと自警団は裏で密約を交わしていてね。本来こんな真似は許されないんだよ。しかもうちの手下を可愛がってくれたんだって?」

 知らない事実が飛び出してスズメは思わずハークの顔を見た。気まずそうに逸らされる視線にマフィアのボスが言っていることは本当だと確信する。

 けれどマフィアと自警団が裏で繋がっているなんてにわかには信じられない。あのロムが支部長をしているのに、そんなことがあり得るのか。

「ロム支部長は知っているんですか?」

「勿論知ってる。密約自体は前の支部長と交わしたものだけどな」

「・・・・・・なるほど」

 前の支部長が交わした密約をそう簡単に破棄する方法が無かったのだろう。いつまでもロムがそのままにしておくとは思えないが、今のところ密約を反故にするほどの犯罪の証拠を掴めず手をこまねいている状況らしい。となれば、だ。今こそスズメの出番ではないか。

「どうせ新人自警団員の暴走だろうが、落とし前はつけてもらわないといけないな」

「落とし前をつけるのはあんた達の方だよ!」

 スズメはホルスターからサラセニアの種を取り出し辺りに撒き散らすと、ダンッと足を鳴らして床伝いに能力を発動させた。するとみるみるうちにサラセニアが成長して筒状の葉が地面から生え、ボスを守っていた男達を飲み込んだ。本来は虫を誘き寄せ捕食する食虫植物であるサラセニアは、スズメの力で大人の男でも余裕で飲み込める大きさに成長していた。筒の中は滑りやすく、毛が逆立って生えているので脱出するのは不可能だろう。

「おい、お前話聞いてたのか!?」

「密約がどうだとか知ったことか! 人を不幸にするような悪どい真似はやめろ!」

「はっ! じゃあ戦うか? この俺と!」

「上等だ!」

 麻薬や人身売買なんてあっちゃいけないことだ。たとえ裏社会をみてきたスズメであってもその非道は許せない。マフィアとして存続するにしてももっと人道的な方法で稼ぐやり方がいくらでもあるだろう。現にスズメの故郷ではマフィアは飲食店の経営やカジノ経営に精を出していた。自警団本部のお膝元ではそれ以上のことはできなかったといえばそれまでだが。

「久々に大暴れ出来るな」

 マフィアのボスは腕を回してこちらを見下ろしてくる。

「俺はトビ。このマフィアの若頭だ。精々死なないようにな」

 こうしてスズメの配属初日の任務が始まったのだった。


 ◆


 スズメはまず手下達にも使ったプリムラ・オブコニカの花を投げつけてトビを怯ませようとした。皮膚がかぶれるあの植物だ。しかし投げた花々はことごとく真っ赤な炎に焼き尽くされる。

「炎を使う称号持ちか!」

「そう。俺の称号、『葬儀屋』の称号は骨まで焼き尽くす業火を生み出す力だ!」

 スズメはゴールデンバレルカクタスというサボテンを壁のように一面に生やしてトビの攻撃をなんとか回避する。サボテンは八十パーセントから九十パーセント程が水分で出来ており、一度くらいならトビの攻撃を受け止めることが出来た。しかし防戦一方ではこちらが不利になる。どうにか敵の隙を作って攻撃を叩き込まなければ。

 そう考えていると、隣に立っていたハークが手元で何やらカチャカチャとやり出した。小さな鉄屑が淡く光り、そこにショットガンが現れる。

「便利ですね、それ」

「『鍛冶屋』の称号。武器を作り出す力だ。ていうかお前、啖呵切った割には敵との相性めちゃくちゃ悪いじゃねぇか!」

「勝算はあります!」

 スズメはサボテンを、ハークはショットガンを撃ちながら徐々に敵と距離を詰める。

「勝算って?」

「宿木ですよ」

「宿木? 他の植物みてえにすぐ焼き尽くされるんじゃねえか?」

「ならば焼かれない場所に植えればいい。この屋敷に来てからあらゆる場所に種を飛ばしておいたんです。いつでもどこにでも発芽させられるように」

 ハークはスズメの顔をじっと見詰める。そして数秒後はぁっと溜め息を吐くと手榴弾を作り出し、口で栓を抜いて放り投げた。

「お前のやりたいようにやれ! 援護はしてやる!」

「はい!」

 爆風に紛れ、スズメは走り出す。

 床に上がる火柱を飛び越え、サボテンが焼き尽くされた時に出来る水蒸気で手に火傷を負いながらも、なんとかトビの懐に飛び込んだ。今、トビの体内には知らぬ間に吸い込んだ宿木の種が入り込んでいるはずだ。それをスズメの力で発芽させたなら。

 トビの胸元に右手をあてて能力を発動させると、トビの動きが漸く止まった。

「あんたの身体の中に入った宿木の種を発芽させた。このままいくとどうなると思う?」

「な・・・・・・!?」

「内臓に直接植物が絡んで大変なことになるかもね」

「・・・・・・っ!」

 息を飲む敵にもうひと押しだと声に力を入れる。

「それで? 降参する?」

 スズメの琥珀色の目がトビの黒目を捉えると、悔しげに顔が歪められた。

「・・・・・・あぁ」

 肯定の言葉。

 暫しの沈黙の後、スズメは能力を解いた。その瞬間、トビはその場に崩れ落ちる。

「はぁっ、はぁっ」

「じゃ、取り敢えず全員逮捕ね。何やってたか洗いざらい吐いてもらうから」

 念の為植物の蔓で全員を拘束して、スズメはハークの方へ向き直った。

「さぁ、支部に帰りましょう!」

「本当にいい性格してんな・・・・・・」

 ほぼ一人でマフィアを一網打尽にしておきながら清々しい笑顔で言うスズメにハークは顔を引き攣らせる。

「ていうかお前なんでこんな力持ってて、悪口に反論しなかったんだよ!」

「え? 興味がないので」

「は?」

「どうでもいい人に何を言われてもどうでもいいと思いません?」

 首を傾げておどけてみせると、ハークが真っ赤な顔で怒り始めた。

「何だよそれ! 可愛くねー!」

「可愛くない後輩ですみませんね」

 喚く先輩にスズメはぺろりと舌を出して少し微笑んだ。


 ◆


「よくやってくれたな。ハーク、スズメ」

 自警団支部に戻って報告を終えると、ロムは労いの言葉を口にした。口元に笑みを湛えて、机の上で両手を組んでいる。自警団と密約を交わしていたマフィアをぶっ潰してきたと言っても少しも驚いていないその様子に、スズメは不審な目を向ける。

「まさか初めから私が勝手な行動でマフィアに手を出すって分かってました?」

「スズメは正義感が強いし、実力もある。遅かれ早かれマフィアの悪事と遭遇して対処してくれると思っていたよ」

「そこまで分かってたなら教えて欲しかったんですけど」

 不貞腐れるスズメに、ロムは僅かに口角を上げた。

「まぁいいじゃないか。これでハークにも君の優秀さが伝わっただろう? 自警団としても目の上のたんこぶだったマフィアが壊滅して大助かりさ」

「なんか手のひらの上で転がされてる気がする・・・・・・」

 落ち込むスズメの背中を隣に立っていたハークがばしっと叩く。そして何も言わずにその場を去って行った。

「な、何なんですか! あれ・・・・・・」

「ハークがあなたを認めるって。そういう意味よ」

「はい、お茶」と湯呑みを差し出してきたのは、同じ自警団で働くコマドリという人だ。

 長い空色の髪を編み込んで、その所々には花が差してある。首に金と瞳の色と同じオレンジ色の宝石で出来たチョーカーをつけ、オレンジのショールを巻いて、白い服に先が丸まった青いズボンを履いていた。自警団の制服ではない服装に、スズメは首を傾げる。

「コマドリさんはどうして自警団の制服じゃないんですか?」

「あら、私、自警団員じゃないのよ?」

「ええ!?」

 驚いて声を上げるスズメにコマドリはクスクスと可愛らしく笑った。

「私、ハークのお手伝いをしたくてくっついてきたの。名目上は自警団を手助けするボランティアみたいなものかな」

「ハークさんを? どうしてそこまで・・・・・・」

「ふふふ。そうね。あなたにはハークの良いところを知ってもらいたいし少しお話ししましょうか」

 そう言ってコマドリはスズメに椅子を勧めた。

「その話少しですまないやつだよ。気を付けてね、スズメ」

「え」

 ロムに書類でぽんと頭を叩かれて慌てて振り返ると、ロムはもう執務室を出るところだった。

「ハークとコマドリの長ーいラブロマンスを聞かされるから。東方支部名物だよ」

「あら、支部長は意地悪ね」

「本当のことでしょ。僕は上に報告してくる」

 ごゆっくりと付け加えてロムはぱたりと扉を閉めて行ってしまった。執務室に残るのはスズメとコマドリ二人きり。どうやら長い話に付き合わないといけないらしい。

 スズメは仕方なく木製の椅子に腰掛けた。コマドリもその向かいにゆったりと座る。そしてハークとコマドリの馴れ初めを語り始めた。



 ◆第三章◆


 東の都から西に数十キロ行った小さな町。その町の郊外に真っ白な石で出来た塔が聳え立っている。十メートルはあろうかという高さ。そしてその最上階の一室がコマドリの世界だった。

 天井から吊るされた鉄製の鳥籠の中。鳥人用に作ってあるとはいえ、成人した今では両脚を伸ばして座ればいっぱいいっぱいの狭さ。そんなところにコマドリは生まれた時から監禁されていた。

 世話役は町で煙たがられている孤児達。当番制で代わる代わる食事を運んだり、服を持ってきたりしていたが、皆コマドリの事を恐れている様子で用事が終わるとさっさと去ってしまう。

 必要最低限のものだけを与えられて、鳥籠から見える小さな窓から空を見て。それがコマドリの全てだった。

 小さな頃は分からなかったけれど、コマドリがこんな風に扱われているのには理由があるらしかった。なんでもコマドリの持つ能力に関係しているらしい。それに気付いたのは偶々鳥籠にやってきた小動物に出会ってからだった。

 朝目覚めると足元に可愛らしい、茶色い毛が生えた生き物がいて、どんぐりを齧っていた。尻尾は長くて先が丸まっていて、歯が出ており、目は真っ黒で真ん丸。初めてみる生き物にコマドリは目を丸くする。

「可愛いね。おいで」

 呼び掛ければ、言葉を理解しているようにコマドリの手のひらに乗ってきた。その愛おしさに思わず笑みが溢れる。

 コマドリが朝ごはんにと運ばれていたパンのかけらを差し出すと、その動物はすんすんと匂いを嗅いで安全を確かめた後、パクリとパンくずを咥えてまた床に戻った。

 どんぐりを持ったままパンも咥えている姿は随分な食いしん坊に見えて面白い。

 コマドリは自分も朝ごはんを食べながら、茶色い毛玉がパンとどんぐりを平らげる様をずっとみていた。胸の中がじわじわとあたたかくなる。結局その日は食べ終えると窓から去っていってしまったが、その日からその動物は度々コマドリの鳥籠にやってくるようになった。話し相手すら居なかったコマドリに小さな友達ができたのだ。

