昔語り
記者たちはとっくに部屋を後にしていた。それなのにやはり集団の中心にいる人に、ふと目線を移す。後ろ姿のその人は坂野茜で、みんながあざみのことより茜に熱心な様子なのが香奈には意外だった。
「坂野さん、大人気ね」
サラリと口にする。茜の近況まで知らないと、誰にも気付かれたくなかった。茜を同窓生が囲んでいるということは、茜にも変化が訪れたということだと思ったからだ。あざみとは正反対の、けれど同じく、とても大きな変化が。
「拓殖グループの会長夫人だもんねぇ」
尚子が骨付きの肉料理を頬張りながらしみじみ言う。そうそう、と辺りが相槌を打つのを見て「拓殖グループって、あの?」などと、頓狂な声をあげるわけにはいかなかった。
素知らぬふりでペスカトーレを口に運ぶ。全神経を彼女たちの話題に集中させて。
「結構な年齢差よね」
「旦那、64歳」
「ひえー、親じゃん」
そういう話題になると皆、急に小声になる。位置からして茜に聞こえるはずはないのに。
「拓殖グループって一昨年からバイオ燃料の開発も始めたわよね」
やっと入り込める話題を思いつき、香奈もそれなりのことは承知している風で口を挟む。「そうなの?」とか「それ知ってる!」とか、それぞれ思い思いの反応を示す。
「凄いセレブよね」
奈美の独り言ともつかない溜め息に、みんなが実感を込めて頷く。
「うちもそのくらい稼いでくれたら、働かなくていいのにな」
香奈の呟きは予想以上の共感を呼んだが、尚子の
「でも坂野さんも建設業界では有名でしょ?」
という一言で吹き飛んだ。
「そうなのよねぇ。持ってる人は何から何まで持ってるものなのよ」
学生時代の坂野茜の姿など、香奈以外の誰も記憶に留めていないのかも知れない。ふんふん、と周りの話に相槌を打ちながら、香奈は拓殖グループ会長の名と坂野茜の近況を、スマホで幾つか検索してみた。
出会いは6年前。気鋭の建築士が地元大企業の一大プロジェクトを大成功に導いた。若く麗しい建築士に会長が
「年齢差など吹き飛びましてね。どうしても彼女にこちらを振り向いてもらいたいと、私と共に人生を歩んでほしいと、それは大袈裟でなく命がけの望みとなって」
茜の夫は2年前、地元紙のインタビューにそう答えていた。仮にこの記事を読んでいたとして、その「彼女」が坂野茜だと香奈が気付くわけもなく。
「凄いわね。坂野さんの努力が実を結んだのね」
香奈の言葉に尚子が
「そういえば香奈って、坂野さんと仲良しじゃなかったっけ?」
と、とんでもないことを言いだすから、慌てて否定した。
「いやいや、それはない」
不思議そうに香奈を見つめる尚子の視線が煩わしい。「粘土」などという不名誉なあだ名の名付け親なのだ、香奈は。一遍の謝罪で済むはずのない過ちを犯してしまっているのだ。冗談でも大成功を収めた坂野茜と親しかったなど、誰にも思ってほしくない。
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