 それが嬉しくて嬉しくて、コマドリはその子がいつ来てもいいように少しパンをとっておくようになった。

「今日も来てくれたの?」

 早朝、窓からひょっこりと顔を出した小動物にコマドリは笑い掛ける。

「ほら、お食べ」

 パンを差し出すとその子は嬉しそうに寄ってきた。

 小さなお友達と仲良くなってからの穏やかな日常。心が満たされていく感覚。その中で不意にコマドリの中に歌が生まれた。

 誰に教えられた訳でもないのにメロディと歌詞が頭に浮かんでくる。コマドリは心の赴くまま、そのメロディを口ずさんだ。

『枯れた砂漠に命が芽吹く―――はじまりの種再び落ちて―――』

 頬が紅潮して歌声は滑らかにのびる。

 歌っているうちに自分はこの為に生まれてきたという確信が大きくなった。その時の心地良さはとても言葉では言い尽くせない。しかし幸せな時はすぐに終わりを告げた。

「あれ、ねぇ?」

 歌い終わってお友達の様子をみると、その子は此方を見上げたまま呆けて微動だにしなかった。

「どうしたの?」

 撫でても、新しいパンを差し出しても動かない。息もしているし心臓も動いているのに瞬き一つしないのだ。

「どうして・・・・・・」

 呟いてはっと口に手をあてた。

『歌』だ。

 あの歌のせいでこの子は正気を失ってしまった。

 コマドリの持つ能力にあてられたのだ。それを本能で理解したコマドリは悲しみに暮れた。大切な友達だったのに。なんて事をしてしまったのだろう。

 コマドリはそれから毎日小動物に呼び掛け、水を与えようとしてみたり、ご飯をあげようとしたりした。けれど小さなお友達は変わらず動かぬまま。祈っても祈っても願いは届かず元に戻らない。痩せ細り続ける小さな身体。そしてある朝ついに死んでしまった。

「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・」

 コマドリは泣きながら謝ってお友達の亡骸を綺麗な小箱に入れた。埋葬したくてもコマドリはここを出られない。だからせめて美しい棺桶に入れてあげたかったのだ。

 そして箱に鍵をかけると同時に今後一切歌は歌わないと誓った。もう誰も傷付けないように。

 しかし思いとは裏腹に力はどんどん増していった。時にはコマドリの声を聞いただけで廃人になってしまう者まで出始める始末で、このままではコマドリの世話をする孤児がいなくなってしまうというところまできてしまった。町人たちは話し合いの結果、コマドリに筆談を教えるべく、文字を教える先生を無理矢理塔に派遣した。

「いいですか、絶対に声を出してはいけません。文字の読み書きを覚えることだけを考えなさい」

 教師はいつも怯えながら文字の読み書きを教えた。コマドリが少し息を大きく吸い込んだだけで「ひっ!」と悲鳴をあげ、「この化け物!」と罵る。けれどコマドリは黙って読み書きの習得に専念した。一年も経つと難しい本もすらすら理解できるようになり、漸く解放された教師は意気揚々と去っていって二度と姿を現すことはなかった。

 それからコマドリは世話係と筆談でやり取りするようになった。と言っても雑談などではない。あくまで必要最低限の会話だけだ。その頃にはコマドリは自分がどのような存在なのか理解していたから、それを不満に思うこともない。ただ毎日が早く過ぎ去っていきますようにと願うばかりだった。


 ◆


 平穏な日常が再び壊れたのはコマドリが成人を果たしてから三年目のことだった。

「お前が『塔の悪魔』か?」

 金糸の髪にバンダナを巻いて、新緑の瞳にエメラルドのピアス。褐色の制服に身を包み、袖をたくし上げた青年が、いつも世話係が入ってくる扉からやって来た。

『誰?』

 コマドリは驚きつつも紙にペンを走らせ、相手に書いたものを見せた。

「俺はハーク。自警団員だ。今日は通報があってここにきた」

『通報?』

「塔の悪魔を退治してくれ、だと。何でもその悪魔の声を聞いた鳥人はことごとく廃人になっちまうらしい。自分達で退治すると呪われるからって理由で自警団に話が回ってきたんだ」

 自警団は人を殺したり出来ないのにな、とハークは面倒そうに頭を掻く。

「それで? どうなんだ。悪魔ってのはあんたのことなのか?」

『皆が私をそう呼んでいるのははじめて知ったけれど、きっと私のことで間違いないわ』

「というと?」

『私の持つ『歌姫』の称号の力は、歌を聞いた生き物の心を壊すの。最近では力が強まって声を聞いただけで廃人にしてしまうわ』

 この話を聞いたら目の前の人も私を怖がって逃げ出すかもしれない。また『化け物』って言われるかも。紙を持つ手が震える。恐ろしさにぎゅっと目を瞑って次の言葉を待つが、降ってきたのは予想だにしていない言葉だった。

「困ったなぁー」

『・・・・・・』

「その言い方だと自分の意思とは関係無く能力が発動している感じだよな。能力制御の方法を一から教えないといけない訳か」

 ハークは長丁場になると前置きして右手を差し出してきた。何が起きたのか分からず固まっていると無理矢理手を掴まれて握手させられる。

「これからちょくちょく様子見に来るから。よろしくな」

 熱い手の感触にコマドリは目を白黒させる。

 それがコマドリとハークの出会いだった。


 ◆


「いいか、能力の発動には感情が深く関わってる」

『・・・・・・』

「怒っている時、悲しんでいる時、楽しい時。感情の波が大きいと能力も暴走しやすい」

 窓辺に座って力説するハークに、コマドリはなんとなく正座をしてしまう。コマドリに読み書きを教えた教師でさえこんなに熱血漢ではなかった。

「こんなところにいるからだ。普段何も感じないから誰かと接しただけで能力が発動しちまう。だから、だ! これから沢山色々経験して感情の振り幅を小さくする練習をする!」

 びしっと人差し指を向けられてビクッと肩が跳ねる。このハークという人物は今までコマドリが出会ってきたどの鳥人とも違う。コマドリを怖がらず、突飛な発言や行動をして驚かせてくる。それに戸惑いながらもコマドリは必死にハークの講座を聞いていた。

「といってもなぁ。この町のお偉いさんがお前を外に出すの反対してんだよな」

『町の偉い人?』

「お前町ぐるみで監禁されてんだぜ。酷いよな。能力の使い方さえ教えてやりゃ危険なことなんて何一つ無いのに。頭が固いったら」

 酷い、のだろうか。生まれてからずっと監禁生活をしてきたコマドリにはよく分からない。でも必要な事だとは思う。だって危険だから。だから閉じ込めておかなければいけないんだ。ハークは能力の使い方を覚えれば大丈夫だと言うが、そんなはずはない。自分は町人達が言うように『化け物』なのだ。

 コマドリが沈む一方、ハークは町の長老達と随分とやり合ったのか眉を顰めて物草と文句を垂れる。しかしやがていい案がみつかったのか、ぽんと片膝を叩いて立ち上がった。

「そうだ! みせるのは無理だけど話なら聞かせられるぜ!」

『話?』

「そう! 俺がみてきた世界、任務で経験したこと! 話して聞かせるからよ! 頭の中で想像してみろ!」

 ぐっと拳を握って突き出したハークはにっと笑ってみせた。

「飯も一緒に食うぞ! コミュニケーションは大切だからな!」

 それからコマドリの生活は大変賑やかなものになっていった。


 ◆


『物好きな人ね。また来たの?』

 コマドリは紙に書いてハークにみせた。

「外の世界の話また聞きたいだろ?」

『・・・・・・』

 コマドリは黙りこくったまま、肯定も否定もせずに膝を抱えて座る。ハークはそれを勝手に肯定と捉えて町人に用意させたらしい椅子を手繰り寄せて座った。

 このところハークは毎日コマドリに会いに来る。外の世界がどんなところか話してくれたり、写真を見せてくれたり。時にはコマドリ自身の話を聞きたがった。

 正直に言うとコマドリは困っていた。今までがそうだったように全てのことには終わりがくる。ハークといるのは楽しい。でもこの毎日もいつか終わってしまうのだ。

 それがとても恐ろしい。更に恐ろしいのは自分がハークを傷付けないかということだ。小さなお友達のように廃人にしてしまったらどうしようとコマドリはいつも気が気ではなかった。そんなコマドリの思いも露知らず、ハークは今日も笑顔だ。両手を忙しなく動かして、コマドリの知らない世界の話を紡いでいく。

「なぁ聞いてるか?」

『え?』

「なんかぼーっとしてるからさ」

 心配そうにコマドリの顔を覗き込む新緑の目に居た堪れなさを感じて視線を逸らす。

 しかしそれだけでコマドリの不安や怯えが伝わってしまったらしい。

 ハークはふっと笑うとコマドリの両手を取った。

「大丈夫」

 その声はコマドリの心に染み入るようにどこまでも優しく響いた。まるで凪いでいた水面に花が一輪落ちて波紋を起こすように。

「お前はもう誰も傷付けたりしない。怯えなくて大丈夫だ」

『・・・・・・っ』

「信頼してついてきてほしい」

 両手を一回り大きな手で包み込まれた瞬間、コマドリが今まで見ないようにしていた感情が決壊する。涙腺がおかしくなってひとりでに涙がぼたぼたと溢れ落ちた。声を押し殺して泣くコマドリをハークが檻越しにそっと抱き締める。初めて知る人の体温。そのあたたかさにまた目頭が熱くなって、結局その日は日が落ちるまでハークのぬくもりに甘えていた。


 ◆


 この気持ちを何と表すのだろう。最近ハークを見ると胸の奥がきゅっと締め付けられるような心地がして、心臓はドキドキと早鐘を打ち出すし、顔が勝手にほてってくる。それに何だかハークが輝いて見えるのだ。もしかして何かの病気かもしれない。

 でも何となくこの現象をハークに相談するのは恥ずかしくて、ハークが帰ってからコマドリは本を読み漁った。論文、エッセイ、詩、ファンタジーにロマンスもの。その中でコマドリは一つの答えに辿り着いた。

「恋?」

 そうか、これは『恋』というのか。ロマンス小説を真剣に読み込んで、コマドリは妄想を膨らませる。恋をしたら人は相手に告白というのをするらしい。そして相手も同じ気持ちだったら二人は恋人同士になる。恋人同士になって、相手と一生を添い遂げたいと思ったら、結婚して家族になる。教会で素敵なドレスを着て、みんなの前で愛を誓い合うのだ。

「素敵!」

 コマドリは小説の挿絵を指でなぞった。ステンドグラスのはまった美しい教会で二人が幸せそうにしている様子が描かれている。自分もハークとこうなれたら。

「ハークは私のこと好きになってくれるかな?」

 コマドリは呟くと、手元にある鏡を覗き込んだ。

「少し髪が傷んでいるかしら?」

 長い髪を手で触れて確かめる。明日ハークと会う時までにきちんとお手入れしなくっちゃ。コマドリは髪に塗る香油を手に取ると編んでいた髪を解く。

 早く明日が来ないかなとコマドリは一人顔を綻ばせた。

 ◆


 柔らかい春の日差しの中、二人は今日も言葉を交わす。会話するといってもコマドリの方は筆談だが。

 ハークの話は面白い。最近は専ら任務で起こった出来事が中心だ。

「それで咄嗟に敵の足元に鉄板を作ったんだ。思いっきり引き抜いてやったらみんな見事にすっ転んでよ」

 でもついでに俺もすっ転んじゃってさー、とハークは頭を掻いた。

『大丈夫だった?』

「全然大丈夫! でも茂みに突っ込んでくっつき虫だらけになっちまったんだよな」

『くっつき虫って何?』

「植物の種だよ。チクチクしてて服にくっ付くとなかなか取れねぇんだ。これがそん時の写真」

 差し出された写真には緑色のチクチクの塊をたくさんくっ付けたハークの姿が写っていた。周りには沢山の人達。皆ハークと同じ制服を着ている。きっとハークの仕事仲間だろう。ハークは仲間に揶揄われているのか顔を真っ赤にして何やら喚いているみたいだ。その姿が可愛らしくてコマドリは思わず笑ってしまった。

『おかしな話。でもとても好きよ』

 ふんわりと微笑んでみせると、何故だかハークの顔が赤くなる。

「初めて笑った・・・・・・可愛い・・・・・・」

『?』

「いや! 何でもない!」

 ハークは両手をぶんぶんと振って目をぎゅっと閉じた。どうやら照れているらしい。

 そわそわ立ったり座ったりして忙しない。しかし今重要なのはそこではない。聞き間違いでなければ先程『可愛い』と言われた。ハークに可愛いと思ってもらえたのだ。

 それが嬉しくて、コマドリはもじもじしながら髪の毛を指にくるくると巻き付けて弄んだ。

「きょ、今日はもう帰る!」

『え、でも・・・・・・まだ来たばかりなのに』

「ごめん!」

 ハークは九十度のお辞儀をすると、扉からではなく窓から去っていく。暫くしてドスンと言う音と「痛っ」という声が聞こえてきた。相当動揺しているらしい。

「嫌われた・・・・・・ってことは無いわよね。ハークは凄く照れ屋さんなのかしら?」

 コマドリはハークの残していった写真を手に取って眺める。やはりコマドリの王子様はとてもチャーミングだ。そうしてその写真を大切に抱き締めると、先程の出来事を反芻する。ハークに可愛いと思ってもらえるなんて夢みたいだ。

 彼は明日も来てくれるだろうか。もし告白されたらどうしよう。いや、それはまだ気が早いだろうか。彼にもっと愛されるにはどうしたらいいだろう。ああ桃色の妄想が止まらない。コマドリはその日一日どこか夢見心地のまま、どうしたらハークも自分と同じ気持ちになってくれるかということだけを考えて過ごしたのだった。


 ◆


「髪、良し! お肌の手入れ、良し! お洋服、良し!」

 コマドリは朝から入念に身支度を整えてハークを待っていた。何度も鏡で確認して、笑顔の練習もする。これがここ最近のコマドリの日課だった。

(今日は可愛いって言ってくれるかな?)

 コマドリは鳥籠の中から窓の外を眺めて物想いにふける。あの日初めてハークの前で笑顔を見せてからハークはずっとそわそわしている。視線を彷徨わせ、真っ赤になって早口になったり、かと思えば一言も発さずに俯いたりもする。あの日から可愛いとは言ってくれないが、コマドリに対して何か新しい感情を抱いているのはきっと間違いない。コマドリはその感情が自分と同じものなのかずっと確かめたいと思っていた。

 一人思案していると、扉を軽くノックする音が響いた。いつもの時間。ハークだ。

 コマドリは居住まいを正して、扉を開けたハークに笑い掛ける。

『おはよう』

「あ、あぁおはよう」

 ハークは少し俯いて返事する。笑顔の練習をした甲斐があったらしい。ハークの耳は真っ赤だった。コマドリはハークの見えないところで小さくガッツポーズをして、上目遣いにハークを見詰める。

 よく見るとハークは背中の後ろに何かを隠しているようだった。

『?』

 コマドリが不思議そうな顔をすると、ハークははっと顔を上げて後ろに隠していたものをコマドリの目の前に差し出す。

「これ、やる! 綺麗だろ?」

 ピンク色のポピーの花。外で摘んできてくれたのだろう。受け取った時に触れた手は汗で濡れていて、ハークがとても緊張しているのが分かった。これはあれだ。ロマンス小説で読んだのと同じシチュエーションだ。そう考えるとコマドリの心は踊った。

『ありがとう。とっても嬉しい』

 うっとりと受け取ると、

「いや、へへ・・・・・・照れるな。俺こういうの慣れてねぇんだ」

 ハークは赤面しながらもコマドリに微笑み、手を取った。

「ずっと言いたかったことがあるんだ」

 ああついに! とコマドリは歓喜した。夢にまでみた告白の瞬間が来るのだ。コマドリはぎゅっとハークの手を握り返した。

「お前のことが好きだ」

 時が止まる。

「・・・・・・」

『・・・・・・』

「えーと、好きっていうのはだな、つまり・・・・・・」

 ハークは自分で言っておいて照れが限界点を突破したのか、ごにょごにょと何かを呟いている。しかしコマドリはそれどころではなかった。

 ハークから告白された。

 胸が熱くなるのを感じる。やっと、両想いになれたのだ。

 あぁ早くこの想いを伝えなければ。コマドリは檻越しにハークに抱き付いて目を潤ませた。

「私もずっと好きだった! 嬉しい!」

 ハークも無言でコマドリを抱き返す。

 凄く幸せだった。その瞬間までは。

「そこまでだ! 自警団員を誘惑するとはこの悪魔め!」

 ハークとコマドリしかいなかった世界に第三者の怒号が響く。扉を蹴破ってやって来たのは町の男衆だった。


 ◆


「おのれこの悪魔! 覚悟しろ!」

 男衆は松明を持って怒りを露わにしている。何が何だか分からないハークは慌ててコマドリの前に出て両手を広げ、コマドリを庇った。

「ちょっと待ってくれ! コマドリはついさっき能力の制御を覚えたんだ!」

「自警団員さん。俺たちはそいつに力の使い方を教えろなんて言ってねぇ。始末してくれと頼んだんだ!」

 男衆はそう言うと辺り一面に油を撒き散らす。

「何をしているんだ!」

「その悪魔も母親と同じだ! こうなれば仕方ない! 二人とも焼き殺すしかない!」

「母親と同じ!? どういう事だよ!」

 訳のわからないことを言いながら火をつけようとする男をハークは必死に止める。

 すると男衆の中から若い男に背負われた老齢の男が前に進み出た。この町の町長だ。

「私から説明しよう」

「町長!」

 別の男が止めようとするのを町長は片手を上げて制する。

「この男も自分が殺される理由くらい知りたいだろう」

「俺があんたらに殺されるだって?」

「この悪魔の誘惑にかかってしまったならもう救いようがない。気の毒だがあんたもここで死んでもらう」

 町長の言葉を合図に男はハークにも油を浴びせかけた。どうやら本気で自警団員に手を出すつもりらしい。これは少々大暴れをしても正当防衛で許されるなと考えつつ、ハークは町長の言葉に耳を傾ける。

「こやつの母親も同じ能力を持っていた。美しい歌声で魅了し廃人にしてしまう能力。余りにも危険過ぎる。町に災いをもたらす力だ。だから秘密裏にこの塔に監禁していた。しかしある時、世話係の男を誘惑し子を授かったのだ」

 コマドリが生まれる前の話。ハークはその内容よりも、コマドリの心が心配だった。

 この町にはコマドリの両親の姿はなかった。となれば。

「コマドリの両親を殺したのか」

「勿論だ。世話係も母親も処刑した。当然だろう。これ以上に子を授かって厄介事を増やされてはたまらん」

 厄介事というのは、能力を持つ鳥人がこれ以上増えるのは困るということだろう。

 なんて浅はかな。今の能力研究では、称号持ちは一家系に一人しか生まれないと判明している。もしコマドリの母親が生きていればコマドリに能力は発現しなかった筈だ。それなのに、何も知らずに監禁して殺害して。この町は今までにどれだけの罪を重ねてきたのだろう。

「本当はその時に赤ん坊も殺すつもりだったのだ。しかし母親は最期に我々を呪って言った。子供にも能力は遺伝する。子供を傷付けたり殺したりしたら町に大変な災いが降りかかると!」

「だからずっとコマドリを監禁していたのか!」

「殺せぬならばそうするしかあるまい!」

 町長は男衆に命令してあちこちに火をつけ始めた。

「今までは母親の言葉もあって手をこまねいておったがもう我慢ならん。これ以上数を増やすつもりなら、二人とも処刑だ!」

 そう言い残して町民達は足早に去っていった。慌てて追いかけるが、扉に鍵をかけられてしまう。

「ちくしょう! あいつら!」

 火の回りが早い。ハークは油のかかった上着を脱ぎ捨てて、急いでポケットの中に忍ばせていた釘を取り出し力をこめる。ハークの『鍛冶屋』の称号の能力はあらゆる武器を作り上げる。出来上がったのは斧だ。

 ハークはその斧を持って思い切りコマドリのいる鳥籠の錠前に叩き付ける。

『ハーク逃げて!』

「偉いな、コマドリ。あいつらの前で動揺してても能力を使わずに我慢出来たな」

『そんなこと言ってる場合じゃないわ! 火が!』

「大丈夫」

 ガンガンと何度も斧を叩き付けるうちに鳥籠の錠前や鉄柵が変形してきた。もう少しだ。

「必ず助けるし、俺も死なねぇー!」

 カランッ! という音と共に錠前が落ちる。軋む扉を無理矢理開くとハークは手を差し出した。しかし、コマドリは奥の方へ後退り、ぺたりと壁に背中をつける。

「コマドリ、怯えなくて大丈夫だ。気付いてないかもしれないが、男達がやってくる前、お前は能力を使わずに話してた」

『・・・・・・!?』

「『私もずっと好きだった。嬉しい!』って言ってくれただろ?」

 そう言われてコマドリははっと自分の口に手をあてた。確かに声に出して言っていた。告白に夢中で全然気付いていなかった。

「俺を見ろ! 何ともない! ちゃんと能力の制御が出来ている証拠だ!」

 ハークは鳥籠に入り、コマドリの腕を掴むとぐいっと手前に引き寄せる。

「近づかないで! 私の力であなたも傷付いてしまう!」

「大丈夫だ」

 バランスを崩したコマドリを受け止めてハークは微笑んだ。

「コマドリ、お前はそんなことしない」

「あ・・・・・・」

 ハークの言う通り、コマドリの声を聞いてもハークが廃人になることはなかった。

 以前のように勝手に力が漏れ出す感覚も無い。

「ま、愛の力ってやつだな」

 ハークは少し冗談めかして言って、コマドリを横抱きにして抱え上げた。

「きゃっ!」

「扉の方は火が回ってもう駄目だ。窓から飛び降りるぞ!」

「飛び降りるってこの高さから!?」

「大丈夫、大丈夫」

 ハークは再び釘を取り出すと、そのまま窓から飛び降りた。コマドリは思わず目を瞑ってしまう。しかし次の瞬間訪れたのは地面に叩き付けられる痛みではなく、上に引っ張られるような浮遊感だった。

「これは・・・・・・?」

「パラシュート。俺が能力で作れるのは攻撃性の高い武器だけじゃ無い。装備品だって作れるんだ」

 盾とかバリケードとかな、と得意げに言ってハークはコマドリを抱えたまま華麗に地面に降り立ってみせた。

「さーて、じゃあ町民達にきっついお灸を据えるとしますか!」

 ハークの新緑の目は怒りで爛々と光っている。次の瞬間、彼の右手にはスタンガンが握られていた。


 ◆


「これで一丁上がりだな」

 ハークは町民全員をスタンガンで怪我させることなく捕まえると、皆に縄をかけた。

 今はみんな広場に集められてぐったりと首を垂れている。そこにはコマドリが廃人にしてしまった孤児達もいて、相変わらずぼんやりと虚空を見詰めていた。コマドリはそれをみつけると、ゆっくりと彼らに歩み寄る。かつて小さなお友達を失った時とは違う。どうしたらいいかコマドリにはよく分かっていた。

 コマドリはすぅっと息を吸い込むと歌いはじめた。

『さぁもどれ諸人よ―――命の木の下に―――』

 町長達は即座に顔を青くし仰け反ったが、コマドリは歌をやめない。そのうち廃人となっていた子供達がぱちっと瞬きをし始めた。意識が戻ったのだ。

「コマドリ・・・・・・」

「戻し方、分かったの」

 驚くハークにコマドリは短く返した。心には確かな痛みが広がっている。あの時この方法がわかっていたら、お友達も救えたのに。しかし後ろばかり向いていられない。

 前を向く生き方はハークに教えてもらったから。

「今までごめんなさいね」

 コマドリは孤児達に一言詫びると、ハークの元に歩み寄った。

「・・・・・・全部終わったな」

「ええ。町の皆はどうなるの?」

「人を二人も殺してるんだ。自警団の駐屯地まで連れていって事情聴取だな」

 ハークは苦々しい顔をした。恐らく両親のことでコマドリに気を遣っているのだろう。確かに悲しくはあるが顔も知らない親のことだ。正直に言うとまだあまり事態を飲み込めてはいない。

「ハークはどうするの?」

「支部に戻って、任務が来たら出掛けて・・・・・・またその繰り返しさ」

「じゃあ私も連れて行って」

 コマドリが言うと、ハークはばつが悪そうに背中を向けた。

「コマドリ。お前は自由だ。何処へでも好きなところに行ける。俺と一緒に来る必要はない」

 返ってきたのは予想外の言葉だった。ハークの声は固く、しかし少し震えていて、手は爪が食い込む程に握り締められていた。

「今更私を放り出すの?」

「・・・・・・」

「好きって言ってくれたのは嘘だったの?」

 少し前の幸せな時間を思い出すと胸が張り裂けそうで視界が揺らぐ。

「好きだからこそ、だ。今度は自分の足で行きたいところへ行って見たいものをみれる。その自由を他でもない俺が奪う訳にはいかない」

「私の行きたいところは、ありたい場所は、ハークの隣だよ!」

 肩を揺すっても、ハークは俯いたままだ。酷い、酷い。そんなの酷すぎる。

「嘘吐き! ハークのお嫁さんにしてくれるって言ったのに、任務が終わったら去っていくのね!」

「よ、嫁!? そこまでは言ってない気が・・・・・・!」

「本で読んだもの! 好き合ってる者同士は結婚するんだって! うわーん! もてあそばれた!」

「ち、ちがう! もてあそんでなんかない!」

 コマドリはハークがくれた花を握り締め、泣き喚いた。ハークはというとあわあわと慌てて、必死にコマドリを泣き止ませようとしている。

「お前は俺以外の鳥人をまともに知らないだろ! もしかしたら俺じゃないやつを好きになる可能性だってある」

「ならないもん! 私を助けてくれたのはハークなんだから!」

 コマドリの王子様はハークだけだ。外の世界への道を開いてくれた、初めてコマドリに触れてくれた人。だからその気持ちを他でもないハークに疑われたくなかった。

 悲しくてやるせ無くて、コマドリはハークの胸に飛び込む。ハークは恐る恐る肩を抱いてくれた。

「本当に俺でいいのか?」

「ハークがいい! だから離さないでよ!」

 コマドリがはっきりそう言うと、ハークは分かったと呟いてコマドリをぎこちなく抱き締めた。二人の間でコマドリが握っていたピンク色のポピーが風に揺らいでいる。

 暫く二人は無言で抱き合っていた。


「あー、お二人さん。その、もういいかな?」

 そこに水を差したのは白髪の自警団員だった。いつからいたのか、居心地悪そうに視線を逸らして突っ立っている。ハークとは違い、長いマントを羽織っていて、胸の勲章もたくさん並んでいた。

「ロム!」

「ロム支部長、ね」

「誰?」

 コマドリが尋ねると、ハークはロムを自分の上司だと紹介した。コマドリの目が輝く。これはチャンスだ。この人に直談判すれば、きっと。

「私、コマドリって言います。『歌姫』の称号を持っていて、私の歌声をきくと皆一時的に廃人のようになるの」

「ハークの報告できいているよ。はじめまして」

 差し出された手を掴んで大きく上下に振る。そして真剣な目でハークとロムを見詰めると、

「私、ハークの役に立ちたいんです! どうか私を自警団に連れていってください!」

 人生で一番大きい声でそう嘆願した。


 ◆


 結果としてコマドリの願いは聞き届けられた。自警団を補佐するボランティアとして支部への出入りが許されたのである。

「ああそうだ。これ、渡しておくから着けてね」

「これは?」

 ロムから宝石のついたチョーカーのようなものを渡されてコマドリは首を傾げる。

「制御装置だよ」

「制御装置?」

「君は能力制御がまだ不安定だからね。それをつけている間は能力が暴走しにくいから、常時着けていて欲しい」

 ロムが説明すると、横から目を吊り上げたハークが割って入ってくる。

「コマドリにそんなもの必要ない! こんなもので縛るのはやめてくれ!」

 どうやら折角自由になったコマドリを縛るような真似が許せないらしい。しかしコマドリは小さく首を横に振った。

「いいの。私これ気に入ったわ。これで安心して暮らせるもの」

 それにほら、可愛いでしょう? と笑うと、ハークは納得のいかない顔で口を閉ざす。

 かくして自警団東方支部にコマドリという新しい人員が増えたのだった。


 ◆第四章◆


「それがハークと私の出会い」

「ほ、本当に長かった・・・・・・しかも途轍もなく恥ずかしいラブロマンスを聞かされた・・・・・・」

 照れるコマドリとは対照的にスズメは顔を引き攣らせた。あの無骨な性格のハークがそんな大恋愛をしたとは、にわかには信じられない。しかし言われてみればハークはコマドリに対してだけは優しいのだ。声のトーンが明らかに違うし、支部へ戻ってコマドリにおかえりと言われると笑顔を向けさえしていた。だからコマドリの言うことは真実なのだろう。

「コマドリさんの戦う理由はハークさんと共にあることなんですね」

「ええ」

 コマドリは胸の前で両手を重ねて頷く。

「――スズメくんはどうして戦うの?」

 囀るような美しい声と共にトパーズ色の澄んだ目が此方に向く。コマドリも共に戦う仲間。コマドリにだけ話させてスズメが自分の話をしないのはフェアじゃないだろう。余り他人に話したい内容ではないが、信頼関係を作るには必要なことだと思った。

 スズメは意を決して口を開く。

「はじめは仲間たちを真っ当な道に進ませたいと思ったのがきっかけでした」

「仲間達?」

「私はスラム出身で、小さい頃は歳の近い孤児同士で寄り集まってスリなんかをして生計を立てていたんです。けれど俺の称号にロム支部長が目をつけて、俺が自警団に入るなら仲間の面倒をみてやるって」

 仲間達は皆、生まれ育った土地で元気にやっている。時々届く手紙では結婚して子供を授かった者や事業に成功して自分の家を持った者もいるようだ。孤児の面倒をみる施設も正式に建てられて、漸くスズメの肩の荷も下りた。

「まぁ、じゃあ支部長とは昔からの知り合いなのね」

「はい」

 少し驚いた様子のコマドリに、あの人何も話してないんだなと呆れながらスズメは首を縦に振った。知り合いであることくらい話しておいてくれてもいいのに。昔からロムは言葉足らずな人だ。

「でも今の理由は少し違う」

 スズメは静かに目を閉じた。

「昔とてもお世話になった人がいたんです。その人は私に色々なことを教えてくれて、命をかけて愛してくれました」

「命をかけて?」

 ヨルとの様々な思い出がスズメの頭の中を巡る。勉強を教えてもらったこと。抱き締めて頭を撫でてもらったこと。時には厳しく叱り、頑張った時には輝くような笑顔で褒めてくれたこと。

 そしてあの雨の日。鴉族の私兵団と自警団が争う中、自分の代わりに血溜まりに眠るヨルの姿も。

「・・・・・・その人は私を庇って死んでしまったんです。でも私は、その人の思いを引き継ぎたい。あの人の夢見た世界を実現したい」

 ヨルはいつも平和を望んでいた。どうかその願いが彼の死と共に途切れてしまわないように。皆がヨルの声を、姿を忘れてしまっても、彼の望んだ光がずっとみんなの中で輝き続けるように。

「それが自警団で戦う理由?」

「いえ、世界を変える理由です」

 スズメはすうっと深呼吸をして真っ直ぐコマドリを見つめた。

「昼行性と夜行性の垣根を失くす。差別も争いもない世の中。そんな世界にしたいって。するんだって。それが命を守ってもらった者の責任だと思うんです」

 ヨルの願いはそのままスズメの願いだった。それほどまでにヨルの死はスズメの心に大きな爪痕を残し、また奮い立たせる原動力にもなっていた。

 もう誰にも負けない。世界が望む形に変わるまでは決して。

 スズメの決意が通じたのか、コマドリは「そう」と呟いた。そして不意に扉の方へ視線を移した。つられてスズメも扉に目を向けると、いつの間にそこにいたのか両腕を組んだハークが立っていた。

「あー、その、盗み聞きするつもりは無かったんだけどよ」

「構いませんよ」

 居心地悪そうにするハークに返事すると、ハークはほっと胸を撫で下ろして書類を掲げた。

「任務の依頼がきた。用意が出来たらコマドリと一緒に作戦室に来てくれ。ロムと先に行ってるぜ」

 そう言って執務室を出ていく。

「用意って?」

「今回は長旅になるって意味ね。緊急出動用の準備は事前に済ませてあるわよね?」

「はい」

 自警団では数日執務室に寝泊まりしたり、長期の出張が急遽入ることもある。そんな時の為に自警団員は常に旅の用意をしておくよう義務付けられているのだ。

 スズメは緊急用の装備を持って、コマドリの後に続く。

(ヨル、見守ってて)

 スズメは心の中で密かに呟いて扉を潜り抜けた。


 ◆


 作戦室の机には既に大きな地図と資料が並べられていた。

 地図にはこの世界の地形が細かく記されている。この世界は円を描くように広がっていて、その外は人の住むことが出来ない砂漠地帯や毒草地帯、海が広がっている。

「今回の任務は東方の端だ」

「東方の外には毒草地帯がありましたよね」

「そうだ。そして質の悪いことに中央まで流れ込む川の源流もここにある」

 ロムは地図の右端を指差す。そこには川が描かれており、一本の線が枝分かれて世界の中央部まで伸びているのが分かる。

「実はこの川の水に毒が含まれているのがわかった」

「毒!?」

「川の周辺に住んでいる人々がことごとく亡くなってるんだ。中央本部の研究チームが調べたところ、川の水に毒素が検出された」

 これが資料だと見せられた紙には検出された毒の詳しい成分と場所ごとの検出量が書いてある。毒は源流に近付く程に濃度が高くなっていた。

「研究チームは原因が川の源流にあると特定、既に現地に研究者を派遣している。私たちも研究者に協力し、事態の収拾を図る」

「事態の収拾ってもよ、一体何したらいいんだ?」

 ハークが難しい顔で尋ねる。毒を流しているのが鳥人なら対処できるが、もしそれ以外の理由なら戦闘特化型のハークのような団員は役に立たない。しかしロムは予め質問の答えを用意していたようにすらすらとハークの問いに答えた。

「僕は毒で苦しんでいる人々を癒しに行く。道中には治安の悪い地域や山賊が出る地域もある。ハークとコマドリは護衛役だ」

「私は?」

「スズメ、君は今回の主役だよ。資料をみて何か気付かないかい?」

 ロムが聞くと、スズメに全員の視線が集中する。スズメは少し考えた後、ぽつりと呟いた。

「―――スズランの毒」

「スズラン?」

「毒の成分、コンバラトキシン、コンバロシドって書いているでしょう? 検出されたのはスズランに含まれる毒ですよ」

 訓練生時代、あらゆる植物の知識を頭に叩き込んだスズメには分かる。恐らく原因は毒草地帯から川の源流に流れ出した毒だ。きっと二つが重なる地点には大量のスズランが植っていることだろう。

「あんなに可愛いお花に毒があるなんて」

「水溶性の強力な毒が含まれているんですよ。青酸カリの何倍も強い毒がね。摂取してしまうとあっという間に呼吸困難や心不全を引き起こして死に至ります」

「書類にある患者の死亡要因と一致するね」

「マジかよ。じゃあ現場にはスズランが大量発生してるってことか?」

 恐らく、と頷くとハークはげぇっと声を出した。

「毒草地帯に行くってことか? あそこは誰も近付けないくらい危険なところだって話だぜ」

「だからスズメを連れて行くのさ。彼は植物のエキスパートだからね。それで東方支部に白羽の矢が立った」

「確かに私の能力なら植物を枯らすことも出来ますが・・・・・・それでは東方支部は暫く無人になりませんか?」

「それなら大丈夫」

 ロムは徐にドアに近付くと、何者かに呼び掛けながら扉を開いた。

「入ってきて」

「はい!」

「えっ! お前は!」

 顔を出した人物に思わず素にもどって叫んでしまったスズメは慌てて両手で口を塞いだ。

「兄貴! お勤めご苦労様です!」

「兄貴!?」

 現れたのは特徴的な黒髪に白のメッシュ。全身黒づくめのファッション。スズメが潰したマフィアのボス、トビだった。

 トビは何故だかスズメのことを兄貴と言い、満面の笑みを向ける。

「今度は何企んでるんだ」

「何も企んでませんよ! これはマフィアの掟です!」

「掟?」

 訝しむとトビは大きく頷いて目を輝かせた。

「負けた者は勝った者に従う! 強者こそ正義!」

 トビは熱く語り、スズメの手を取る。

「というわけで兄貴! ずっとついていきます!」

「はぁ!?」

「良かったねスズメ」

「何も良くないんですけど!」

 悲鳴を上げながら説明を求めると、ロムは悪い顔で笑った。この人絶対楽しんでる、と心の中で文句を言いながら次の言葉を待つと、ロムは皆に分かるように語り始めた。

「スズメとハークがマフィアを潰した後全員を取り調べしたんだけどね、反抗的な者以外には慈善事業に従事することで禁固刑を逃れる選択肢を与えたんだ」

「慈善事業って・・・・・・」

「街の治安を守ること。勿論今までやっていた人身売買や麻薬取引は全面禁止、新たに手を出そうとする者があったら自警団員の代わりに叩きのめす」

 随分と物騒な慈善事業だ。しかし成る程ロムの言いたいことがわかった。

「不在にする私達の代わりに彼らを据えるということですね」

「そういうこと」

「任せてください! 俺たち立派に街を守ってみせます!」

 トビは以前の横柄な態度は何処へいったのか、まるで忠犬のようだ。トビによると、マフィアの元メンバーは相変わらずトビの下で頑張っているらしく、トビの意見に全面的に賛成らしい。つまり元マフィアの連中の殆どが街の警護にあたってくれるという訳だ。少し不安な部分はあるものの、中央本部から定期的に視察もあるということなのでここは思い切って彼らに任せることにした。

「じゃあ情報を整理するよ。まずこの街の警護はトビ達に任せる」

「はい!」

「僕、ハーク、コマドリ、スズメの四人で東の毒草地帯に向かう。時折川の近くの街に寄って人命救助しながら進むことになるよ。道中の警護はハークとコマドリ担当だ」

「分かった」

「最後、毒草地帯に辿り着いたら研究者と接触。スズメは研究者と協力して毒の発生源である植物を枯らしてくれ」

「分かりました」

 では早速出発、とロムが号令をかける。ロムは幾つかトビに引き継ぎ事項を済ませると、団員達と共に東の果てへと出発した。


 ◆

「思ったよりひでぇな」

 馬車で出発して数日。東の都から数十キロ離れた農村でハークは思わず顔を顰めた。

 目の前に広がる惨状を見れば無理もない。ある村人は喉の渇きを訴え、また別の村人は悶え苦しみ、その隣では既に生き絶えた者が転がっている。まだ動ける者は死体を運び出し、一カ所へ並べていた。

 東の都での毒素の濃度は老人や子供が嘔吐や腹を下す程度だったので、まだ源流から遠く離れているこの場所でこれ程の被害は想定していなかった。

 これは早く動かなければまずい。

 スズメはひとまず苦しんでいる者達を一箇所に集め出した。木の蔓を使って慎重に患者を運ぶ。

「ロム支部長!」

 名を呼ぶとロムは心得たとばかりに患者一人一人に手を置いて癒し始めた。

「私は飲料水を配るわ」

 コマドリは馬車の荷台から水を入れた皮袋を持ってきて、渇きを訴える者に少しずつ与える。ハークはスズメとコマドリ両方のフォローをしながら、生存者がいないか一軒一軒家の中を見て回った。

 死亡者二十八人。重軽傷者四十人程。

 やっと生存者全員を救出した時には日も暮れ、辺りが真っ暗になっていた。

「本当にありがとうございました」

「仕事ですから」

 村の村長がロムに頭を下げるのを見てロムも敬礼で返す。生存者は皆東の都へと避難してもらうことにして、村にいた全員が馬車で去って行くのを見届けた後、一同は再び東を目指して旅を続けた。


 ◆


 次の町は比較的被害が少なかった。というのも、彼らは普段雨水を貯める貯水槽から水を得ていて、川の水は専ら洗濯や風呂に使っていたらしい。町民には引き続き雨水だけを使い、川の水は決して飲まないように言い含め、危なくなったら都に避難するように呼び掛けた。

「このまま被害の少ないところばかりだと助かるんですがね」

「そういう訳にもいかないだろうね。それにここからは治安の悪い区域に入るよ」

 馬車の手綱を引きながらロムは警戒して辺りを見回す。つられて隣に座るスズメも目を凝らした。

 このあたりは鬱蒼とした森が広がっていて、馬車を走らせる道も細く、がたがたしている。誰かが潜んでいたとしてもなかなか気付くことは出来ないだろう。

 そんな事を話していた矢先だった。

 キラリと前方で何かが光った。

「・・・・・・ッ! 危ない!」

 隣から咄嗟に手綱を引いて僅かに馬車の角度をずらす。次の瞬間、馬車の荷台には矢が突き刺さっていた。

「なんだ!?」

「敵襲です!」

 荷台から顔を見せたハークに急いで敵の存在を伝える。ロムはその間に馬車を止め、馬を宥めた。

「スズメ! 君は馬車の防衛だよ!」

「はい!」

 スズメはすかさず馬車を茨の蔓で覆い、防衛する。ロムも銃を構えて戦闘態勢をとった。その間にコマドリとハークは荷台から飛び出し、敵の確保を試みる。

 まずはハークが閃光手榴弾を四方に投げる。そこでみつけた敵をコマドリが捕捉。

 首のチョーカーを外して『歌姫』の能力を解放した。

「って、え!? コマドリさん歌うつもりですか!? それって私たちにも効きません!?」

「大丈夫だ! コマドリは魅了する相手を選べる!」

 代わりに説明したハークに、コマドリも頷く。コマドリはすうっと息を吸い込んでから口を開いた。

『枯れた砂漠に命が芽吹く―――はじまりの種再び落ちて―――』

 コマドリの歌で敵の動きが止まっていく。

『毒は薬に、海は穏やかに―――命の木再び茂らん』

 話にきいた通り、確かに美しい歌声だ。スズメは次々飛んでくる矢を蔓で凌ぎながらその歌声に聞き惚れていた。すると、種を入れているホルスターバッグが淡く光り出す。

「な、何?」

 スズメが慌てて蓋を開けると、スズメが持っている中でも最も大切な種が鈍く光り輝いていた。ゴツゴツとした不思議な形の茶色い物体。メタセコイアの木の種だ。かつてヨルがスズメのためにとプレゼントしてくれた宝物。それが今、歌に共鳴するように光っている。

「どうなってるんだ・・・・・・コマドリさんの能力は人を魅了する力じゃ・・・・・・」

「スズメ! どうした! 手が止まってるよ!」

 スズメがメタセコイアの種に気を取られている内に迫ってきていた敵をロムが威嚇射撃で遠ざける。スズメははっと顔を上げた。そうだ今は戦闘中だ。別のことに気を取られている場合じゃない。慌てて敵に宿木を巻き付けると、身動きの取れなくなった敵はバランスを崩してその場に転がった。

「くそ! なんだこいつら!? ただの旅人じゃねぇのか? 全然攻撃が当たらねぇ!」

「自警団だ! 一旦戻るぞ!」

 コマドリの歌声から免れた者だろう。此方に攻撃が効かないと悟るや否や逃走するつもりらしい。声と共に茂みを掻き分け走り去る音が響いた。ロムとハークが銃で敵を追い掛けるが、後一歩のところで逃げられてしまう。

 森に再び静寂が訪れた。

 ハークは仕方なく突っ立ったままの敵に手錠をかけて、そこでひとまず一息つく。

「取り敢えず撃退はしたけどよ。俺たちの進行方向に逃げてったぜ。厄介だな」

「また戦うことになるだろうね」

「でもこの人達、すごく痩せ細っているわ」

 コマドリは捕まえた敵をみて、その細さに衝撃を受けているようだった。言われてみれば捕まえた者たちはあれだけ動けていたのが不思議なくらい骨と皮だけの状態で、明らかに栄養失調を起こしている。

「・・・・・・東の果ては相当な食糧難が起きているときいている。彼らも生きるために旅人を襲って食べ物にありつこうとしていたんだろうね」

「東の果てだけじゃない。東西南北、何処の果てでも食糧難は起こっているだろ」

「こんなに酷いなんて・・・・・・なんとか都から支援できないものかしら」

 皆が話し合っている中、スズメは先程のメタセコイアの種の変化が気になっていた。

 しかし今はとても言い出せる雰囲気ではない。スズメは気を取り直して、馬車の周りに張り巡らせていた茨の蔓を枯らせる。

「その人達、一旦荷台に乗せて進みましょう。ここで放っておく訳にもいかないし」

「そうだね。もしまた襲ってきたら話し合いが出来ないか試してみよう」

 スズメの言葉にロムは頷いて再び馬車に乗り込む。幸い、馬車の被害は修理をする必要もないくらい軽度だ。ハークは捕まえた人達を荷台に押し込んでコマドリと共に荷台の椅子に座る。

「先を急ごう」

 ロムが手綱を馬の背に軽く叩き付けると、再び馬車が動き出す。目指すは川の中域の村だ。

 ◆


 次の村に着くと、村人はみんな斧や銃や弓矢を持ってスズメ達を待ち受けていた。

「穏やかじゃないね」

「自警団共。俺がこの村の長だ」

 出てきたのは身長二メートルはありそうな大男だった。髭をたくわえ、毛皮を着てまさしく山賊といった風貌だ。

「俺たちの仲間を随分と可愛がってくれたみてぇじゃねぇか」

「先に手を出してきたのはそっちだよ」

 どうやら森の中で襲ってきたのはこの村の村人らしい。あの時逃げていった奴らの顔もちらほら見える。ロムは毅然とした態度で大男を睨み付けた。

「まさか村ぐるみで犯罪を犯しているとはね」

「仕方ねぇだろう。川の水は飲んだら死ぬ。生えてくるのは毒草ばかりで作物は育たねぇ。動物はみんな殺して食べちまった。旅人から食料を奪わなきゃ俺たち全員飢え死にしちまうんだよ」

 村人はそうだそうだと頷く。まるで自分たちが正しい事をしているみたいな言い草だ。

「自警団に救援を申し出れば済む話だろう。ここまで深刻になる前に」

「そりゃ無理でしょ。支部長」

「スズメ?」

「あんたらの襲撃の鮮やかさ、数ヶ月やそこらで身に付いたものじゃない。こうなる前から旅人を襲ってたんだろ? だから足がつくのを恐れて自警団に相談出来なかった」

 スズメは吐き捨てるように言った。村人の武器の扱い方、連携の取り方、襲い方。どれをとっても素人のそれではない。今だってほぼ全員が武器を持っているし、どの武器も使い込まれている様子だった。温室育ちの支部長達を騙せても、荒んだ場所で育ったスズメの目は誤魔化せない。

「成る程そういうことか」

「・・・・・・ッ! 食料に困っているのは本当のことだ! 俺たちだけじゃねぇ! 川の上流じゃ共食いしてる奴らだっている! 盗賊より殺人の方が罪は重いだろうが!」

「だからってあんた達の罪が消える訳じゃない」

「じゃあどうするってんだ!」

 凄む大男にロムは大きな溜め息を吐くと身体を翻し、男の巨体を背負い投げた。腕を捻られて、大男は苦しそうに呻く。一瞬の出来事に村人達はざわついた。恐らく自分たちと自警団の力の差を今はじめて自覚したのだろう。

「じゃあどうするって? もちろん全員元気に生き延びて僕たちに捕まってもらうさ」

 ロムがスズメに目配せすると、スズメは頷いて一つの種を取り出した。能力をこめて地面に思い切り投げ付ければ途端に育つ低木。その枝には真っ赤な果実がなった。

「なんだこれは!?」

「何って林檎だよ。支部長の言う通り死なれるとまずいからさ。罪を償う為にもしっかり食べてもらわないと」

 スズメは口を動かしながらも次々と種を地面に落とす。種はあっという間に成長し、どれも美味しそうな実をつけた。

「トマト、梨、こっちは葡萄か」

 感心するハークに、

「育てられるのは毒草や蔓ばっかりじゃないんでね」

 と憎まれ口を叩きつつ、スズメは村人が十分食べて喉を潤せる程の果物や野菜を育て上げた。

「お前の能力思ったより便利だな」

「はじめは馬鹿にしてた癖に」

「悪かったって」

 ハークとスズメが小競り合いをしている内に、コマドリが果実を捥いで村人達に配る。もう何日も食べていない様子の村人達ははじめは皆警戒していたものの、一人ががぶりと林檎に齧り付いたのを皮切りに全員がつがつと食べ出した。村の村長はその光景をみて「なんでだ」と呟いた。

「どうして俺たちを助ける。そのまま逮捕だけすれば良いだろう。こっちはお前たちを襲おうとしたのに」

「さっきも言ったでしょ。罪を償わせるために助けるんだ。食べ終わったらみんな逮捕だからね」

「小僧、お前はそれでいいのか」

 村長は今度はスズメの方を見て問う。ここの村人は皆悪意の中で生きてきたのだろう。だからロム達の行動の意味が分からない。

「あんたらを全員倒すのは簡単だ。殺すことだってできる。でもこの力は正しいことにしか使わねぇんだ」

 スズメは昔ヨルから言われた言葉を思い起こす。能力は正しいことにのみ使うこと。

 それがヨルとの約束。戦わざるを得ないなら戦闘に使用するが、話し合いで片付けられるなら話は別だ。ロムが戦いの命令を下さない以上、逆らう意味もない。

「それともそんなに叩きのめされたいわけ?」

「・・・・・・三食食べさせてもらえるなら文句はねぇよ。今必要なのは金銀財宝じゃねぇ。食べ物と飲み水だ」

 村長は観念したようにその場に座り込む。大きな身体が急に小さくみえて、村人達も自分たちの負けを悟ったらしい。

「負けると分かってる戦に興味はねぇ。煮るなり焼くなり好きにしろ」

 それからロム達は男達に宿の提供を求め、暫く経って十分に動けるようになったら東の都の自警団東方支部に出頭するように命じた。村人達は最早抵抗する気はないようで大人しくこちらの要求を受け入れる。結果的にこの日は久しぶりに野宿から解放され、ベッドで眠れることになったのだった。


 ◆


「コマドリさんちょっといいですか?」

「あら、スズメくん」

 夕食の後、スズメはコマドリを呼び止めた。昼間、村人の襲撃を受けている時、コマドリの歌でメタセコイアの種が光ったことがどうしても気になっていたのだ。あの時、種は確かに歌に共鳴して輝いていた。ヨルに種を渡されてから何年も経つがこんな現象は一度も無い。しかも光っていたのはメタセコイアの種だけだったのだ。あれから思案してみたがスズメにはその理由が分からなかった。別にどうでもいいことなのかもしれない。しかしスズメにはこの出来事が特別な意味を含んでいるような気がしてならないのだ。

「実はお尋ねしたいことがあって・・・・・・」

 コマドリに聞けば何か分かるかもと思い、寝室に向かおうとするところを捕まえたはいいものの、どこから話せば良いものか。

「あら、お話は好きよ。あちらに座ってゆっくりお喋りしましょう?」

「ありがとうございます」

 コマドリの言葉に甘えて、スズメはコマドリと共に食堂の椅子に座った。

「早速なんですが、これを見ていただきたいんですけど・・・・・・」

「これは何かの種?」

「ええ。メタセコイアの木の種です」

 スズメはメタセコイアの種を取り出してコマドリの前に置いた。コマドリは興味深そうに種を観察していたが、暫く経つと話の続きを促すようにスズメの顔を見詰める。

「実は昼に戦った時、コマドリさんの歌に共鳴するみたいに光ったんです」

 スズメは光ったのはメタセコイアの種だけだったこと、今までこんな事は一度も無かったことを伝えた。コマドリは静かにスズメの言葉に耳を傾けていたが、スズメが「原因に何か心当たりがありますか?」と尋ねると、首を横に振った。

「ごめんなさい。分からないわ」

「そうですか・・・・・・」

「私の能力は歌声で相手を魅了する力。スズメくんのように植物を育てる力はないわ」

 眉根を下げて困った顔をするコマドリにスズメは肩を落とす。当の本人が分からないならきっと答えは迷宮入りだ。落ち込むスズメと何も言えないコマドリ。暫く静寂の時が流れた。食堂には誰もいない。気まずい状況を打破出来るのはスズメかコマドリどちらかだけだ。そしてスズメはコマドリに付き合ってもらった身。ここは自分がお礼を言ってこの場を何とかしなければ。

 スズメがどう声を掛けようと考えていると、

「あっ!」

 急にコマドリが声を上げた。

「そういえば私の歌の歌詞って種の歌なのよね」

「種の歌?」

「そう。誰に教えてもらった訳でもない、いつも頭に勝手に浮かんでくる歌なんだけど・・・・・・その歌の歌詞が種が芽吹く内容なの」

 そう言うと、コマドリは歌を口ずさんだ。

『枯れた砂漠に命が芽吹く―――はじまりの種再び落ちて―――』

『毒は薬に、海は穏やかに―――命の木再び茂らん』

『さぁもどれ諸人よ―――命の木の下に―――』

 コマドリが歌うと、また種が呼応するように光り始めた。今コマドリは能力制御のチョーカーをつけている。つまり『歌姫』の称号の力ではない。種は歌そのものに反応しているのだ。

「命の木・・・・・・」

「スズメくん?」

「メタセコイアの木って、別名『永遠の生命の木』と言われているんです。そういう意味では特別な木だって言えなくもない」

「じゃあ『はじまりの種』や『命の木』はこのメタセコイアってこと?」

 首を傾げるコマドリにスズメは下を向いた。

「分かりません。でも何か・・・・・・しなければいけない事がある気がするんです。私にしか出来ない使命が。それが何なのか知りたい」

「スズメくん・・・・・・」

「その歌、最後まで聞かせてもらえませんか? 今は意味が分からなくても後で何か分かるかも」

 謎の焦燥感に包まれてスズメは気付けばコマドリに懇願していた。コマドリは少し驚きながらも快く頷いて、歌うだけでなく紙に歌詞を書いて持たせてくれる。

「不思議ね」

「コマドリさん?」

「私、貴方にこの歌を伝えるために生まれてきた気がするわ」

 歌詞を書いた紙を渡してくれた時、コマドリはそう言って微笑んだ。紙にはこう記されていた。

『再び滅びゆく大地―――土は砂に、海は荒れ、草花は毒に包まれて―――死が迫ってくる―――怒れる大地よ鎮まれ』

『今一人小さな命立ち上がりぬ―――枯れた砂漠に命が芽吹く―――はじまりの種再び落ちて―――』

『毒は薬に、海は穏やかに―――命の木再び茂らん』

『さぁもどれ諸人よ―――命の木の下に―――』

 まるで予言のようなその歌にスズメの心はざわりと波立った。


 ◆


 次の日、ロムたちは村人の回復を待ってから食料と水を分け、東の都を目指すように言い含めた。そして自分たちもスズメの能力で補給を済ませると更に東を目指して出発した。予定ではこの先にある村で自警団中央本部が派遣した研究者と落ち合う手筈になっている。

「次の村が最後の村ですね」

「ええ。酷いことになってないといいけれど」

 地図によると次の村が人の住む最東端の村だ。一人でも多くの人が生き残っていたらいいのだが。

 しかしその期待は最悪の形で裏切られる。

「なんだこれは・・・・・・!」

 そこに広がっていたのは正しく地獄だった。あちこちに人が倒れ、腐敗して異臭を漂わせている。とてもじゃないが、生きている者がいるとは思えない。

 ロムたちが絶句していると、

「やぁ来たね」

 後ろから若い男の声が響いた。

 ばっと振り向けば自警団員の制服。しかもその上に白衣を羽織っている。毛先が外跳ねしている茶髪に大きな眼鏡。金色の瞳。大きな四角い器具を背中に背負い、ゴム手袋をつけて佇んでいる。まさかこの男が。

「中央から派遣された研究者!?」

「いかにも」

 男は頷くと、座面に覆い被さっている遺体をどかして椅子に座った。

「ちょっ! あんた何やってんだ!」

 慌ててハークが怒鳴るが、研究者はどこ吹く風だ。涼しげな顔で笑ってすらいる。

「この村はもう駄目だ。全員死んでる」

「だからって遺体を乱暴に扱うなよ!」

「何を怒っているんだい? もう死んでいるんだよ。どう扱ったって生き返る訳でもない」

 冷たい声で言って男は片手を差し出した。

「僕はフクロウ。君たちのサポートをするように言われて派遣されてきた。まぁ僕個人としては・・・・・・」

 黄金色の瞳がきゅっと細められる。その視線の先にはスズメがいた。

「『庭師』の称号ってのを研究したくてやってきたんだけどね」

「・・・・・・!」

 ロムがその視線から守るようにスズメとフクロウの間に割り込む。そして無理矢理笑顔を顔に貼り付けると、差し出された手を握り返した。

「君の役割はスズメの研究じゃなくて川の水の研究だろう?」

「あっちの彼はスズメくんというのか。よろしく頼むよ。何せ植物を育てる能力なんて今まで聞いた事がない! 研究意欲が湧くってものさ!」

 フクロウはロムの言葉など聞こえていないのか、興奮した様子で捲し立てた。ロムの額に青筋が浮かぶのをスズメだけが視認する。やばい相当怒ってる。スズメは思わず後退りした。隣を見ればハークも歯軋りしてフクロウを睨みつけている。一触即発な空気にスズメは却って冷静になった。どうしよう。悩んでいたら後ろからスッとコマドリが進み出た。

「とにかく遺体を埋葬して川の上流に向かいましょう」

「遺体を埋葬? そんな事して一体何の意味があるんだい?」

 成る程フクロウという男はモラルというものを何処かに落としてきたらしい。もう死んでいる、無意味な行為だと主張して引こうとしない。仕方ない。スズメは大きく息を吸い込んだ。

「遺体を埋葬し終わったら、フクロウさんに私の力を見せてあげてもいいですよ!」

「スズメ!」

「だってここで押し問答してる時間勿体無いじゃないですか」

 咎めるロム。しかしスズメは大丈夫だとロムを宥めた。フクロウからは強烈な好奇心は感じるものの、敵意は感じない。恐らく悪気はないのだろう。ロムたちを煽っているのも無意識なのかもしれない。

「ふむ、死体を土に埋めて養分にするということかね?」

「そういう危険思想は抱いていないです」

「成る程面白い! 是非やってみよう!」

「話聞いてます?」

 先程と打って変わって嬉々としてシャベルを持ち地面を掘り始めるフクロウにスズメは溜め息を吐く。この人全然他人の話聞かないな。ロムとハークはといえば納得いかないとでかでかと顔に書いたまま、ハークが能力で出したシャベルで同じく土を掘っている。コマドリが一人遺体を引き摺っていたので、スズメはそちらを手伝うことにした。

「手伝います」

「あら、ありがとう」

「大分腐敗が進んでますね。コマドリさん大丈夫ですか?」

 虫が集っている遺体を運ぶのは心にくる。スズメはコマドリを心配して尋ねた。しかしコマドリは悲しげにしながらも「大丈夫よ」と続ける。強い人だ。

「コマドリさんて儚いイメージだったんですけど、芯の強い方ですよね」

 先程のフクロウとの会話といい、今といい、コマドリはその見た目に反して心が強い。しっかりとした芯が一本スッと通っている。スズメはその姿を純粋に格好良いと思った。

「そう言ってもらえると嬉しいわ。でも前途多難ね。あのフクロウって人、ハークと支部長とは相性が悪いみたい」

「そうですね・・・・・・」

 ロムとハークは完全にフクロウを嫌っているし、このまま五人で任務にあたらないといけないとなると頭が痛くなる。一体どうなることやら。


 全員で遺体を埋め終わると、フクロウは早く能力を見せてくれとスズメを急かした。

 スズメは仕方なく果実の種を取り出すと、『庭師』の称号の能力で育ててみせる。

「素晴らしい! 一瞬にして林檎が実った!」

 フクロウは感心してぐるぐると林檎の木の周りを回り、観察する。そして実を捥ぐとナイフを取り出し、一部を切り取った。そのまま食べるのかと思いきや、背中に背負っている怪しげな機械を下ろして切り出した実をセットする。スイッチを入れると、甲高い音がして計器の針が右に左にと振れ出した。

 そうして暫くすると、計器は再び零の値を指して沈黙する。

「これは興味深い・・・・・・ここで育つ作物はみな毒素を持っていた。もちろん林檎もだ。水だけでなく土壌全体が毒で侵されているからな。しかしスズメくんの能力で出来たこの林檎には一切毒が含まれていない」

「それは・・・・・・いい事なのでは?」

「僕は物事を良い悪いで語るつもりはない! そんなのはナンセンスだ! つまり僕が言いたいのはだね、スズメくんの能力は周りの環境に左右されない力だということさ!」

 これは凄い発見だよ! と騒ぐフクロウにスズメたちは完全に置いてけぼりをくらう。

「もっとたくさんデータが欲しい! こうしてはいられない! 早く川の上流へ行こうじゃないか!」

「お前が仕切るなよ!」

 ハークが怒鳴るがフクロウの耳には届かない。一人でどんどん先の道へ進んでいく。

「ああもう! 仕方ねぇな!」

 ハークは悔しがりながらもその後を追う。暫く呆けていたロム、コマドリ、スズメも慌ててそれに続いて、一同はスズランが植っていると思われる場所を目指した。


 ◆


「な、なんだこれ・・・・・・」

 川の上流、もう少し先に行けば海と砂浜が広がる地帯。そこには真っ白な花がびっしりと生えていた。どこを見ても白、白、白。こんなにたくさんスズランが群生しているのをスズメは見た事がない。

「こんなに毒草が生えてたら水が汚染されるのも分かるぜ」

「いいや、君は何も分かっていない」

「はぁ!? お前さっきから喧嘩ばっかり売りやがって何なんだよ!」

 噛み付くハークをものともせずフクロウは話し続ける。

「ここのスズランは普通のスズランより多くの毒素を含んでいるんだ。数字で表すならその量は通常の百倍」

「百倍って・・・・・・」

 それが本当ならここの川の水の毒の濃度は如何程だろう。もしかしたら水に入るだけで危ないのではないだろうか。

「早くスズランを枯らしてしまわないといけませんね」

「具体的にはどうやるんだい?」

「死は生の先にあるものです。スズランの成長を更に促す。それだけで自然に枯れるはずです」

 フクロウの質問に答えた後、スズメは深呼吸した。これだけの量のスズランを枯れるまで成長させるのは骨が折れる。心してかからねば。

 スズメは目を閉じてスズランに手を翳した。身体中から溢れる熱をそのまま手に集める。「スズランよ、成長せよ」と心の中で念じると、スズメの手元が淡く緑に光った。

 ゆっくりと目を開けると同時にスズランたちが一斉に成長を始める。背が高くなり花が大きく開いた後、全体が茶色になって萎れ、枯れていく。成功だ。

「予想以上の能力だ。この数のスズランを全て枯らせることが出来るとは・・・・・・」

「これで一件落着なんですか?」

「川の水を測定してみよう」

 フクロウは背中の機械を再び取り出してカチャカチャと操作する。林檎と同様、川の水を採取して毒素の有無を測定するつもりらしい。

「それにしても君の力は応用性が高いね。君の遺伝子を一度研究してみたいものだ」

「遺伝子?」

「そう、称号持ちには必ず遺伝子に特別な情報が組み込まれているんだ。僕の専門は本来遺伝子研究でね」

 難しいことを話そうとしている気配にスズメは思わず逃げ出したくなった。訓練学校を主席で卒業したスズメだが、本来勉強は好きではない。恐らく表情にもしっかり面倒臭いと出てしまっていると思うが、気付いているのかいないのかフクロウは話すのをやめない。

「僕は称号持ちが生まれるのには古代文明が関係しているんじゃないかと思っているんだ」

「古代文明、ですか」

「そう。今より二十万年前、この世界には僕らよりもはるかに発展した文明を持った『人間』という知的生命体が存在していた。これは遺跡の研究によって既に分かっていることだ」

 そういえばスズメの育ったアウトサイドにも遺跡がいくつか点在していた。鉄と割れない硝子で出来ていて、何に使うかも分からない機器の残骸があちこちに転がっていた記憶がある。フクロウが話す通り、遥か昔の代物だったのだとしたら現代に形を残していること自体物凄いことなんじゃないか。そういう意味では自分たちより発展した文明を持っていたと言われても納得できる。

「彼らは遺伝子を操作する技術を持っていた。そしてここからが本題。我々鳥人の称号持ちの遺伝子にも遺伝子操作の痕があるんだ」

 興奮した様子のフクロウは機械そっちのけで立ち上がる。

「つまり今いる称号持ちは古代の人類によって何らかの意図を持って生み出されたのではないかという仮説さ!」

 ばっと手を広げると同時、いや、それよりも前にフクロウの背後に植物の蔓とスズランの大群が押し寄せる。

「危ない!」

 スズメは咄嗟にフクロウの手を掴み、川から遠い場所に放り投げた。

「またスズランが生えてきた!」

「・・・・・・っ! なんだこの成長速度! あり得ない!」

 ハークとロムが警戒体制を取る中、植物の蔓がスズメの四肢を捉えた。

「・・・・・・っ!」

「スズメ!」

 慌てて能力を使おうとするが、とんでもない力で縛り上げられ、あっという間に川底へと引き摺り込まれる。ゴポポポポ、と水の音が響く。そこでスズメの意識はぷつりと途切れた。


 ◆


 暗い水の底へ沈んでいったスズメをみて、ロムは酷く取り乱した。

「スズメ・・・・・・! スズメ・・・・・・っ!」

「おい、ロム! 蔓とスズランが襲ってくるぞ! ボサっとすんな!」

 ハークは火炎放射器を片手に植物を牽制する。とてもじゃないがスズメを助けに行く余裕はない。襲ってくる植物の隙をみて川に入ったとしても、水の底は暗く、藻が生い茂っていてどこにスズメがいるかも分からない。そもそも毒の混じる川に入って無事でいられるか分からないのだ。

「なんてことだ! スズメくんはもう駄目かもしれないね」

「・・・・・・っ!」

 早々にスズメの生存を諦めるフクロウをロムは反射的に殴り倒した。そして飲み水を入れていた皮の入れ物に空気を入れて口を握り締めると、そのまま川の中へ飛び込んだ。

「ロム・・・・・・! 畜生、あの馬鹿野郎!」

「二人を助けなきゃ!」

「でもどうやって!」

 コマドリはチョーカーを外した。きっとコマドリの歌は植物の蔓やスズランには効かない。しかし一つだけ希望がある。思い出されるのは先日のスズメとの会話。コマドリの歌に反応して光るメタセコイアの木の種。光ることでスズメの居場所が分かればロムが彼を連れて水面に上がってくるかもしれない。コマドリは一縷の望みをかけて息を吸い込んだ。


 ◆


(スズメ、どこだ・・・・・・!)

 ロムは絡む藻を避けながら、暗い水底を漂った。一面深い緑色で覆われ、何も見えない。水は刺すように冷たく、含まれる毒素のせいか強い頭痛と目眩を引き起こす。

 それでもロムは必死にスズメを探し続けた。時々息継ぎをしながら何度も何度も水に潜る。

 死なせない。死なせられない。

 かつてヨルが助けた命で、ロムにとっても歳の離れた弟のような存在。無茶をしないかいつも目を離せなくて、小生意気で、でも愛しい。きっとこういうのを大切な存在というのだろう。

 ヨルが死んだあの雨の日、ロムは間に合わなかった。馬鹿正直でお人好しのあの友人を、大切な人を、助けられなかった。もう二度と大切なものを失くせない。失くしたくない。あの日の二の舞は御免だ。手遅れになる前に何としてでも見つけてみせる。

 その時だ。水の中にコマドリの声が木霊した。

『再び滅びゆく大地―――土は砂に、海は荒れ』

 美しい歌声。その音色に合わせて奥の方で何かが光った。ロムはまるで導かれるように光に吸い寄せられていく。

『草花は毒に包まれて―――死が迫ってくる―――怒れる大地よ鎮まれ』

 どんどん光に近付いていく。カーテンのように広がった藻を手で払い除けると、そこにはスズメの姿があった。

 やっと見つけた。

 しかし意識は無いようで、ぐったりと川の流れに身を任せている。

 ロムは急いでスズメの元に泳ぎ着くと、持っていた皮袋の中の空気をスズメに吸わせて肩を揺さぶった。反応がない。早く水から引き上げなければ。ロムは持っていたナイフでスズメの四肢を拘束している植物の蔓を切り落とすと、その華奢な身体を抱いて上に向かって泳ごうとした。

 すると。ゆっくりとスズメの目が開かれた。ああ生きている。良かった。そう思った瞬間だった。スズメに強い力でドンッと身体を押し除けられる。

(何をしているんだ・・・・・・!)

 気を抜いていたところを突かれたため、ロムはあっさりスズメから手を離してしまう。再度掴もうと慌てて手を伸ばすが、スズメは微笑んだまま動かない。そうしているうちに沈黙していた植物の蔓が再びスズメに襲い掛かった。

(スズメ・・・・・・!)

 蔓はスズメの身体を雁字搦めにしてすっぽりと姿を覆い隠してしまう。そして出来上がっていく巨大な球体。絶対に逃しはしないという意思を持っているかのように振る舞う植物を前にしてロムは拳を握り締めた。


 ◆


 冷たい水の中。暗闇に沈んでいた意識を呼び起こすように歌が聞こえる。

『草花は毒に包まれて―――死が迫ってくる―――怒れる大地よ鎮まれ』

 聞き覚えのある歌だ。そうだ。これはコマドリが歌っていた歌。いや、だけれども何か違和感がある。自分はもっと前からこの歌を知っていた。物心つくよりも早くに。

 スズメは水の中を揺蕩いながら歌に耳を傾ける。

『今一人小さな命立ち上がりぬ―――枯れた砂漠に命が芽吹く―――はじまりの種再び落ちて―――』

『毒は薬に、海は穏やかに―――命の木再び茂らん』

 今一人小さな命。ああこれは自分のことだ。

 命の木、これはメタセコイアの木。

 はじまりの種を植えて茂らせるのはスズメに託された使命。走馬灯のように遺伝子に刻み付けられた記憶が再生される。


 荒廃し、汚染された世界。絶滅しかけた古代人。

 真っ白な研究室にまだ命にもなっていないスズメは確かにそこにいた。

 まだ息のある者は腐っていく身体を機械に繋ぎ何とか命を繋ぎ止めている。

 一人、また一人と倒れる中、最後に残った一人は呟いた。

「やっと、成功した」

 その言葉は男の最期の言葉となった。

 スズメを創り上げた人間の、最期の言葉だ。


 思い出した。自分には使命があった。自然の脅威から世界を守り、自然と共存する未来をつくること。以前間違えてしまった人類に託された希望を現実にすること。そのためにスズメは生み出された。

 スズメだけではない。鳥人は皆、古代人により引き継がれた命を生きているのだ。

 ああ、だとするならば早く動かねばならない。早くメタセコイアの木を育てなくては。

 しかし身体は一切動かせず、息も出来ない。このまま死んでしまうのだろうか。託された使命を果たせないまま。ヨルと約束した平和な未来をつくれぬまま。ロムや仲間たちを置き去りにしたまま。

(スズメ・・・・・・!)

 諦めかけたその時、スズメを呼ぶ声が聞こえた。何度も何度もしつこいくらいに必死に。肩を揺さぶられ、ふっと息が出来るようになる。動かなかった四肢も動かせるようになって、漸くスズメは重い瞼を開いた。

(ロム・・・・・・)

 目の前には柄にも無く焦った様子のロムがいた。助けに来てくれたのか。

 自然と口元が弧を描く。良かった。これで使命が果たせる。

 スズメは咄嗟にメタセコイアの木の種を掴み、思い切りロムの身体を突き飛ばした。

 再び視界を奪う植物の蔓たち。しかし今度はうまくやってみせる。

 スズメはメタセコイアの種に思い切り力を注ぎ込んだ。植物たちが動揺するのが伝わってくる。

『何故滅びに抗う』

 語り掛けてきたのは自然そのものを司る何か。しかしスズメは臆することなく種を温め続ける。

『何度滅ぼしても生まれてくる忌々しい生き物』

『私たちを蹂躙し、世界を喰らい尽くす害獣』

『醜く争い合い、すべてを焼き尽くす愚か者ども』

『最後に滅ぼしたあの科学者の人間・・・・・・余計なものを後世に遺したな』

 しきりに鳥人のような知的生命体は滅びるべきだと叫ぶ声。しかしスズメは真っ直ぐ前を向いて心の中で念じる。

(もう決して間違えないから。もし間違えたら今度こそ滅ぼしていいから。だから)

(生きることを取り上げないで)


『―――その言葉ゆめゆめ忘れるな』

 最後に聞こえた言葉の後、さっと視界が開ける。蔓達が拘束を解いたのだ。

(『庭師』の称号―――生い茂れ、メタセコイアの種よ!)

 メタセコイアはスズメの力を受けて瞬く間に地面に根付き、天高く伸びて生い茂った。そして鈍く緑色に輝くと、川の毒素を浄化して群生するスズランを全て枯らしていく。

(やった・・・・・・)

 スズメはメタセコイアの木に出来たうろの中でぱたりと倒れる。

 その前にいたのは先程水の中で突き飛ばされたロムだった。


 ◆


「良かった、ロム! スズメ!」

「川の毒も零になった! 植物の暴走も止まったようだ! 素晴らしい!」

 スズメの上半身を抱き起こして座り込むロムに、ハーク、コマドリ、フクロウの三人は直様駆け寄る。しかしロムの顔が暗いのをみて一同は動きを止めた。

「・・・・・・スズメ、動かないんだ」

「ロム?」

「息してないんだよ・・・・・・っ!」

 小さな身体をぎゅっと抱き締めるロムの目からは涙が零れ落ちる。いつもポーカーフェイスで、何にも興味がないように振る舞っている彼からは想像出来ない悲しみと絶望に染まった表情。その肩は僅かに震えていて、まるで凍えそうになっている子供のようだ。

「僕は一度スズメを助けてる! だからもう治せないのに! どうして!」

 スズメは何回名前を呼んでも応えない。だらりと全身をロムに任せ脱力している。

 その胸はロムの言う通り動いていないようだった。ハークは何も言えずにロムの肩に手を添え、コマドリはスズメの冷たい手をそっと握る。そんな中、冷静だったのはフクロウだった。

「みんな落ち着きたまえ」

 フクロウは背中の機械を下ろし腕捲りをすると、まずはハークに質問した。

「ハークくん、君は装備品の類いなら作れるんだろう? 医療器具はどうだ?」

「救急セットレベルのもんなら作れるが・・・・・・」

「では手動の人工呼吸器を出してくれ。支部長はスズメくんを寝かせたまえ」

「何を・・・・・・」

「私は医術の心得もあるのでね」

 テキパキと指示を飛ばすフクロウは人工呼吸器を口元に被せられ寝かせられたスズメに馬乗りになると心臓マッサージを開始した。

「五まで数えたら人工呼吸器のポンプを押せ! いくぞ!」

 一、ニ、三、四、五! とフクロウが心臓マッサージと共に掛け声をあげる。呼吸器のポンプを握るのはハークだ。

「要は溺れただけだ! 時間を考えればまだ蘇生する可能性はある!」

 フクロウは次にスズメの上着のボタンを外すと胸元の水気を拭き取り、背中に背負っていた機械からコードのついた謎の器具を取り出した。

「よし、一旦みな離れたまえ!」

「何する気だよ!?」

「電気ショックを与える!」

「は!?」

「いくぞ!」

 フクロウは器具をスズメの身体に押しつけた。瞬間、電気が走り、スズメの身体がガクンと動く。

「もう一度!」

 スズメの胸元に耳をあてた後にフクロウは叫び、再び電気ショックを流す。そしてまた心肺蘇生を再開した。

「とにかく君たちはスズメくんに呼び掛けたまえ!」

「分かった!」

 規則的な心臓マッサージと人工呼吸器の音に混じってハークとコマドリの声が重なる。

「おいスズメ! しっかりしろ!」

「生きるのよ、スズメくん!」

 傍で懸命に叫ぶ二人。しかしスズメは反応しない。

「ロム、お前も何か言えよ!」

 ハークは痺れを切らして、後ろにぼーっと突っ立っているロムを怒鳴りつけた。

「・・・・・・ッ!」

 すると呪縛から解き放たれたように顔をあげたロムが慌ててスズメに駆け寄る。そしてしっかりとスズメの手を握り締めると、精一杯の大声でスズメに呼び掛けた。

「スズメ! ヨルの代わりに世界を変えるんじゃないのか! 戻ってきて何とか言ってよ!」

 刹那。

 ゴポリ、と。

 スズメの口から大量の水が吐き出され、続いて大きく咳き込む音が響いた。

「スズメ!」

「蘇生成功だ!」

 ロムは感極まってスズメに縋り付く。良かった。戻ってきた。今度こそ失わなかった。安心したら今度は怒りが湧いてくる。また無茶ばかりして。

「僕の前で勝手に死ぬな! 馬鹿!」

「ロム・・・・・・?」

 目を覚ましたスズメは何が何だか分からないという顔でロムを見返す。それに続いてハークが頭を軽く小突いてきた。

「心配させやがって。一体何やったんだ? でっかい木が生えてきたと思ったら水は綺麗になるしスズランは大人しくなるし・・・・・・」

「本当に無事で良かった。これで都に帰れるわね。きっとトビたちがお待ちかねよ」

 微笑むコマドリにスズメは全てが終わったことを悟った。和やかな雰囲気に包まれる中、突然フクロウが立ち上がる。

「しかし生き返ってくれて助かったよ、スズメくん! これで君を研究できる!」

「てめぇまだそんなこと言ってんのか!」

「ハークくん、短気は損気だよ。さぁ、スズメくん水の中で何があったか話してもらおうじゃないか! さぁ! さぁ!」

「ええっ!?」

 川のせせらぎをスズメの悲鳴が掻き消す。

 かくして最東端の毒川での任務は終わりを告げたのだった。


 ◆


 そうして一ヶ月後。

「気を付けて行ってくるんだよ」

 スズメは新たなメタセコイアの種を持って一人最南端の砂漠地帯へ向かおうとしていた。なんでも砂漠地帯が急速に広がって農作物が育たなくなっているらしい。早く土地を正常な状態に戻さなければ余計な争いが起きてしまう。人々の争いをなくすため、人々の日常を守るため、スズメは今旅立つ。

 見送りに出てきたロムは最後まで自分も行くときかなくて困ったが、もう無茶はしないという約束をして漸くスズメを一人で送り出すことに了承したのだった。

「南方支部の団員によろしく」

「分かりました」

 スズメは背筋を伸ばし、敬礼する。

 スズメの世界を変える旅は始まったばかりだ。

                                         end.

 ※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。


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『庭師』の称号 うつみきいろ @utumi_kiiro

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